(主要人物:取手 ジャンル:ほのぼの キーワード: - 作品No.8)
最終更新:2005/03/17(Thu) 18:25
寄稿者:大江
昼休みのチャイムが鳴り、3-Aの教室から生徒たちがぞろぞろと出てくる。その中に取手鎌治の姿もあった。
その日、朝からすこし体調を崩していた取手は、いつものように保健室にむかって歩いていた。
頭痛の理由はわかっている。曲作りがすすまないためだ。高校生の卒業には人それぞれに特別な意味があるが、取手にとってはそれ以上の強い思いがあった。
葉佩に呪いを解かれ、ふたたび音楽のよろこびを取り戻すことができた。もし彼がいなかったら自分は姉との思い出を失くしたままだったかもしれない。恩返しという意味でも、自分の思いを表現した曲を彼に聴いてほしかった。
しかし、いざペンをとり書きはじめると、気持ちが先にたって思うように作業はすすまなかった。ようやく進んだと思っても、納得がいかずに修正を加える。修正をくわえて納得いくようなものにしようとすればするほど、気持ちばかりが空回りして結局全部やり直すことになるのだった。
聖夜の事件からまだ日は浅い。その後の騒動の疲れからは開放されつつあったが、それとは違う焦燥感を取手は感じ始めていた。
そんな彼を背後から呼び止めるものがあった。
「取手くん!」
聞きなれた声にふりむくと、いつになく急いでいる葉佩が駆けよってきた。
「…そんなに急いで、僕に何か用かい?」
「うん、ひとつ頼まれてほしいんだ」
そう言うと葉佩は白いハンカチをさしだした。
「これを保健室に届けてくれない? ちょっと用があって行けないんだ」
「…いいよ、はっちゃんの頼みだからね」
「ごめんね、任せたよ」
そう言って葉佩は風のように走り去った。
手の中に残ったハンカチを見つめる。彼の頼みはたとえそれが危険でも、信頼されていると思うとうれしい気持ちになるから不思議だ。
取手は頭痛がやわらいだような気分で保健室へと向かった。
保健室の扉をあけると、部屋の主はちょうど一服しているところだった。保健室でタバコはどうかと思うがそれも愛嬌だ。
瑞麗はキセルを手にふうっと紫煙をはき出した。
「取手か。また頭痛がするのかい?」
「ええ、それとはっちゃんからこれを預かってきました……」
ハンカチを手にとると、しばしそれを見つめ感心したように言った。
「きれいなものだな、染みひとつ残っていない」
「はっちゃんは手先が器用ですから」
取手のなにげない一言で、自分の生活マイナスを思い出したのか瑞麗はむっとした顔になる。そのまま彼女は黙ってハンカチを引き出しにしまった。
「手先が器用なのはいいさ、だが銃や爆発物を校内にもちこむのはどうかと思うがね。ほら、ここにも」
ひょいと引き出しから現れたのは、轟炎爆薬だった。
葉佩九龍は爆薬が大好きだ。取手も遺跡でたたかった時には、いきなりこれでもかというほどのガスHGでぶっとばされた経験がある。バディになってからは化人、人間、壁と有機物、無機物の区別なく嬉々としてふっとばすのを目の当たりにしてきた。
購入するだけでは飽きたらず、自分でも作っているというのは知っていたが、校内に持ちこむことはないだろうに。ここは日本の学校だ。
「……見つかったら大変ですね」
それこそ事件になるだろう。実弾一発転がっていても大事だ。なにより轟炎爆薬はいかにも、という感じの爆薬だからすぐに大騒ぎになるだろう。
「まあ最近は客も少ないことだし、大丈…」
ガラッ
「すみません、ルイ先生いますか?」
一般生徒。ふたりはきっちりそのままのポーズで固まった、背中に冷たい汗が浮かぶ。ぽろり、と彼女の手から轟炎爆薬がおっこちた。
注:轟炎爆薬 投げつけることにより『着弾点とその周辺を業火で焼き尽くす』
とっさに落下中の爆弾をむしり取って学ランにおしこむ、取手はそのまま走って保健室から離脱した。
「私に何か用かい?」
「いや、ちょっと風邪気味で」
突然のことにぼうぜんとしている女生徒にいたって平静をよそおう瑞麗。ついさっき爆弾テロとか、保健医の狂気とか、新聞の一面が脳裏にうかんだのは秘密だ。
