胡蝶の夢

サーノ

 ああ…また、この夢か。

 幾度となく見る夢だ。
 あの日以来…

───オ主ノ運命ナリ

 うるせェッ

───オ主モ宿星カラハ逃ガレラレヌ

 うるせェ! うるせェッ!
 関係ねェ。昔も未来も関係ねェ。俺はやりたいようにやって、生きたいように生きてる。
 護りてェから護ってる、サボりてェからサボってる、食いてェから食ってる、闘いてェから闘って…

───闘イニ身ヲ置キ 滅ブ定メ

 うるせェッ! うるせェッ! うるせェーッ!!


 同じ問答の繰り返し。夢だと分かっている筈なのに、聞くまい、答えるまいとしているのに、「声」は執拗に京一を追ってくる。
無視すると、「声」は次第に大きくなる。体内に入り込むようにして、手足の力を奪い、思考さえ鈍らせてゆく。

「何だッつーんだよ…俺、こんなに神経質だったかよ?」
 ぜェ…と息をついて両膝をつく。へへへッと力無く自嘲しながら、汗に濡れそぼった前髪を苛々と掻き上げる。
「ざまァねェな…」
宿星だの何だのに囚われないと言いながら、一番振り回されているのは自分ではないのか。
逃れようとすればする程、泥沼に足を取られ、深みにはまって抜け出せなくなるのではないか。

 宿星───

今生に出逢うもの、相対するもの、後に歩む道、全ては生まれ持った宿星の導きによる。
「…だとしたら、俺が決めたり、悩んだりすんのもムダってこっちゃねェか。下らねェ」
そういうことではないのだと、雛乃が懸命に説明を繰り返してくれたものだ。だが京一にとって「宿星」など、星占いや手相に自分の不運の理由を見出そうとするのと同じで、女々しい言い訳にしか思えない。
「そーゆー風にしか、考えられねェもんは仕方ねェよ。ま、理由はどうあれ、東京を護らなきゃなんねェってのは分かってんだから、そんでいいだろ?」
面倒になってそう切り上げると、雛乃は苦笑しつつ、傍で聞いていた雪乃は「呆れたバカだな、お前は」などと言いつつ、納得してくれたのだったが…

 自信がなくなっていくのを感じる。
闘うたび。刀を振るい、<敵>を斃すたび。
不快だった筈の、肉を切り裂き骨を断つ感触に、背筋にぞくりとするものが走るたび。

 護りたいから…闘っているんじゃなくて…

 俺は…本当は……


 ───見ヨ…アレガ オ主ノ宿星ノ…

 ふいに、いつもと異なることを告げ、唐突に「声」が途切れた。
反射的に前方を見やる。
暗く、何もない空間。
だが、闇の向こうに「何か」が居ることに気付いた。
 「声」に苛まれる夢の中に、自分以外の「人」が登場した事は一度もない。
夢なのだから、奇妙なことが起きても、いつもと違っていてもおかしくはないのだが、京一は緊張せずには居られなかった。
(…チクショウ。夢の中とはいえ、獲物がねェのは心許ないぜ…)
「夢の外」に存在する筈の木刀を思いつつ、京一は身構えた。
「…そこに居んのあ…誰だッ!!」

………………京一…か?」

 闇の中から届いたその声は、京一を心の底から安堵させた。
相手が知った人間だから、ではない。
(解ってるんだ。解ってる、お前が居れば何も怖くねェってことを。大丈夫だ…俺はもう、あんな「声」なんかに負けねェ!)
どんな時にも揺るぎない、意志を強く感じさせる、力強いバリトン。
その烈しくも優美な響きが空間を満たすと、心なしか闇も薄れていくようだ。
夜が明けるように、京一の眼前の空間が、うっすらと明るくなる。
そこには、京一が心から信頼を寄せる、友が居た。
「…ひーちゃん!」
「…京一。」
 嬉しさを隠しきれずに走り寄ると、龍麻はいつも通りの学生服姿で、いつも通りの意志的な瞳を京一に向け、そして…

「うっわー! きょーいちだー! 良かった〜オレもーこんな暗いトコに一人でいてさ、もーマジで泣きそうだったんだよー!」
 そう叫ぶなり、いきなり抱き付いてきたのだった。


 ……………………………………はいー?


