天使にレクイエムを

草壁水穂

「お兄チャン!」
 ぽふっ。
 書店の店先で立ち読みをしていた龍麻の背中に、暖かいものが飛び付いてきた。
 金色の巻き毛を揺らした小柄な少女は、そのまま腰にきゅう~っとしがみついている。
「やぁ、マリィ」
 べしっ。
 声をかけると同時に、同じく隣で立ち読みしていた男の手からいかがわしい青年誌を叩き落す。
 どかっ。
 足の甲にも踵で一撃。
「っぁ~~~~~!!」
「どうした?一人で買い物か?」
「ウウン。お兄チャン、何読んでたノ?」
 少女の視線が彼の手元に移った時には、開いている雑誌は週刊少年ジャ○プから男性向けファッション誌に化けていた。
(はっ…速えっ…)
 片足で飛び跳ねつつ涙目になっている隣の男こと京一。
『何もここまでするこたぁねぇだろう!!』
 小声で訴えるが、龍麻は見向きもしない。
(ひーちゃん…相変わらずマリィ一筋だな~)
 そう、龍麻はマリィ以外の女性はアウトオブ眼中だった。初めは葵や小蒔にも人並みの関心を示していたが、マリィに出会ってからは友好以上の態度で接したことは只の一度も無い。
 マリィに誤解されたら困るからと帰宅も待ち合わせも全て京一を選び、葵に変な期待をされないようにと彼女の相談も冷たくあしらい、小蒔には面と向かって醍醐と仲良くしろと言う。悪気が無いだけに始末に終えない。
 もっともあまり京一を連れ廻し過ぎた為、逆に一部の女生徒から妙な誤解を受けているのだが、そこまでは二人とも知らなかった。
「あれ、今日はいつもと違うんだな。その服も可愛いよ」
「エヘヘ。今日ネ、concertなの」
 少しよそゆきのワンピースに身を包んだ少女は、照れくさそうに笑った。
 テレジア中学の声楽部は、都内でも指折りの実力を持つ。将来有望な少女達の美声は天使の歌声と呼ばれ、一般にも人気が高く、時折チャリティーコンサートを開いているのだ。
「デモ…アオイお姉チャンとはぐれちゃって…」
 ホールの場所がわからなくなったのだと言ううちに、少し泣きそうになる。
 しぱしぱと瞬きする大きな目が殊更に可愛らしい。
(あ~~~~もう!持って帰りたい~~!)
 龍麻は内心で悶えつつ彼女の髪を撫でてやった。
「大丈夫だよ、俺が連れて行ってあげるから」
「ホント?アリガトウッお兄チャン!」
「おう、俺も行くぜ…って聞いてねぇ…」
 龍麻がパッと顔を輝かせてまた抱きついている少女と二人、さっさと歩き出したので、京一は慌てて後を追った。

