アズライール
2月14日。
京一はその日、機嫌がよろしくなかった。
本来ならこの日は最高とはいかないが、気分のいい日であったはずなのに…。
目の前にある、自分の机の上の山積みとなっているソレを見つめ、京一は深いため息をついた。
そのまま机にうつ伏せになる。
「ちくしょう……分かっていたつもりだけどやっぱり納得いかねえ」
その台詞を隣で聞いた醍醐は慰めるように、京一の肩をポンポンと叩き、
「なに悔しがってるのさ。ボクは当然の結果だと思うね」
小蒔は容赦なく言い放つ。
「でも、京一君も人気あるのね。これだけたくさんのチョコレートを貰えるなんてすごいわ」
そう言って美里は視線を京一からチョコレートの山に移す。
「でもね〜」
小蒔はおもむろに別のチョコレートの山を振り返る。もうひとつあるその山は、京一のそれの約1.5倍は多い。ついでに言うと質も彼のとは2倍は確実に上だと包装紙のロゴなどから予測される。
「自称真神一のイイ男の看板、下ろしたほうがいいね。ひーちゃんとこれだけ差がついているんだし」
ビシッと指を指され、ぐうの音も出ない。指摘されるのは悔しいが、事実でもあるのだ。
その貰った本人は、いつもと変わりなくポーカーフェイスを保ったままである。しかし、チョコの山と自分の鞄を交互に見比べている辺り、困惑しているようにも見える。
そう。今日はバレンタイン・デー。女の子の夢と、男の子のプライドが揺さぶられる日である。
自由登校に切り替わってから初めての登校指定日と重なったため、放課後にはちょっとしたチョコの山に遭遇する羽目になったのである。
放課後でもそれは変わりなく、仲間の女の子達も加わり、かなりの量のチョコを持って帰る事になるはずだったのだが、またまた予想外の人物が校門で待ち構えていた。
「あれ?如月君?ウチに来るなんて珍しい…」
最初に目ざとくその人物を見つけた小蒔は首をひねった。
他のメンバーも驚いたように如月を見つめる。彼が用事も無しにこちらへ来るとは思えないので、何かあったのかと構えてしまう。
向こうもこちらに気づき、やや早足にやってくると、挨拶もそこそこに「龍麻は?」と勢い込んで聞いてくる。
その質問に思わず皆顔を見合わせてしまった。どれも複雑な表情が浮かんでいる。
「龍麻ならさっき藤咲と共に帰ってしまったが、何か用事か?」
醍醐が代表して答える。京一はそっぽむいている。
そう、急に来たかと思うと持ち前の強引さでさっさと連れ去ったのである。あまりの見事さに京一さえも止める暇がなかったくらいだ。
今日が誕生日だから付き合ってほしいという願いもあって躊躇したのも原因の一つだが、チョコを置き去りにした為、京一が龍麻のマンションまで持っていく羽目になり、それが余計に京一の機嫌を下降させていた。
「いや、大した用事ではないのだが…」
如月はそう言葉を濁すと、来た時のように早足で去っていった。
「…何だったんだろう?」
「さあ?」
その行動に3人が首をひねる中、一人だけ京一は考えるようなしぐさを見せた後、
「わりィ。急用を思い出したから帰るわ」
と止める暇もなく、走り去って行った。どう見ても怪しげなのだが、流石に逃げ足は速かった。
「…もう、京一までなんだよ。せっかく久しぶりに皆でラーメン食べられるかと思ったのに」
小蒔は怒ったように言う。美里がいつものようになだめていると、そこへ独特の笑い声と喋りが辺りに響き渡る。
「あ〜れ〜?今日〜は3〜人〜だけ〜?」
ビクンと思わず体がこわばる醍醐。まだまだ修行が足りない。
振り返ると醍醐の後ろにやはり彼らの仲間、裏蜜ミサがそこに立っていた。
いつもの人形と共に小さな袋を下げている。可愛らしいピンクのそれは、彼女の持つ独特の雰囲気とは合わずどこか違和感があったが、誰もそれを指摘できない。
