How old are you?

「よ……っと」
 軽い掛け声とともに身体が大きく揺すられて、オレは慌てて目を開けた。いつの間にかうとうとしていたらしい。
ずり落ちそうになっていたオレの身体を京一の大きな手が支えてくれている。
しかし、こんな状態で居眠りするとはオレもいい加減図太い神経の持ち主だよな。……とか関心してる場合じゃねぇだろ。迷惑掛けてごめんとか、送ってくれてありがとうとか、とにかくそういうコトを言わないと。
…………
「お。目ぇ覚めたのか、ひーちゃん」
 口を開くより早く、京一の方から声を掛けてきた。出鼻を挫かれて、一生懸命アタマの中で組み立てていた感謝の言葉はあっけなく霧散してしまう。
「もうすぐお前んちに着くからよ、それまで眠っててもいいんだぜ?」
 そう言われて、オレはとりあえずこくりと頷いた。京一には見えないだろうけど、振動とかで多分オレが頷いたことぐらいは伝わるだろう。
 いつもならテレパシーでオレの言いたいことを理解してくれる京一だが、今日はテレパシーも上手く働かないらしい。まぁ、いつもとは全然違う状態だもんな。これでいつも通りに理解しろって方が図々しいってもんだ。周波数が違ってたりして。って、テレパシーはラジオとちゃうっちゅーねん。
……はぁ。心漫才も不調だよ。情けねぇ。
 内心で滂沱の涙を流しつつ、オレは京一に背負われたまま目を閉じた。


