(主要人物:葉佩 瑞麗 ジャンル:シリアス キーワード:自己設定 - 作品No.21)
最終更新:2005/04/26(Tue) 23:29
寄稿者:大江
月は最初からでていない。雲が星をかくしている。闇夜だった。
そんな夜に、彼女が温室のまえを横切ったのは偶然だった。
天香学園のカウンセラーは国語教師とバーで飲んだ後、ゆっくりと中庭の方へと歩いていた。
雛川とは付き合いこそ長くはなかったが、同僚が生徒のことを真剣に考えてくれる教師であることを、彼女は好ましく思っていた。
頼りないように見えて、はっきりとした自分の考え方をもっている。呪われたこの学園にあっても、彼女は自分の信じた生き方に忠実だった。
瑞麗も仕事の後に彼女と飲むことを楽しみにしていた。それがいつもの彼女ほど飲むことはなく、早々に切り上げたのは潜入している別の『同僚』とコンタクトを取るためだ。
深夜の人気のない学園内には独特の不気味さがある。だが、彼女にとってそんなものは意味をなさないことだ。彼女にとって見えないものはむしろ近しいものなのだから。
酒が入っても足音は規則ただしいリズムをとる、それだけがやけに響いていた。
中庭にさしかかったころ、落ち合う場所へと向かっていた彼女の足が止まった。
人の気配、こんな場所に、といぶかしげな彼女の視線の先には温室があった。
明かりのない温室に横たわって、転校生は考え事をしていた。
秘宝を求め、危険を冒して遺跡に潜入する『宝探し屋』になる理由はひとつではない。動機も探究心、好奇心、幼いころからの夢、あるいは家系であったりと一様ではないから当然だろう。国籍も人種もいろいろだ。
動機がどうあれ、いままでに彼のであった『宝探し屋』はトレジャーハントに命をかける価値を見出していた。そういう意味では転校生は異端なのかもしれない。
彼がトレジャーハンターになったのは、言ってみればなりゆきだった。
戦うことは下手ではなかった、むしろ得意だったと言っていい。戦闘への好き嫌いはさておいて、葉佩九龍は『宝探し屋』としての第一の適正を満たしていた。
その能力を買われて、彼はロゼッタ協会に籍をおくことになる。トレジャーハンターとなるにあたって彼が苦労したのは、せいぜい遺跡の資料保存くらいのものだった。
どんな仕事も請け負う、戦闘から生き延びて帰還する、仕事は途中放棄しない、何者よりも強くどんな敵も撃破する。
彼は軽火器、重火器、ナイフ、刀槍、爆薬にいたるまで武器と呼べるものすべてを扱える。熟練ではなく一通りだが、そのことを自分で不思議におもったことはない。自然に受け入れていた。
八千穂に一度、銃のことについて聞かれたことがあった。
「銃を撃つのって難しいの?」
「まあ、シロウトには難しいかもしれないね」
撃ってみるかい? と冗談で言ったら八千穂が本気で悩みはじめたので、慌てて皆守と二人で止めたことを覚えている。そのとき、ふと彼は思った。いつから自分は銃を撃つことを覚えたのだろう。
初めて撃った日のことなど記憶になかった。おぼろげに覚えているものもあるが、前後関係がはっきりしないので明確には言えない、あいまいなものだった。ただ、やはり撃ったきっかけはあっただろうと思う。
すべてはなりゆきだったように思う。銃を撃ったのも、ナイフを振るったのも、爆発物について学んだのも必要にかられてだった。葉佩はそんな自分を卑下したことはないし、他人をうらやんだこともなかった。それこそが彼が彼である理由だったのだから。
我にかえると二人は葉佩のことを見ていた。とっさに言葉を濁したが、あきらかに不自然だったのだろう。八千穂も皆守も心配しているのが解かった。
温室の床にグラス、脇にはくすねた酒瓶。消えもしない記憶を消したくて、酒瓶をあおってひどくむせる。今夜は、そんなことを繰り返している。
彼の中で戦いは、過去の中にまぎれこんでいて分離することが出来ない物だった。真水にインクを落としたように無秩序に広がっていて、境も見分られないくらいにからみあっている。
この三ヶ月たらずの間にバディも増えた。昼は学校で生活して、夜になれば遺跡で探査をする毎日。それは葉佩九龍にとって、かけがえのない時間になっていた。
取手がいつかこう言ったことがある。葉佩は魂のやすらげる場所を、自分に取り戻してくれたのだと。
取手に悪意はない、気恥ずかしくはあったが純粋にうれしかった。今回の仕事を引き受けたことを、感謝してもいいかぐらいに葉佩は思えた。
でも、それからほどなくしてこれでいいのかと思うようになった。
自分はろくな人間ではない。
戦うことしか能がない自分が、信念も意義もないまま遺跡に踏みこんでいる。墓守たちの過去を取り戻すたびに、かけがえのない物を持つ彼らをうらやんでいる。
だが、本当に恐れていることに比べればそれはささいなだった。
ここは居心地がよすぎて、穏やかな日常の中に自分がまぎれていられるのが、葉佩には怖くなるのだ。
いつか僕は自分の手でそれを壊してしまうだろう。
予感ではなく確信、それは決して薄れることはなかった。
「九龍か?」
意識が一気に現実へと引き上げられる。温室の戸口には、見慣れた白衣の女性が立っていた。
「そんなところで何をしている、風邪をひくぞ」
