天の御使いの

北斗玻璃

 斜陽に染まる景色の内に、金の色彩を認めて緋勇龍麻は校門に至る手前で足を止めた。
「ねぇ、誰か待ってるの?」
「お姉さん達が呼んで来てあげようか?」
 複数の同校の女生徒が、丁度死角になる位置…門柱の影から僅かに覗くその色を取り巻いて口々に話しかけている。
 「アノ…エット………。」
少し舌足らずな独特のイントネーションに確信を持ち、足を速める。
「アッ!龍麻オニイチャンッ!!」
門柱に腕をかけ見下ろす視線の先には、紺の制服のまま、困惑の表情で黒猫を抱くマリィ・クレアの姿があった。
 そのまま龍麻の背に隠れるように、マリィが龍麻の制服にしがみつく。
…………(やっぱりマリィだ。どうしたんだ?こんなトコで…お姉ちゃんをナンパするのは、まだちょっと早いゾ♪な~んてワケないやんっ!)。」
相も変わらず心内ボケツッコミを展開する龍麻と、しっかといがみついたままのマリィの様子に、女生徒達がこそこそと耳打ちしあった。{女生徒A「や~ん、ブロンドの女の子ってだけでも可愛いのに~。」女生徒B「緋勇くんと並ぶとすっごい、絵になる~。」女生徒C「猫ちゃんも美形~♪」}
………(えっ!?何っ!?おお、オレっもしかしてすごくアヤシイ人に見えてたりするっ!?あどけない少女をかどわかしてるように見えちゃったりしてたりしないっ!?その反応は何っ!?教えてぷりぃぃぃずっ!!)どうか、したか。」
淡々とした龍麻の口調に、彼女等は僅かに頬を染め「なんでもな~い、気にしないでねっ。」とか、「お兄さん見つかってよかったね。」とか言いながら去っていく。
………(何だったんだよ~、結局~~。…もしかしたら、明日の真神新聞に『少年A、少女を誘拐っ!!』とか一面トップで出たりしないよねぇ~?顔写真の目のトコに黒い棒線引かれて~って、いつもの顔とたいしてかわんないから犯人は誰か一目瞭然で…築き上げてきた友達の輪がっ(←古いっちゅーねん)、いや、カンダタに垂らされた細い蜘蛛の糸がっ!オレにとっての最後の救いがっ!!断ちきられてしまうぅっ!!アン子ちゃん、周囲にいないだろうな…カメラのシャッター音が聞こえたりしてないだろなっ!?)」
周囲に油断なく視線を走らせ、龍麻はしがみついたままのマリィの頭にポンと手を置いた。
 その動作にマリィはくすぐったそうに笑い、龍麻の顔を見上げる。
「オニイチャン、アリガト。」
「…いや。(アリガトってなんだろ…もしかして、マリィの方がナンパされてたとかっ!?うむむ…忌々しき事態だぞっ、これはっ!風紀の乱れにも程があるっお父さんはそんな娘に育てた覚えはっ(一体誰が誰の娘やねんっ!!)風紀委員は何をしているんだっ校内外でのナンパを禁止…したら、お姉ちゃん好きの京一が病気になっちゃう…ってあれは既に病気なんだろうか…)。」
 「ネェオニイチャン…今から時間、ある?」
そのマリィの一言に、ナンパ問題に終始していた龍麻の思考が思わず止まった。
「アノネ…。」
もじもじと頬を赤らめて目線を伏せたマリィを力づけるように、その肩に乗る黒い子猫が「ニィ。」と鳴く。
「葵オネェチャンが出て来るマデ、マリィと一緒に居てホシイ…な。」
「…(ハッ、そういう意味かっ!(←どういう意味にとってたんだっ)時間はあるよ~、どうせ今日は帰ってメシ食うだけだもんな。美里は…確か生徒会で、他のみんなは部活だし…そうだよな…日が暮れたら女の子一人だけっていうのは物騒だもんな…秋の日は釣瓶落とし~って何か妖怪の名前みたい…春と秋は変態さんが大量発生するし…いいぜ、マリィ。どんなヤツが来ても、俺がその毒牙から守ってやるからなっ!運が良ければ、誰かと一緒に帰れてラーメン屋さんに行けるかもしれないしなっ)分かった。」
 短く答えて、龍麻は学校内へと踵を返した。
 後に続くマリィの歩幅に合わせてか、少しゆっくりと進む。
 校門の右手には、桜が並木を作り、その更に奥手に赤く色づいた紅葉や、どんぐりをたわわに実らせた樫が植えられ、その一画に設けられたささやかな花壇の煉瓦の段差に龍麻は腰を下ろした。
「…ここで、待とう。(あんまり遠くにいると、すれ違っちゃうもんね~。「君の名は」「みなしごハッチ」状態は頂けないよなっ、あのみなしごハッチって見ててすっげーイライラしなかった!?そこで振り向けばお母さんに会えるっちゅートコで何度も何度も…って、一体誰と話しとんねんっオレっ!ビシッ!!)」
 「ウンッ!」
と、マリィは龍麻の隣に座る…が、何分にも無口な龍麻との会話を望むべくはない、と察してか、マリィは足元の落葉と戯れ始めた。

