ろすと・わーるど

葵千代

その些細な出来事の些細な始まりは、旧校舎前に何故か集まっている龍麻クンたちを私が見つけたことでした。記者の勘をビンビンに刺激してくれる集団に私は我知らずににじり寄っていました。
「…げッ、アン子?!」
と、京一に言われて反射的に唸っていた我が黄金の右腕の拳が彼の頬を抉ってから、我に返りました。


「あら? 何か殴ったかしら?」
釣瓶落としの秋の夕暮れの中で、マジマジと自分の拳を見つめるアン子。と左頬を押さえながら地面に引っ繰り返っている京一。を囲んでいる面々は、彼の親友醍醐をはじめとする仲間たちである。その中心人物にして京一の相棒である緋勇龍麻は、その有様にも、少し首を傾げただけであった。
「って、そうじゃなくてッ。あんたたち、一体何をしているのよ。」
アン子の指摘はもっともであった。
ここは原則立ち入り禁止の真神学園旧校舎。倒壊間近の旧い建物の前に、京一たちだけではなく明らかに当校の学生ではない人間たちもたむろっているのだから。
アン子顔見知りの骨董品店店主や美里の義妹のマリィの他に、その少女と仲の好いと聞く奇妙なガイジン(ハーフという話しだが)アランと、アン子にとり初顔の三人組、大宇宙高校の制服を着た男女。
「前生徒会長まで。」
美里はマリィと手をつないだまま、困ったように周囲に視線を流した。その隣りの桜井も乾いた笑いを浮かべるばかりだった。
答えあぐねている仲間たちの視線は自然の流れのように龍麻に向かっているのをアン子は見てとった。
咄嗟に彼女の頭に浮かんだのは、「まずい。」だった。彼から情報を引き出すのはアン子の七色の技をもってしても成功率は一桁以下。何故そんなに効率が悪いのかといえば、簡単に口を開いてくれないからだ。彼にまとわりついている京一が100倍以上喋るから口を挟めないのではと疑っていたこともあるのだが、それも一因ではあろうが、そもそも『ここぞッ』というときにしか言葉を発することがない人なのだと今は知っている。
先手を打つに限る。
「丁度いいわ。例の旧校舎探検の記事の続編をやりたいと思っていたところなのよ。」
「アン子、四月でしょ、それ。」
桜井の突っ込みにもアン子は揺らがない。
「だって、あの頃はすぐに取り壊すって噂が立っていたから慌てて企画したものなのよ。あれからまだ、この通り健在でしょ?」
「怪談の季節も疾うに過ぎたが?」
滅多に表情を変えないアイスマンがクスリと笑った。
カメラを構えていなかった自分を心底悔やみつつ、アン子は胸を張って答える。
「夏はチャンスがなかっただけよ。ここは我が校の誇るミステリースポット。人手も丁度こうして揃っていることだし? あんたたちに拒否権はないわよ? 手伝ってもらうわ。」
きっぱり宣言されて、如月は肩をすくめた。
「お前に巻き込まれんのは飽きた。」
「こんな所で何をしているのか、しようとしているのか言えないんでしょ? やっぱり拒否権はないわよ?」
相棒に引き上げられて立ち上がった京一の赤くなった頬に、龍麻の指が労わるように触れている。
「ひー…」
「遠野。」
「はッ、はい。」
龍麻に呼ばれると、体に震えが走るような気がする。
彼は京一からアン子に視線を変え、きっぱり言った。
「手伝う。」