 今日の放課後、授業が終わった時点では、オレはいつもどおり「ちょっぴり無口な高校三年生」の緋勇龍麻だった。
恒例の旧校舎探検ツアーを終えて、地上に顔を出したのが七時ごろだっただろうか。
「ひーちゃん。これ、あげる〜」
 突然背後からそう呼びかけられて、オレは内心でびくりと身を竦ませた。もちろん表情には出ていない。……多分。
裏密は今日のメンバーだったので、そこに立っていてもおかしくはない。ちょっと怖いけど。手渡されたのは壜に入った黄色い飲み物だった。
(愛媛名産のポン……? 今日潜ったあたりにみかんジュースなんか落とす敵っていたか?)
内心で首を傾げながら受け取ると、裏密はにやぁっと笑った。うう。悪意はないんだろうけど、メチャクチャ怖いです。裏密サン。
 今思えば、この時もう少し警戒していればよかったんだよな。今さら何を言ったって後の祭りってヤツだけど。
 その時オレは、何故だか物凄く喉が渇いていて、それで何の警戒感もなく裏密に貰ったみかんジュースを一気に飲み干して……
怖かったなぁ。みんな、急に巨大化するんだもん。特に醍醐。小山のようってのはああいうことを言うんだよな。兵庫は来てなかったけど、二人並んだらきっと壮観だろう。
不動禁仁宮陣の恐ろしさが身に沁みて理解できたぜ。
「裏密ッ! てめぇ、ひーちゃんに何飲ませやがった!?」
 京一が物凄い剣幕で怒鳴るのを聞いて、ようやくさっきのみかんジュースに何かが入っていたことに気付いた。内心動揺しまくっていたオレは慌てて裏密の姿を探す。頭の中で某怪獣映画のテーマなんかが流れていたことは内緒だ。
「う〜ふ〜ふ〜。これを〜、入れたの〜」
言いながら裏密が取り出したのは、風邪薬みたいなカプセルの入った小瓶だった。ラベルを剥がした跡があるのが、物凄く胡散臭い。
「若返りの薬よ〜。一粒で一年若返る〜。ひーちゃんは薬に強いみたいだから、一ダース使ったんだけど〜、普通に効いちゃったみたいね〜」
効いちゃったみたいね〜って、そんなあっけらかんと言われても……。とにかくその若返りの薬とやらが効いてるせいで、オレが小さくなっちゃったんだな。みんなが巨大化したんじゃなくて。
 ええと。オレは今十七歳だろ。一粒で一歳が一ダースってことは……。五歳!?
「そんな……。どうしてミサちゃんがそんなコトするの!?」
 オレの気持ちを代弁してくれたのは桜井だった。そうだよな、それはオレも聞きたいよ。
「人間のプラーナは、年若いほどに純粋なの〜。純粋なプラーナは〜身体の疲れを癒してくれる〜。ひーちゃん、疲れてるみたいだったから〜。心配しないで〜。一晩眠れば元にもどるわ〜」
 栄養剤を飲ませる代わりに若返らせたって事だろうか。おいおい、それはちょっと飛躍しすぎやろ。
呆然としているオレとは反対に、桜井はその説明で納得したらしかった。ミサちゃんがそう言うのなら、とか言って引き下がってしまう。何で?
「オニイチャン、可愛い……
 ぽつんと呟かれた声に、慌ててそちらを見上げる。マリィの顔が見上げる高さにあると言うことは、ひょっとしたら今のオレは一メートルないのかも知れない。
そう言えば小さい頃はあまり背の高い方じゃなかったなぁ、なんて余計なことを考えていたせいで、マリィに言われたことを理解するまでに一瞬の間があった。
……可愛い? 今、可愛いって言った?
うわっ。うわーっ。そ、そんなこと言われたの、何十年ぶりだろう。いや、何十年も生きてないけど。
……ありがとう。…………マリィ」
 それと裏密にもありがとう、だ。だまし討ちみたいなやり方で突然子供にされたのはちょっと問題だけど、明日になれば元に戻るらしいし、こんな特典がつくんなら少しの間ぐらい子供のままでもいいよな、うん。
「う〜ふ〜ふ〜。ミサちゃん、嬉し〜」
 裏密がまた笑ったけど、今度は怖いとは思わなかった。我ながら現金なモンだ。
「ひーちゃん、お前……
もの言いたげな京一の声にそちらを見上げようとした瞬間、ぎゅむっと柔らかいものに包まれてつんのめりそうになった。何、ナニ?
「きゃ〜〜ん。ダーリンってば可愛い〜!」
身体に直接響いてくる声の振動と、この柔らかい感触は、ひょっとして……
「ちょっと舞子!」
「だって亜里抄ちゃん、ダーリンってば今、すっごい透明なボーイソプラノだったよ?」
……そりゃあ、五歳ですから。声変わりなんかしてるわけないわッ! とかツッコミたかったんだけど、体格が違いすぎるせいか、抱き締めるなんて生易しい感じじゃなく、息が詰まって声も出せない。
 ああもう、こんな時ですら満足に回らない自分の舌が恨めしい。おかしいなぁ。幼稚園の頃は、今よりもう少しはちゃんと喋れてた筈なんだけど……。中身が今のオレだからか?
そう言えば、ナゾの薬で子供にされた高校生が主人公の漫画があったよな。小さくたって中身は同じ!ってヤツ。やっぱりそういうコトか。そう何もかも上手くはいかないよな。あの、地を這うような声が天使のようなボーイソプラノになっただけでもマシってもんだ。って、誰もそこまで言ってねぇっつーの。
「しかし……、明日になれば元に戻ると言っても、そのままでは家にも帰れなくないか?」
 なんとか高見沢の腕から抜け出したところで、ゴジ……じゃなくて醍醐が重々しくそう言った。確かにその通りだ。靴はぶかぶかだし制服もだぶだぶ。お父さんの背広に着られている幼稚園児って感じだもん。これで街中は歩けねぇよな。
 桜井や美里は、家に泊まってもいいって言ってくれたけど、お邪魔するわけにはいかないって。明日の朝には元の姿に戻ってる筈なんだから。朝になってイキナリ大の男が娘の部屋から出てきたりしたら、親御さんが腰抜かすぞ?
「いや……。家に、帰る」
 ようやくオレがそう言えたのは、散々皆にもみくちゃにされた後のことだった。