 マリィは、赤が綺麗に出た葉を選び、器用な手つきで一つ一つを丁寧に連ねて行く。
 その間に今朝メフィストが牛乳をこぼしてしまった事、友達との会話、学校で習った言葉…と年頃の少女らしく、その話題は時間と統一性には頓着せず、マリィはただ楽しそうに話し続け、同意を求めると、龍麻は小さく相槌を打つか、視線を向ける形に首を動かす。
 その一々の反応も十分に思考を要するのか、少しタイミングの外れた代物だが、きちんと自分の話を聞いてくれている証なので、マリィは嬉しい。
 マリィとイルのが楽しいって言ってくれる、アキちゃん、ユミコちゃん、タケちゃん。
 ママはオ料理が上手で、パパのお膝は少しタバコの匂いがするケド暖かい。
 沢山のおトモダチ、新しいパパとママ。
 …『仲間』とは、違ウ。
 『仲間』は、マリィと一緒のモノ。
 あの時、葵オネエチャンと、龍麻オニイチャン達に会ってなかったら…メフィストと同じぬくもりが溢れている事に気付かないままマリィはあの暗く冷たいコンクリートの壁の中で一生を過ごすはずだったのだろうか。
 ぱたりと、膝の上に手を落とす。
 不意に、泣きたくなる。
 タカコセンセーが…まだ考えちゃいけないよって言ってタのに…。
 ふ、とその背に暖かい≪氣≫。
 …先刻、一瞬だけ圧されそうな強い氣とは別の、陽だまりの柔らかさで龍麻は促すように首を傾げた。
 ただそれだけで、胸の内の不安が払拭され、マリィは僅かに目元に滲んだ涙を掌で擦った。
「…ソレデね、声楽部でクリスマスに歌ウ曲を教えテ貰ったんダっ。」
静かに耳を傾ける龍麻の様子を見、マリィは口の中で小さくハミングし…首を傾げた。
「アレ?忘レちゃった…?」
出だしのフレーズを何度か繰り返すが、どうしても続かない。
 柔らかい落ち葉は降り積もって絨毯のように土を隠し、その上に直接座り込んだマリィの膝元で、カカカッ、とメフィストが枯葉を相手に猫パンチをかましている。
 風に地面を滑る枯葉を金の瞳で油断なく見つめ、長い尻尾をゆぅらゆらと揺らして飛びかかるタイミングを図る…と絶妙の間合いを得た次の瞬間!
 メフィストは飼い主に抱き上げられ、ニァと本日のライバルに引き分けと未練の声を送った。
「メフィスト、覚えてナイ?」
例え覚えていた所で、猫の喉は歌えるようには出来ていない。
 仕方がないので、メフィストはとりあえずゴロゴロと喉を鳴らしてみた。(撫でてくれたマリィの手が気持ち良かったせいもある。)
 ん~、と左右に頭を振ってみるが、どうしても思い出せない。
 その耳に、オクターブの高い音が届いた。
「オニイチャン…?」
音階を確かめるように、先ほどマリィが口ずさんだメロディがゆっくりと流れ始める。
 笛に似たその音は、龍麻の唇が奏でていた。
 長い前髪に隠された無表情からは、判別をつける事は出来ないが、感じるのは確かに暖かい優しい感情――。
 続く旋律にマリィは声を併せた。
 その喉から溢れる澄んだソプラノが、高さを増した秋の空に吸い込まれるように溶けていく…。