「そういえば、二階というものがあったんだな。」
あらためて一階部分を探索した彼らは、二階への階段を見つけたのだ。
「外観でわかっていたはずなのに、何か、思いもしなかったよね。」
崩れかけた階段をマリィと桜井が勢いよく駆け上がっていく。
その後ろを慌てて美里とアン子が追いかけ、はしゃぎながらコスモレンジャーが続き、その危なっかしい先陣を案じる男性陣も軽やかに登っていく。それから、破格の体格の持ち主醍醐と保護者のような龍麻がゆっくりと階段を登る。
「しかし、何だかんだと皆楽しんでいるようだな。」
醍醐が後ろに続いている龍麻に声をかけた。
そもそも旧校舎前でアン子に声をかけられたとき、そこに集まっていたのはもちろん潜るためだったのだが、「人数が多い。」と龍麻がためらい、挙句、自分が抜けると言い出したので、二進も三進もいかなくなっていたところだったのだ。
自分(龍麻)がいなくても大丈夫と信頼をされているのだろうが、こんな風にすんなり身を引かれると逆に彼との間に距離を覚える。彼が己の役目を全うすることのみに心を据えているようで。
「あァ。」
背後から何拍かおいた応えがあって、醍醐は少し心臓が跳ねた気がした。その声が僅かに弾んでいるような気がした。
「お前も…。」
階上に上がったところで振り向いた醍醐は、その瞬間に身を硬直させた。

「ウワァッ!」

先頭を進んでいた筈の桜井の悲鳴に。
「桜井ッ!!」
醍醐が振り向くより、他の誰より龍麻の行動のほうが早かった。
彼の脇をすり抜けて一瞬で悲鳴の主のもとへ飛んだ龍麻は、飛び退く間もなく足を乗せた途端に裂け大穴と化した亀裂から落ちそうになっていた桜井の腕を掴んでいた。
彼女は二階と一階の間で宙ぶらりになる。
桜井はしっかりと右手首を掴まえている龍麻の手に自分の左手を重ねた。
そのまま上を見上げると、気遣うように龍麻が自分を小首を傾げて見つめているのがわかった。
「ありがとッ。」
龍麻はもう一方の手で間近にあった窓枠を掴み、軽く勢いをつけて桜井を引き上げた。
すぐさま親友が駆け寄る。
「小蒔ッ。大丈夫? 怪我はない?」
「うん。龍麻クンのお蔭で。でも、びっくりしたァ。」
「あァ。マリィが落ちなくてよかった。」
「ホントだよ。」
「コマキお姉ちゃんッ、ダイジョウブ?」
「うん。この通り。」
「マリィもお兄ちゃんにタスケテもらったヨ。」
「え?」
しんがりだった龍麻に咄嗟の行動で負けを喫した男性陣に更なる一撃が降りかかる。
「一緒に落ちそうだったのを、龍麻クンが桜井ちゃんを掴むと同時にマリィちゃんを捕まえて美里ちゃんに向かって放ったのよ。すごいわよねェ。」
アン子が珍しく素直に感心している。
当の本人は涼しい顔でヒビの入った窓から差し込む月を見上げていた。
いつの間にか夜の闇が校舎を包み込んでいた。
「お兄ちゃん、アリガトッ。」
呼びかけられて振り返り、龍麻は見上げてくる少女の頭に手を乗せる。ポンポンとそれは跳ね、マリィは笑顔で大きく頷いた。
「しかし、廊下はさすがに外界と直接に接しているせいで風化が激しいようだね。」
「教室の窓際もきっと同じだろう。」
「じゃあ、どうする? ここで引き返す?」
「冗談ッ。」
「言うと思った。」
アン子に即座に却下されて、桜井は肩を竦めて美里と顔を見合わせて苦笑する。
「それに、大宇宙高の連中はとうに奥に行っちゃってるわよ?」
「へ?」
「今の騒動を無視してか?」
「ボクとマリィ、二階に上がった途端にとっくにコスモレンジャーに追い越されちゃったから、多分気づいてないんだと思う。」
「彼らが先頭だったのか。しかし、…落ちた様子はないな。」
如月が苦笑いして闇色に染まる先を見る。どうりである意味静かだったわけだ。
「秘密基地探検のようで楽しいんだろうよ。」
「彼らの心理をよく理解しているな。」
如月の指摘に京一が青くなる。
「とにかく、彼らのように浮かれて浮ついているわけではない僕たちはこの先で同じ目に会う可能性があるわけだから、直進は避けたほうがいいと思うよ。遠野さん。」
「そうね。」また同じように無事で済むとは限らないのは、アン子にも理解できる。「教室の中を通ればいいんじゃない?」
「一応閉鎖された建物だから、鍵が…。」
「開いてるわよ。」
カラカラと軽い音を立てて引き戸が滑っていく。
そしてそこから見える教室の床を見て、如月は眉をひそめた。
「最近、誰かが入り込んでいたようだね。」
「誰が?」
「誰かが。見てみろ。床の埃の上に足跡がある。」
その指摘に床にわずかな月明かりを頼りに目を落としてみると、獣のようなものの足跡の他にも靴跡らしいものが、この扉から教室の前の扉へそして帰り道であろうか、逆の方向のものも見られた。
「…下層の人間型の『連中』だったとしても、こんな風に秩序だって何か目的があるように動くとは思えない。」
この言葉は小声で傍らに立っていた龍麻に囁かれる。
彼はしばらく床に目を落としていたが、やがて頷いてから、教室に足を踏み入れた。
「龍麻?」
「少なくとも…。」彼の学生服の裾を掴んでくっついているマリィの肩のメフィストは何かを警戒するようにキョロキョロしている。「落ちない。」
マリィの歩幅に合わせながらもスタスタと行ってしまう龍麻を、見送ってしまう。
やがて、大穴の開いた向こうの廊下に二人は姿を現した。
「ハヤクーッ!」
マリィの呼びかけに、我に返る。
「…龍麻もこの旧校舎に興味があったのかもしれない。」
「遠野の申し出は渡りに船だったようだな。」
如月の言葉に醍醐も応えた。