 京一に送って貰ってマンションまで帰りついたのはいいが、何しろオレは一人暮らしなので子供服なんてあるわけもない。仕方なく男物のTシャツを着込むと、膝丈のワンピースみたいな感じになった。ちょっと心許ないけど、これで我慢するか。
 心配だからと言ってくれる京一に夕飯を振る舞おうとしたんだけど、大きすぎる包丁がどうしても扱えずに四苦八苦しているところを見られて、包丁を取り上げられてしまった。まぁ、椅子によじ登った五歳児がふらふらしながら包丁を振り回してたりしたら、オレだって取り上げたくなると思うけどな。
 子供の目で見ると、世界は驚くほど大きい。椅子もテーブルも高すぎるしガスの元栓にも手が届かなかった。今のオレの身長だと、ドアノブは目線の高さだ。
 結局、夕飯まで作ってくれた京一はオレの様子を見るために泊まってくれることになった。万が一、明日になっても元の姿に戻らなかった場合、子供の声じゃあ欠席の連絡も出来ないもんな。
いやそれボケるところと違うから。うぅ、駄目だ。ついつい現実逃避しちゃうよ。裏密はああ言ってたけど、今さらながらちょっぴり不安になってきたぜ。
 風呂に入ったのはいいけど、頭上高くから降り注ぐシャワーは結構怖かった。子供の姿ってのもなかなか不便だ。
家に戻っちゃったら可愛がられたりする特典もないしな。
内心で溜息を吐きながら身を沈めた湯船が予想以上に深くてぎょっとする。座り込んだら鼻の辺りまで湯があるし、膝を立てたら浅すぎる。どうしよう? ……正座でもするか?
「ひーちゃん? 随分静かだけど、大丈夫か?」
 言いながらひょいと顔を覗かせた京一は、湯船で正座してるオレを見て怪訝な顔をした。けどすぐに納得したらしくて、ばしゃばしゃと洗った椅子を湯船に沈めてくれる。凄いよな、京一。オレまだ何も言ってないのに、湯船が深くて困ってるって解ってくれたんだ。きっと立派な保父さんになれるぜ。身近に小さな子供でもいるのかな?
はっ。まさか、これくらいの年の隠し子でもいるとか? 
って、んなわけあるかッ! つーか、おってもまだ赤ん坊やろッ!!
…………ッ!」
「うわッ!」
 中途半端な二段突っ込みに幻滅していたオレは、洗面所でずるりと足を滑らせた。小さな子供は頭が重いのでバランスが悪い、らしい。
後頭部を床に打ち付ける寸前で、風呂に入ろうとしていた京一が咄嗟に腕を伸ばして支えてくれる。オレはと言えば、驚きの余り思わず口から心臓を吐きそうになっていた。解ってるとは思うけど、比喩的表現ってヤツだ。……って、誰に説明しとんねん。
まぁ、この姿でも、顔には全然出てないみたいだけどな。
むしろ京一の方が、思いっきり目を剥いて驚いている。
「だッ、大丈夫か!?」
ちょっぴり上擦った声は、それだけ驚いたってことだろう。うん。オレも今、メチャクチャ驚いたよ。そうは見えないだろうけど。
座り込んだオレは取りあえず頷いて無事を伝える。京一は、大きな手でぽんぽんと宥めるように頭を撫でてくれていた。どこも痛くないし、ばくばくいってた心臓も何とか落ち着きを取り戻したみたいだ。
けれど。
何とか身体を起こした途端、急に目眩がして激しく咳き込んだオレは、何故か手招きする裏密の幻影を見ながら、今度こそ本当にぶっ倒れた……


 気がつくと、ベッドの中にいた。額に濡れタオルが乗せられている。朝にはなっていないようだけど、何だか妙な感じがしていた。
とりあえず身体を起こしたオレは、そこで初めて違和感の正体に気づいた。小さな子供になっていた筈の身体が、元のサイズに戻っている。ぶっ倒れたまま、一晩眠っちゃったんだろうか。
 多分、気絶したオレを京一がここまで運んでくれたのだろう。
 咳き込んだついでに何か小さくて硬いものを吐き出したような気もするけど、どうもそのあたりがはっきりしない。
 元のサイズに戻れたことでちょっとだけ余裕のできたオレは、今日の出来事をじっくりと反芻してみた。
びっくりしたり怖かったりで、普段と違う自分を堪能したとは言いがたいけど……。今考えると結構楽しかったかも。可愛いって言われたこととか、巨大化した醍醐とか、保父さんみたいな京一とか……
これで全部夢だったりしたら大笑いだよな。充分ネタにはなるけど。
 まぁ、詳しいことは後で京一に聞けばいいか。と、微妙に無責任なことを考えながら、オレはもう一度ベッドに戻って夢も見ないほど深い眠りに落ちて行った。

2004/05/31 奪

サーノ「おお、コ○ンや!(笑) 流石ミサちゃん、ムチャクチャしてくれますね。
しかし幼児化したとはいえ緋勇の入浴を何度も覗いたり抱き起こしたりして京一は役得ですな。ってそうか?(^^;;)
『裏』を書いてみたい作品です(笑)。有難うございました♪」2004/06/01 19:50