偽書・マクベス

沖 鳴海

 真神学園 旧校舎・地下―。

「いくぜっ、ひーちゃん」
フロアに残るのは、最後のボスだけだった。
左手にたつ龍麻に向かい、京一がにやりと声をかける。
無言で頷く龍麻が頼もしく、背中を預けて、京一が走り出した。
「おらっ、これでもくらえっ。剣掌・旋―――ッ」
気合一閃。
軽やかにステップを踏んで、『盲目の者』の背後から、入魂の剣をくりだした。
『げひーーーっ』
人ならざる異形の化け物が、鈍い叫び声をあげて弾け飛ぶ。
どうだ。
と言わんばかりの京一の表情が、吹き飛んだ敵ボスの行く先を見て、引きつった。
「ひーちゃんっ」
吹き飛ぶ先には、龍麻がいた。
危ねぇ、よけろーっ。
叫びかけた矢先、龍麻が緩慢にすら見える動きで、右手を上げた。
「秘拳・黄龍」
なんら驚くこともなく、龍麻は悠然と必殺の技を繰り出した。
鈍い音をたて、京一の立つ壁の隅に、『盲目の者』の重い身体が叩きつけられた。押しつぶされた肉塊が、グズグズと音をたてて、崩れ落ちていく。
即死である。
吹き飛ばされた反動を利用した、龍麻の拳が、致命傷になったらしい。
その様を、京一は呆気に取られた顔をして眺めていた。
「ひーちゃん…」
言葉が続かない。
吹き飛んできた敵を、さらに吹き飛ばしたのだ。
龍麻は軽々とやってみせたが、その力は圧倒的な力の差があってこそ、初めてなし得るものである。
龍麻は涼しげな顔で、言葉通り崩れ落ちる異形の者を見ていた。
その目はまるで、まだ生きているのかどうか、歯向って来るのかどうかと、検分しているようだ。
冷静な、その目。
なんてぇ目を、してるんだよ。
京一は、思わずぞっとした。
その気配に気づいたのか、龍麻が視線をあげる。


 うっわ〜〜〜っ。びっくりした〜。急に目の前にくるんだもんなぁ。あ〜、びっくりした。あんまりびっくりしたから、思わず黄龍だしちゃったよ〜。大丈夫かな。だいぶ深く潜ってきたから、こんなトコで壁が崩れて生き埋めになったら、誰も気づいてくれないだろうし。…う〜ん、大丈夫、みたいだな。よかった〜。
 それにしても、なんだよ、京一。吹き飛ばし技を使う時は、使うって言ってくれよ〜。俺、まだ心臓がばっくんばっくんいってんだぜ。…って、なんで怒ってるんだ? 俺、なんかやったっけ…?


京一の強張った顔に、
「…京…」
一、と言い掛けた言葉が、
「OH! 龍麻。流岩ですネ〜」
陽気なアランの声に遮られた。
ガシッと後ろから首筋に、抱きつかれて、さすがの龍麻がよろめいた。
「龍麻ッ、どうしたデスか? どこか、ケガでも…」
「あほかっ」
ゴツンと音をたてて、三又の槍がアランの頭部を殴りつけた。
「OH〜、雷人。何するデスか」
「おめぇが、龍麻さんに飛びかかるからだろうがっ。体格差を考えやがれっ、このエセ外人っ」
「エセ外人はひどいネ。ボクは、生粋のアメリカ〜ンなんだヨ」
「それを言うなら、メキシカンだろっ。だいたい、さっきの流岩ってな、なんだ? 流石だろうが、さ、す、がっ!」
「OH! こまかい事はきにしな〜いよ」
「気にしろ、少しはっ」
どつき漫才を繰り広げる二人をよそに、龍麻は目で京一を探した。


あ〜、ごめんよ。雷人、アラン。
二人の漫才を聞いていたいけど、京一のことが、気になるんだよ〜。なんか怒ってるみたいだし。俺が怒らせたんだったら、謝んなきゃ。せっかく友達としてみてくれてるのに、ここで変な事やって、『やっぱり、お前なんか嫌いなんだよ』なんて、思われてたら、どうすんだよ〜。


泣きが入っている思考とは裏腹に、龍麻の沈着そのものな表情やしぐさは変わる事がない。
その様が、京一をイラつかせた。
龍麻は何事にも動じない。
敵であれ、味方であれ。
いつもなら、アランと雷人の二段攻撃に空気を震わせるような気の高まりを見せるくせに、今日に限っては、それもない。
なんでそんなに…。
ちっと舌打ちして、龍麻から視線をそらした。

 お前にとっちゃ、俺達なんざ、気にかける必要もない存在ってことなのか?



 ようやくアランの抱きつき攻撃から抜け出して、龍麻が京一を探し出した時、京一は醍醐と何かを話している所だった。
醍醐の言葉に、にやりと不敵に笑って、
心配すんなよ、タイショー。
とでも言っているのか、ポンと胸を叩く仕種をしてみせた。
その様子には、微塵も怒っている気配はない。
…よかった。気のせいだったかな〜。
ほっとした。
「龍麻」
呼ばれて、声の主に顔を向ける。
如月だった。
「どうする。続けるかい?」
「そうだな…。…回復アイテムは、まだ、あるか?」
よく、聞いてくれた。
そういわんばかりに、にこりとして、如月が答える。
「そろそろ、底をついているよ」
そうか、と龍麻が頷いた。
「美里さんや、高見沢さんがいないのは、やはり痛いね」
「…ああ」
「彼女たちがいないと、回復用に持ってきたアイテムがなくなったら、どうしようもない」
そこに、村雨が長い学ランを翻して近づいた。
「そういや、なんで今日は、姉さん方はいないんだ?」
今更、何を言っているのやら…。
如月がため息混じりに、首を振る。
「文化祭の準備の為だと、最初に言っただろう。…ああ、高見沢さんは担当の患者さんの退院日だから、来れないそうだが」
「へぇ、そりゃ残念」
仲間になったばかりの村雨は、どこかやる気がない。
「だが、文化祭ねぇ。…先生、あんたも何かやるのかい?」
いくらかの興味を見せる村雨に向かい、龍麻はわずかに首をかしげた。

 そうなんだよ〜。聞いてくれよ、村雨。(泣)俺のクラスってば、劇なんかやるんだよ。「マクベス」だぜ? 京一はマクダフで、醍醐はマルコム。美里なんかマクベス夫人だし。お、俺なんかに、狂王マクベスができるのか〜? ぼけっとしてたら、いつのまにか決まってて、みんな盛り上がってるし、今更だめだって言えなかったんだよ。あ〜、せっかく忘れてたのにな…。そうだよな、来週だもんな。俺、うまくできるかな…。はっ、だめだ。美里や桜井なんか、今頃一生懸命、衣装の準備してるんだから。俺が、弱音吐いてちゃだめだよなっ。せ、せめて、みんなのお荷物にならないようにしなきゃっ。うん、そうだ。頑張れ、俺っ。

心の中で、自分を鼓舞させている龍麻をよそに、
「俺達のクラスは最終日に舞台劇をやるんだが、よかったら、来たらどうだ?」
歓迎するぞ。
と、京一と二人で側にやってきた醍醐が言った。
「…劇? なんの?」
「『マクベス』だそうだ」
「…そりゃ、真面目なもんを」
「そうでもないぞ。龍麻が主役のマクベスをやると聞いて、演劇部の劇作家志望の部員が精魂込めて脚本をあげてくれてな。台詞は現代風にくだけているし、派手な殺陣はあるし、なかなかおもしろく仕上がったと思うぞ」
「殺陣、ねぇ」
完全におもしろがっている目で、村雨が龍麻を見やった。
「先生を、相手にできるような奴が、いるのかい?」
「そりゃ、どういう意味だよ?」
「…あんた、か」
笑いを含んだような口調に、京一が剣呑な視線を返した。
「それで、得物はなんだい?」
「…剣だよ」
「二人とも、か?」
「ああ」
それがどうしたと京一が言った。
「いや…。せいぜい、先生に打ち負けないようにしろよ」
「てめっ、そりゃどういう意味だッ」
京一のプライドを、根こそぎ引っかくような台詞に、瞬間的にくってかかった。
「よさないか、二人とも」
げんなりした口調で、如月が割って入る。
醍醐は京一の肩をつかんで、止めている。
「京一、お前もよせ。村雨もだ」
にやりとして、
「悪ぃな。大将」
「謝る相手が違うだろうがッ」
京一が噛みついた。
「そうかい?」
大げさに肩をすくめて、村雨が低く笑った。
「いいかげんにしたまえ。…龍麻、こんな連中は放って、僕達は帰ることにしよう」
騒動から一歩引いた場所にいた龍麻の肩をとり、如月が促した。
「…ああ。みんな、撤収しよう」
その言葉を皮きりに、総勢十人の男達が、返事とともに帰り支度を始めた。
もう、午後八時近くだ。
これから降りてきた分を、戻らなければならない。
だが、その事に対して、不平を言うものは、ない。
皆がみな、無事に戻れる。
ケガをしたものはなく、思う分のレベルアップを果たした満足感がある。
それは取りも直さず、龍麻の采配によるものだ。
文化祭の準備で稽古づけの毎日に、うっ憤が爆発した京一の発案だったが、美里も高見沢もこれないと知って、一度は流れかけた話だった。
それをいつのまにか、龍麻が如月を呼び、その如月は余分かと思うほどの量の回復系のアイテムを持参した。
龍麻の指示なのだろう。
がっくりしている京一を見かねたのだろうか。
あれよあれよという間に、地下校舎に潜る準備ができあがっていた。