しかし、取手はアレをどこへ持っていったのだろう。それだけが彼女には気がかりだった。
二階への階段をあがりながら、取手は途方にくれていた。
爆薬をかかえて授業に出るわけにもいかないよね…。かといってどこかに置いていくのも心配だし。
物が物だから見つかってもいけないし、万が一に爆発でもしようものなら騒ぎでは済まされない。こういうときにこそ頼りになる葉佩は急用でいない。というより、この元凶こそが葉佩なのだが。
うつむいてためいきをつく、思っていたよりも大きく聞こえた。
「あら、どうかしましたの?」
ふっと顔をおこすと仲間でありクラスメートでもある彼女の顔があった。ちょっと違和感を覚えたのは、視線が水平だったことだ。
リカと取手の身長差はかなりある。こうして目線を合わせた状態で、階段の段数でいえばニ段ほどだ。話す際には取手がリカにあわせる形になるので、こうして話すのは新鮮な気分だった。
「椎名さん…」
「そんなに大きなため息をついて、何かお困りですの?」
バディになる前から二人とも顔見知りではあったが、話しかけることはまずなかった。遺跡を通じて葉佩という接点ができてから話すようになり、いまはこうして普通に会話している。
彼女の能力は爆弾。趣味の合う葉佩とのペアは爆薬同盟として仲間内では有名だった。取手も彼女と一緒に潜ったときは、膨大な火力でぞろぞろと現れる化人を、葉佩と二人でかたっぱしから殲滅するのを横で呆然と見ていた。
椎名ならこれをなんとかしてくれないだろうか。そう思った取手は事情を説明した。
「これならリカでも大丈夫ですわ。でもォ、爆発しないようにしておくには、理科室にある道具が必要ですのォ」
理科室といえばすぐそこだ。取手は椎名のあとについて理科室に向かった。
取手は爆薬の処理というので、昼休みがつぶれることを覚悟していた。しかし、作業を始めるとリカの小さな手がてきぱきと動き、処理はあっさりと終わった。
ことが済んでほっと一息ついていると、理科室の扉ががらりと開いて一人の女生徒が現れた。
「あら、取手じゃない」
「双樹さん……?」
華やか双樹と理科室、ちょっと意外な組み合わせだった。偏見かもしれないが、彼女はこんな場所には寄りつきそうには見えない。
不思議そうにしている取手のそでを、ついとリカが引いた。
「今日はお昼をご一緒するって、ふたりで約束してましたの。取手クンは、もう済ませてしまいましたかァ?」
「……いや、まだだよ。頭痛がひどくて保健室に行っていたから」
爆薬であたふたとしていたが、いまは昼休み。取手は葉佩に触発されてから、マメに自炊をしているので弁当は持ってきている。まず保健室にいって、薬をもらうつもりだった。
「じゃあァ、一緒にお昼にしましょうよ。ねッ、取手クン?」
「いいのかい? ふたりで約束してたんじゃ…」
「フフッ、かまわないわよ。教室に行きましょ」
そう言って双樹が歩き出すと、椎名が取手の手を引いた。戸惑いながらも取手はその手にしたがって階段を上っていった。
3-Aの教室。イスを集めて三人でお弁当を食べる。お互いにクラスメートだが、こうして食事しながら話す機会はあまりなかった。
話していると見えないものも見えてくる。リカはお菓子というイメージがあるが、最近はお惣菜なんかも自分で作っているそうだ。双樹は料理好きという印象はないのだが、弁当をちらりと見ると凝った内容になっている。
ふたりは葉佩が縁で話すようになり、すぐに相手に好意をもったのだという。葉佩は縁結びの役もしたのかもしれないと、取手は思った。
「頭痛のほうは大丈夫ですの?」
「…長引くようなものじゃないからね、すこし休めば治まるんだ」
「そう、あたしは肩がこるのよ。しかたないと言えば、しかたないことだけど、ね」
そう言って彼女は自分の胸を見下ろした。男を魅了するその容姿も、双樹の思い人には意味がない。
自分を振り向いてもらいたくて、でもどうすればいいのか解からない。あの薬を使えば、と考えて双樹はそれを振り払った。思ったよりも自分は疲れているのかもしれない。今日は早めに寝よう、そう思った。