「残〜念〜せっかく京一君〜にもあげようと思ったのに〜」
その言葉に何故か醍醐が再び反応するが、それに気づかず小蒔が話し掛ける。
「ミサちゃんまであんな馬鹿にチョコあげなくてもいいのに」
「違うの〜チョコじゃなく〜て、もっといいモノ〜」
「もっといい物?」
美里と小蒔は尋ねるが、ミサはただ笑っているだけである。
「う……裏蜜。『いい物』って…あれは何だ?龍麻にもあげていたようだが」
おそるおそる醍醐が尋ねる。実は彼にも裏蜜は用意していたのだが、丁寧に断っていた。
「うふふ〜ひ〜み〜つ〜」
「……………」
じゃ〜ね〜と彼女が去っていった後、不幸なことに醍醐だけが、「うふふ〜楽しみ〜」という呟きを聞いてしまったために、不安をぬぐいきれなかった。心なしか胃の辺りが痛みだしている。
友人に対し何も出来ない自分に涙する醍醐であった。
…………何やってるんだろ、オレ。
気配をなるべく押さえながら思わず自分のしている事に自嘲してしまう。
如月を追って駅前までやってきたつもりが、偶然見つけた藤咲と龍麻をつけている。
藤咲と一緒にいることを知った時の一瞬見せた如月の表情と「まずいな…」との呟きを聞きつけ、何かあると踏んだんだが。
辺りをそれとなく見まわしたが、如月はいないようだ。まだ二人を見つけていないのか、それとも京一のように気配を消しているのか。
つけている二人は気づいていないようで、あちこちの店を渡り歩いている。腕を組んで歩くそのようすは正に恋人どうしに見え、おまけにモデル並の顔の持ち主なだけに振り返る人もちらほらいた。
どうも龍麻の様子がおかしい。
どこがどう違うとハッキリは言えないが、いつもとは様子が違う。デートで緊張しているのかとも思ったのだが、どちらかといえば以前風邪で調子が悪かった時と似ている。
しばらく様子を見ていたが、それ以外は変わった様子もなく帰ろうかときびすを返そうとしたが、二人が場所を変えようとしているのを見てやはり迷いながらも一緒についていってしまう。
藤咲の家への帰り道である公園へさしかかった時変化が起こった。突然龍麻の身体が崩れ落ちたのである。
「龍麻─────!?」
藤咲ではその身体を支えきれず、そのまま地面に倒れてしまった龍麻に3人の悲鳴が辺りに響き渡った。
思わず龍麻に駆け寄る京一。何時の間にか如月も駆けつけていた。
「あ、あんた達!?」
驚く藤咲を尻目に龍麻の様子をうかがう。顔がほんのり赤いだけで息は規則正しいようだ。
「とりあえず、ベンチにでも休ませよう」
如月の提案で公園内のベンチに龍麻を横たわせた。
「龍麻…一体どうしたってのさ。さっきまで普通だったのに」
いきなりの出来事に不安そうな様子で藤咲が呟く。
「こうしてても仕方ねえ。病院へ連れて行くしか手はねえな」
そう結論付けて京一は龍麻を抱えようとするが、如月に止められる。
「待ちたまえ。病院へ行くと事態が悪化する可能性がある」
「龍麻が今倒れてるってのにどうして?」
「何を隠してやがる骨董屋!」
二人に詰めかかられても如月はその冷静な態度を崩さない。
痺れを切らして短気な二人は各々の武器を手に再び問い掛ける。何が何でも聞き出そうとする意思がひしひしと伝わってくる。このまま黙っていても得策ではないと結論付けたのか、しぶしぶながら如月は語り始めた。
「ほれ…薬?」
素っ頓狂な声をあげたのは藤咲だ。京一は目を丸くしている。
「どうもそうらしい。………龍麻があれを食べていた事は予想外だったが」
重いため息を吐く如月を見ながら京一は龍麻が休み時間にチョコレートを食べていた事を思い出す。もしかして、あれの中に『ほれ薬』とやらが入っていたのだろうか?
しかし、誰が何の為に?