なんでも…できるんだよな。ひーちゃんは、よ。
本当は、地下に行くのは好きじゃねーってのに、な。
嫌なことでも、最善の事をしてのける。
俺にゃ、到底、真似できねーな。
自分の思考に、京一はぶるりと頭を振って、つまらない思いを振り払った。そのまま、壬生と話ながらしんがりにいる龍麻を、チラリと見やった。龍麻は、何度か大きく頷いている。
何、話してるんだよ?
そう思いはしたが、側に行く気にはなれなかった。
前を向いて、ずんずん歩く。
んな、穴ぐらにいるから、辛気臭ぇこと、考えちまうんだ。
とっとと、外に出るぜ。
早足に、京一はくねくね曲がる坂道を、ぐいぐい歩く。
いつのまにか、先頭に立っていた。
龍麻とは、一番遠い場所だ。
もうすぐ、地上だ。
ようやく深呼吸ができる場所だ。
何にむかついているのか、京一は考えない事にした。
苦いしこりが、京一の胸の奥に残っていた。



文化祭の当日である。
真神学園の文化祭は文化の日にちなんで行われる。
土地柄のせいか、西新宿に位置する、割に辺ぴな場所とは思えないほど、外部の人間もやってくる。
その中に、ちらほらと目立つ連中がいる。
龍麻が劇の主役をはると聞いて、見物にきた仲間たちだった。
はじめは別々にいたものが、そのうちばったり遭遇するという事を繰り返し、気づけば、まったく違う制服をきた、やたらと目立つ連中のご一行様ができあがっていた。
「きゃ〜ん、楽しみぃ」
その中の一人が奇声をあげた。周りの人間が何事かと振りかえる。
「ちょいと。も少し、静かにおしよ」
「え〜、だってぇ。ダーリンがお芝居するの〜。きっとすご〜く素敵なのぉ。亜里沙ちゃんは、楽しみじゃ、なあい?」
「そりゃ、もちろん楽しみだけどさ。…ふう、あんたといると本当に疲れるね」
「え〜、どうしてぇ?」
たわいのない会話を続ける女性陣とは別に、壬生や如月、雷人に村雨が素知らぬ振りで立っている。
もちろん劉やアランやその他の面々もいるにはいたが、出店の匂いに釣られて(または引っ張られ)どこかに消えていた。
「…それにしても、マクベス、ね」
 納得がいかないという口調の如月に、壬生が頷いた。
「ええ、龍麻があの主殺しの狂王とは、どうも納得がいきませんが」
「…そうでもないぜ」
 とは、村雨だった。
「どういう意味です」
「いや、似合うっていいたいのさ」
「似合う…?」
「ああ…。どういう脚本になっているかは知らねぇが、あの先生を使おうってんだろ? 予言に振りまわされて、運命にかんじがらめになっていくってのは、今の先生に
ぴったりだしな。そこらへんを、その脚本をやった人間が、どれくらい、わかっているのかってな。それに、先生がそれをどうとるか。俺はそこが、みものだと思っているぜ」
「ふ〜ん」
意外な顔で、雷人が村雨を見た。
「あんた、見た目に似合わず、そんなの読むんだな」
「おいおい、見た目に似合わずってのは、ちょいとひどかねぇか?」
「ははっ、褒めてんだよ。俺はそんなの読まねぇからさ。似合う似合わないって言われても、ぴんとこねぇんだよ」
「確かに、見ないとはじまらないね。予定は確か、2時開演だったね」
「ああ、今回の目玉だとか。本物の演劇部を押しのけて、大取りだと彼女が言っていたが…」
「彼女?」
「例の新聞部の元気な女性だ」
「ああ…あの…」
「その遠野さんだったかな。彼女に早めに来てくれといわれていたんだが。…一時過ぎか。そろそろ、行くとしようか」
体育館で行われるという、三年C組の出し物には、思いがけないほど大勢の人間が押しかけていた。
如月たちは、少々あぜんとした顔で、入り口で改札よろしく手作りの券を販売している遠野 杏子の姿を見ることになった。
「はいはいはい。ここで、終わりッ。終了ッ。終わりったら、終わりなのよッ。また、次回によろしくねッ。次回があればだけどねッ。あ、見たかったら、後日販売する予定のビデオを買ってちょうだいよ〜」
景気よく、完売御礼の札を出した杏子が、一行に気がついた。
「あっ、あんたたち、何してたのよっ。早めに来なさいって言っといたでしょッ。もう完売しちゃったわよ」
「え〜ッ」
阿鼻叫喚の悲鳴があがった。
「…まだ、時間はあると思ったが」
「何言ってるのっ。我が校が誇る、ヒーロー龍麻君とマドンナ美里ちゃんがあのマクベスとマクベス夫人をやるってんだから、話題沸騰よ。これが拝まずにいられましょ
うかってね。前売りなんか、即日完売だったんだから。ま、多少はあの猿のおかげもあるけど」
「本当に、もうチケットないのぉ」
うるうる涙目になっている高見沢に、
「仕方がないわね〜」
ごそごそと背後の紙袋から、取り出した。
「じゃ〜ん」
そこにはなぜか、人数分のチケットが握られていた。
「もしかしたら、みんなが来るかも知れないから、取っといたのよ」
「きゃ〜ん。杏子ちゃん、大好き〜」
とびつこうとした高見沢を、はいと片手を突き出してとめる。
「?」
「一枚二千円」
「…千円じゃなかったか?」
ぼそりと誰かが呟いた。それを耳ざとく聞きつけて、
「いい席なのよ。かぶりつきの特等席ッ。龍麻君がばっちし、目の前。汗だって飛んできそうないい席よ〜」
照明ににじむ龍麻の汗…。
それは、大変、魅力的な話である。(笑)
悩む連中を前に、
いるの?
いらないの?
ほらほらと、チケットを目の前で振って見せた。
その手が、後ろから止められる。
「え?」
 と言う間もなく、杏子が持っていたチケットは、あっさりとさらわれてしまった。
「何、」
すんのよッ。と怒鳴りかけ、その相手が龍麻だと気づいて、
「あ、た、龍麻君…」
しどろもどろ、笑ってごまかした。
「早かったじゃない〜」
「早かった、じゃねぇよ」
返事をしたのは、龍麻の横にいた京一である。
「宣伝になるから、そこらへん、練り歩いて来いって言ったのは、おめーだろうが。ったく、人を客寄せパンダと勘違いしてんじゃねぇよ」
「あら、それを言うなら客寄せザルでしょ。おかげさまで完売よ〜。日光猿軍団なみの人気者で良かったじゃないの」
「あのな…」
不毛な舌戦を繰り出そうとして、ふと、そこにいた連中の表情に気づいて、京一は口を閉ざした。
龍麻も異様な気配に、ほんの少し、首を傾げる。

げ…。
なんだよ〜。みんな、何見てるんだよう。お、俺? もしかしてなんか、変? 

宣伝と言うだけあって、二人は劇中の衣装を身につけていた。
マクダフ役の京一は、濃い茶褐色の半袖の上に、巻きつけるような皮風の胴当てと、ぴったりしたズボン。腰には、剣を吊り下げるといういでたちだ。
軽装の京一に比べ、マクベス役の龍麻の方は、上から下まで見事に黒一色である。喉元を覆う高い襟。飾りのない軍服のような上下。極めつけが、地面につかんばかりの黒いマントと両手を包む黒い手袋である。
唯一の色といえば、龍麻の白い顔だけだが、濡れたような黒髪が、その白さを引きたてて、憂いを含む闇のようである。
まるで、夜の闇が人の姿をとって、そこにたたずんでいるようである。
如月たちは、声もなく龍麻を見つめている。
目を引きつけてやまない存在とは、このことだろうか?
伏せた目が、その表情に憂いを落とし、わずかに引き絞られた唇は、沈黙こそを是とする預言者のようでもある。
ふと、伏せられていた目が、あがる。
流れるように一同を見渡して、最後に京一にいきつくと、もとのように大地に終着して静かに伏せられた。
一瞬の視線。
たったそれだけだというのに、女たちは口を押さえて息を飲み、男たちは顔を染めて、目をそらした。
京一はその様を、苦い思いで見ていた。
はじめてこの龍麻を見た時の自分も、おそらくこんな顔をしていたのだろう。
そんな思いがよぎったのだ。
黒一色の時代がかった衣装は、異様なまでに龍麻によく似合っていた。
いつも押さえている気配が、倍増ししたかと思える存在感。
いっそひざまずき、額づきたくなるほどの威圧感。
その誘惑に、京一は必死になって耐えたのだ。
冗談じゃ、ねぇ。俺は、こいつの家来じゃねぇんだよっ。
その思いにすがりつき、かろうじて強烈な誘惑に耐えきったのだ。
それに…。
龍麻の目が、哀しげだったことも、京一を奮い立たせた要因だった。
なんで、そんな顔をする? 
必死になって、隠そうとしたものが、白日のもとに晒される事が嫌なのか。それとも、自分のその圧倒的な存在感を、嫌うのか。
衣装を身にまとった時の龍麻が浮かべた一瞬の哀しみを、京一は目ざとく見て取っていた。


