風邪を引いた日 What is love 後編

えびちよ

「てめー!!如月っ!!絶対にゆるさねぇぞ!!!」
 思いっきり怒鳴りつけてやっても当の相手はとっくに立ち去った後。
 京一はそのまま怒りの持って行き場もなく、ドアを蹴っ飛ばそうとして寸前で思いとどまった。
 顔を真っ赤に染めたまま、必死で気を鎮める。
『あんのヤロー、言うに事欠いて何てぇことぬかしやがんだっ!?』
 去り際に如月が告げた一言が彼の神経を完璧に逆撫でたのだ。
 思い出すだけで顔が熱くなる。また、如月が真顔で言うものだから益々こっちが恥ずかしい。
 まさか、ひーちゃんには聞こえて・・・無いよな?
いきなり、最悪の事態に気付いて慌ててベッドを覗き込んだ。
「・・・」
 閉ざされた瞳。長い睫が翳を落して。
 どうやら眠っているらしいと知って安堵する。あの言葉を聞いていたとすればいくら龍麻といえど平静ではいられないだろう。こんな風に京一の前で安心して眠れるはずが無い。
 ほっとして、その彫像のような寝顔にしばし見入る。
 色白の肌が、熱の所為かほのかに赤みがかっている。じっとりと汗ばむ額に手を置いてみると、すぐに解るほどの熱さだ。
 薄く開いた口元から浅く不規則な息遣いが漏れる。いつもの静かで落ちついた呼吸とは全く違う。形のいい唇も乾いてひび割れたみたいになって・・・。
 その唇に指を伸ばしかけ、かかる吐息の熱さに京一は正気に返った。
ぶんぶんと激しく首をふる。
「な、何やってんだ、俺!?」
 如月に言われた言葉が頭をよぎる。洒落にならない嫌がらせな言葉だと思ったが、このままでは真っ当な警告になってしまう。
 とにかく、こんな風に座っていても仕方ない。自分に出来る事をしなければと、京一は無理やり意識を切り替えることに決めた。

