月のいたづら(後編)

ベミ

 さて家を後にした龍麻くんは、一刻も早く如月くんの家に向おうと思いましたが、本屋さんの前まで来ると急に立ち止まりました。
「そういや、もうアレが出ている頃だなァ。」
 無類の本好きの龍麻くんは、今そんなものに構っている余裕がないというにも関らず、本屋さんの前から動くことが出来ません。しばし考えた後、龍麻くんはほんの少しだけ本屋さんに立ち寄ることにしました。
 最初に龍麻くんが、そして龍麻くんに付き従うように犬神くんが中へ入りました。
 するとどうでしょう。さっきまでざわめいていた店内が、水を打ったように静まり返ってしまいました。みんな犬神くんを見ているようです。
「なんかいいわよね。あの人…。」
「渋い中年の魅力よー。」
「芸能関係の人かしら?」
 そんな声がチラホラ聞こえてきて、龍麻くんは飼い主としてかなりご満悦です。
 ところが、そんなに喜んでばかりもいられませんでした。こともあろうに、マリィが黒猫のメフィストを連れて立っているのが目に入ったのです。
「龍麻オニイチャンッ!」
 マリィは龍麻くんの姿を目ざとく見つけると、嬉しそうに駆け寄って来ました。
「マ、マリィ。何、今日は一人で買い物?」
「ウウン。葵オネエチャンモ一緒。イマ、オ金払ッテルノ」
「そ、そうなんだ…。」
「龍麻オニイチャンハ?ソノ後ノ人ダアレ?」
 マリィは興味深そうに、龍麻くんの後に立つ全身真っ黒の男の人を見上げました。
 その男の人は、マリィをというよりも、マリィがいつも肩にとまらせている全身真っ黒の黒猫メフィストをジッと見詰めています。
 一方メフィストはというと、全身の毛を逆立てて、低く唸っていました。おそらく、同じ獣として何かを感じたのかもしれません。
「ドウシタノ?メフィスト。」
「あ、あのね。マリィ…」
「ナアニ?」
「悪いけど用事を思いついたからもう行くね」
「ヨウジ?オモイツイタ?」
 マリィはキョトンとしています。龍麻くんは焦るあまり、変な日本語を口走ったことにも気がついていないようです。そのまま脱兎のごとく、犬神くんを引きずって外へ飛び出して行きました。だからでしょうか、その後を黒い影が追って行くのには気がつかなかったようです。

「あーびっくりした。あんな所で会うなんて思ってもみなかった」
 新宿駅の近くまで来て、龍麻くんはもう大丈夫と一息つきました。しかし、そこにも知った顔を見つけて唖然としてしまいます。
 なんとそこでは、懲りずに京一くんがナンパの最中でした。
 龍麻くんは祈るような気持ちで気付かれないように歩いていましたが、こういう時にかぎって見つかってしまうものです。
「あれ、ひーちゃん?」
 京一くんも目聡く龍麻くんを見つけて、声を掛けてきました。
 声を掛けられたら振り向かないわけにはいきません。龍麻くんは逸る気持ちを押さえて、いま気がついたという素振りで京一くんのいる方に振り返りました。
「やあ、京一くん」
「どうしたんだ?ひとりか?」
 日頃、龍麻くんの周りには大抵仲間の誰かが傍にいます。しかし、今日はその仲間の姿を見かけないので不思議に思った京一くんなのでした。
「ちょっと用事があって…」
 龍麻くんはなんとなく及び腰になって京一くんから一歩後ずさりました。
「そいつ誰だ?」
 とその時、京一くんは龍麻くんの後ろに付き従うように立っている犬神くんに気がつきました。今まで見たことの無い人物が、龍麻くんに付き従っていることが気に入らないのか、いつもの明るい声とは打って変ったような鋭い問い掛けに、龍麻くんはなんと答えて良いものか悩みましたが、ここで真実を話す訳にもいきません。
「し、親戚のお兄さんなんだ。東京に遊びに来てて案内しているところだから…じゃ、もう行くね。ナンパ頑張って」
 龍麻くんはまたまた犬神くんの手を引っ張ると、そそくさとその場所を後にしました。
 しかし、苦し紛れの言い訳が京一くんに通じたはずも無く、不審に思った京一くんはいつまでたっても成功しそうにないナンパを諦めて、龍麻くんの後をこっそりと付けることにしました。
 もちろん、その後ろには例の黒い影の姿もありました。