うっわ〜。なんだこれ…。
姿見に映った自分の姿に、龍麻は一瞬、絶句した。
…ダースベーダー。
思わず浮かんだ感想がそれである。
前髪から覗く、鋭い眼光。
これで黒い仮面をつければ完璧だな、俺っ。って、悪役じゃん。そりゃ、今回は悪役だから、別にいいんだけどさ…。でも、なんでこんなに、俺って悪役顔なんだよ〜。
しくしくしく…。い、いや待て、俺。まだ救いはあるぞ。ほら他にもいるじゃん。
ヒーローでさ。…バンパイアハンター、バットマン、黒衣の騎士、Dr.メフィスト…。
どれにしても、いまいちダークヒーローだ。
それに気づいて、龍麻は深く深く落ちこんだのだ。
やっぱり、悪役顔だよね。みんな優しいから、見ない振りしてくれてるんだな…。
目の前で顔を背ける仲間たちを見て、龍麻はそう思った。
そうだよね…。俺みたいなのが、こんな格好しちゃ、変質者か犯罪者だよね。ごめんよ、みんな。(号泣)す、すぐいなくなるから。そんな、怖がらないでね…。
よろける心を奮い立たせ、京一に向かって、
「…行くか」
と言おうとして、龍麻はその言葉を飲みこんだ。
裾がすれたような上着。わざと薄汚れたようなその格好。
軽装ながら、京一の雰囲気によく似合っている。
何度見ても、かっこいい…。
龍麻の憧れるヒーローそのものである。
いいよなぁ、やっぱり。京一ってかっこいいよなぁ。
さっきだって、ただ歩いているだけで、いろんな人に声をかけられて、大勢の人間に囲まれていた。
それこそ、男にも女にもだ。
「あはは…っ。京一、似合うぞーッ」
「そのカッコ。野生化して見えるわ」
爆笑とともに、かけられる声のなんと多かった事か。
隣を歩いているはずなのに、誰一人龍麻の存在に気づかないような不思議な感覚だった。
「うっせーっ。冷やかしにくるんじゃねーぞ、お前らッ」
「それ以外、なにしに行くんだよ?」
「くんじゃねーッ」
「あははは…」
京一を中心にできあがった輪の外に、いつのまにかはじかれた形になった龍麻は、その様子を憧れに似た気持ちで見つめていた。
それに気づいた幾人かが、居心地悪そうに龍麻の前から移動する。

あ…っ、ごめんね。
俺、変な顔してたのかな? そ、そうだよね。俺がここにいると邪魔だもんな。せっかくの楽しい雰囲気がぶち壊しじゃん。…どっか、別の場所で待ってよ。

「どけっ、お前ら。んなとこで油うってるヒマなんざ、ねーんだよッ」
「アン子ちゃんが言ってたわよ。肖像料を払えば好きなだけあんたと写真とってもいいって。だから、京一ィ。一緒に写真とって〜」
我も我もと女どもが群がってくる。京一はふるふるコブシを震わせ、
「あんのヤローッ」
「ばーか。商売道具にされてんじゃねーよ」
爆笑が広がった。
なんのかんのいいながら無下にもできず、京一は龍麻の姿を探した。
(わりっ。ちっと、待っててくれ)
そう言えば無言で頷くだろう相棒の姿を探す。
「ひー…」
いつのまにか、龍麻は少し離れた木陰の下で静かに佇んでいた。
きっちり留めた漆黒のマントが、わずかに風に揺らぐ。
いつも通り伏せた視線は、遠目では眠っているようにも見えた。
学園祭の最中、校内はごったがえした騒々しさで溢れている。
なのに、龍麻のいるその空間は、一切の無音のようだ。
周りを歩く者達は、その姿になぜか顔を赤らめ、そそくさ通り過ぎる。そして、しばらくしてから振り向いて、
きゃああ…っ。
と奇声をあげている。男どもはもう少し、静かな反応をするが、それにしても龍麻の存在に、辺り一面が緊張感に満たされている。
だれも、声をかける勇気はない。
だが、気になる。
無視することなど、できやしない。
ただ、見つめるだけである。
なんてぇ、存在感だ。そこにいるだけだっていうのにな。
いつのまにか壁際に佇む龍麻が、この空間を支配していた。
なにか特別な事をしたとか、言ったとかそんな事はないのだ。
ただ、そこに龍麻がいる。
それだけで、龍麻はその場の支配者になる。
周りの誰をもよせつけない、孤独な支配者だった。
ひーちゃん…。お前ってやつは…。
「…素敵よね、緋勇君って」
「ほんとほんと。同じ学生とは思えないくらいよねっ」
「話してみたいけど、あれじゃあ近づけないし。残念〜」
「…一緒に写真とって欲しいけど、言えないよね」
 ねえ、と頷きあっている少女達の言葉に京一は我にかえった。
「午後の舞台どうする?」
「もちろんっ。行くわよ」
「早く行かないと席がなくなるって」
「私、前売り買ったもん」
「ええ〜、いいなぁ」
「なんだ、俺の為じゃねえの?」
軽い口調の京一に、少女たちが「やだあ」とくすくす笑う。
京一もつきあって、馬鹿笑いした。それからにやりと唇をあげ、
「…ほんじゃな。俺は、もう行くぜっ。じゃあな」
ずかずか人を押しのけて、龍麻のところに近寄った。
「おい、ひーちゃん」
がしっと、マントに隠れた龍麻の腕をつかんだ。
「行こうぜッ」
 京一の声に、龍麻がふわりと現実に戻ってくる。その事に、京一はひそかにほっとした。
「…いいのか?」
視線で残っている人たちを見やった。
「いいさ。それよか…」
お前をこんなとこに一人で置いておく方が、嫌なんだよ。
「…京一?」
「なんでもねぇ。行こうぜ」



その足で、二人はこの場にきたのである。
こほんと如月が軽く咳ばらいした。
「龍麻。よく、似合っている」
「…そ、そうだぜ。先輩」
次々に仲間たちが龍麻に話しかける。これがさっきの一般人とは違うところだ。ベタベタ触ろうとする奴も中にはいるが、少なくとも、龍麻を一人にしたりしない分、マシだった。
「龍麻君、そろそろ行かなきゃ」
アン子が促した。
振り向いて頷く。それから、如月に持っていた券を渡した。
「龍麻、これは…」
「美里が、お前らの分だって、取っといたんだよ」
「ほう」
ちらっとアン子を見やる視線に、
「やあねぇ、冗談だわよ」
とわざとらしく笑って、しらばっくれた。
「よっく言うぜ。しかも倍額でふっかけるなんざ、ろくなもんじゃねぇ」
「うっさいわよ、京一」
「遠野…」
「な、何? 龍麻君」
「ありがとう」
「え?」
「龍麻っ。礼なんか言う必要ねぇぞ。この売り子だって、しっかり交換条件だしてんだからな」
交換条件?
それはなんだと聞く前に、遠野の右ストレートが見事に京一の右頬にヒットしていた。
「ぐあっ。てめぇ、アン子ッ。今から舞台に立とうって人間になんて真似しやがるっ」
「うっさいわねっ。箔がついてちょうどいいじゃないのっ」
「なんだとっ」
 そこに、慌てた様子の小蒔が現れた。
「あ、こんなとこにいたっ。京一ッ! それからひーちゃんもッ!」
ぱたぱた駆け寄ってくる。
小蒔も衣装をつけている。白い簡素な侍女の姿である。
「きゃあ、小蒔ちゃん。可愛い」
歓声をあげる女性陣に、
「ありがとっ」
と返すと、くるりと龍麻と京一の腕をつかんだ。
「何してるのさ、二人ともっ。もう、みんな探してたんだぞ。美里なんか『なにか、あったのかしら?』って心配するし。醍醐君は怒ってるし、京一はともかく。ひーちゃんまで一緒になって、何やってのさっ」
言いながら、ぐいぐい二人を引っ張った。
確かに言われてみれば、もう開演から二十分前である。
そんな時間に主演が二人とも、姿を消していたのだ。心臓に毛が生えていると言われても、仕方がない。
「すまん」
「悪い悪い」
歩き出した龍麻が仲間の方を見る。それに気づいた壬生が、
「では、龍麻。楽しませてもらうよ」
こくりと龍麻が頷いた。
そのまま三人が賑やかに体育館の裏に姿を消すのを見送って、仲間たちはそっと息をついた。



 三年C組 劇「偽書 マクベス」
  配役
  マクベス  :緋勇 龍麻
  マクダフ  :蓬莱寺 京一
  マルコム  :醍醐 雄矢
  マクベス夫人:美里 葵
  夫人の侍女 :桜井 小蒔
  バンクォー ……



