遠雷 Perfect Blue

えびちよ

 天気予報を信じれば良かった。そう後悔しても後のまつり。
「ちっくしょー!」
 いきなり大盤振る舞いで振り出した雨か自分か、どちらにともつかぬ悪態をつきながら京一は走り出した。
 左手でしっかりと龍麻の右手を掴んで。

 電車にのって、2人で人の溢れる海水浴場までやってきた。
夏の高い空には大きな白い入道雲。
 真夏の鮮やか過ぎる青い日差し。その青を背景に、京一の明るい陽そのものの姿と、くっきりと刻まれた影のような龍麻の姿。
全くと言っていいほど正反対な印象を与える2人ははっきりいって目立っていた。
 はしゃぎながら一方的に話しかける京一。表情も変えずただ時折頷くだけの龍麻。
彼らにとって日常的な光景は周囲の家族連れやアベックにしてみれば奇異そのものに映るらしい。
 一人ずつでも注視に値する整った容姿の2人である。何ら共通点のなさそうなこの組み合わせに、行き交う人々の視線が集中するのも無理からぬところだった。
 が。
『海ー海ー♪友達と2人ー♪』
 彫像のような冷たい美貌の奥、心の中でツースキップの幸せに浸っている龍麻はその視線に気付く由も無い。
『ふ・・・、ここまでの道のりは遠かったぜ・・・』
 他の仲間達やアン子の目を盗んで龍麻一人を連れ出す苦労を思い起こしていた京一にしても同じであった。
『えへへ。2人ってことはアレだな、やっぱ砂浜を走って夕陽に向かって「海のバカヤローー!!」とか叫んじゃうわけだな』
『醍醐のヤツ、最近具合が悪そうなんで誘わなかったんだが・・・何か悪いモンでも食ったか?』
 相も変らずすれ違いを通り越して異次元なまでの2人の思考回路。
 それでもとりあえず彼らはそれぞれに幸せだった。
 しかし。
 ぽつ・・・。
 照りつける日差しに焼付くようだった頭に最初の水滴が落ち、はたと天を仰いだ京一のサングラスに次々と大粒の雨粒が降り注ぐ。
「げ・・・?」
 実に唐突だが、いつの間にやら彼らの頭上に広がった雲から、シャワーのような雨が大盤振る舞いに降り始めたのだ。
 静かに天を仰ぐ龍麻。
『えー?何でいきなり・・・はっ、まさかオレが友達と2人で遊びにきたから?』
 縁起悪ぅー(T^T)と滂沱の涙を(勿論心の中でだが)流す。
『くっそー、こんな時だけ当たるんじゃねーぞ、天気予報!!』
 出掛けにテレビで夕立ちの予報を見たにも関わらず、龍麻と2人で海という個人的熱望のためにそれを無視した京一は、何の罪科もない気象庁に心からの八当たりをしていた。
 ともあれ、周囲の人々も悲鳴を上げて雨をしのげる場所を求めて右往左往を始めている。彼らにしてもぐずぐずしてはいられなかった。
「走るぞ!ひーちゃん!!」
 俯き加減の龍麻に声をかけ、荷物を持っていない方の腕を掴む。
そのまま、引きずる様に走り出した。

