壱周年感謝之言葉 醍醐の憂鬱 V

サーノ

「アレェ? ど〜したの〜? 醍醐く〜ん。」
 旧校舎から外へ出ようとしていた俺は、少なからず驚いた。
「た…高見沢? それに、美里まで…お前達、帰ったんじゃなかったのか。」
我々は旧校舎に入るのに、正規の玄関ではなく、窓を利用している。最初こそ、壊れた下水道のような通風口を通ったが、特に女性陣がそんなところを通るのを嫌がったので、少し工夫をし、一見板を打ち付けられて動かせないように見せかけた窓を押し開けて入れるようにしたのだ。
彼女達は、その窓のある教室に残っていた。
 ちょっと二人で顔を見合わせると、美里が少し申し訳なさそうに言った。
「あの…今回は、誰も怪我を治してあげられる人がいなかったから…高見沢さんと二人で、何かあったときのためにと思って、みんなの帰りを待っていたの。」
「ダ〜リンが〜、いっぱいお薬持ってったけどォ〜、やっぱり〜、心配だったし〜。」
「…勝手なことをして、ごめんなさい。くじで外れたのだからとは思ったのだけど…」
 その律儀な物言いについ苦笑してしまう。美里らしい。
「いや、その心遣いは嬉しいが、そんな風に自分の時間を犠牲にしてまで気にしなくても良いと思うんだがな…。こんなところにまで<敵>は出ないとは思うが、万が一ということもあるし…」
 実のところ、俺は女性陣をこの旧校舎に連れてくるのも控えたかったのだ。
鬼道衆や、今度の<敵>との闘いは、それぞれ理由があって巻き込まれたり、自ら関わったりしたものだ。女性だから、男だからと分け隔てするつもりは毛頭ない。
だが、ここでの実戦訓練まで、か弱き女性も参加せねばならんものだろうか。
ここで死線をくぐり、身体も心もぼろぼろになるまで「戦闘」に慣れ、鍛え上げねばならんのだろうか。
龍麻には全くそういった気遣いをする気はないらしく、時と場合によっては、藤咲や織部にも前線を任せることがある。
俺の考え方が古すぎるのだろうか。
「…でも、みんなが闘っているときに、私だけ…私達だけ先に帰って、普通にしてはいられないもの。龍…誰かが危ない目にあってはいないか、薬が切れてしまったり、効かないほどひどい怪我をしてはないかって…」
「美里さんとね〜、お話してたの〜。せめてェ〜、私か〜、美里さんか〜、どっちかがついてたら〜、安心して帰れるよねえって〜。」
……………。」
「時々、迷惑をかけているのは解っているの。私は、高見沢さんや藤咲さんみたいに、攻撃をする<<力>>はないから…。でも…それでも、私は…私に出来ることを、精一杯やりたいの。後悔したくないんです…。」
「美里…。」
「美里さん…。」

 だいぶ以前…もう1年前になるだろうか、桜井に注意をしたことがあった。女の身でありながら、暴力沙汰でも危険なことにでも自ら首をつっこみ、すぐ危ない目にあうのが見ていられなかったのだ。
桜井は胸を張って反論した。
「誰かを護るためなら、女のコだって闘える。男だから、女だからって、そんなのは理由にならないよ。ボクは、ボクの信念で、歩いて行きたいんだ。」
 そうだったな、桜井。
 己の信念───か。
男だからとか、女なのにとか、そんなものは言い訳に過ぎない。
<<力>>持つ者として集った女性達も、皆同じように、自らの信念の元に行動しているのだろう。
「マニキュアが剥げちゃったワ」と言いながら、嬉しそうに笑う藤咲も。
「怖いけどォ〜、みんなが〜怪我をして死んじゃう方が〜、もっと怖いから〜」と言ってやって来る高見沢も。
「殺生は良くありません。でも、どうしても避けられない道ならば、私は迷いません」そう言って弦を張る織部も。
「ミンナを護りたいカラ、マリィは生きていけるンダヨ!」
痛みを堪えて傷口を治療してもらいながら笑ってみせるマリィも。
彼女達に「女性は闘うな」などと言うのは、男のエゴなのだろう。
だから龍麻も、決して女性を特別扱いしないのだ。
マリィや美里など、弱い者を優先して回復させ、無言のうちに労ることだけが、彼女達の信念に対する敬意の現れなのかも知れない。
「…そうだな、龍麻に進言して、美里か高見沢は必ず入れるようにした方が良いかも知れんな。」
 そう言ってみると、二人はにっこりと笑い、頷いた。
俺も、男だ女だという、差別的な考え方を改めねばなるまいな、これからは…。
「あッ、醍醐センパイ…に美里サン達? …まァいいや、龍麻サン見つかったか?」
 突如後ろからかかった雨紋の声に、俺は重大な捜し物をしていたことを思い出した。
「そういえば、醍醐くんが持っているその制服…龍麻くんのなの?」
「あ、ああ…ふ、二人とも、こっちに黒い猫が来なかったか? こう、メフィストより少し大きいくらいの…」

