エセ間幕十五・扇の舞

箱○

花園神社の祭が終わると、暦の上でもさることながら、東京にもようやく涼風が戻ってくる。毎年、都市化とともに東京の夏の気温は信じられない高さを記録するが、都心からわずかに離れたここ北区、名主の滝公園に程近い「如月骨董品店」では、中庭から覗く庭の木々のおかげもあってか、常と変わらぬ清浄な空気を保っていた。

骨董品店の若き店主、言わずと知れた如月翡翠。
彼もまた、滅多なことではその端正な表情を「接客用のものやわらかな笑顔」から動かすことをしなかったが、この日ばかりは勝手が違う。
「え…?これを、くれるのかい?」
虚をつかれた、という風情のその膝元には、客人から差し出された和紙の包みが置かれていた。観光客相手のそれではない、いかにも名店の品だと知れる品の良い浅葱色の包みには、ご丁寧にも達筆で、「八つ橋」と書かれている。
「…土産だ。修学……旅行の」
肯き、答えるのはもちろん龍麻である。その背後、店と母屋を跨る敷居に胡座をかいていた京一が、不機嫌さを露に鼻を鳴らした。
「ひーちゃんがよ、わざわざてめェにやるんだとよ」
土産なのは、わかる。先日彼らが修学旅行で、京都に出かけたのも聞いていた。だが、確か帰ってきた直後に店にやって来た時は、土産を出す素振りなどなかったはずなのだが。
産を出す素振りなどなかったはずなのだが。聞いてもいないのに、雨紋やアランたちがやって来て、龍麻に土産をもらえなかったと嘆い
たのがつい先週のことだ。
旅行から帰ってきてからしばらくして、こうして土産を渡される。
嬉しくないわけがないが、如月の頭の中はまさに「?」で一杯だった。
「んだよ。せっかく持ってきてやったのに、いらねえのか?」
それでは持って帰ろうとばかりに、すかさず手を出す京一に、如月はやっと我に返った。
「とんでもない。せっかく<龍麻が僕に>持ってきてくれたものを。ああ、お茶でも煎れよう」
「…手伝う」
腰を上げる龍麻を制し、如月は奥へと背を向けた。何はともあれ、嬉しいことに変わりはない。土産ひとつで浮かれるわけにはいかな
いが、それでもつい、祖父から教えられた「無」の境地などそっちのけにしてしまう自分に苦笑する。

そんな如月を見送り、大人しく畳に座り直した龍麻は、さっきからいらいらと落ち着かない親友を振り返った。
前髪越しの視線での問いかけ。無言ということもあって、初対面ならば圧迫感を覚えるだろうそれだが、半年も一緒にいる京一には何
のこともない。
どうした、と静かな瞳で見つめられ、自分の狭量さを見透かされたような、妙にばつの悪い気分になる。それを隠し、京一は何でもねェよ、と笑ってみせた。
(何でアイツにだけ、なんて言えるかよ…)
京都での天狗騒動と、その為に自由時間を大幅に削られたせいで、修学旅行は散々だった。移動中でも、寺社を廻っている最中でも、必ず教員たちの監視の目が光っていて、ろくに土産を買うこともできなかったのだ。
二日目の自由時間に、隠れて地元の銘酒を手に入れようとした自分も悪いとは思うが、何も知らずについて来た龍麻までマークの対象にされ、帰ってきてから龍麻の元に押しかけた連中の、みな一様にがっかりして帰る姿を見ると、なんとも言い難い気持ちになる。
仲間から慕われている龍麻。彼らと、自分の知らない所で会っている龍麻。厚かましく催促に来たような奴らにまで、「済まない」と
頭を下げていた龍麻が、なぜ今になって、よりにもよって如月に土産をやるのだろう。
「そう言や、あの八つ橋。どうしたんだよ?」
「…送られてきた。あの時の、礼、だそうだ」
礼?というと、やはりあの時の二人からだろうか。
「ちょっと待てよ。じゃあ、あいつにやるこたねェだろうがっ。俺たちが食うのがスジってなもんだろ!?」