 ようやく大きな木の下に駆け込んだ時には、2人とも服のまま海に飛び込んだかという位びしょぬれになっていた。
 結構な人がいたために、めぼしい軒下や手近な木の下は大方満員になっていたのだ。
 思いも寄らぬマラソンを強いられたように走り続けて、2人とも完全に息が上がってしまった。ずぶ濡れなのは雨の所為なのか汗なのか判らない。
「・・・参ったぜ。せめて海に入ってる時なら構わなかったってーのに」
 水着に着替えた後なら幾ら土砂降りでも文句は無い。そんな京一の呟きに、
『ごめん、京一。オレのせいなんだよー(TT)オレなんかが珍しい事したからなんだよーー(号泣)』
 突然の雨にナーバスになっている龍麻は根拠の無い自責をひたすら続けていた。
 どちらかというと京一の日頃の行いが悪いんじゃないか、というツッコミを入れられないのが彼のシャイな部分であろう。
「・・・」
 雨に濡れた前髪を仕方なくかき上げると、白い額が顕になる。長い睫の下に伏せられた黒い夜色の瞳。
 京一はその物憂げな横顔から目を離す事が出来ない。
 白いシャツが肌に張りついて、上半身のラインがくっきりとわかる。少年から青年へと移行する一瞬の奇跡ともいうべき絶妙の造形美。
濡れて張りつく黒髪がかえってその冴え冴えとした白い肌を強調する。
 す・・・と、京一の指が滑る様に、シャツから覗く襟足に絡みついていた。
「・・・?」
 相も変らぬ仮面のような無表情のまま、龍麻の目が京一に向けられる。
 その時初めて、京一は自分が何をしているのかに気付いた。
『!?!?!?・・・お、お、オレは何を!!!???』
 無意識に龍麻の肌に触れていた指が、硬直した様に動かない。
「・・・京一?」
 遮るものの無い強い光を宿す瞳に見上げられ、おまけに魂の奥底を鷲掴みにする蠱惑的な低音で囁かれたとくれば・・・。
 京一の最近とみに嵩の減った理性がこけた。
「ひ、ひーちゃ・・・!」
 心臓の音が激しい雨の音と入り乱れて耳が割れそうだ。
 深すぎて底の見えない湖の様に静かな揺らめきをみせる瞳から逃れられないままで、京一がそっと龍麻に顔を寄せる。
『どうしたんだ京一?走り過ぎたからかな、顔が真っ赤だぞ?・・・酸欠?』
 この期に及んでも判ってないある意味犯罪な龍麻の心の呟き。このままでは人工呼吸再びだというのに危機感のないこと甚だしい。(いや、本人は覚えてないけど)
 そんな2人の唇が触れ合う寸前、その横顔を突然の白い光が照らし出す。
「わっ!?」
 反射的に正気に戻る京一。
『ま、まさか!?アン子かっ!?』
 今迄にもスクープの名の元に数々の悪行をカメラに収められた過去が、先の光をカメラのフラッシュと思わせたのだ。あんまり悪い事をしてはいけない。
 数拍おいて、追いかけるような雷鳴が海の向こうから響いてきた。
「・・・あ、あはは・・・なんだ、雷か」
 さりげに手を龍麻から離して、京一は誤魔化すように笑った。
『なんだ、じゃねーって!・・・こんなでっかい木の下、一番危ないじゃないか〜〜〜!!』
 その通り。雷は遠いと思っても一瞬で移動してくるし、それでもって、主に高い木を狙ってくる。雷鳴が聞こえた時は時計・ベルト等の金属を外し、すぐに安全な場所へ退避しなければならない。
「・・・行くぞ」
 内心でパニックに陥りながらも見た目だけは冷静に、ここじゃない場所へ移動しようと龍麻が京一に促す。  その静かで有無を言わせぬ言葉に京一が蒼ざめた。
『・・・やばい。ひーちゃん、怒ってる・・・』
 冷静に考えればいつもの龍麻と何ら変らない(変り様の無い)態度なのだが、後ろめたい気持ちの有り余る京一にはまるで責められているように思える。
『そりゃ・・・そうだよな。変に思われても無理ねーよな』
 恥ずかしさと、それを上回る自己嫌悪に陥った京一はその場に立ち尽くしたまま動こうともしなかった。
「京一?」
 取りあえず猛ダッシュで海の家にでも駆け込もうと焦っていた龍麻は、京一の様子にようやく気付いた。
 らしくもなく青い顔をして俯き、龍麻を見ようともしない。きつく握り締められた拳が微かに震えている。
『?・・・あ、まさか・・・もしかして・・・?』
 再び、白い光が走る。
 珍しく真直ぐに向けられた龍麻の視線に耐えかねたように京一の目が逸らされる。
 遅れて響く雷鳴を聞きながら、京一は言葉を探しあぐねていた。
 その肩にいたわる様に手が置かれる。
 とっさに見返した京一の視線の先、ほんの一瞬だけの微かな笑みが浮かんで消えた。
「・・・ひーちゃん・・・」
 肩の手が、先程と反対に京一の右手を掴む。その手に引かれるまま、収まる気配の無い雨の中を2人、走り出す。
『お前は・・・赦して、くれるのか?』
 自分自身、説明のつかないこの気持ちを。
 唇を噛んで、思いを振り切る様に首を振る。
『すまねぇ』
 誰よりも力になりたいと、その傍らにありたいと願っているのに自らの未熟さでそれを失うところだった。それを無言で赦してしまう龍麻の器の大きさに感謝と羨望の気持ちがないまでになる。
 甘えたくは無い。お前の傍らにあるに相応しい男でありたい。
 ・・・お前に、負けたくない。
 心で囁きながら、強い雨に打たれ走り続ける事で、京一は繋いだ手の熱さを忘れようとした・・・。
 一方。
『ふ、ふふふ・・・』
 安全な場所を求めて疾走しつつ、京一の心中を知る由も無い龍麻はなんとなく幸せな気分だった。 『いや〜、意外だよなぁ。オトナだオトナだと思ってた京一が、雷怖かったなんてな〜。うぷぷ・・・存外、お子様だよなぁ』
 どこまでも鈍感な龍麻であった。お子様はどっちだ。
『よーし、砂浜を2人で走るってのはオッケーだな。次は夕陽に向かって叫ぶんだ〜♪』
 どうせ心の中であろうが・・・。


 どこまでも平行線の上を、どこまでも走り続けるような2人だった。

終わり


 ちなみにラルク・アン・シエルの「Perfect Blue」を聞いていただけるとより一層楽しんでいただける・・・かも。