………あまり考えたくなくても、こんなことを考えつき実行する人物なんておのずと限られてくる。しかも、その内の一人からの品物は駅のロッカーの中だ。そして、人物が特定されるとその目的もおぼろげながらわかる気がする。
………でもひーちゃん、そんな怪しげな薬が入ってるモノ平気で食ってんじゃねェよ……
つい、心の中でツッコミを入れてしまう。
「で、この後やっぱり目が覚めて一番に見た人を好き人なるとか?」
チラリ、と龍麻を見ながら藤咲。こころなしか鞭を持つ手に力が込められている。
「そうなるだろうな」
さりげなく懐に手をやる如月。
「もう一つだけ質問。………これを作ったのってやっぱり裏蜜か?」
京一はその闘志を隠しもせずに木刀を構える。
「ああ」
「そうか…」
一言。それが戦闘の合図だった。
吹っ飛ぶ木の枝、巻き上がる土煙。
そして、交叉する目に見えない『何か』。
不幸にも偶然とおりがかった人をも巻き込んで、一人の男をめぐってのバトルは何時終わるともしれない様子を呈していた。
意外というか、自然な成り行きというか、如月と藤咲がタッグを組んだので京一は苦戦を強いられていた。
懐に飛びこもうとすれば藤咲のステータス変化攻撃が阻み、かといって『鬼剄』を使おうとすればすかさず如月が間合いの外から牽制する。
しかも、ちゃっかり龍麻をかばう位置を確保しているため、迂闊に大技が出せない。
「だああああああっ、てめェら勝手にコンビ組んでんじゃねえ!目的は一緒だろうがっ!」
「誤解してもらっては困る。誰もが君と同じように歪んだ考えをもっていると思っているとは大間違いだ。僕は友人として彼の事を憂いているだけだ。薬が切れるほんの僅かの間でも彼の崇高な魂を汚すような事はしたくない」
「それを言うなら藤咲も同じだろうが!」
「京一!アンタ人をどんな目で見てるんだい!?アタシはそんなモノ無くても龍麻を虜にする自信はあるんのよ。この場合、アンタが一番シャレにならないからに決まってるでしょ!」
「誰がシャレにならねえだと!?」
怒鳴りながら放った『剣掌・旋』が威力を弱めながらも藤咲にヒットし、当然、藤咲の身体が吹き飛んだのだが………吹き飛んだ場所が悪かった。
「龍麻!」
「ひーちゃん!」
二人が慌てて龍麻のもとへ駆け寄る。
さっきの京一の攻撃が、藤咲だけでなく、後ろにいた龍麻まで巻き込んでしまったのである。
技を繰り出した本人だけでなく、如月も普段の冷静な態度をかなぐり捨てて慌てる。
「龍麻、龍麻ったら」
ベンチごとひっくり返ったがなんとか身を起こし、遠慮がちに藤咲が龍麻の身体を揺さぶる。しかし龍麻はピクリとも動かない。
「どうしよう…もしかして頭を打ってるかも…」
「頭を打っているなら一大事だ。大丈夫だとは思うが念のために病院へ連れて行こう」
そう言いながら如月は京一に振り返る。その冷たい視線は如実に『痴れ者』と語っていた。
藤咲も似たような視線をぶつけてきたが、文句をつけている場合ではないと判断したらしい。何も言わずに龍麻を運ぶのに場所を譲った。顔がほんのり赤く染まっているように見えたが気のせいだろう。
龍麻を桜ヶ丘病院へ連れて行き検査の結果、異常なしとの知らせに一同はほっと胸をなでおろした。 念のために一晩入院する為あの怪しい薬の効果が心配されたが、1日ぐらいしか持たないことがわかったので3人は安心して帰る事となった。
―――――――――あれは見間違いじゃないよね。
藤咲は今にも顔が緩みそうになるのを必死で直す。でも、どうしてもあれを思い出す度に顔が赤くなるのを自覚する。
初心なコじゃないんだからと自分に言いきかしている一方で、当たり前だという声もする。めったに見られないものを見てしまったから。
あの時、他の二人には角度的には見えなかったが、龍麻は目が覚めていたのだ。
吹き飛んできた藤咲をかばうように抱きかかえ、再び気を失う寸前に見せたあの笑顔――――いとおしげに見る目は誰にも見せたくはなかった。
もしかして、あれが一番の贈り物だったかもしれない。
少々あの薬に感謝しながら幸せな気持ちで家へと帰っていった。