先に突っ込んでいったコスモレンジャーには、レッド、ブラック、ピンクの他にブルーも入っていた。
その連中が突き当たりの部屋のドアから顔だけを覗かせていた。
「グリーンッ。マリィちゃん、こっち。」
小声で呼びかける本郷の手招きに、マリィと顔を見合わせた後、振り返って龍麻が背後を窺うと、仲間たちは教室からまだ出てきていない。
「面白いもの見つけちゃったの。」
「ヘーイッ。アミーゴも来るネッ。」
アランも小声で呼びかける。彼は何か帽子のようなものを被っているようだ。
足を踏み出そうとした龍麻の肩を力一杯握り、それを押しとどめたのは、京一だった。
「てめェらッ、何してやがるッ!」
そのまま引き寄せ、自分の背に庇うようにして京一はドアの隙間から覗いている四つの顔に怒鳴った。
「キョーチも来るネッ。」
その迫力も通じない相変わらず楽しそうな呼びかけ。
「あのな…。」
「きっと蓬莱寺クンのもあるわよ?」
「…俺の?」
その間に扉の前にはアン子も含めた全員が揃っていた。
招かれるように全員がその部屋に入ってみると、そこはどうやら倉庫のような役割を与えられているらしいあまり通気性はよくない密室だった。明りはわずかに天井の明り取りから差し込む月光。
入った途端に桜井やマリィたちが盛大なクシャミをして、更にそのせいで埃が舞い踊るという悪循環を、入ってきたドアを全開にして何とかある程度の埃をたたき出して、ようやく人心地つく。
あらためて観察すると、積み上げられている荷物の一角が崩れている。
おそらくコスモレンジャーたちの仕業だろう。突進したか何かで整然と積み上げられていた箱を落っことしてしまったと見える。
そして───
「それが入っていたのか?」
「オウッ!!」
頭の上に降ってきた箱の中身がばら撒かれ、彼らは歓喜した。
特に黒崎君。
「やっぱ、こうだろッ。コスモレッド改め、赤影見参ッ!」
「コスモブラック改め、黒影見参ッ!」
「ピンクは桃色ッ! 桃影見参よッ!」
ポーズはコスモレンジャーのままだったが。彼らは忍者スタイルだった。紅井は真っ赤な、黒崎は漆黒の、本郷は淡い紅色の衣装に、更にそれぞれの色のマスカレードの仮面のようなアイマスクを装着する。
そして、アランはどこから見てもカウボーイといういでたち。
頭に被っていたのはカウボーイハットだったのだ。
「うわッ。何かイメージに合わないよッ。」
桜井のある意味失礼な感想にも、HAHAHAと笑う。
少し着崩れた古びたコートを翻し、霊銃の砲筒の先でハットを軽く上げる。
「アランお兄ちゃんッ! カッコイイッ。」
そんな賑やかな彼らを横目に、如月たちが積み上げられた箱を調べていた。
「手に届くところにあるものは、皆、衣装箱のようだ。そんなに古いものじゃないようだが。」コスモの連中を振り返る如月。「せいぜい戦前というところだろう。発色もいいようだし。」そして物珍しげに彼にくっついてきたマリィに、ひとつを指さしてみせる。
「あ。ナニか書いてアルッ。」
「これは、『ほのか』と読める。」別の箱を指さすと、「これは…。『美里』か?」さすがの如月の声も上擦っている。
「え?」
美里が駆け寄ってくる。如月から渡された箱を重さゆえに持っていられずに床に下ろして、蓋を開けた。
「…着物?」
藤の花をあしらった和服だった。
「こっちの、桜井って読めるんだけどッ。」
桜井の指差した最上部の箱を醍醐が下ろして、如月が確認する。
「あァ。『桜井』だね。確かに。」
開いてみると、丈の短い活動的な明るい色遣いの和装が出てくる。
「…ってことは?」
「もしかしたら、他のメンバーのものもあるかもしれないな。」
如月と龍麻を除いた人間が一斉に飛び掛るように箱に取り付いた。
龍麻は、壁際に重ねられている一段に何とはなしというように目をやっていた。
その彼の見ている箱を何となく如月も見る。
「…『なこ』? 『りょうり』…?」
そこには『奈涸』という箱とその上に『涼浬』という銘のある箱があった。
「…涸れること奈き、水の京…。」
「龍麻?」