 思わず石化した京一に気付いて、龍麻は大仰に飛び退いた。
「はッ! ごめん! だよねーオレみたいなムサクルしいのに抱き付かれたら京一もビビるわな、あはは。いやゴメンって、悪気はなかったんだよ? そのくらい怖かったってだけで…なんだよー、まだ固まってる? うん、これを「一人不動禁仁宮陣」と名付けるか! なんつってーわははは!」
 思いっきり一人で爆笑する、この男は誰だ。
「何で一人でほーじん技かとゆーと、醍醐と紫暮と紫暮に混ぜてもらったら、オレも吹っ飛ぶだろ? 質量が違うんだから、風呂に入っても外に流れる水の量が違うんだよな。って関ー係ーないっちゅーねん。びしっ」
メチャメチャ早口で一人漫才くり広げてるコイツは誰だ。
自分でボケて、隣りに(誰もいないのに)裏拳入れてるコイツは…
「…どしたの? 京一。」
 相方(?)が固まったままなのに気付き、流石に心配になったのか、それとも単に全然ウケないからか、ようやく龍麻が喋るのをやめた。京一の顔を下から覗き込んでくる顔は、まるで主人に餌をもらえない子犬のように悲しげだ。

「…分かった…。」
「へ?」
「分かったぜ。てめェ、ひーちゃんじゃねェな!!」
「えッ!?」
「大方、ひーちゃんのフリした劉かアランだろ! 正体を見せやがれ、このッ…」
「ひれェッ!? ひで、ひでででッ!」
 しかし、両頬を思い切り抓り上げても、龍麻の秀麗な顔の皮が剥がれたりはしない。
「痛ッた〜…ひどいよ、京一…うえええん」
「うえええん、じゃねェ! ひーちゃんの顔で気味悪いことすんな!」
「な、何だよそれ…。気味悪いだなんてそんなホントのこと、はっきり言われたらオレだって傷つくっちゅーの。」
 また京一の方に向かってペンッと裏拳を入れつつ、本当にしょんぼりと肩を落とした龍麻は、そのままぺたりと地面に座り込んだ。
「気味悪いとか怖いとか…言われ慣れてるけどさー…京一だけは、そう思ってないって信じてたのに…ちぇー。」
「…だから、のの字書くんじゃねェッ。」
 正座をして、左の人差し指でいじいじと地面をつついていた龍麻は、「う」と呻いて慌てて手を引っ込めた。
いつも、京一が何をしても殆ど動かない表情が、今はくるくると変化する。
顔をくしゃくしゃにして大笑いする様も、今のように頬を膨らませ、上目で京一を見上げる様も、全く別人にしか見えない。
「…誰だよ、お前。」
 先程まで「声」に苦しめられていた。やっと解放され、助かったと思ったら、自分を救ってくれた龍麻は偽者だった。
先程安堵した分だけ、却って京一は憤りを募らせてしまったのだ。
「誰って…緋勇龍麻だけど。アナタのひーちゃんよ〜ん、なーんて…う…な、何だよ睨むなよう〜。なァ、京一…オレ、あの…」
 怒りの目を向けられている事に困惑したのか、あたふたとまた立ち上がった龍麻に、京一は怒鳴りつけた。

「…ふッざけんじゃねェよ! ひーちゃんが、そんなワケ分かんねェ冗談だの弱音だの言うワケねーだろッ! アイツはてめェみてェにへらへら何も考えてねェツラで笑ったりしねーんだよッ!! いつだって…こっちがイヤになるくらい、自分の感情を抑えて、隠して、仲間のためだのみんなを護るだの、…そんなことばっか考えてる、凄ェヤツなんだよ…!」

 そうだ。
龍麻はいつだって、何に対しても真面目に対応する。下らないことに動揺せず、自分達を護るためだけに頑張っている…
そんなアイツだからこそ、頼ることが出来て。
そんなアイツだからこそ……俺は…

「…そうか…。そう…だな…。」

 囁くような声が耳に届いたとき、既に目の前に居た筈の龍麻は消えていた。
いや、消えていたというより、また闇に紛れてしまったと言う方が正しいだろう。
京一はその時初めて、周囲が龍麻の登場と共に明るくなり、今また暗く閉ざされてしまった事に気付いた。

