(主要人物:墨木 ジャンル:ほのぼの キーワード: - 作品No.15)
最終更新:2005/03/14(Mon) 20:20
寄稿者:大江
冬の昼休み、うつらうつらとしていた皆守は妙な声に目を覚ました。
ぼんやりとした視界の中で、ふたつの影が形をとる。
「隊長、待ってくだサイッ」
「そう言われてもねえ」
困ったように言う九龍と、その袖にすがりつく墨木の姿だった。
ふわあ、とあくびをかく。やっかいごとは御免だった。事がこちらにおよぶ前に寝なおそう、皆守は机にふせた。
二人のようすに、3-Cの教室もざわつきだした。流石に誰も声はかけないが、囲むように見物人が集まってくる。
見物人の群れから、一人の女生徒が抜け出てきた。
「どうかしたの二人とも?」
ほっとしたような顔で葉佩が振り返った。微妙に疲れたような顔をしている。
「八千穂ちゃん……」
「これは八千穂殿、こんにちはでアリマスッ」
きっちりとした敬礼する墨木、自然と袖から手をはなした。そのすきを逃さず、ひょいと八千穂のほうへと逃げる葉佩。
視線恐怖症であまり人前に出なかった墨木だが、最近はこうして別の教室にも顔を出すようになっていた。といってもまだガスマスクは健在であり、課題もある。それをふまえても、よいことだった。
二人が話しているのは珍しいことではない。だが、こうして嫌がっている葉佩というのは初めてだった。
不思議そうな八千穂に、葉佩が苦笑いする。
「実はね……」
葉佩は昼休み、たまたま墨木とふたりでマミーズに行ったのだという。
最初はあたりさわりのない話をしていたのだが、ひょんなところから話が戦闘での技能に流れたのが始まりだった。
墨木としては、得意の射撃を伸ばしていきたいのだが、そのうえで問題点はあるのか葉佩に問いかけた。
カツカレーをつついていた手を止めて、しばし考えた後で葉佩は短くこうこたえた。
「まず、先に平均で抑えておけば問題ないね」
人間だから得意、不得意があるのは当然のこと。ならば長所を伸ばすよりも、不得意な分野をおさえておいたほうがいい、と葉佩はアドバイスした。
「そうでアリマスか」
「そうだよ」
苦手なことがないというのは、それだけで長所になる。
ものごとに対処しやすく、自分のスタイルを保てるのが理想だった。
得意なことを活かすためには、苦手を抑える必要がある。苦手は得意なことを殺してしまうことにつながるから。
その言葉に考え込んでいた墨木だったが、ふっと顔をおこした。
「自分は接近戦とサバイバル技術が不得手なのでアリマス……」
墨木は自分をかえりみてうつむいた。それなりに努力はしているはずなのだが、なかなか上達しない。教えるもののいない、一人の限界なのだろうか。
ふとあることを思いついて墨木は顔をあげた。
「隊長、どうかご教授いただけまセンでしょうカ?」
「え?」
きょとんとした顔になる葉佩。スプーンからカツが落っこちた。
そんな様子の彼はめずらしいのだが、墨木は気づかない。
「隊長は料理も戦いにおいても見事でアリマス」
襲ってくる化人をあしらいながら、調理でも食材をさくさくとさばく。
そんな九龍を尊敬のまなざしで墨木は見ていた。
墨木はテーブルにつくほど頭を下げて言う。
「どうか、お願いでアリマス」
「うーん……」
葉佩は悩んでいたが、最後には断った。
そう言われても墨木もすぐには納得できない。
理由を葉佩が口にしたなら引き下がるのだが、葉佩はいつになく口が重かった。
そうやってずるずると話が続いて、教室にまで来てしまったのだという。
八千穂は首をかしげた。
「教えてあげればいいじゃない」
それで全部が解決する。難しい話ではない。葉佩がほんのちょっぴり時間を割けば済むことだった。
「まあ、そうなんだけどね……」
そう言って困ったように葉佩は笑う。
「九龍くんがダメなんだったら、あたしが調理だけでも教えてあげようか?」
「八千穂殿が、でアリマスか?」
ぴしっ
教室が凍りつく。八千穂のマイナス補正はダテではない。かくいう葉佩も、食べ物なのに直感が身につくという、危険な弁当をもらったことがあった。
止めなくては大変なことになる。アレをふたつも食べたら、流石に意識が飛ぶぐらいではすまされないだろう。それに、
(墨木くんのためにも、受けたほうがいいか)
すっと顔を起こすと、葉佩は苦笑しながら二人に話しかけた。
放課後、墨木と葉佩になぜか八千穂を加えた三人は、調理室を借りうけて訓練を始めた。
「調理は慣れだよ、自炊を習慣づけるといいんじゃないかな」
テキパキと魚をさばき、かんたんに塩で味を調える。話をしながらも手を休めることなく作業を進めていく。
墨木も遅れないように努力しているのだが、どうにも危なっかしい手つきになってしまう。
「自分のペースでいいよ、無理するよりも考えながらやったほうが後々、身についてくるからね」
訓練といっても難しいことはしていない。魚のハラワタを抜いて開き、塩ふって焼くだけである。
サバイバルということで野菜の皮をむくのだが、ピーラーなしでやるには回数がものをいう。それでも時間をかけてやるので、無理なくやれるだろうと葉佩は思った。
「ナイフだと、やりづらくない?」
「いえ、実践につながるよう、これで」
墨木の持つナイフは分厚いものだ。実戦にも耐えうる本格的なコンバットナイフ。その鈍い光に、一瞬だが葉佩は顔をしかめた。
そんなことは知らない八千穂は、自分の分の魚をさばいていた。
「えへへ、できたよ」
「八千穂殿、大丈夫でしたカ?」
「うん、ちょっと崩れちゃったけど」
ほら、と彼女は魚をまな板ごともってきた。
それを見て、墨木の動きがぴたりと止まる。さすがに予期していただけあって、葉佩の表情は変わらない。内心は墨木と同じようなものだったが。
(これはスプラッタ……でアリマスか?)