思わず叫んだ所に、如月が戻ってきた。湯呑みの載った盆と、きちんと皿に盛り直した八つ橋が芳しい香りを立てている。
「どうしたんだい?」
「…なんでもねェよっ」
随分とケチくさいことを言ってしまった。舌打ちし、出された湯呑みを掴む京一に、龍麻はわずかに俯く。わかっている。仲間思いのこいつのことだ、きちんと渡せなかった土産のことを気に病んでいたのだろう。催促に来た連中に「土産はない」と言った手前、如月にくらいはとでも思ったのだ。
如月に、土産を。
その意味が他の連中より、どうしても龍麻の内の「特別」を思わせて、どうにも腹立たしいのだ。だがそれを口にするわけにもいかず、波立った気持ちのまま、京一は目の前の男をにらみつけた。
「ああ、やっぱり本物は違うね。今日び、観光客相手の「ソーダ八つ橋」や「コーヒー八つ橋」なんてものを置いてる店がほとんどだけど。この八つ橋を作っている店は、何代も続く老舗なんだよ」
黙り込む龍麻に茶を進め、暢気にもそんなことを話している如月に、いっそう苛立ちが募る。
竹林において九角が最後に発した言葉。自分の知らない因縁を感じさせるそれは、如月と出会った時に感じたそれに近い苛立ちを京一の中に芽生えさせていた。
例えいつも一緒にいても、お前の知らない「龍麻」がいる。
そう嘲笑われているかのような。
焦燥。

いよいよ重苦しくなる京一の<氣>と、相反する如月の<氣>とが拮抗する部屋の空気が、ぴりぴりと音がするかのように震えている。 妙な雰囲気が漂う中で、ふと軽快な電子音が鳴った。如月の家は、未だ古式ゆかしく(?)黒電話を使っている。携帯電話特有の、ピリリリ、という発信音は、どうやら龍麻のものらしかった。
「…済まない」
一言言い置いて、龍麻は席を立つ。わざわざ敷居をまたぎ、店の方へ出るのはいつもの癖だ。迷惑をかけないように、というマナーに関しては、龍麻は必要以上に徹底している。

「…何か言いたいことがありそうだね」
龍麻には聞こえない程度に、如月は声をひそめた。この店に来た時から、京一の機嫌が悪いことはわかりきっていたが、普段の嫉妬とはどうも何かが違う。現に、口数が妙に少ない。その分目の色が切羽詰まっているような気がして、こちらから話を振ってやることにしたのだ。
「…てめェには関係ねェよ」
「関係ない…というのなら、せめて龍麻に気を使わせるのはやめたらどうだい。さっきから、どうにも見ていられないよ」
「…てめェ…」
まったくわかりやすい。こう言えば怒るだろう、という予想通りに動いてくれる。こと龍麻に関しての、京一の感情の沸点はずいぶんと高かった。それに対して、龍麻の意図は読めない。ごく何気ない所作にさえ、彼特有の深い考えがあることを感じるが、その全部を読み取ることは難しいのだ。
「…どうした?」
と、龍麻が顔をのぞかせる。もう電話は終わったのか、だが戻ってくる様子もなく、廊下のつきあたり、店の暖簾から首だけをこちらに向けた姿に、どうにも毒気を抜かれて如月は腰を上げた。
「龍麻こそ、どうしたんだい?お客でも来たのか」
……

京一と一緒に居辛いのだろうか。だが常なら、周囲がどんなに騒いでいようと、龍麻はその表情を崩さない。いつだったか、制服を敵
に切られてしまった龍麻を巡って京一が荒れた時も、ごく淡々としていたのだ。
無言のまま首をひっこめた龍麻を追って、如月はいよいよ首を傾げる。これは、こちらに来いということだろうか。未だに部屋の向こう側でとぐろを巻く京一に、ちらと視線を向ける。
「…あまり龍麻を縛るものではないよ」
襖を閉める拍子に言ってやる。廊下を進む如月の背中に、湯呑みが飛んだらしい音が響いた。