「…いや。水の名前だと…。」
如月は、歌うような龍麻の呟きを反芻する。
「…開けてみようか?」
問い掛けに龍麻は頷いた。
二つの箱を下ろし、開けると、渋い色合いで柄の大きい着流しらしい『奈涸』と落ち着いた色合いの変形和装の『涼浬』という中身だった。『涼浬』の方にクナイが入っている。
「…ッ?!」
よく探ると、『奈涸』のほうには忍刀が隠されていた。
「…飛水の…?」
半ば呆然とそれらを見下ろしている如月の脇から、呼ばれて、マリィたちのほうへ龍麻は立ち上がる。
「お兄ちゃんッ。コレッ、マリィと同じ《氣持ち》感じルノッ。」
先程の『ほのか』とあった箱を開けているマリィの脇で、醍醐も一つの箱を開けていた。銘は『雄慶』。中身はどうやら僧衣。
醍醐は唸る。
「俺の先祖に僧侶がいたと聞いたことはあるが…。」
「先祖?!」
美里も口元に指を添え、少し考え込む。
「私、この柄の着物をお祖母様のお家で見たことがあるような気がするのだけれど…。」
「でも、ボクはこんな着物見たことないけどなァ。あ、でも、まるでミニスカートみたいな振袖はあったよッ。これと同じようなデザインの。」
「ウチのお祖母ちゃんだったか、たしか杏花って名前だったと思った。」
そう続けたアン子も『杏花』とあった箱を杏の字に惹かれて開いていた。中身は派手な模様の袖のない動き易そうな和装。前掛けらしいものがあるところを見ると何かの仕事をしていたように思える。
「じゃあ…ここにあるのは…先祖のものだと…?」
一同、さすがに瞠目して積み上げられた品物を見つめる。
「…先祖、かも知れねェなァ…。」
京一も、自分の苗字の銘のある箱を開いてみていた。
着流しのようなそれを持ち上げて眺めると、何となく自分の先祖だろう人間の『匂い』がする気がした。大きな鳥をイメージさせる翼のような赤みの強い紺か紫色の柄と、己以外に追従を許さない信念と。
「そんでもって、血の匂い…。」
「それは気のせいだと思うよ。」
「如月…?」
自分でも気づかないうちに羽織っていたらしい。
如月と龍麻が、京一の脇に立っていた。そのせいで、呟きが聞こえたのだろう。
「ここの品物はさっき言った通りせいぜい戦前、大正か昭和の初めか。でも、洋装がアランの着ているものだけということから察するに、幕末あたりの時代の印象を受ける。劇か何かの衣装ではないのかな?」
そして彼は『奈涸』と『涼浬』の箱の中に入っていたクナイと忍刀を示した。
「これはよく出来たレプリカだ。実際の殺傷能力はペーパーナイフに劣るよ。」
京一も『蓬莱寺』とあった箱から太刀を取り出す。軽い。
「成る程な。」
「しかし記されている名はいやに僕たちにあまりにも直結している。」
「…先祖とつながりは、確かにあるってわけか?」
如月はそれ以上は口にしなかった。
京一は龍麻を見た。
彼は、シスターのような衣装を少し引き摺っているマリィや、「ちょっとだけ…。」と躊躇いがちに薄い水色の地に藤の花が咲き誇る着物を羽織ってみている美里のほうを見ていた。
「…綺麗だな。」
京一は素直にそう思った。美里はこんな埃まみれの場所にあってさえその美を損なうことはなかった。龍麻はややあって、頷いた。
反応が遅かったので、聞こえていないのかと思った。
「ところで、ひーちゃんは自分の探してみたか?」
そんなことに思いが至っていなかったらしい龍麻は、最初、小首を傾げ、それから首を左右に振った。
「ひとのもんばっか見てねェで、少しは自分のことも考えろよ。」
言った瞬間に“しまった。”と顔に出た京一を、対して龍麻は表情の変わらないまま、見つめている。
「い、一緒に探してやるよッ。」
慌てて龍麻の背を押して積み上げられた箱の山のほうに向かせる。
京一はただ、それだけのつもりだった。
足元にちゃんと注意していれば。
「うわッ!」
適当に纏っていたために床に広がっていた着物の裾を踏み、そして、それが見事に床にたまりにたまった埃で滑らなければ。
勢いのまま思いっきり龍麻を押し、突き飛ばしてしまった。