こうもたやすく接近される、思ったよりも自分はおかしくなっている。
身体を起こすと髪についた泥をはらった。急に動いたせいか、一気に酔いが回って思考がまとまらない。まとまらぬままに、口が動く。
「病気といえば、もう病気なのかもしれません」
彼女が顔をしかめる、いつもの彼ではないからだろう。この姿を見る人間は、彼の記憶の中でも片手の指で足りる。
「僕はね、薄情なんです」
初めのうちは、ただのお遊びだと思った。甘い友情物だと、いつかは終わるのだからそれらしく振舞う。それを楽しみながら生活していた。
いつのころからだろう、居心地がいいと思うようになったのは。
「みんな、いい人ばかりなんですよ」
だから自分も平凡な人間になって、ずっと安穏と生活できるのではないかと思ってしまった。そう錯覚してしまった。
八千穂やバディが死んだら、葉佩は泣くのだろう。でも、もし彼らを見捨てることができるかと問われたら、自分は見捨ててしまうことができる。
彼の中で戦いは、もはや取り除けないほどに食い込んでいる。いくら平穏を願ってみても、平穏に浸ってみても、こころが満たされることはない。
「ここに来てから、夜になると心が浮き立つ自分に気づいたんです」
遺跡になど興味の無い自分が、なぜこんなにも浮き立つのか。仲間とともに潜れるからではない、何の制限もなく自由に戦えるからだ。
そんな自分をくだらない人間だと思った。何を求めているのかと思えば、単に破壊のかぎりを尽くすためだなんて。いまどきヒーロー番組に出てくる悪役でも、もっとましな動機があるだろう。
銃で的を撃ち倒しても足りない。爆薬で打ち砕いてもまだ足りない。この手で敵を倒したいという欲求が自分にはあるのだと、彼は知った。
自分の中の欲求に気づいて以来、彼はナイフを封印した。欲求を抑えられなくなるのが怖かったから。そして、銃と爆薬をメインにすえた戦術を選ぶようになった。
戦いのない人生でもかまわないと思う自分に嘘はないのに、心のどこかで戦いを望んでいる。このままでは自分は平穏を壊す側になるだろう、しかしどうすることもできないのだ。
僕はどうすればいいんでしょうね?
この問いに答えなどない。だから彼は言葉にはしなかった。本来、自分の中にしまっておくべきものだ。
ただ困ったような顔で、目をふせただけだった。
ちらりと盗み見た彼女は、いままで見たことのない悲しい顔をしていた。こんな顔をさせるつもりはなかったのにと、後悔してみても遅い。
ゆらいでいた思考が徐々にはっきりとしてくる。これは胸に収めておくべきことだった。言ったところで、困らせるだけなのは解かりきっていたことなのに。
酔っていたのは事実。口に出したのはアルコールだけが理由ではない。相手が彼女でなければ、言わなかっただろう。
だからといって、現状がどうなるわけでもないが。
彼女は何か声をかけてやりたいと思い、何もいえないままに口をつぐんでうなだれた。
気休めの言葉ならいくらでも浮かんでくる。しかし口に出そうとするたびに、その安っぽさ薄っぺらな内容に気づいて言い出せない。だからといって、このまま放っておけなかった。
「君はこれからもそれをしまいこんでおくつもりなのか?」
自分や彼を信頼している仲間たちでは、助けにならないのだろうか。支えられるばかりで、こちらには何もできないのか。
葉佩は視線を外にそらした。苦しげに声を出す。
「言ったところでどうにもならないでしょう」
「では、なぜ私に話したんだ」
助けを求めないのなら、黙ってあしらえばいい。いつものように微笑みながら、仲間に対して気をつかうようにしていれば、彼女も問い詰めることはしなかっただろう。
苦しんでいるという事実と、助けになれない事実が心をせきたてていた。
「何故だ?」
答えはない。いや、言えなかったというのが正しい。理由は単純で、明確だ。言ってしまえば楽になるだろう。だが後始末は誰がするのか、要はそういうことだった。
言葉にしてしまえば、楽になれるだろうな。彼女に嘘をつけるのなら、こんなに苦しんだりはしない。
彼は答えないままで彼女に歩み寄り、くったくのない笑顔を見せた。肩に頭をのせる形で寄りかかる。
「しばらく、このままで」
戸惑いと動揺に彼女の声がうわずるのを、葉佩は耳元で聞いた。
「酔っているのか」
「いいえ、今は酔っていません」
真摯な意志を感じ取ったのか、彼女はそれを振り払おうとはしない。葉佩は何も言わず、目を閉じていた。
それからしばらくの間、二人はお互いによりそっていた。
男の足元には、すでに数本の吸殻が転がっていた。
「よう遅かったな、何かあったのか?」
いぶかしげに尋ねる『同僚』、その言葉にさきほどの光景がよみがえる。
「何でもないさ」
内心の動揺をおさえながら彼女は言った。何でもないことのはずだからと、自分に言い聞かせながら。
月は出ていない。彼女の表情は隠されて、男には見ることができなかった。
見上げれば雲は厚くたれこめて、星のひとつも見えはしない。それはなんでもないことのはずなのに、彼女の心に陰を落とした。
風が吹けばいい。雲をふきはらうような強い風が吹くことを彼女は願った。
そんなたわいもない願いを裏切るように、夜は静かだった。