 二人に事情を説明して、雨紋と美里、俺と高見沢に別れ、「龍麻」の捜索を再開した。
どこかの隙間から外に出た可能性も高いので、美里達には旧校舎の周囲を調べてもらうことにした。俺達は1階の教室を丹念に調べることにする。他の連中も、手分けして各教室を探している筈だ。
「診てみないとォ、分からないけど〜、心あたりは〜、あるのォ。」
その高見沢の言葉に、とにかく治療法がありそうだということ、どういう状態であれ龍麻は無事なのだということが分かり、安心する。
しかし、今はとにかく龍麻を捜さなくては。
あの仲間思いの龍麻が逃げ出したのだ、何か深い理由があったに違いないのだが───
 そう考えつつ、3つ目の教室に入ろうとして、俺は思わず立ち止まった。
暗い教室の真ん中に座り込んだ、赤い頭が目に入ったからだ。
何をしているのかは、すぐには分からなかった。
「…あッ。あの猫ォ〜?」
高見沢に言われて気が付いた。
暗い部屋、黒い学ランの上、少し背を丸めた京一が撫でていたのは、小さな黒猫───龍麻だった。
「…ま…待ってくれ、高見…」
…………?」
 思わず俺は、中に入ろうとした高見沢を止めてしまった。
 それほど、その光景は和やかだったのだ。
愛おしげに猫を撫でる京一も、気持ちよさげに身を委ねている猫も、穏やかで幸せそうだった。
………龍麻…。」
「あッ、やっぱりあれがダ〜リンね〜。可愛い〜。」
 肩にかけた俺の手を振り払うと、高見沢は二人に近づいていく。
俺はどうすることも出来ず、入り口で見つめていた。
京一は、全く高見沢に気付かない様子で、「ひーちゃん…可愛い…」などと呟いている。
…二人は既に、想いを打ち明け合ったのだろうか。そうとしか思えない。
それほど、猫はくつろぎ、京一に甘えきっていたのだ。

 高見沢の治癒能力で、猫が瞬時に龍麻に戻ると、二人は何が起きたのか分からないといった顔で、しばし見つめ合った。
……………
……………
 いつものような、人を圧倒するオーラをまとわりつかせていない龍麻は、うっとりしたような瞳で京一を見上げていた。
力無く開かれた両手は京一の腿の辺りに投げ出され、折り曲げた両足がしどけなく京一の膝からこぼれ落ちている。
白くしなやかな首筋と脇腹に、京一の腕がしっかりと巻き付いていて、暗闇にもそのコントラストがひどく───
「…んぎゃあッ!?!?」
 俺達に見られている事実を把握したのか、京一が素っ頓狂な悲鳴をあげ、二人は身を離した。
それを見て、慌てて持っていた龍麻の制服を放り投げる。心臓がバクバクと波打ち、とても近くに寄れそうもなかった。
 …俺は、俺は…今、何を考えていた?
二人の抱き合った姿を見て、「恐ろしい」とも「気色が悪い」とも思わずに。
俺は…見惚れていた…のか!?
バカな。
そんなバカな。
あれ程鍛え上げられた龍麻と、あれ程見慣れた京一との、ら、ら、ら、ラブシーンなどを。
美しいと…思ってしまった!?
あり得ん。そんな恐ろしいことがあってたまるものか。
 俺が混乱しているうちに、龍麻は投げ出された制服に手を伸ばした。
のろのろとした動きに、ちょっと冷静さを取り戻して、俺も側へと近寄る。まだふらついているようだから、手伝った方が良さそうだ。…た、高見沢もいることだし、いくら龍麻でも恥ずかしかろう。
 しかし、龍麻はそのまま倒れてしまった。
 ぐったりと身を横たえた龍麻を簡単に「診察」した高見沢は、眠っているだけだから心配ないと告げたが、京一は心配そうに学ランを被せてやっている。
「と…とりあえず、服を着せてやろう。皆が集まってくる前に…」
「そ…そうだ…な…」
 睦んだ姿を見られて恥ずかしいのだろう、落ち着かない様子の京一と協力し、龍麻にYシャツを着せたが、よほど深い眠りなのか龍麻は目を覚まさない。
とりあえず高見沢に、皆を呼んでくれと言ってこの場を追い出し、俺はどもりながら言った。
「し、下はお前が履かせてやった方がよ、良かろう。」
思わず声が裏返ってしまう。
だが、京一は真っ赤になって抵抗した。
「おおおお前がやれよ! お、お、俺はややヤローのかかか下半身なんざ見たかねェッ!!!」
この期に及んで、まだ体裁を繕おうとしているのかと思うと、苦笑してしまう。
お陰で少し落ち着いた。