 歩きながら楽しげに会話する二人は仲の良い兄妹のようだ。が、しかし、その兄の方は手を繋いだだけで舞い上がっていた。
「ところでマリィ、今日はどんな歌を歌うんだ?」
「え~と…Hymn」
(讃美歌ッ…なんてピッタリなんだ。まさに天使!くぅ~!!)
 思考回路も相当腐れている。
「デモ、違ウ歌も歌うの。マリィがsoloで歌うんだヨ」
「凄いなマリィ!上手くなったんだ」
「エヘヘッ。Thanks、お兄ちゃん!紗夜お姉ちゃんがlessonしてくれたんだッ♪」
「比良坂が?」
「ウン。葵お姉ちゃんにはナイショね…ッテ」
 紗夜と葵の微妙な対立関係は龍麻が原因なのだが、本人は勿論そんな事は解っていない。
「やれやれ…あの二人相性悪いからなー」
「デモ、上手になったら聞かせて、驚かせてアゲマショウって言ってた」
「ふぅん?どういう風の吹き回しだろう」
 龍麻たちが完全に二人の世界に入ってしまったので、京一はつまらなそうに少し離れて歩いている。
 と、マリィが「あっソウだ!」とそちらを振り返った。
「京一お兄チャンに会ったら、渡す物がアッタの」
「俺に?」
 ポシェットをかさこそと探って一枚の紙片を探し出し、小さな手で差し出す。
「さやかお姉チャンから…」
「なにぃい!?ラブレターか!?」
「そんなわけ無いだろ…」
「チガウよー。Liveのticket」
 くすくす笑いながら説明する。
「さっきの歌ネ、さやかお姉ちゃんもLiveで歌うの。ニガテなヒトとナカヨシになれる歌なんだッテ!」
「へぇ。いい歌なんだな」
「ウン!だからマリィもミブを招待したの!」
 嬉しそうに笑うマリィと固まる龍麻。
「…マリィ…なんで壬生なのかな…?」
 心なしか声が震えている。
(落ちつけ、落ちつけ、俺!!)
 やきもちもここまで来ると病気だ。しかし…
「マリィ、ミブのことまだチョット怖いから。ナカヨシになれるといいなッテ思ったの」
 この台詞を聞いて途端に御機嫌になった。単純な男である。
「そうか、偉いな、マリィ」
(ああっ何てけなげなんだ~ッ!さすが俺のマリィ!)
 お前のじゃないだろ。
「そしたらミブ、喜んでくれた。カンチョーも来るんだッテ」
「…はい?」
「だから、カンチョー。ミブとタツマお兄ちゃんの先生デショ?」
「あ、ああ」
 どうやら何か別の意味に聞こえたらしい。
「その、なんだ、マリィ…鳴滝さんって言った方が良いな」
「ナレタケ…?ムツカシイヨ」
「う~ん…じゃあ、冬吾さん」
「トーゴネ?OK!」
 それはそれで変なのだが、龍麻は気にしない事にした。要するにマリィの言葉なら何でも可愛いのだ。
 一方、京一はチケットがなぜ一枚なのかを気にしていた。
「なぁ、いつもはひーちゃんの分もくれるよな?さやかちゃん」
「たまには足りない事だってあるんだろ。俺はいいから行ってこいよ」
「だけどよぉ…」
 京一の疑問ももっともである。龍麻は首をひねった。
(確かにおかしい。さやかちゃん、諸刃が京一に懐き過ぎだって嫌がってるし…一枚だけなら俺にくれそうなものだけどな??)
 そうこうするうちに、ホールに着いたようだ。
「あ!アオイお姉ちゃん!」
「マリィ!探したのよ…良かった」
 入り口に葵が立っていた。どうやら時間ぎりぎりだったらしく、しきりに時計を気にしている。
「ようっ美里。迷子の子猫ちゃん届けに来たぜ」
「それじゃ、俺達はこれで。頑張れよ、マリィ」
「ありがとう…龍麻、京一君。さあマリィ、急ぎましょう」
「ウン。Bye!お兄ちゃん。アリガトウ!」
 相変わらず素っ気無い態度で葵と別れ、マリィには笑顔で手を振りながら帰路につく。心の中では今日の偶然を、信じてもいない神様に感謝していた。
「うーん、やっぱり可愛いな~マリィ」
「あのなァ…」
 京一が流石にげんなりした表情で隣を見やる。
「ひーちゃん…鏡見てみろよ。光源氏も裸足で逃げ出すような顔だぜ?」
「どういう意味だよ…」
「ロで始まってコンで終わる四文字のような…ってうわ!あぶねぇ!」
……ッ【怒】」
「道端で巫炎出すなァ!!」
 じゃれあいながら家に着く頃になって、龍麻が突然立ち止まった。
「…京一」
「なんだ?」
「やっぱり、あれ捨てろ」
「あれって??」
「チケットだよ、チケット」
「何ィ!?冗談だろッ勿体ねぇ!」
「…死にたいのか?」
 何を言われたのか解らないといった表情の京一の肩にポンと手を置いて、龍麻は溜め息をついた。
「俺、葵と壬生を救えなかった…今気づいたんだ」
「はあ?何に?」
 比良坂が葵に。さやかが京一に。それぞれ聞かせたがっていた歌。ということは…

 ほの暗いホールの中に光る、ひとすじのスポットライト。
 その光に照らされて中央に立つ金の髪の少女は、神秘的な演出と生来の愛らしさで観客の心を奪う。
 天使達の歌は響き渡り、神の御名を褒め称え、ステージに地上の奇跡を具現化する。
 やがて背後のコーラスがふっと途切れ、客席の期待が最高潮に達した時、少女はおもむろに薔薇の唇を開く…
『ド・レ・ラ♪』
───相手の生命力を吸収してしまう技(by攻略マニュアル)
「館長…僕、なんだか眩暈が…」
「う、うむ…私も働きすぎかもしれんな…」
『ラ・ソ・ソ♪』
───相手の周囲を超高温の熱気で包む技(同上)
「あら…私、どうしたのかしら。何だか熱っぽいみたい…」
『シ・ファ・ソ♪』
───狙った相手を一瞬で炭化させ(以下略)

 (…止めよう。これ以上の想像はちょっと放送禁止だ)
 黙りこんでしまった龍麻の顔を京一が怪訝な表情で覗きこむ。
「なあ、何に気づいたんだよ」
「いや、何でも無いさ。とにかく、お前だけ行くなんてずるいじゃないか。だから駄目」
「ひーちゃんさっき気にすんなって言ったじゃねぇか。それに死ぬって何のことだよ」
「…一人で行く気なら殺すぞってこと」
「…あ…相変わらず無茶苦茶な奴だな…」
 呆れながらも「俺が一人で行く訳無いだろ?このやきもちやきっ!」などと言って髪をわしゃわしゃ掻き回す京一を見ながら龍麻は
(…まぁいいか。マリィが無事なら)
 と明後日なことを考えていた。

10/01/1999

出遅れた上にこの内容…ッ。(ごめん、アップがもっと遅れた(泣)byサーノ)
スミマセンお師匠様!!剃刀とかウィルスとか送らないで下さい!(笑)