 「何だぁ?」
季節ハズレのクリスマス・ソングに京一は訝しい視線を周囲に投げた。
 副部長以下、剣道部総員に捕獲・連行され龍麻との帰宅が叶わなかったせいもあり、少々やさぐれている(剣道部員達は、明日の登校が危ぶまれる程にしごかれたのだが…)。
 左右二の字に建つ校舎の間を抜け、校門が見えた時点でその歌の源が視界に入った。
 残光にとろける蜜のような金の髪がの少女が、高らかに歌うのは、神奉げる歌。
「マリィに…龍麻か?」
 歌いながら、マリィは、手にした紅葉の冠を龍麻の頭へ被せる。
 揃いに編んだ一回り小さな冠を自分の頭にも載せて、笑う少女の声は陽光に負けない輝きで幼い表情を彩る。
 そして、その歌声と見事に調和した龍麻の口笛は、高音域で僅かに擦れ、郷愁に似た切ない感情を呼び起こす。
 口笛の主は、少女の細い体を肩に乗せて抱え上げた。
 常緑の木の枝をぽきりと手折り、少女が朗らかに笑う。
 天使と賢者。
 神聖にして、踏み込み難い一幅の聖画…そんな風景に、京一は声をかけるのを躊躇い、手にした木刀を強く握りしめた。
 孤独であった少女の笑いを、取り戻した出会いが奇跡というならば。
 その笑みを見守る龍麻が心の底から笑える奇跡は存在するのだろうか。(←心の底だけで笑える奇跡は世界に溢れてると思うぞ)
 「ア、京一だッ!」
マリィが聡く校舎の影になっている筈の自分の名を呼び、京一はいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「お、マリィじゃねェかっ…と、ひーちゃんも一緒か。」
 龍麻の肩から地面へと滑り降りたマリィが、誇らしげに手にした枝を京一に掲げた。
「ホラッ、龍麻オニイチャンに採ってもらったノ…どんぐり!」
見れば、枝に生ったままの実が帽子を被ったままでコロリと落ちた。
 「よかったじゃねェか…なぁ?」
いつものように肩を組もうと右側へ回るが、龍麻はすいとその上半身を前倒しに折った。
 空振りに終った手が、空中でわきわきとしてしまう。
………京一。」
名を呼ばれ、握った拳を差し出された。
 訝しく思う間もなく、(まだわきわきしていた)手を握られ、上に向けた掌の上にぽとりと軽い感触。
………どんぐり。」
「く、くれるのか?」
間抜けな反応だとは思うが、他にどうしようもない。
 こっくりと大きく頷いた龍麻は相変わらず表情が読めないが、それでも―邪魔にされてるわけじゃ…なさそうだよな?―京一は掌の上でどんぐりを転がした。
 意味の掴めない、行動。それでも…何か嬉しい自分に気付き、慌てて緩みそうになる頬を引き締めた。
「へへっ、なぁ、ひーちゃん折角だから、帰りラーメンでも食ってこうぜッ!!」
「マリィと葵オネエチャンとメフィストも一緒に行くからネッ!」
メフィストと足で枯葉を踏み、マリィが宣言する。
 それに、木刀を軽く掲げて答え、京一は親指と人差し指でどんぐりを摘み、陽の方向へと翳した。
 つるりとした表面が、僅かに光を反射する。
 慌てる事ねぇか…。
 少しずつ…本当に少しずつ。
 芽吹いた種が伸びるように、心の片鱗を覗かせるようになった龍麻が、いつか…その言葉で全てを語ってくれる…そんな証に思え、京一は胸の内の独白と共に、どんぐりを胸ポケットへと仕舞い込んだ。

11/09/1999