───積み上げられた荷が、ぶつかった龍麻に雪崩れの如くに襲いかかる。

悲鳴をあげる暇もなかった。
「ひー…ッ、龍麻ッ!!」
慌てて着物を放り捨て、崖崩れ後のようになった箱の向こうにいる筈の彼を呼ぶ。
誰も彼もが必死になって、箱を掻き分ける。
「龍麻君ッ。」
美里の呼びかけに、応えがあった。
「大丈夫…だ。」
声の調子もいつもと同じだ。もっともどうにかなっていたとしても彼は完璧に隠し通してしまうのだろうが。とにかくホッと安堵すると、それまでの焦りが間抜に対する怒りに取って代わられる。
「京一ッ!」
「わざとじゃねェッ!」
それはわかっているが。一番必死になっているその形相を見れば。
箱崩れの向こうの龍麻も脱出に動いているのだろう。ごそごそと音がした。
「龍麻。ある程度スペースが出来たら、じっとしていてくれ。こちらから崩していったほうが安全だから。」
如月の呼びかけに、音が止んだ。
「怪我はない?」
「…動き辛い。」
応えに蒼くなる。
「どこか傷めたのかもしれない。」
「龍麻クンッ。動かないでいなさいねッ。でも、まァ、さっき見たあの反射神経なら咄嗟に大事な場所を守ること位できそうだし、多分無傷よ。」
アン子は、手伝えなくてただ心配そうに両手を握って救助作業を見守っているマリィに笑い掛けた。
わずかなしかも月明かりのみの作業は、それでもすぐに遭難者を発見できるほど手際よく為された。
───が。
「龍麻ッ。」
と、最初に彼を発見した醍醐が凍りついた。
「どうしたんだよ。まさか、怪我でもしてたのかッ?!」
そして京一が、箱を脇に抱えたまま停止する。
「どーしたんだ?」
「グリーンは無事?」
「黙っていてはわからないぞ。」
コスモレンジャーの後ろに続いたアランが、ブラボーッ! と騒ぐ。
如月と美里は不思議そうなお互いの顔を見合わせて、新たにできた人間の壁の間から覗き込む。
「アオイお姉ちゃん?」
アン子に手を引かれて、マリィも寄っていく。
「みんな、どーして動きが止まってんの?」
そして、桜井も、発見された龍麻を見る。

