(主要人物:千貫 ジャンル:ほのぼの キーワード: - 作品No.16)
最終更新:2005/03/10(Thu) 08:47
寄稿者:大江
ある嵐の夜のことだった。
思い出したようにおこる雷鳴とともに、窓をうつ雨音だけが聞こえてくる。
葉佩が学園を去り、それぞれが進路を歩みだしたころ。千貫はあいかわらず阿門のもとで、実直に執事として日々を過ごしていた。
深夜の見回りを終え、うすぐらい廊下を歩く。
似ても似つかない日だ、そう千貫は思った。葉佩と過ごした時間の中に、嵐の日などなかったというのに、何故か彼のことが思い出される。
印象深い人物ではあった。もっとも、それは千貫の洞察をもってのことで、他人からは一般生徒にしか見えなかっただろう。
ロゼッタ協会の宝探し屋、天香学園の葉佩九龍、どちらも同じ彼だ。そして、どちらも本当の彼ではない。
巧みな演技なのか、演技ではなく自然体なのか判然としない。理解しようとしても、その取りとめのなさに誰もが諦めてしまう。そんな人だった。
彼と過ごした日々で、記憶に残らない日はなかった。だが、思い返すのは決まっていた。
もっとも千貫が強く記憶しているのは、あの日のこと。学園が占拠された冬の日のことだった。
その日、突如として天香学園は武装集団に占拠された。
状況は悪く、阿門からの連絡はない。自分は屋敷で、学園にいる阿門のもとにいくまでには、無数の武装兵が立ちふさがっている。たどり着くことは困難だった。
老いた自分に歯噛みしながら、ただじっと屋敷で主を待つばかり。
千貫の忠誠心にいつわりなどなかった。もし阿門が怪我でもしていたら、悔やんでも悔やみきれるものではなかった。
ギイ
扉のきしむ音に、すぐさま千貫は玄関ホールに向かう。あの兵士たちの目的は遺跡に眠る秘宝だろう。しかし、ここを制圧に来たとしても不思議ではなかった。
一人二人ならば、と思いつつ向かった千貫の期待は、意外な形で裏切られた。
そこにいたのは武装した兵士でも主でもなく、葉佩だった。
ぴくり、と千貫の眉が動く。かすかな血の臭いが鼻をかすめた。それをおくびにもださず、ただ一礼する。
走ってきたのだろう、息が乱れていた。せきこみながらも、まっすぐな視線を千貫に向けてこう言った。
「大丈夫ですか?」
「心配していただき、ありがとうございます。私はごらんの通りですので……」
千貫が静かに肯定すると、安心したのか彼はその場に座り込んだ。
カラン
音を立てて、火かき棒が転がる。武器として使ったのだろう、先端は折れてもうない。学生服もそこかしこが破れて、うすく血がにじんでいた。
ここにたどり着くまでに、何度か武装兵士と戦ってきたのだろう、かなり消耗している。負傷はどれも浅いが、疲労の色は濃かった。
けれど、どこか高揚していることを千貫は察した。
「貴方こそ大丈夫ですか?」
「あはは、大丈夫ですよ……ちょっとハイな気分ですけどね」
声はつとめて明るかったが、葉佩の表情は冴えなかった。自分の意図に反して気分が高まっている、そんな様子だった。
ただの少年ではないと、それまでも千貫は感じていたが、今日はそれがはっきりと見てとれた。
彼は息を吸うように、顔を洗うように銃を持って戦える人種だ。相手の命も、自分の命も紙切れよりも軽い。
危うい存在だ。彼はいままでの転校生とくらべても異質だった。
葉佩は墓守たちを討ち果たした。数日と待たず、最深部にたどり着くことだろう。そう、執事として仕えてきた、あの若き主の元まで。
そう考えたとき、千貫の胸に宿るものがあった。
千貫は先代のころから執事として、阿門の家に仕えてきた。ゆるがない忠誠を誓い、黙々と彼らを支える。それは派手なものではなかったが、かけがえのないものだった。
幼いころの生徒会長がまかされたのも、千貫を信頼してものだろう。その期待にそぐうように、彼もまた阿門を支えてきた。
支えようと思ったのは義務感だけではない。墓守という宿業を背負いながら、生きなければならない彼を、もっとも憂いたのは千貫だった。
救えるものなら救いたい。
けれど、千貫の立場は執事だった。それ以上の感情をもったとしても、彼と先代の信頼を裏切ることはできない。
葉佩という脅威を排除しようと思わないのは、同時の彼に期待しているのだろう。
彼ならば、救い出してくれるのではないかと。
「千貫さん?」
顔をのぞきこまれ、自分が物思いにふけっていたことに気づいた。これも歳なのだろうか、と思いつつ大丈夫ですと返事を返す。
そうですか、と再び座りこむ。それでもまだ心配なのか、こう付け加えた。
「気をつけてくださいね、連中も街中ですから下手に動き回ることはないでしょうけど」
千貫を気にかける、彼の言葉に嘘はなかった。苦笑して千貫もそれに応じる。
「はい、もちろんです。それに、私も歳と思われては困りますよ」
あはは、と笑って葉佩は立ち上がった。得物をひょいと肩にかつぐ。遺跡に向かうのだろう。表情は変わらなかったが、目が変わっていた。
くるりと背を向けて出て行こうとする葉佩。ふと、何かを思い出したように、千貫に振り返った。
「千貫さん、あなたは…」
いつになく真面目な顔で、彼は千貫を見つめる。一拍おいてから、葉佩は言葉をつむいだ。
「彼を墓守にしたくなかったんじゃありませんか」
心がさざなみのように乱れたが、顔には出さない。感情を見透かすように葉佩はほほえんでみせた。
そう、執事であり部下でもある、あなたでは駄目だった。
たとえ願ったとしても、それは叶わなかった。だから、
「彼らは僕にまかせてください」
きっと、必ずあの奥底から、引きずり出してみせますから。
そう言って葉佩九龍は玄関を出ていった。引き止めることはしなかった。何者も彼を止めることなどできないだろう。
葉佩が阿門にたどりつくという確信を抱きながら、千貫の中からいつしか不安は消えていた。
顔を起こすと、風は止んでいた。
物思いにふけっていただけではなく、すこし眠っていたのかもしれない。
彼は言葉どおりにすべての人間を救うと、卒業を待たず学園を去っていった。誰一人として行き先を告げることなく。
千貫も行方を知るようなものは預かっていない。ただ、一枚の紙切れが玄関に挟まっていた。
文面は短いものだった。
『阿門くんのことを頼みます』
紙切れ。でも、彼から頼まれたのだと思うとうれしくなった。
この身が老いて朽ちるまで、諦めることなく立ち続けよう。そして、彼の約束と主を守り続けようと思うのだ。
紙切れの最後の部分が、深く記憶に残っている。行動できるかは、自分でも自信がない。
けれども、その一言はどんな助言よりも、こめられた思いは深かった。
『もし、うじうじしてたら叱ってやってください。お願いします』