「…龍麻?」
店の端、わずかに縁台のように作られたスペースで、龍麻は居を正していた。客が品物を吟味するために作られた場所だったが、そこで何やらじっくりと眺めている。
「その扇子が、気に入ったのかい?」
近づいてみれば、それはごく古ぼけた一枚の扇だった。特に目立った装飾があるわけでもない、無地の小さな扇をだが、透かし見るかのようにためつすがめつしている。
日頃店の手入れは欠かさないようにしているが、その扇は特に気にした覚えはない。古くはあるが、値打ちで言うならごく普通の扇子より落ちる。それこそその辺の土産物で売っているのと大差のないもののはずだ。
それをまるで、ようやく見つけた宝物のように見つめる龍麻の横顔は、一幅の絵のように静謐な色をたたえている。
声をかけるのもはばかられて、如月はただ吸い寄せられるように、龍麻の傍らへと歩み寄る。
……翡翠」
ふわりと扇を掲げ、龍麻の瞳がわずかに揺れた。その色のあまりの危うさに、やはり京一に気を病んでいるのか、と思い、彼のためにそんな顔をすることはない、という言葉が胸をつく。
いつも傍にいるという、ただそれだけで、そんな風に心の重きを置かなくてもいい。
口に出せば、睦言のように聞こえるだろう思いが、いつの間にか息づいている。
……京一」
ぽつり、と龍麻が呟いた。その視線を追えば、肩越し、いつの間にか京一が立っている。気配を殺していたわけではないだろうに、と不覚に舌打ちすると同時、今まで胸の奥を支配していた何かが、急に霧散するのを感じた。
苦い表情のまま立ち尽くす京一の<氣>は、未だ鋭いままだ。それが真っ向から自分に向かっているのを感じ、如月もまた立ち上がる。これ以上、龍麻を苦しめるのなら戦いも辞さない。珍しく好戦的な気分になっているのを自覚し、<氣>を放出させる。
「てめェ…やる気かよ」
「そっちがその気ならね。受けて立つよ」
京一の手が手近な木刀に伸び、如月もまた袂に手を入れる。一触即発の一瞬。

扇が、舞った。
何の変哲もない、ふるぼけた扇が、龍麻の振り仰いだ手から離れ、宙に舞う。
京一と如月、それぞれ身構えた殺気に煽られるかのように、どちらの額にもこつりと音を立てて、ひらひらと散っていった。
……え」
……ひー、ちゃん?」
呆然とする男二人の間に、龍麻はするりと立ち上がった。
「二人とも…すまん。」
舞人の所作としか思えないほど優雅に腕が伸ばされ、扇の当たった額に、それぞれ指が添えられる。
鮮やかに。
すべてを収める、その様。


「くっ…」
「…へへっ」
溢れる。何もかもが。何もかもが、龍麻によって癒される。
(そうだ…僕は何をしていた?龍麻が、不安がっていたのじゃない。蓬莱寺が、縛られていたのじゃない。何もかも、この僕が、だ…まだまだ修行が足りない)
(…いっつもそうだ…お前はそうやって、俺のつまんねェ考えを吹き飛ばしてくれる)

それぞれ、思う所は別ながら、爽快な笑い声を上げる二人を目の前に、龍麻がこんな事を考えていたのは誰も知らない。

(うっわー、どうしようどうしよう!!やっぱり俺にハリセンは無理だった!?だって「すぱーん」って言わすどころか、腕振り上げた途端に手からすっぽ抜けるってどうよ!!しかも二人のおでこに、思いっきりカド当たってるし!
どうしよう、怪我してない?うわ、二人とも笑ってごまかしてるよー…また失敗しちゃった…俺ってどうしてこうなんだろ…)


そして、骨董品屋の戸口越し、電話で龍麻たちの居場所を確認した醍醐たちが…というより醍醐が、手にしたコンビニの袋を握り締めつつ滂沱の汗を流していたことは、それこそ知られてはならない。
(如月の家にいるから、と来てみればッッ…龍麻ッ!!今度は如月かっ!それも店先で見つめあうとはっ……ああっ、京一までっ…クッ、胃、胃が…)
よりにもよってなシーンのみを見てしまった醍醐が、よろよろと店を後にしたのは言うまでもない。


サーノさま、そしてこれをお読み下さったご奇特な皆さまへ。

ごめんなさい、似非旦那ですっ!そして似非な京一くんの葛藤!!いやーっ、ごめんなさいいいい!
無理に内容つめすぎでした。ぐはっ(喀血)。
ともあれ、一周年おめでとうございます。書き逃げです。山脈に逃げます。……………しからばっ(煙幕)
箱○

2000/05/09 Release.

 そんな…名前隠してもバレバレやっちゅーねん(びし)ととりあえずツッコミ入れといてと(笑)
いやー。実にアホ! アホや緋勇! それでツッコミのつもりなんー!? 思わず笑い転げてしまいました。それになんたって醍醐…オチとして常に活用されるようになっちゃお終いヨネー(笑)
緋勇(オレはそんなツッコミはしないっちゅーねん! …てゆーか…何で京一と翡翠、ケンカしてんの??)←本気でアホやコイツ。
あ、気付かなかった人、龍麻視点ザッピング付いてますんでご堪能あれ! 笑えますわー!