戦いの音がする。
剣のぶつかる鈍い音。切れ切れに聞こえる悲鳴。興奮した馬のいななき。
二人の男が、舞台に走り出てきた。二人とも歩兵であるらしく、片手に血塗れた剣を持ち、鎧と言えば、肩当と胸当てだけの軽装である。
「無事か? バンクォー」
「おうよ、マクベス、貴様こそ」
「戦況は、どうなっている」
「さあて、な。残忍卑怯なマクドンウォルドめ、あやうく逆賊の手を女神にゆだねるところだったぞ。それにコーダの領主の裏切り者。まさか奴がノールウェイ王と通じているとはっ。貴様は知っていたのか、マクベス」
「知っていれば、まず最初に奴の首を、へし折りに行っていただろうな」
「違いない。おや?」
舞台の暗がりに、蠢くボロキレのようなものがあった。
「なんだ? あれは」
不自然なその様子に、不思議に思ったマクベスとバンクォーが、近づいた。
「むっ」
不意に、ボロキレが飛びあがる。
思わず剣を構えた二人の前で、ボロキレと思っていたモノが、突如狂ったように踊りだした。
「よく戻られた、マクベス殿。グラミスの領主にしてコーダの領主、いずれはこの国の王となり、我らの盟主となる御方!」
 三人が口をそろえて、何度も祝いだと言っては踊リ続ける。
「何を言う、魔女達め。血に染まった大地で平気な顔をしている女を、魔女といわずしてなんという。だが、魔女ならば、世界を見通す魔女ならば、きさまらの言葉は腑におちん。そうだ、ここにいるこの男、マクベスは、確かにグラミスの領主。だが、コーダの領主は別にいる。しかも、そいつはこの戦争の裏切り者だ。なのになぜ、きさまらは、この勇気ある男に向かって、その裏切り者の冠をかぶせようとする」
バンクォーの言葉に、
「コーダの領主は、マクダフ王に殺される。そして、マクベスが、コーダの領主に任命されるのだ」
「まて、確かにそれなら納得がいく」
「バンクォー、やめろ」
「止めるな、マクベス」
「呪いの言葉を受けとめてはならん。この女たちが魔女ならば、なおの事だ」
「髭をはやした女など、魔女以外のなんだというのだ。お前は気にならんのか? マクベス、いずれは王になるといわれて、お前はまったく気にならんほどの、聖人君子だったのか?」
「よせ、バンクォー」
「それで、魔女たちよ。マクベスが王ならば、この俺はいったい何になる? 嘘かまことかわからんが、知っているというなら言ってみろ」
「バンクォー、バンクォー、バンクォー!」
 三人の魔女は、何がおかしいのか、まるで怪鳥のように大きくバサバサと、すりきれたマントをあおいで見せた。
「お前自身は、何にもならぬ。今以上でもなく、今以下でもない存在。だが、その子孫は歴代の王になる」
「はは…っ。子孫が、か。つまらん。消えろ、この戦場から。死肉をあさる、はげたかどもめ」
「バンクォー」
「ふふん。なんて顔をしている。勇猛果敢なマクベスが。いや、敬虔なお前だからこそ、か。だが、案ずるな。あのような奴らの台詞など、信じるだけ馬鹿をみる」
 快活に言ったその後でこっそりと、
「…だが、王はまだしも、盟主とは?」
その時。一人の兵士が二人の前に駆けつけた。マクダフ(京一)である。
「よう、お二人さん。真剣なツラで、何してんだ?」
「マクダフか」
無事に友とめぐり逢えた幸運に、マクベスが歩みよった。
「おっと、再会の挨拶の前に」
胸元から巻物を取り出した。
「王からの伝言だ。裏切り者の前コーダの領主は処刑された。これからは、マクベス、お前を『コーダの領主』と呼ぶようにってな」
 その言葉に、二人は呆然と顔を見合わせた。
「なんということだ…。悪魔の予言があたってしまうとは…」
「どうした? 二人とも。まるで、悪魔に心臓をつかまれたような顔をして」
「…まさにその気分だ。何か恐ろしいことが、起きねば良いのだが」



戦場からひいたその足で、王を含めた各地の貴族たちがマクベスの城に集まったその夜、戦勝を祝う席が開かれた。賑やかしく盛大に、人々は勝利の美酒に酔いしれた。
その夜起こった惨劇までは。

よろよろと、夫人(美里)が舞台に現れた。
「あ、あなた…あなた…」
泣き声で夫を呼んだ。
「どうした。何がおきた?」
 マクベスが、妻の様子に驚いて、走りよる。
「おお…あなた…私は、取り返しのつかない事を…」
両手で顔を覆い、泣き崩れた。
妻を抱きとめようとしたマクベスが、その手にこびりついた血の色にぎくりとした。
「この手の色は、どうしたのだ? お前の白い手に、これ程不似合いな赤い、そうまるで血の色のような、この手はいったいどうしたというのだ?」
「王が…マクダフ王が、私を…」
「王が…?」
「た、たわむれに、乱暴を…はたらこうとなさいました…」
「なんて、ことを」
「嫌だったのです。私は、私の夫は生涯かけて、マクベスあなた一人だけだと言ったのです。でも、あの方は…ま、まるで悪魔のような顔をして」
普段は穏やかな王だった。だがその顔は、まるで獣のような毛むくじゃらに変わり果て、まさに悪魔そのもののようだった。
「それで、思わず、側にあった短剣で…私はあの方を刺して…な、亡くなってしまわれました」
「なんという…」
肩を支えていた手をほどき、マクベスはたち上がった。
「…部屋の中を見てこよう。まだ、助かるかもしれない。お前は部屋にお戻り。立てるか?」
夫人はぼんやりした顔で頷いた。
「心配しなくてもいい。いいね、まっすぐにお帰り。その手の色を落とし、これは悪い夢だからと言い聞かせ、ベッドに入って幸せな夢を見るといい」
ふらふらと立ちあがり、夫人は出てきた方向とは逆へと歩き出した。それを見送り、
「さて、行かねば。妻の言う事が、ただの悪夢であればよいのだが」
 そうして夫人が出てきた方に走り去る。
誰もいない舞台の上に、吠え狂う獣の鳴き声が響いた。
マクベスがすぐに戻ってきた。
「な、なんてことだ」
「どうした、マクベス。月の光に負けぬほどの、ひどい顔色ではないか?」
「マルコム!」
中央の扉から、マルコム(醍醐)が現れた。
「勇者マクベス殿とは思えんな。ひどい顔をしているぞ。まるで地獄の淵を覗いてきたような」
「…ああ、そうかもしれない」
意外な返事に、
「ほう、それは。マクベスともあろう者の言葉とは思えないな」
「口で言ったところで、信じてはもらえまい。君だけではなく、おそらく誰にも」
「聞き捨てならん事を言う。お前と俺は、マクダフを含めた無二の友ではなかったのか? そのお前が言う言葉を、俺がまさか、疑うとでも?」
「そう、だったな。…ではともに、王の寝室へ。だが、マルコム。真実をその目に映した時、なぜ教えたのだと、私を恨んでくれるなよ」
二人が消えた舞台の上に、バンクォーが現れた。
「闇の声がする。あの魔女たちの不気味な笑い声が、耳について離れない。やれ、浴びるほどに酒を飲んだというのに、ふかふかのベッドは目の前だと言うのに、優しい睡魔は訪れない。このまま二度と、あの安らぎに満ちた眠りをむさぼることはないのだろうか? …おや、あれは?」
足音に、バンクォーは舞台中央の柱の影に、身を隠した。
「なんだ…、マルコム殿下とマクベスではないか」
隠れるのではなかったなと呟いたが、今更出ていくタイミングも見失った。
「なんたる事だ…。父上が、あのような…」
「マルコム…」
「恨むぞ、マクベス。なぜ、あのような姿を俺に見せたのだ。いや、すまん。お前を責めるのは筋違い。わかってはいるのだが…」
マクベスが首をふる。
「仕方がない。あのような姿を見て、平静でいられるほうがおかしいのだ。ましてや、あれは、もとは君の…」
「言うな」
「…すまん」
「いや…、俺の方こそ取り乱してしまった。それにしても、一体何が起きたのか? 父は確かに死んでいた。だが、問題はそこではない。あれは本当に父なのか? あの死に顔は、まるで伝え聞く悪魔そのものだ。生前の父は、俺よりも小さかった。だが、あれはなんだ? 背丈は俺よりも高く、その体はまるで、倍にもなったよう。かろうじて父とわかるのは、その身につけた、わずかな装飾品」
「マルコム…」
「なぜだ、一体何が起きているのだ、マクベス!」
「この世のものとは思えぬ手管が、人の世に忍び寄っている。じつは…」
と、マクベスは、昼間にあった三人の魔女の話をマルコムに語ってきかせた。
「なんと…」
絶句するマルコムに頷いた。
「聖書に書かれた地獄の軍団が、今まさに、攻めてくるとでもいうのか…?」
「そうかもしれん。…だが、真実、おそろしいのは」
「恐ろしいのは、なんだ。マクベス。じらさずに教えてくれ」
「奴らが奴ら自身の姿でくるのなら、恐れるにたりん。たとえ奴らが空を覆いつくさんほどの数で攻め入ってきたとしても、我ら愛国の騎士たちがその進軍を阻むだろう。だが、それよりも恐ろしいのは、奴らが善良な人々に成りすまし、入りこんでくること」
「まさか…、いや、だが確かに父は…」
 ぞっとしたように、マルコムが腕を組む。
「マルコム…」
「なんだ…?」
「頼みがある」
「いいとも、言ってくれ。お前の頼みなら、どうとでも引きうけよう」
 マクベスが深く頷いた。
「君の弟ドヌルベインを連れ、イングランドに向かってくれ。そして王宮に向かい、あの徳に溢れた聖王、エドワード王に救援を請うてくれ。情け深く聡明で、預言者でもあるエドワード王ならば、きっと、我らの味方となってくれるだろう」
「確かに、あの世界に名だたる聖王ならば、我らの国の窮地をも手を差し伸べてくれるかもしれない。だが、お前は?」
「私は、ここに残ろう。そして、誰にどう思われようと、断固として奴らの侵入を阻止しよう。マルコム、君は次代の王だ。王となるべき男なのだ。御身を大事に。君が戻るまで、私は成すべき事をしよう」
「マクベス…。お前のその献身に、俺はどうやって報えばいいのだろう? 誰一人、まだ奴らの進軍には気づいていない。善人を装ったやつらを、お前は一人で屠ろうというのか? そのせいで、お前は確かに正義であったとしても、悪鬼と呼ばれてしまうのだぞ。すべてを見透かす天使や神の目ならばいざ知らず、人の目は、真実を見ぬくことはできないようにできているのだからな。それでも、お前はその身と名をを犠牲にして、やってくれるというのか。この国の為に」
「それが、この国の騎士の務めだ。君が気にすべきことじゃない。ただ、たった一つの気がかりは、友であるマクダフの事」
「マクダフか。なぜだ? あいつはいい男だ。多少思いこみが強くはあるが、腕は確か、頭も切れる。ともに戦う者としては、これ以上ないほど信頼できると思うのだが」
「ああ、もちろん。あいつはいい奴だ。…だからこそ、汚名をきせたくはない。悪鬼よ、狂人よと呼ばれるのは、この私だけで十分だ」
「…マクベス」
「なんて顔をしている、友よ。君の道も、けしてたやすくはない。さぁ、これで別れよう。私は私のなすべき道を。君は君の行くべき道を。二度とは会えないかもしれないが、お元気で」
「ああ、お前も」
 二人は別々に立ち去った。
そこに、今まで隠れていたバンクォーが現われる。
「大変なことになったものだ。さて、やつらの言葉は真実だったのか…」
恐る恐る寝室の方へ消え、慌てた風に戻ってきた。
「おそろしい…。やつらの話はまったくの真実だ」
 ぶるぶる頭を振って、
「だが、これでマクベスは王となる。ダンカン王は死に、王位継承者者は二人とも、異国へと行ってしまう。あの予言は的中したことになるらしい。いや、誰がダメだと言っても、俺が奴を王に押してやろう。庇ってもやろう。奴が王になるまでは…」
熊のようにうろついていた足が、ぴたりと止まる。
「だが、あの王の身体! あのままにしておくと、大騒ぎになることは請け合いだ。マクベスが王になる騒ぎではなくなるぞ。…いやまて、大丈夫。月が翳ったその時、地獄の呪縛は解かれ、もとのダンカン王となる」
にんまりと笑ったその顔は、暗く歪んでいるようだ。
「…だが、待てよ? どうして俺は、その事を知っているのだ?」