 そんなこととは露とも思いつかない龍麻くんは、電車に飛び乗ると北区の如月骨董品店へと急ぎました。途中、食べ物の匂いにつられた犬神くんを何度も押し止めて、やっとの思いで如月骨董品店に辿り着いた龍麻くんは、扉を開けて呆然としてしまいました。
 なんとそこには、醍醐くんと桜井さんが仲良く買い物に来ていたのです。
「やあ、龍麻。いらっしゃい。」
 如月くんのその言葉に、今まで店の奥で弓矢を見ていた醍醐くんと桜井さんが振り返りました。
「よォ。龍麻なんだ買い物か?」
「あれ、ひーちゃん。ひとりなの?」
 龍麻くんは観念したように、がっくりと肩を落としました。そして、外に待たせてあった犬神くんを呼ぶと、
「翡翠。話しがあるんだ。聞いてくれる?」
 とこの店の主の顔を窺いました。
 それだけで、何か起こったのだと悟った如月くんは、
「そんな所では話しも出来ないから奥へ行こう。」
 と言って、手に札を持って立ち上がりました。
「え、でも…お店…。」
「いいんだ。ちょうど休憩しようと思ってたところだから」
「…ごめんね。」
 龍麻くんは、商売の邪魔をしてしまった事を詫びましたが、如月くんは龍麻くんの肩をポンポンと穏やかに叩いただけで、何も言いませんでした。
 しかし戸口まで来ると、
「そこの二人もそんな所に隠れてないで出てきたらどうだ?」
 と外の電柱に向けて話し掛けると、何とその影から京一くんと遠野さんが現れました。
 二人の出現に唖然とする龍麻くんを余所に、二人は気まずそうにしながらも、事の真相を突き止めるまでは一歩も退かないという感じです。
 如月くんはみんなを奥の間に通すと、『骨休め』の看板を戸口に掛けて奥の間へと入って行きました。

 本間10畳程の広い座敷に、本杉の長方形の立派な台を囲むようにそれぞれ席についた龍麻くんたちは、如月くんが来るまでの間、気まずく俯き加減で座っていました。
 やがて、手に大きな御盆を持って、如月くんが席に着きました。
「こんな物しかないけど食べてくれ」
 そう言って出されたのは、美味しそうなおはぎといい香りのお茶でした。朝からちゃんと食事をとっていなかった龍麻くんはお腹がぺこぺこでしたが、まずはこれまでの経緯を話すのが先と思い、重い口を開きました。
「なるほど…」
 龍麻くんが全てを話し終えると、如月くんは興味深そうに顎に手をやって考え込みました。そして、
「龍麻。君は前に、その犬をあの旧校舎で拾ったと言ったね。」
「うん。」
「これはまだ僕の推測でしかないんだが、多分その犬神くんは狼男の血筋なんじゃないだろうか」
「狼男って、あの満月の夜に狼になって人を襲うっていう?」
「ああ。だが中には変異種、いわゆる突然変異で逆の変化を起す者もあるそうなんだ。つまり、日頃は犬だけど月の光が当たると『人』に変わってしまうヤツがね。」
「じゃあ、犬神くんは変異種?」
「恐らく。あの旧校舎の地下には、様々な化け物がうようよしているだろう?その雑多な生物の血が入り乱れて変異種を生み出したのかも知れない。」
「じゃあ、どうすれば元に戻るの?」
「簡単だよ。満月の効力が切れれば自然と元に戻る。あとは…そうだな。満月の光を浴びないように気を付けていればそうそう変化することも無いと思うけど」
「なんだぁ。じゃあ明日くらいには元に戻るんだ。」
「そういうことだね。」
「良かった。ホッとしたらお腹すいちゃった。いただきまーす」
 龍麻くんはホッと一息つくと目の前のおはぎに手を伸ばして頬張りました。きな粉ともち米の粒が口の周りに少しついてしまいましたが、気にせず次のおはぎに手を伸ばしたとき、突然顔の前が暗がったかと思うと、次の瞬間、ザラッとした舌に口の端を舐められてしまいました。
 一瞬その場の空気が凍りついたのも気付かずに、犬神くんは龍麻くんが硬直したまま手に持っているおはぎを見ると、それをぱくりと食べてしまいました。
「い、犬神ッ!貴様〜ッ!!」
 犬神くんのその所業に京一くんが激怒したのは言うまでもありません。
そして、その後の如月骨董品店がどうなったのかそれはまた後日のお話し…。

- おしまい -