「よかったら僕が肩を揉むよ……あっ、変な意味じゃないんだ。握力には、すこし自信があるから……」
取手は言ってしまってから、自分の発言の大胆さに気づいたように赤面した。彼は天然ボケというやつなのかもしれない。
うぶな反応を見て、双樹はくすりと笑った。イスを動かすと、取手に対して背を向ける。
「じゃあ、おねがいするわ」
取手は彼女の肩に手をおくと、ぎこちない手つきではあるがマッサージを始めた。
マッサージが始まってみると、取手は下手ではなかった。ピアノとバスケ部で握力を鍛えているからだろう、力まずともマッサージに十分な力が出る。双樹から注文をつけられると、素直にそれに対応してくれる。それが、なかなかに心地よかった。
その取手はと言うと、必死にマッサージしていた。椎名がさっきからうらやましそうに見ているのもある。加えて教室中から、特に男子からの視線が痛かった。恥ずかしかったが、双樹は喜んでくれているので止めるわけにもいかない。ひたすらマッサージだけに集中していた。
ふっと思い出したように双樹が顔を上げる。
「そういえばよく授業を休むわね。頭痛もちなの?」
「うん、でも大丈夫だよ。……理由は解っているから」
原因が自分にあることに負い目があるのか、取手の横顔に陰がさす。彼は病的なまでの色白ではあるが体格はいい。体調をくずしやすい理由は、生来の体質にくわえてメンタル面の弱さにあった。いつのまにか、手も止まっている。
その様子に取手の気持ちを察したのか、双樹は彼の横顔を見つめる。やがて何かを思いついたようにポケットから包みを取り出した。
白い紙につつまれたそれを、うつむいていた取手に手渡す。
「これを……僕に?」
「ただの香よ、ベルガモットには精神安定の作用があるの。そんなに思いつめても、いい結果は生まれないわ」
「……ありがとう、双樹さん」
ふたりを安心させるように取手はほほえんだ。やがてチャイムが鳴り、3-Aで開かれたささやかな昼食会はおひらきとなった。
その夜、取手はふたたびペンをとっていた。あせっても意味がないことは解かっていたが、一番に聴かせたい葉佩のことを思うとあせらずにはいられなかった。
秘宝が失われた以上、葉佩が学園にいる理由はない。彼は卒業まではいると言ったが、それも彼自身の意思ではどうにもならないことだってある。取手はなんとしても曲を書き上げておきたかった。
だが、こればかりはどうしようもない。気持ちばかりがはやって進まなくなり、取手はペンをおくことになった。ためいきをついて宙をあおぐ。どうすればスランプから抜け出ることができるのだろう。答えはない。
ふと昼間、双樹にお香をもらっていたことを思い出す。ポケットの中から包みを取り出し、中身を取り出してみた。
「……?」
香ではない。紫の小瓶に入ったそれは別のものだった。
双樹が入れ間違えたと思われる小瓶、それには見覚えがあった。どこで見たのだろうと記憶をたどっていくと、以前に遺跡にもぐったとき調合に立ち会ったのを思い出す。「爆薬とは違った意味で物騒な物だからね」と言いながら真剣な顔で葉佩はこれを調合していた。
媚薬。これを使われた者は使ったものを愛するようになるという秘薬。使いようによってはこの上なく危険な代物だ。
なぜ双樹がこんなものを求めたのか、取手にもすこし興味はある。だが、あれこれ詮索するのは彼女の好意にそむくことになるので、彼は自制することにした。
さしあたって取手が考えたことは、媚薬をどうするかだった。シロウトが処分するには危険すぎる。かといって直接返すのは気が引ける。取手は葉佩からわたしてもらうことにした。コレが彼女の手にあったのなら、彼は事情を知っているのだろう。
部屋の時計を確認すると8時過ぎだった。まだ寝るには早い時間帯。取手は小瓶をもって廊下に出た。
12月の末とあって廊下は冷え込んでいた。部屋から出てくるような物好きはなく、どこかで開くドアの音が聞こえてくるだけだった。
「アラァ、取手ちゃんじゃないの」
特徴のある声にぎょっとして後ろを振り返る。とっさに媚薬を後ろ手にかくした。
「すっ、朱堂君」
「いくらなんでも、そこまで驚かなくていいじゃない!」