───オレは…お前達を護るために居る…。何があっても常に心乱さず、心動かず、心惹かれず、ここに居る…

 抑揚のない声が、少しずつ遠ざかっていく。
「…ひーちゃん…ひーちゃんッ!」

───そのためだけの存在だ…役目を果たすためだけの…事が済めば必要のない…。…………オレは…
「…ッ違…!? 違うッ、ひーちゃん…俺は…! 俺達は…!!」

───だが、京一…
……………!?」

 唐突に、「声」と同じ質の<<気>>が、背中にふわりと絡み付いた。

───お前は、緋勇龍麻の本当の心が開かれるのを、待っていたんじゃなかったのか…?
………………!!!」

◆ ◆ ◆

 目が覚めて、まず始めに京一がしたのは、枕元に常に置いてある木刀を握りしめることだった。
「…ひーちゃん…」
嫌な夢だった。
まるで、自分が龍麻について相変わらず何も分かっていない事を、揶揄されたような。不安を益々かき立てられたような。
 何も分からないから、不安になる。いや、何も分からないという事実に惑わされるから、不安になっている。
そのことをハッキリ示唆されたようで、気分が悪かった。
 目が覚め、頭がはっきりしてくるにつれ、悪夢の影は薄れ去り、現実の光が体内に満ちる。
朝食を摂ろうと冷蔵庫を漁る頃には、夢の記憶は既に印象しか残っていなかった。
手に入れたと思った光を自分のせいでまた失った、絶望と喪失感だけが、奇妙に残されたまま…
 そして、日常が始まる。

 (…しかし、タチの悪りィ夢だったぜ。このひーちゃんが、よりによって中味が劉じゃなァ…へッ笑っちまうぜ)
優雅に立ち上がり、教師の示す箇所に頷き教科書をゆっくりと読み上げる、朗々とした声に聞き惚れながら、思わず苦笑してしまう。
「…蓬莱寺。何をニヤケとるんだ。続きを読みたいか?」
「うえッ!? あー…すんませーん、聞いてませんでしたー」
「ッたくお前は! どうでもいいが、授業中に誰かに見惚れてるヒマはないぞ。来週中間テストなんだからな。」
「へいへーいッ…って、誰に誰が見惚れてたっつーんだよッ!」

 退屈な授業に、常通りの教師らとのやり取り。
休憩時間には級友と他愛のない会話を交わす。アン子から、最近起こっている事件などについて話を聞く。
夕方になると、誰からともなく集まって、また旧校舎で鍛錬へと向かう。
京一は、その奇妙な夢のことを、いつの間にか忘れてしまった。

 しかし、京一は知らない。
一日中ぼんやりと龍麻の横顔を見つめていたことで、ごく一部の人間に、胃痛を激しく起こさせたり写真を撮られたりホモネタにされたりしていた事を。
「や、やめろ京一…学校では…人前では…しゃ、社会的に…常識的に…ううッ」
「ふふん、今日も龍麻君のいい写真が撮れたわ。龍麻君って妙に下級生に人気あるのよねー。特に京一とのツーショット…全く、コドモは見る目がないわよねッ。こんな、京一が龍麻君を睨んでる写真のどこがいいのかしら…ま、いいわ。高く売れるのに越した事はないんだし♪」
「きゃーッきゃーッ! もー京一先輩ったら人目があっても気にしないんだからーッッ。」「『ひーちゃん…誰になんと言われようと、俺達の愛は永遠だぜ…』なんてねッ」「きゃーッ!! きゃーッ!! いやあ〜ん、緋勇先輩はきっと寡黙に頷くだけなのねーッ! いやーッステキーッ!!」

 そして、龍麻も同じ夢を見て、一日中悩んでいた事も。

 (あの夢って、結局何が言いたかったんだろ。オレ…ちゃんと喋ったり笑ったり泣いたりしたいって思って頑張ってるんだけど、それが出来ても結局京一には好かれない、って意味なのかな…そんな〜うええんッ。…いや待てよ、そう簡単に諦めたらイカン…アレは、オレにちゃんとみんなを護って役目を果たしてからじゃないとトモダチになってやらない、て意味かも。そ、そうだよな! よ〜し頑張るぞー!)

 こうしてますます誤解と曲解を深めつつ、魔人達の闘いの日々は続くのであった…。

2001/07/19


皆様への感謝を込めて書きました…って割には、いつも通りのオチだな…(^^;;)。
コンセプトは「もしも緋勇が心の中の声をそのまま出せたとしたら」だったんですが…ま、こんなもんでしょうね。かわいそーにねー二人とも(笑)
えーと、この話は拾七話直後くらいのつもりです。劉います(^^)
ではでは、感謝の言葉に変えて…(サーノ)