舞台は進んでいった。
 マルコムは無事にイングランドに辿りつき、一度は断わったマクベスは、周囲に押されて王となった。
マルコムとの誓い通り、王となった後のマクベスは凄まじかった。
不思議な事にあの夜以来、マクベスには巧妙に人間に化けた悪魔の姿が、手に取るようにわかるようになった。
神々の思し召しか、それとも天使の気まぐれな守りのせいか。
どちらにしても、それはマクベスだけにしかわからない真実である。
最初にマクベスは、戦場で背中を預けていたバンクォーを手にかけた。あの夜の翌日に、バンクォーの顔がやつらの顔に見えた時、さすがのマクベスが、呪いの言葉を吐き捨てた。
だが、果断に、人々の目から見れば冷酷に、マクベスは片端から人々に扮した悪魔を殺していった。どれほど善良と言われた者も、人格者と慕われていた者も、子供であれ、女であれ、それが悪魔と見て取れば、容赦なくマクベスは排除した。
だが、それはマクベスにしかわからない真実。
恐怖が国中を席巻し、狂っているとまで囁かれはじめるのに、そう時間はかからなかった。
『狂王マクベス』
その二つ名が、マルコムの所に届いた時、マクダフもまたその地にいた。
そしてイングランドの聖王が、マルコムの懇願に快く、名将シュアードを頭とした一万の兵を出した頃には、すべてを知ったマクダフが、一人ダンシネイン城に向けて、ひたすらに馬を駆っていたのである。



ダンシネイン城―。
マクベスはたった一人で部屋の中央に置かれた玉座に、もたれるように座っていた。
 黒一色の衣装である。
疲れたように、黒皮の手袋に包まれた指先で、こめかみを押さえている。
つい先ほど、妻が亡くなった。
自殺であった。
あの始まりの日に起きた出来事に、妻のか細い神経は病み、ついには夜な夜な城をさ迷う、幽鬼のようになりはてた。
美しかった妻が医者にも見放され、やせ衰えていく様は、止めようがないだけに哀れであった。
花で妻の周りを囲んだ。
薄い化粧は、妻つきの侍女が泣きながらやってくれた。
今の妻は、心安らかに眠っている。
そう思うことだけが、唯一の心の慰めである。



ダンシネイン城の中には、もうほとんど人はいない。
誰も彼もが、マクベスを見捨てて逃げ出したのだ。残っているのは、真実マクベスを慕う者だけであり、それもわずかな数である。
不意に、テーブルに置かれた明かりが揺れた。
マクベスがゆっくりと目を開ける。いつのまにか、床に伏せるように三人の魔女たちが、現われていた。
「人界の王にして、我らの盟主となる御方。あの戦場以来でこざいますな」
「…失せろ、呪われた死神どもめ」
「ほほほ…さすが、神の目を受けた方。人界天界魔界において、特別な方といわれるだけはある」
「…何が目的だ」
「王よ。我らの望みは」
「いや、言うな。貴様らの目的なぞ聞いてもやくにはたたん。それどころか心を乱されるばかり」
「孤高の王よ、生まれながらの闇の王。あなたを我らの盟主と戴くこと」
「黙れ」
「お気づきではないと? 人とは思えぬその力。その魂の輝き! 王よ、我らはあなたの魂が欲しいのです」
 憤然とマクベスは立ちあがった。
「黙れッ! この命、貴様らごときにくれてやるくらいなら、この手で我が身を貫いて、神の御手にゆだねてやろう。それができぬ私だと思うのか」
三人の老婆が、不気味に笑い出す。
「王よ。それこそが、我らの願うところ」
「ご自身の手で命を絶たれても、ましてや他の誰かがそなたの命を奪っても、その輝かんばかりの魂は、至高の神々にはとどくまい。我らの手が、御身から離れたる魂を
すぐさま捕らえ、丁重に盟主の座へと導こう」
「ただ、女の産み落とさぬ者の手にかかるとあれば話は別」
「奴にそんな真似ができればの話だが」
「できればの話だが!」
あざけるような笑いを残し、魔女の姿が消えていく。
「ではまたお会いしようぞ、高貴なお方。バーナムの森がダンシネインの丘に攻め上って来るその時に」
「その時まで、あがけよ。王よ」
「そなたの苦しみ哀しみ怒りはすべて、我らの根源の力となるからな!」
魔女が消え去り、王の間に静寂と薄闇が戻ってきてしばらく、
「…魔女どもめ」
どさりと、固い玉座に腰を降ろした。
「女の産み落とさぬ者…。マクダフの事か…」
マクベスは、苦く苦く顔を歪めた。
「魔女とはいえ、人ならざる者はやはり人の心がわからぬようだ。マクダフなら、私を殺してくれるだろう。復讐の炎に燃えて」
顔をあげ、背もたれる。
「なぜなら…マクダフの妻と子を殺したのは私だからだ。悪魔にその身を奪われてはいたが、あの優美な女性と、かわいい子供に情け容赦もなく剣を突き立てたのは、この私の…手だ」
両手をゆっくり目の前に上げた。
「私は二度と、この手袋をとることはできないだろう。この黒い手袋の下の手は、どす黒い血の色をしているに違いない。生臭い血の匂いは、どんな香料を使ったとしても取れはしまい」
物悲しい声だった。
憂いに満ちた声だった。
「毎夜、怨嗟の声が私を襲う。それは構わない。覚悟してはじめた事だ。だが…今、ここには誰もいない。妻は死んだ。…マルコムは、まだ来ない」
舞台の中央で、呟くように話すその声は、観客席の端から端まで届いていた。深みのある声が、マクベスの深い哀しみをのせ、閉鎖された空間を飲みこんでいく。
この王の哀傷には、おおげさな動きは必要なかった。
ただ、龍麻のその声が、人々の心を打つのだ。
「マクダフは…私を殺しに来てくれるだろうか? マクダフ。私の友。最も信頼し、共に学び遊んだ最愛の友。彼が来たら、私は命乞いなどしはしない。よろこんで、この首を差し出すだろう」
 いや、とかぶりを振った。
「…いいや、それではだめだ。私は狂王でありつづけねばならん。わずかにでも、彼の心が傷つかぬように。毛ほども彼が、心を痛めることがないように…」