何よォ、と怒っている朱堂のようすに取手はほっとした、どうやら気づかれなかったらしい。媚薬と朱堂、危険度からいえば最悪の組み合わせだった。手の中でひそかに小瓶を握りなおす。
「ちょっとォ、取手ちゃんの顔色はいつものことだけど、目の下にクマまでできてるじゃない。睡眠不足はお肌の大敵なのよ?」
「……そうだね、本来ならすこし眠るべきなのかもしれない。でも今は、すべきことがあるから、しかたないんだ」
「悩み事かしら?」
朱堂が真顔になる。こういう顔を向けられるのは、取手にとって初めてのことだった。クラスが違えば接点も少なくなる。にぎやかで騒がしい人という印象しかなかったが、葉佩を通じてつきあうようになってから別の一面があることを取手は知った。
にぎやかで自分に忠実な人、ただそれだけではない人。信用してもいいのかもしれないと取手は思った。
その場で取手は自分の悩みを語りだした。あまり話すのは得意ではなかったが、懸命にぽつぽつと話す。朱堂は茶化すことなく、黙って取手の話に聞き入っていた。
「そう九龍ちゃんにささげる曲がなかなか書けないのねェ」
「ささげる、まあ……そうだね」
割れたあごに手をあてて思案顔になった朱堂。しばらくしてから取手を見つめて、こう問いかけた。
「ねッ、もし九龍ちゃんがいなかったらさ、アタシたち何も変わらずに生活して卒業してたわけじゃない?」
「……うん」
それは仮定、ありえかもしれない未来。現実には永きにわたった呪いは解かれ、学園は開放された。
「たぶん取手ちゃんと二人、こうして話すこともなかったと思うわ。葉佩九龍がくれたものは、アタシたちが封印してた思い出だけじゃない。こうして人と人とを結び付けてくれたことこそが、本当に大切なものじゃないの?」
その一言で目が覚めた。悩みの正体は、自分の体験や視点にばかりこだわりすぎた自分自身。ふっ、と気負いと悩みが取手の中から消えた。
「……ありがとう、朱堂君」
「お礼なんていいのよ、でも頂くものは……ねッ!」
朱堂の姿がかすむ。完全に油断していた取手の手から、媚薬の小瓶をかっさらうとそのまま走りだした。
「オーホホホホッ、これでアタシと九龍ちゃんは愛の果てを目指すのよォ!」
朱堂はけたたましい笑い声をあげて廊下を疾走する。取手もバスケ部、足に自信はあるのだが、みるみるうちにその差は広がっていく。
勝利を確信した朱堂がコーナーを曲がったとき、どこかで見たような靴が見えた。
「あがっ!?」
カウンター気味に蹴りをいれられて朱堂の体がふっとぶ。いきおいよくごろごろと床を転がって、壁に当たったところでようやく止まった。
「ちっ、何が愛の果てだ。夜中に大騒ぎしやがって」
「皆守君……」
「お前も早めに寝ろよ」
そう言い残すと皆守はさっさと自分の部屋に帰っていった。よほど眠かったのか、すすむ足取りもゆらゆら揺れていた。
取り残された取手といえば、気を失っている朱堂を前にどうしたものかと途方にくれるのだった。放っておいて曲を書きたい気分ではあったが、相談にのってくれた恩もある。朱堂を背中に背負うと、取手は彼の部屋まで送っていった。
残された時間が限られているのは事実。しかし、もう取手の心にあせりはなかった。
数日後、音楽室を訪れる葉佩の姿があった。
「取手くん?」
葉佩はふしぎそうな顔をしている。取手から葉佩を呼ぶということはあまりないからだろう。
「やあ、はっちゃん。……呼び出してごめん、新しい曲が完成したから」
「そうなんだ。あの羽ペンは役に立ってる?」
「うん、そのペンでこの曲を書いたんだ……」
よかった、と葉佩は屈託のない笑みを見せた。それに救われたものが、この学園にはなんと多いことか。
「この学園で、君はたくさんの大切なものを取り戻してくれた。……僕も君からもらったよ、姉さんとの思い出、音楽の喜び、かけがえのない仲間、他にもいろんなものを。だから……何かの形で恩返しをしようと思ったんだ」
白い手が鍵盤の上におかれる。
「君に聴いてほしい……この曲を」
静かな音楽室にピアノの旋律がおこった。
それは開かれた窓から流れ出て、どこまでも響いていった。