 しかし流石に、意識を失ったように眠っている大の男に、下着とズボンを履かせるという作業は難航した。
仰向けにして、両足を少し開き、膝を立たせる。足を片方ずつ下着とズボンに通して(パンツのみ履かせるより一気にやった方が楽だと思ったのだ)、膝までたくし上げる。
…なんだか、着せているのか脱がせているのか分からんな…などという考えがふいに浮かんで、また心拍数が跳ね上がった。
「こッ……腰を持ち上げてくれ。」
……………………。」
世にも情けない顔をした京一が、目を逸らしながら、龍麻の腰を横から持ち上げる。
「…は、は、早くしろよッタイショーッ…お、お、俺…た、耐えらんねェ…ッ!」
「わわ、解っている、急かすな…」
その会話に、何やらひどく嫌な響きを感じて、益々手が震える。部屋にこだまする、男二人の荒い息も嫌で、益々鼓動が早まる悪循環に陥る。
 ズボンを一気に上まで引き上げると、腰から下だけを持ち上げられた状態の龍麻が、ちょっと前に押し出される形になり、喉を仰け反らせて一瞬呻いた。
「…んッ…」
 俺と京一は、飛び上がらんばかりに…というか、実際飛び上がった。
一気に汗が噴き出す。
何か、とんでもないことをしているような気がしてくる。
そうじゃない、俺達は龍麻のために服を着せてやっているのだ。決して、二人で龍麻に、タチの悪い悪戯をしているワケではないのだ。なのに、どうしてこんなに後ろめたい気持ちになるのだろうか。
京一も全く同じ思いだったのだろう。俺と同様に額に汗を噴き出させながら、真っ赤な顔を逸らしている。
 震える手で、何とかファスナーをあげ、俺は龍麻の隣にばったりと倒れた。
「…醍醐。ベルトは…」
「それくらいは…お前がやって…くれ。俺はもう…疲れた。」
…………。」
 同じ事を、例えば紫暮辺りにやっても、こんな気分にはならないに違いない。京一も、「重い」とか「何でヤローに服を着せなきゃなんねェんだよッ。オネーチャンの服を脱がせるなら喜んでやるってのによ」なんて軽口を叩くだけだろうに。
どこから見ても、男にしか見えない龍麻。整った顔立ちも、女性にはもてるだろうが、女装しようが化粧をしようが女っぽく見えることなどないだろう。強い意志を秘めた眼も、引き結ばれた口元も、誰よりも男らしいその性格を物語っている。
…なのに、この気持ちは何なのだろうか。
 あまり自分を語らない、その神秘性が、妙に中性的な魅力を醸し出すのかも知れない。
いつも力強く仲間を率い、弱みを見せないから、時折見せる弱い部分が、普通以上に危うげに見えてしまうのかも知れない。
京一も、紫暮も、この「わけの分からない魅力」に取り憑かれてしまったのだろう。
 男だからとか、女だからとか、そんなことは言い訳にならない…そう、さっきも考えたばかりだ。
世の中には、こういうこともあるのだ。
龍麻は、龍麻らしく生きているから、男も女もなく人々を惹き付けるのだ。そういうことなのだ、きっと…
 そんなことを考えながら目を開けると、京一は龍麻の上半身を起こし、抱き付くようにしてベルトをしてやっていた。
腹の辺りをごそごそ探り、なんとか止められたのか、大きく溜息をつく。
それから、支えるように肩に回されていた左手に力が込められ、ベルトを止めていた右手が腰の辺りに回された。
抱き締めたのかとギョッとしたが、龍麻を横たえるために腕を回しただけだったようだ。
だが、龍麻を起こさないようにか、ゆっくりと身を倒していく様も、目を閉じたままの龍麻の顔を食い入るように見つめている様も、見ていて心臓に良いものではない。
 俺はまた、眼を閉じた。
もうすぐみんながやってくる。
それまで、抱き付きたいだけ抱き付いていればいい。
俺に遠慮することはない…少しは、理解してやるよう、努力しているつもりだ。
仲間達には隠していたいというなら、それもいいさ。
そのことで、お互い傷つくことがなければ、それでいい。
俺は…お前達を、見守ってやらねばならん。大事な友を、また失うことだけは避けねばならん。

 物音一つしなくなってしまった隣で、何が起こっているのか想像して、思わず全身が震える。
じくじくと痛む胃だけが、俺は頭で理解しただけで、まだまだ何も受け入れられてはいないということを、静かに物語っていた。

2000/06/04 Release.