月光の犬

ベミ

 京一が居なくなった…。
 藤崎の犬を探すため、俺たち5人はそれぞれ別れて各々の場所を探すことになったのだが、俺はなんとなく不安な気持ちで、藤崎と一緒に行こうとする京一を思わず引き止めてしまった。
 京一はそんな俺の顔を見て、「俺を信じろ。必ず犬連れて戻って来るからよ」と笑って答えてくれたが、俺の不安な気持ちは拭いきれなかった…。そしてその日以来、京一の姿も藤崎の姿も忽然と俺の前から消えてしまった…。
 行かせるべきではなかった。例え京一に嫌われてでも、俺はあの時引き止めておくべきだった…。
 後に残るのは、深い後悔の念ばかり。
 眠れぬ日が続く。暗い闇に閉ざされると、思考は決まってひとつの暗い念に捕われる。もう京一には会えない。あの日溜りのような明るい笑顔も、もう見ることはない。そんなことはないと否定すればするほど、俺の思考はその暗闇に捕われて、気がつけば俺は夜の闇に建つ旧校舎の前に立ちつくしていた。
 一歩一歩、校舎に近づいた俺は、まるで吸い寄せられるようにその中に入って行った。ここに一人で来るなんて自殺行為に等しい。いかな俺でも、ここの敵を全て一人で倒すことはできないと十分承知しているはずだった。
 しかし、何かしていないと不安と恐怖に押し潰される。深い悲しみが魂を食らう。
 俺はふらふらと、地下に降りる階段へと歩みを進めた。だが次の瞬間、凄まじい勢いで飛び出してきた何かが、俺を後ろへ吹き飛ばした。そして、仰向けに倒れた俺の上に、それが圧し掛かるのを感じて俺は体を堅くした。
 それは全身を強い体毛で覆われた犬のようだった。ただ、犬にしてはその身体は異様に大きい。俺は完全に相手に押さえ込まれて、身動きも取れなかった。
 ここで死ぬのか。それもいい。こんな不安を抱えて生きるよりは、いっそのことこの場でこの心臓を止めて欲しい。
 しかし、相手は一向に仕掛けてくる様子はない。不信に思って見上げると、犬のグレイの瞳が、いつのまにか現れた月の光に照らされて、冴え冴えと輝いているのが目に入った。
 綺麗な犬。
 月に映し出されたその姿は、淡く銀色に光っている。犬が少し身を引いたのを感じた俺は、そろりと片手を上げて犬の首に触れた。ふかふかの銀色の毛を撫でる。しかし、犬は嫌がる様子もなく、ぴくりとも動かなかった。
 不意に、犬がその首を曲げて俺の頬をぺろりと舐めた。頬に手を当てると、そこに熱い雫を感じる。気付かぬ内に俺は泣いていたのだ。
「慰めてくれているのか、お前は…」
 そう呟いたと同時に、俺の堰き止められていた感情が爆発した。俺は犬の首に縋りつくと、声を出して泣いた。今まで人前でも、一人のときにも泣いたことのなかった俺の、初めての感情の爆発だった。
 しばらく泣きに泣いて、心の内に溜め込んだ怒りや不安、悲しみなどという一切の感情を吐き出してしまった俺は、呆けた様に犬の首に縋りついたままじっと動かなかった。
 犬の方も、ただ俺の成すがまま、何も言わず彫像のように俺の前に座っていた。
by サーノ。  俺はひとしきり泣いて、腫れあがった目を擦って涙の後を消すと、身体を起こして校舎の奥に目を向けた。それを見上げて、犬が低い唸り声を発する。まるで、それ以上進むなと警告を発する様に…。
「わかっている、もう帰るさ。お前も一緒に出よう」
 心の澱みを吐き出した今の俺は、妙にすっきりとした気分で旧校舎の外に出た。後に、ひっそりと従うように犬がついてくる。
「いつの間に月が出たんだろう。綺麗な満月だ…。」
 見上げる俺の目に、冴え冴えとした月の光が降り注ぐ。それはまるで、さっきの犬の目のように優しい輝きだった。
 きっと京一は生きている。
 今の俺には、そう信じることが出来た。
「お前のお陰だな…」
 そう呟いて見遣った先には、もう犬の姿は消えていた。不思議な犬。ずっと見守っていていてくれたような不思議な懐かしさを胸に、俺は帰途についた…。

‐終‐