舞台上でマクベスの独白が続く中、舞台袖では役を終えた仲間たちが声を押さえて話していた。
「ひゃ〜、無事に出番が終わったぁ」
「うふふ…、お疲れさま」
「美里もね。綺麗だったよ」
「小蒔も上手だったわ」
あははと笑って、
「ひーちゃんのおかげだよ。だってさ、開演前はすっごく緊張してたんだけど、ひーちゃんがあんまりいつも通りだから、気が抜けて落ちついちゃったよ」
がちがちに緊張する小蒔の肩に、ぽんと手を置き頷いた。
小蒔の出番は劇中の中盤、マクベス夫人が夢魔に悩まされる場面である。
龍麻はすでに、あの黒づくしの衣装である。
マントを翻し、舞台へと向かう姿は、あまりに普段通りの動作で、
「あ…ありがと、ひーちゃん」
思わずお礼を言った。
龍麻はそれに答えるように、少しだけ振りかえり、ほんの少し笑ったように見えた。
逆光でよく見えなかったが、きっとそうに違いないと小蒔は思った。
「ひーちゃんってさ、すごいよね。自分の方が主役だし、ほとんど出ずっぱりで大変なのに、ボクの事まで気にかける余裕があるんだよ? 戦闘の時もそうだけど、ひーちゃんって、いっつも落ちついてて、ちゃんと周りを見てて気にかけて。それってさ、やっぱり人としての度量が広いんだよね。みんんが憧れる理由、ボクもよくわかるなあ」
単純に感心した小蒔の言葉に、側にいた醍醐も頷いた。
「そうだな…。始まる前は京一と龍麻の二人がいないとあせりもしたが、考えてみれば別に遅れたわけではないし、おかげで妙に緊張するヒマもなかった。龍麻はそれを見越していたのかもしれんな」
いや、そんなことはない。
舞台が始まる直前の、龍麻の心の声を聞かせてやりたいが、人間知らぬが仏である。
そっと三人が、舞台上の龍麻に視線を向ける。
「…そろそろこの場面も終わるな。そうすれば、あとはクライマックスだけか。なんとか、無事に終わりそうだな。…のわっ」
ほっとしていた醍醐の背中に悪寒が走り、振り向いた先には、
「ん〜ふ〜ふ。醍醐く〜ん。それは、どうかしら〜」
 悪寒の主が、怪しげな笑みを浮かべて立っていた。
「う…裏密…」
「あれぇ? ミサちゃん、こんなとこでなにしてるのさ?」
「ちょっとね〜、気になることが〜あ〜る〜の〜」
「な…なんだ?」
「んふふ〜」
いつもよりも妙に寒気が増しているような気がしたが、律儀にも醍醐が聞き返した。
「…聞きたい〜?」
いや、全然。
喉まで出かかった声を飲み込んだ。かわりにぶんぶん頭を振って、なんとかこの場から逃れようと試みた。ちょうどその時、
「き、京一」
舞台裏を通って、次の出番の為に下手にやってきた京一を見つけ、助かったとばかりに声をかけた。だがすぐに、京一らしからぬこわばった表情に気がついて、醍醐は顔を曇らせた。
「どうした、京一。それに…それは、どうするんだ?」
 劇を通して京一の衣装は変わらない。だがその手には、いつも見なれた木刀が握られ、なぜか龍麻の手甲まで持っている。
「わりぃな、大将。俺は、やっぱり、納得がいかなくて、よ」
「…は?」
「せっかくの舞台、めちゃくちゃにするかもしんねぇ」
「きょ、京一?」
「京一君?」
「待て、京一」
止めようとする醍醐の手をかわし、京一は舞台へと出てしまった。
そうなると、もう止めようが無い。
「な…何、考えてるのさ、あのバカッ」
「まったく、あの男は…」
「めちゃくちゃにって…ああ、ホントだ。ひーちゃんに手甲渡しちゃったよ。どうする気さ、京一の奴」
声を押さえて、呆気に取られていた面々が、どうするんだとおろおろ見守っている中で、京一は手甲をはめろと言っている。
「…京一ク〜ンは、正しいかも〜〜
「ミサちゃん?」
「どういう意味だ?」
「これ、見て〜」
差し出された物は、龍麻の首であった。
「うひゃっ」
「う…裏密…」
悲鳴をあげる醍醐たちに向かい、ミサが妖しげなうすら笑いを浮かべている。
「これは〜、ラストで使われる〜小道具だけど〜」
確かにそう言われてよく見れば、小道具係の美術部員が精魂こめて作り上げた、『緋勇 龍麻』の首人形である。
この劇の最後は、京一扮するマクダフが、マクベスの凶行の意味をすべて知った上で、友の頼みで彼の首を落として終了する。
「なぜだ…どうして、マクベス…お前だけが…」
この言葉を最後に、マルコムに焦点が変わり、観客が次代の王となったマルコムの姿を見届けたところで、舞台は幕を降ろす。
そういう筋書きである。
そしてこの首は、マクダフが落としたマクベスの首に、一瞬スポットライトがあてられる。その時の為の、首人形だった。
「あ…あ、そうだったな。おどかすな」
「そ、そうだよ」
あははとから笑いする小蒔に向かって、
「で〜も〜、これは、どう〜?」
ミサはそう言って、人形の前髪をかきあげた。
「きゃっ」
美里が小さく悲鳴をあげた。
閉じられていたはずの、龍麻の眼があいていた。
作成者の美術部員が、どうしても龍麻のあの目は真似できないと、あきらめて、閉じてしまったはずのそれだった。
それも妙に濡れ濡れとした、暗い生気に満たされた眼である。
いまにもこちらを見て、瞬きしそうな眼であった。
「こ…これって…」
「どういう事だ、裏密」
「ミサちゃん…」
「うふふ〜。みんなにはわからないかもしれないけど〜、暗幕に仕切られたこの体育館の中に〜、龍麻く〜んの陽のプラーナが満ちあふれているの〜。その気に惹かれて〜、闇の者どもが近づいている〜。この人形は〜、龍麻く〜んの写し身だから〜、反応してるのね〜。んふふふふ…。だから〜あの場所で〜、もしも龍麻く〜んが誰かの名を呼んだら〜、魔方陣が発動して〜召喚魔法のできあがり〜なの〜」
右手で指差したあの場所とは、舞台のことだった。
「魔方陣って…どうしてそんなものがある」
普通そんなものが、学校の体育館の壇上なんぞに、ありはしないだろう。
当然の疑問に、にんまり裏密が笑った。
「昔〜、実験で〜広〜い場所が必要だったから〜」
お前か、お前が悪いのかっ。
「だって〜、あの時は〜、ミサちゃんまだレベルが足りなかったから〜、召喚を失敗したの〜」
それで結局、未発動だった仕掛けが、今頃になって龍麻に反応しているのだ。
「…龍麻く〜んって、すごいのね〜。魔術を使うのに〜呪文も何も必要ないの〜。やっぱり〜、世界の王に相応しい〜」
嬉しそうである。
「…桜井」
「…え?」
「確か、マントが二〜三枚残っていただろう」
「う、うん」
「それを持って、最前列の連中に渡してやれ。できれば、壬生と…如月あたりがいい」
「え…いいけど」
「何か起きれば、あの二人の格好ならなんとでもいい訳が聞くだろう。せっかくの劇だ。龍麻があれだけがんばっているんだ。ぶち壊しにしたくはないだろう?」
「…うんっ、そうだね! わかったよッ」
小走りに走りさる小蒔を見送り、醍醐がため息をつく。
「美里…、すまんがなにか起きた時の為に、ここで待機していてくれるか? 裏密もだ。俺もいるが、ああいった輩にはお前や裏密の技の方がよく効くからな」
「ええ、もちろん」
「いいわよ〜」
 この時ばかりは、裏密も頼もしい。醍醐は頼むぞと頷いて、ふとその手に収まる龍麻の首人形を見た。
「…その前に、その不気味なのをなんとかしてくれんか」
「別に〜噛みついたりしないのに〜」
 少々惜しそうに、裏密が言った。