明かり取りの真下だったのだろう、月光がスポットライトのよ
うに龍麻を照らしていた。
座り込んだまま、こちらを見上げている。
さすがの龍麻もここの埃が目に染みるのだろう、少し瞳が夜の湖面のように潤んでいる。
ゆっくり、二、三度瞬いて、自分を見つめたまま静止している仲間にさらりと視線を漂わせた。
「…?」
そして、小さく首を傾げた。

醍醐は、持ち上げていた箱を派手な音を立てて落とした。そのまま、腕は腹部を押さえる。顔色もかなりよくない。
京一は、みるみる上気し、呼吸困難に陥ったように口を何度も開閉させている。
「おおッ!」
歓声を上げたのはコスモレンジャー(四人)。
さすがの如月も瞠目したまま瞬きも出来ずに瞳を乾燥させている。
美里は口を両手で押さえたまま堪えたものが、悲鳴なのか歓声なのか自分でもわからずに困惑していた。
「…どーなってんの?」
「…多分、これを頭から被っちゃって、もがいてるうちに偶然着ちゃったんじゃないかしら。一体型のワンピースみたいなものらしいし。ホラ、後ろのリボン結ばれてないじゃない?」
礼儀知らずだとは思いながら彼を指さした桜井に、アン子が推理を述べる。
「お兄ちゃんッ! カワイイッ!!」
マリィの賞賛と一緒に、京一が箱を、落とした。

動き辛いわけである。
龍麻は、頭にはレースの髪飾りが乗り、紺色の天鵞絨のスカートを真っ白い少し光沢を感じるエプロンで覆う、女性の装いだった。
つまり、世に云う、メイド服。
長袖の手首の部分にはすっきりして上品なデザインのレースがあしらわれ、結ばれていないがゆえに羽衣のように風に煽られて舞うウエストのリボンも、何か刺繍が施してあるようだ。

そして、京一の落とした箱は、床に、長い年月で傷み腐りかけ軋んでいる床に致命傷を与えた。
ガコンガコンと角から落ちた箱は上手に転がり、もしかしたら正座をしているのかもしれない龍麻の傍まで跳ねていった。
その行く末を思わず追っていた全員が血を凍らせる。
先程の、桜井の落下の時と同じ音が、床に走った。
「た…ッ!!」
慌てて腕を伸ばしたときには、もう、龍麻の姿は消えていた。
「い…ッ、いやあーーッ!!」
上がる悲鳴が龍麻のいた場所にできた大穴を突き抜ける。
「龍麻クンッ」
男性陣より先んじて、アン子が穴から階下を覗き込んだ。そして、がっくりと肩を落とす。
その仕草に、周囲が蒼白になったが───
「…そうよね。あの運動神経だものね。」
そして、顔を覆って泣き出そうという状態の美里を振り返る。
「美里ちゃん、安心して。」
「え…?」
「…さすが。」
同じく下を見て安堵の笑みを浮かべた如月たちを確認してから、美里とマリィはおずおずとやってくる。
真下で、龍麻はけろりとして、上を見上げていた。
両手をエプロンの前で重ねて、姿勢よく、きっと見えないが足も揃えられているに違いない。
「怪我はないかい?」
龍麻は頷いた。
「…大丈夫。」
戦前の建物であるらしいので、二階が現代のものよりも低かったのも幸いしたのだろう。
安堵は再び、怒りを呼ぶ。
「京一ッ! 一度ならず二度までもッ!!」
そして感情のまま桜井の繰り出した蹴りによって、京一は反論も反撃も出来ずに、穴から落下していく。
降ってきた彼を、真下にいた龍麻が受け止める。
背と膝裏を腕で支える、お姫様抱っこというやつで。