「どうかな?」
「……いいんじゃないかな、これからも精進しようね」
不安げな声の八千穂に、にっこりと笑ってみせる葉佩。それでも、しっかりと釘は刺しておく。
その姿に墨木はじっと見入っていた。
墨木は葉佩のように強くなりたいと、そう思うことがある。墨木が弱い人間だからだろう。
自分は兄のように諭してくれた彼に、兄の影を重ねているのかもしれない。だから、このままずっと導いてほしいと願ってしまう、優しさに甘えてしまう。
いつか、彼はどこかへいってしまう。だから、自分は彼のようになりたいと思うのかもしれない、墨木はそう思った。
ちりちりと魚が焼けるにおいがする。葉佩は八千穂と一緒に、じっとその焼き色をみつめていた。
深夜、墨木は廃屋街にいた。一般生徒に訓練を見られないことと、墓地から離れているのが理由だった。
夜風が身にしみる。いつでも動けるように上着を置いてきたからだろう。腕をさすりながら、墨木は葉佩を待っていた。
静かだった。猫や犬もいない。昼間にGUN部で活動をしている所と、同じ場所とは思えないほどだった。
流石に十八にもなって怖いとは思わなかったが、墨木はその静けさが夜の廃屋とかさなって、どこか気味悪いものに感じられた。
まるで生き物が自分以外にいないような気がして。
「待った?」
いきなり声を聞いて墨木はぎょっとした。
ふり返ると葉佩がいつものように微笑んで立っていた。足音も立てず、いつのまに来たのか墨木には見当がつかない。
驚く墨木をよそに、葉佩はすっとふところから一本のペンを取り出す。
「寒いし、そろそろ始めようか」
違う。墨木はそう感じた。昼間とはどこか様子が違うのだ。
学生服の上から、一枚コートを羽織っている。手には、彼の愛用しているペン。なにひとつ変わっていないはずなのに、葉佩が恐いと墨木は思った。
「今回はナイフを使った格闘のさわりだけだよ。ただし、実地で受けてもらうけどね」
ぽいっと渡されたのは購買のボールペンだった。いまどき珍しい、金属製の無骨なデザインのものだ。
これをナイフに見立てるということらしかった。
「構えて」
風を切る音、墨木はあわててそれを受け止めた。続けざまに二、三と打ち込まれるのを必死で受ける。それが訓練のはじまりだった。
葉佩は直線的に急所を狙っていたが、その動きに慣れてきたのを見ると、次の動きに移った。
ナイフをフェイントに蹴り、拳を加える。墨木もどうにか対応しようとするのだが、まともに膝を喰らって地面に転がった。
立ち上がって蹴りと拳に注意を払っていると、今度はナイフがおろそかになる。条件は同じだが、墨木はそれを活かしきれていない。
「うっ!」
冷たい物が首に押し当てられる。金属製のペンがすっと横に引かれた。
「まあ、こんなとこだね」
くるりと背を向ける。背中越しにふりかえった彼は苦笑いを浮かべていた。それがやりすぎた、と言っているように、墨木には思えた。
「手段に執着せず活用する。物事を把握し、予測し、判断を下す」
これが基本だね、と言う葉佩はいつもの彼だった。
終わったという様に、ペンをポケットにしまいこむ。そして、上を見上げると彼はためいきをついた。
葉佩がこきりと首をならし、廃屋の壁を背にして座る。短い間ではあったが緊張していたのだろう。墨木も身体から力が抜けるのを感じた。
それから二人は、何をするともなく壁を背にして座っていた。
話しかけるわけでもない。運動の熱がだんだんと奪われていくのを、じっと待っていた。
身体が冷えかけたころ、ぼそりと葉佩はこう切り出した。
「僕はね、けっこう悪いことをしてきたんだ」
墨木は彼の横顔を見た。こちらを見ていない、どこか遠くを見る目だった。
彼は自分の過去を話さない。聞けば、どこにいたのかくらいは話してくれるのだが、多くを語ろうとはしない。
たとえば、その技術をいつ、どうやって身につけたのか。
葉佩は呼吸をするように爆薬や銃器をあつかい、当然のように化人を討ち倒してみせる。それは過去に起因しているのだろう。
しかし、この技術が実践される場所というのは、決して平穏なところではない。
そして、彼が経験してきたことは、人に話せるようなものではないのだろう。
「だから墨木くんは、僕みたいにならないでほしいな」
そう言って葉佩は微笑んでみせた。いつもの屈託のない笑みだった。
墨木は葉佩の過去を知りたいとは思わない。伝えたいと思うことは伝わっている。
自分は葉佩のようにはなれない。兄と同じような人間にもなれないだろう。それでも強くなろうと、墨木は決意した。
技術や力だけではなく、人を守れるような心を持てるように努力する。
そしてこのマスクを外して、堂々とこの人と顔を合わせられるようになろうと思った。
「帰ろうか」
すっくと立ち上がり、二人は寮までの道のりを歩き出した。
冬でも街の星はたいして見えない。それでも墨木には美しく思えた。