舞台に戻る。
マクダフ(京一)が、舞台下手から走りこんできた。
「マクベスッ!」
玉座に座り、眠っているようなマクベス(龍麻)が顔を上げた。
「…マクダフか」
「おうよっ、俺だとも」
「妻も子も捨て逃げ出した貴様が、一体、何をしに戻ってきた」
 あざけるように言って、マクベスがたちあがる。
「なんだと、てめぇ」
「きさまの妻と子がどうなったのか、誰かに聞いたのか? まだ知らないと言うなら、私が教えてやってもいいが」
「うるせぇ、知っている。知ったから、ここに来たんだッ」
 ああ、やはり。
やはりこの男が、私の命を終わらせてくれるのだ。
マクベスが、一際高い玉座から、マクダフの前に下りてきた。黒いマントがふわりと膨らむ。長い前髪に隠された目は、マクダフだけを映していた。
気圧されたようにマクダフが、一瞬ひるんだ。
だがすぐに、ちぃと短く舌打ちして、圧倒的なその気配に負けじと立ち塞がった。
「おいっ、マクベスッ。俺はな、マルコムの野郎から全部聞いたんだ」
 ぴたりと王の足が止まった。
「…何?」
「マルコムから、全部聞いたって言ってんだよっ」
マクベスは、ゆっくり首をかしげた。
言われた意味が、つかみかねたのだ。
「くだらねぇ約束なんざ、しやがって。馬鹿じゃねえのか、てめえらは」

え…?
龍麻は心底、驚いた。
ちょっと…待てよ、京一。そんな台詞あったっけ?
必死になって台本を頭に浮かべたが、そんな台詞は思い出しもしない。
龍麻のあせりは、もちろん顔にはでないが、微妙な感情の揺れはあらわれたらしい。
それがちょうど、かの王の衝撃の深さのように見え、観客は誰もそれが京一のアドリ
ブとは思わなかった。
 
「狂人呼ばわりされるのは、自分だけでいいだと? 笑わせんじゃ、ねぇよっ! てめぇは、一体何様のつもりなんだ? ええ? マクベスッ!」
 腰のつられた作り物の剣じゃなく、いつもの愛用の木刀を突きつけた。

 う…わわわっ、京一〜。なんで、そんなもん持ってんだよ〜。

 マントに身を包んだ龍麻の視線は動揺を押し隠すように、静かに伏せられていた。
「たった一人で何ができる。お前が引き受けた事は、お前一人でなんとかなるような、そんな簡単なもんなのかっ。思いあがりも、たいがいにしやがれッ」
京一は片手に持っていた、龍麻の手甲を投げつけた。
「それをつけろ。てめぇのその性根、叩き直してやるぜっ」
龍麻は受け取った手甲と、京一を、かわるがわる見て観念したように両目をつぶると、
「…わかった」
てばやく慣れ親しんだそれを両腕につけた。



 舞台上では、大立ち回りが繰り広げられていた。
京一はどうやら本気らしい。
本気で龍麻に剣を向けてくる。
さすがに観客席を気づかって、『地摺り青眼』のような、射程範囲の広い技は使わなかったが、裂ぱくの気合で、龍麻に向かって切りこんでくる。
スピードは、互角か、いくらか京一の剣の方が速かった。
何度か飛び退ってかわしたが、うかうかしていたら、そこからまるで剣が伸びてくるような、そんな気がするほどの剣さばきだった。
強い。
もともとそう思ってはいたが、こう真正面からやりあってみると、ますますその実感がわく。
だんだんこれが劇の一部だということを、忘れそうになった。
ただ単純に、目の前の男とやりあってみたくなる。
 自分のこの拳が、この強い男に通じるのかどうか、ためしてみたくなる。
醍醐の影響かな…?
京一の剣を手甲で受け止めた。
その度、怒っているのか、くやしがっているのか、それとも…。
どこかもどかしいような気が伝わってくる。嫌な感情じゃない。それどころか、心配で心配で仕方がないんだと、京一の率直な心が伝わってくる。
拳で語れ。
うん、京一。俺もそう思うよ。
攻撃をせず、ただマントを翻し、かわしつづける龍麻に、京一がじれたような怒りを浮かべた。
「てめぇ、いいかげんに…」
 振りかぶり『朧残月』を叩きつけた。
「しやがれっ!」
烈風が龍麻を襲う。
誰もが、危ないと息を飲んだ時、はじめて龍麻が拳を振りぬいた。
空気が弾けるような音がして、荒れ狂うような気が、消えてしまった。
「…いく」
そう言った龍麻の口元に、わずかな笑みが浮かんだのを、一体何人が気づいただろう。
いや、仲間たちだけは気づいたようだ。それぞれが何か嬉しそうに笑っている。やれやれと言いたげな、一部の皮肉屋連中ですら、苦笑に似た笑みを浮かべている。
龍麻の身体が深く沈んだ。
京一が、厳しい顔で木刀を握った手に、力をいれた。
気を抜いたつもりは、ない。
だが、黒い風のように懐に飛びこんできた龍麻に、驚いた。
かろうじて、突き入れてくる拳を木刀で弾く。
飛び退り、なおも追ってくる龍麻の拳に片端から、木刀を合わせた。

「なんか、二人とも楽しそう」
「ずりぃな、あの野郎…」
「いいなぁ、京一くん…」
最前列のどこかでそんな呟きがもれている。

二人はパッと両手に分かれ、
「円空破!」
「八相斬りッ!」
 効果音ではない音が、体育館の中に響き渡った。
互角である。
京一はにやりと笑った。
おもしれぇ。おもしれぇな、ひーちゃん。
なんだか胸の中にしこっていたこだわりが、雪のようにとけていくようだ。

 苦しいならそう言え。
 助けて欲しいなら、そう言いやがれっ。
 黙って何もかも飲みこまれたら、誰もなんにもしてやれねぇんだ。
 てめぇの周りにゃ、いくらだって人がいるだろうがッ。
気づきもしてやれねぇなんざ、こっちが…情けなくなるんだよッ。