……。」

何となく見詰め合ってしまっている京一と龍麻を見下ろしていたアン子が呟いた。
「相棒変えたら? 龍麻クン。」
その言葉で我に返ったらしい京一が腕を振りまわして怒鳴った。
「おめェに言われる覚えはねェぞッ。」
「僕も同意見だよ。」
「ボクもッ。京一、馬鹿すぎッ。」
如月と桜井の援護射撃に加えて、物理攻撃が降ってきた。
穴から落ちてきたその箱は、龍麻に抱えられたままだった京一の頭を直撃して、床を転がっていった。
「…白目。」
気絶した京一の顔を覗き込んだ龍麻が、そう報告した。


それから、いくつかあった空箱を分解して材料にして床を修理して、もとのように箱を積み上げ証拠隠滅もとい原状回復させてから、写真を撮ったり(いろいろ秘密にしたいらしい)彼ら取材協力者と打ち合わせという名の取引をしたりしました。おかげであまり満足の行くような記事になりそうもないので次号は別のネタを追うことにしました。
それより何より後悔したのは『あの』龍麻クンを撮影するのを忘れていたことでした。くぅ…! 不覚ッ。
まァ、それはともかく。いろいろ謎が発掘されただけだった第二回旧校舎探訪でしたが、収穫はないわけでもありません。
皆には言いませんでしたが、帰り際───
もしかして二階の教室の足跡の正体を知っていたからあんなにあっさり足を踏み入れたのじゃないかと思って、訊いてみようと、私は、呼びかけようとした彼の月光に浮かび上がった横顔を見ることになりました。切なげに例の部屋があるあたりを見上げている彼の。
呼びかけると、いつもの端正な彫刻のような顔で振り向きました。
それで、思い切って疑問をぶつけてみると、彼はこう一言、漏らしました。
「眠らせて…れ。」
静かに染み入る声で。
私は彼の赤くなった目尻に気をとられて、それ以上は聞き出せなかったのです。
『それ』が何を指しているのかわかりませんが、きっと、彼はあの足跡の主、さ迷うなにものかの鎮魂を祈念しているのでしょう。
旧校舎には何かがいる。
眠れずにさ迷う何かが。
でも、私がそれを追求することはないでしょう。
眠らせてやれ。と彼が望んだので。

ちなみに、(京一のドタマに)落ちていった箱には『さまえる』と記してありました。

2003/06/15 奪

葵千代「百萬接触御目出とう御座います。
はじめまして、葵千代と申します。約一年程前に初訪問させていただいて以来ファンです。が、ただ見ているだけのあまり質の善くない訪問者でした。それで「このお祝いを機会にせめて気持ちだけでも。」と半ば告白でもする気かという決心で投稿を決めました。
思ったより、長くなってしまい、失礼にあたらないか、不安ですが。
拙い文にしょむないネタ(お題を見た瞬間に浮かんだものですが…(乾笑))ではありますが、しかも似非というどうしようもない代物ですが、サーノ様にお楽しみいただけたら幸せです。
それでは、サーノ様のご健康と、ますますのご活躍を祈念して、一本締めをッ。
『パンッ。』
お粗末さまでした。」2003/06/15 08:29


サーノ「初めましてで、このような作品をお送り下さいまして誠に有難うございました〜! 似非つーかワタシよりずっと良い雰囲気で(笑)。それにしてもメイド『が』お姫様だっこしてどーするんじゃー!(大爆笑)月明かりの下見つめ合う二人をくっきり想像してしまって大変辛うございました。(笑)ところで…やっぱり緋勇は『眠かっただけ』でしょうか…?(笑)」2003/06/17 18:59

カイリ「すごい面白かったです! でも、反射的に九角を思い出しちゃって…(涙)」2003/06/29 21:46