黙って死んでいくマクベスが、どうしても現実の龍麻に見えて仕方がなかった。
そんなこたぁ、ねえよな。
なんでもできる龍麻だからこそ、のしかかる重荷が他人よりも重いのだ。
だからってそんなもん、律儀に一人で抱える事は、ねえんだよ。
奪い取ってでも、龍麻の重荷を減らしてやりたいのだ。
大丈夫だろ?
俺は、お前の重荷ぐらい、かついでやれるだろ?
だから安心して、俺に、俺たちに、てめえの抱え込んでいるものを、渡してみせろよ。なぁ、ひーちゃん。
龍麻の目が、京一の心に答えるように柔らかな光を浮かべる。
それはまるで、そうだな、京一。と言っているようで、
「…へ…へへへっ」
京一は思わず笑いだした。
舞台上から張り詰めた殺気が消えた時、不意に、角笛の音が響き渡り、
「バーナムの森が動きだしたぞーーーッ」
 城のどこかで気狂いじみた声があがった。
穏やかだったマクベスの気配が、見る間に緊張を取り戻す。
「…きたか」
「どうした、マクベス」
今まで剣を交えていた者同士だと言うのに、マクダフが何事だと詰め寄った。
「馴れ合いはこれで終わりということだ。マクダフ。当初の目的を果たすがいい」
「てめぇ…まだ、言う気か」
「果たしてくれ…頼むから」
「…マクベス?」
 声に潜む苦しみに、
「一体、何だって言うんだ? マルコムの野郎なら、心配するなよ。あいつなら、イングランドの聖王、エドワード王が貸してくれた精鋭一万の兵士を率いて、もうすぐにでも帰ってくるだろう。お前の苦労はそこで終わるんだ。そしたら、さすがにこの国にいるのは難しいだろうからよ。海を渡ってフランスにでも、行かねぇか? 王様なんて因果な商売、マルコムの野郎に押し付けて、二人で冒険にでも行こうぜ。話に聞く遠い東の国にでも、行ってみようじゃねぇか。きっと、すんげぇおもしろいぜ?」
 お前と一緒ならな。
 夢物語のようである。けして叶うことの無い夢だった。
「…お前は私を憎んでいないのか? 私はお前の妻と子を、この手で切り捨てた。なのに、なぜ、憎まない。いや、憎んでくれないんだ」
「うるせぇ。黙れ」
いらいらと、マクダフが吐き捨てた。
「マルコムに真実を聞いた時、正直言って何の冗談だと思ったさ。くだらねぇ事を言って、お前を庇っているのかと思ったよ。だけどな、あの国で、俺はいろんなものを見せられた。あの聖王に、事実なんだと教えられた。今でも半信半疑さ。だが…俺がお前の立場なら、やっていただろうよ。正しいと思うぜ。お前がやった事は。だけど…なんで俺の妻子がそんな目にあわなきゃならん。悪魔どもが憎い。憎くて憎くて仕方がねェ」
「マクダフ」
「…俺はお前に感謝している。実際、俺がその場にいたら、本当に手をくだせたかどうかわからねぇからな。どんなに中身が悪魔だってわかっていても、できなかったかもしれん。だが、そのせいで、お前に重荷を背負わせた。俺がやるべきことを、お前にやらせてしまったんだ。…すまねぇな」
「マクダフ…」
「聖王に言われたよ。憎むべきは、魔女ヘカティー。やつらを倒さなきゃ、俺たちの国に未来はないってな」
『呼んだな』
 その時、天地を震わせるような恐ろしい声がした。
『ついに呼んだな、お前たち!』
鈍い音が響き、舞台が妖しく揺れた。
同時に舞台中央に、青白く丸い魔方陣が浮かび出た。
「な、なんだ。こりゃ」
 そこからあふれる異様な妖気に、京一は思わず手に持った木刀を魔方陣に向かって握り直した。
横を見れば、龍麻も無言で戦闘態勢に入っている。
『マクベス! マクベス! マクベス!』
女とも男ともつかぬ声が、円陣の中央に現われた女から発せられた。
「な…なんだぁ」
 間の抜けた声に、
『おや、気に入らないかい? せっかくお前たちに合わせてやったものを』
 妖艶な姿態に黒いドレス。深い切れこみから覗く足は、男たちの欲望を、女たちからは羨望の眼差しを、あますことなく受けていた。
『待ちくたびれたよ。マクベス。だが呼んでくれて嬉しいねェ』
くすくすと女が笑う。
「…何者だ、お前は」
 この状況で、なおも落ちついた声で龍麻が言った。女はその声にうっとりし、
『ああ、良い声だ。さすがに生で聞くのはいいものだね。だが、その台詞はいけないよ。あたしの名はヘカティー。たった今、あんたたちが呼んだ魔女さ』
「では、魔女ヘカティー。なぜ、ここにいる」
おやおや…。
 ヘカティーはまるで人間のように、柳眉を悲しげにひそめて見せた。
『言っただろう。お前たちに呼ばれたのだと。あちらでは今頃、大勢の方々が、くやしがっているだろうね。いまか、いまかと待ち望んでいたのだもの』
「方々…?」
『ほほ…っ。今は、知らなくても良いことさ。そのうち、嫌でもわかるようになるからねぇ』
さて、と。
女の目が妖しく光った。
『おいで、マクベス。いやさ、緋勇龍麻。あたしはあんたを連れにきたのさ。おいで、我らの国へ。言っていただろう。バーナムの森が動いた時、お前の魂を連れにくると!』
「ば、っか野郎ッ」
剣を突きつけ、京一が割り込んだ。
「こりゃ、劇だ。ただの劇が、なんでそんな話になるんだよっ」
『ふふん。言葉にはすべからく魂が宿るもんさ。普通の人間ならいざ知らず。この男が関わってただの劇でした、なんていい訳は通じないよ。え? 坊や』
 坊やと言われて、京一の頭に湯がわいた。
「こんの、クソばばあッ。冗談でも、こいつを連れていかせるものかよッ」
 言いざま、剣風を叩きこんだ。
『ばばあ…。言ってくれるじゃないか、赤毛猿め』
 ヘカティーは、あっさりとそれを受けとめて、
『返してやるよッ』
 ブンと京一の足元に叩きこまれ、かわした後には、ぽっかり穴があいていた。
「…なろ」
『ああ…うるさいねぇ』
ぽんぽんぽん。
小さな破裂音が響いて、中央の魔方陣の周りから、小さな魔方陣が浮かび上がった。
そこから、羽根をはやしたガーゴイルが現われる。
『お前の相手は、そいつらがしてくれる。さて、マクベス? 私と話をしようじゃないか』
「断わる」
断固とした声に、ひどく残念そうな顔をした。
『…これでもかい?』
京一を目指した一群とは別のガーゴイルの一群が、奇妙に大きな眼で観客席をぐるりと見まわした。
「よせ、やめろッ」
『ああ…。荒げた声も素敵だねぇ。』
びりびり響く龍麻の声に、ヘカティーはうっとりと聞き惚れた。
『本当は、あたしもこんな真似、したかないんだよ? あんたが大人しく、来てくれさえすればいいのさ。ねぇ、マクベス』
「くそババアっ。行かせるもんか。俺が、いや、俺たちがこいつの側にいる限り、絶対そんな真似、させやしねえッ」
「…京一」
龍麻は小声で囁いて、横の京一を見やった。
京一は一匹ずつ確実に、ガーゴイルを一撃で仕留めていた。
「へっ、ちょろいぜ」
頷いた。それから客席を見れば、
「こっちは気にしなくていいよ」
「任せたまえ」
いつのまにか、如月と壬生が壇上の一段下に立っていた。しかもご丁寧に二人はマントまで身につけている。
 そこをなんとかすり抜けたガーゴイルも、
『ギャッ』
どこから飛んでくるのかわからない花札に、瞬時にかき消されていた。
ふと、二階を見上げれば、いつのまに昇ったのか織部姉妹や雷人が手を振っている。
「…任せる」
「「もちろんだ」」
複数の仲間の声が、当たり前だとばかりに返ってきた。
龍麻は深く頷き、目の前の魔女に集中した。
初めて魔女が悔しそうな顔をした。
『悔しいね…この魔方陣がもう少し、上手く描かれてあれば…』
未熟な頃の実験と裏密自身が言っていただけあって、未完成な魔方陣からは、ヘカティー自身は動けないようだ。龍麻の気に便乗し、ここに現われるのが精一杯というところか。
魔女の向こう側、下手側の舞台の袖に、醍醐、美里、小蒔とそれに裏密がいた。
裏密はすでに何かの呪文を唱えかけている。
龍麻は微笑した。
こんな時になんだが、大勢の仲間が、どんなに心配してくれているのか、わかったような気がしたのだ。
みんな、いい人たちだよな。
…だからこそ絶対に、守りたいんだ。
気を溜める。
龍麻は裏密の呼吸に合わせると、
「八雲!」
「オルムズドの光の粉〜」
左右から同時に受けた衝撃に、魔女が呻き声を上げて身体を震わせた。
『くち、おしい…くちおしい…。せっかくの、機会であったものを…』
 無念そうに伸ばされた腕は、龍麻に届く前に消えた。
青白い光りを発していた魔方陣は消え、ガーゴイルもまた消えてしまった。
重苦しかった空気はなくなり、そこにいたすべての人が、ほっと息をついた。
今のは一体、なんだったのだろう。
現実離れした出来事に、誰もが首を傾げた。
「へへへ…」
京一の笑い声に、観客の意識が舞台に戻る。
「魔女は追い返したぜ、マクベス。お前にかけられたくだらない呪いもこれで無事になくなったってことだ」
「…マクダフ」
「勝手に死のうなんて考えるんじゃねぇよ。犠牲になるなんて、許さねェ。生きろよ。生きて生きて、意地でも生き延びて。馬鹿みたいに笑って、年とって、それから満足して死にやがれ」
「お前と一緒に旅に出て…か?」
マクダフはちょっと不意をつかれたような顔をして、
「…ま、そういうことだな」
照れくさそうに、笑った。
「それも、いい…か」
晴れ晴れと、マクベスが笑った。
息を飲むような沈黙が落ちた。
マクダフはまじまじとそれを見て、ひどくくすぐったそうに笑った。
「そうと決まれば、とっとと行くぜッ」
 がしっと首に腕をかけてマクベスを引っ張った。
「後の事は、マルコムに任せとけ。あいつなら、なんとかするだろ」
締めはまかせたとにぎやかに言いながら、マクダフは退場する。
続きかけたマクベスは、一度こちらを振り向いて、深深と優雅に一礼した。



バーナムの森を動かしたのは、マルコムの一軍だった。
きたるべき魔軍との総力戦に備え、兵士一人一人に木の枝を持たせて、夜半密かに、
ダンシネイン城に収容したのである。
マルコムが、城主の部屋を訪れた時、マクべスの姿はすでになかった。先に着いていたはずのマクダフもいない。
いったいどこに、行ってしまったのだろう。
一抹の寂しさを感じたが、どこに行ってもあの二人が一緒なら、元気にやっていくに違いない。
そう考えて、マルコムは眠りについた。
翌日からはまた忙しい。
新国王の即位や、兵の編成。それから、魔軍のことも…。



『なんて顔をしている、友よ。君の道も、けしてたやすくはない。さぁ、これで別れよう。私は私のなすべき道を。君は君の行くべき道を。二度とは会えないかもしれないが、お元気で』

2001/07/09 奪


あ、あの。
突然こんなものをお送りする失礼をお許しください。
50萬HIT記念イベントの、小説投稿の予定で書いたものです。
締め切りの6月末をとうに越え、今更何をと思われても仕方がないのですが、どうしても、どうしてもサーノ様に貢ぎたいという気持ちが止められず、このような形になってしまいました。
締め切りは過ぎているし、節度ある長さとは今一つ言えませんので、捨ててくださってまったく構いません。
ただ、お祝いの気持ちを、サーノ様にお送りしたかったという、まったく身勝手な理由ですので、サーノ様にはご迷惑かと思います。
本当に、申し訳ありません〜。(TT)(沖 鳴海)


…凄い。こんな大作、戴いてもいいのかしら…
大変感動しました。迷惑だなんてトンデモない!
締め切りも、本人が一ヶ月も破ってるんだから(爆)もー全然おっけーです。
それにしても凄いなあ、マクベスか〜。ウチの緋勇にこんな大役は出来ないと思いますが(笑)
こんな大作なのに、緋勇の心漫才まで入れて下さって…(涙)
前半は爆笑もの、後半は感動ものです。(サーノ)