 深い眠りから目覚めた龍麻は、仰向けに寝転がったまま暫くぼんやりとしていた。ゆるゆると手を上げて、額に乗った冷たい布を無意識に取る。
 最小限に抑えられた照明が、今はもう夜だと教えてくれた。
「・・・」
 首を回して机の上の時計を見る。デジタル時計は20時を示していた。
「おう、目が覚めたか、ひーちゃん」
 キッチンから顔を覗かせた京一がその姿を認めて笑う。先程から何度もベッドの方を窺っていたことを龍麻は知る由も無い。
「・・・」
 瞬きをして、首を傾げるような動作をする龍麻。まだ声が出ないらしく、もどかしげに唇で言葉を綴ろうとする。
 体を起こしかけるが、また力なく布団の上に倒れ込んでしまった。
「ムリすんなって。・・・どれ、熱は?」
 ベッドの横に膝をついた京一の手が額に載せられる。
 何度もマメを作ってはつぶしていったのだろう、剣を握るための固い手の平。節ばった長い指が濡れた前髪に絡んで、離れた。
「何とか下がったみてぇだな。どうだ、気分は?」
「・・・」
 まだ寝ぼけているのか、ゆっくりとそのまま目を閉じる。
「仕方ねーな・・・。おい、また寝ちまう前にせめて何か食えよ」
 その言葉に龍麻の目が再び開かれた。いつもとは違う焦点がぼやけたような瞳。極力それから目を逸らしながら、京一はキッチンへと戻っていった。
 戻って来た時、その手には湯気を上げる土鍋を載せたトレーがあった。
「味の保証はできねぇけどよ・・・」
 照れたような京一の言葉を聞き、かすかに戸惑いの表情が浮かぶ。
 いつもの凛とした、そして決して崩れない壁のような無表情が、今日はひどく儚くうつる。
 京一はトレーを一度サイドテーブルの上に置いて、力の無い龍麻の上半身を抱き起こした。
 ベッドの背に枕を挟むようにして凭れ掛からせると、人形の様にそのまま動かない。こんな状態でも真直ぐに背を伸ばそうとしているのが妙に可笑しくて京一は笑いを噛み殺した。
「ほんっと、真面目なヤツだな。ほら」
 子供にするようにその手にスプーンを握らせる。膝の上にトレーごと雑炊の入った鍋を置いた。
「熱いから気をつけろよ」
 そのままトレーを支えていたが、スプーンを握ったまま動かない龍麻の姿を怪訝に思う。
 見れば、何故か困ったような表情である。
「どうした、食えないのか?」
 猫舌ということは無い。あれだけしょっちゅう一緒にラーメン屋に行っていれば承知の事だ。それとも全く食欲がわかないのか。
「・・・」
 顔を覗き込んで真意を探る。もどかしげに開かれては閉じる唇。もともと無口な男だが、全く声が出ないというのも結構不自由な状況らしい。
 目線が、部屋の中央に置かれたテーブルに向けられるに至って、ようやく京一にも龍麻の言わんとすることが解った。
「・・・もしかして、ちゃんとテーブルについて食いたい、とか?」
 大きく頷かれて、思わずこけそうになった。
『ど、どこまで真面目なんだ、お前〜〜〜』
 前に寝っ転がって菓子を食べていたときに、「行儀が悪い」と窘められたことを思い出した。
 この躾の行き届いた青年はベッドで物を食べるという行為に罪悪感を抱くらしい。
「病人なんだから細けーこと気にすんなよ・・・」
 深く溜め息をつく京一に向けられる視線が申し訳なさそうに伏せられた。
 ともあれ、ここで考え込んでいてもらちがあかない。京一は再びトレーを持ち上げると、テーブルにそれを運んだ。
 我が侭を言ったと思ったか、申し訳なさそうに伏せられたままの顔。
「ほら、立てるか?」
 延べられた腕に支えられて、ゆっくりと床に足をつける。
熱は下がったものの、まだ回復しきってはいない体は自分自身さえ支え切れないまま大きく傾いだ。
「おっと」
 慌てて京一が抱きかかえる様にして事無きを得る。
壊れ物を扱う様に慎重にテーブルまで連れて行く。ほんの少しの距離なのにひどく遠く感じた。
 椅子に座らせた後も、手を離せば転げ落ちるんじゃないかと心配で、結局すぐ横に自分も椅子を置いて、肩を抱える様にしたままその体を支えていた。
「・・・」
 小さく声の無い呟きをもらす龍麻。よく判らないが多分、「すまん」とでも言ったのだろう。いつも無言で他者に対する気遣いをみせる龍麻ならそんなところだ。
「気にしなくっていーって。いいから食えよ」
 からかう様に髪を掻き回してやる。
「・・・」
 一旦、スプーンを置いて、きちんと手を合わせる。唇の動きが見えなくてもちゃんと「いただきます」という声が聞こえるような気がした。
 再び、テーブルの上のスプーンに手を伸ばす。それが微かに震えていた。
「・・・」
 ちゃりん、と一度は持ち上げられたスプーンが落ちた。
 自分自身の手とスプーンを信じられないもののように見つめる龍麻。
『おいおい、マジかよ・・・?』
 まさか、ここまで弱っていたとは。
 自分が来なければコイツは一人でどうなっていたんだろうと慄然とする京一の記憶からはあえて如月の事は締め出されていた。
 そんなはずは無いのに泣き出すんじゃないかと疑ってしまいそうな呆然とした様子に、京一は訳も無く焦った。
「し、しゃーねーなっ」
 銀色のスプーンに手を伸ばし、ありあわせの材料を放り込んで作った雑炊を一匙救い上げる。まだ湯気の上がるそれに息を吹きかけて、身じろぎもしない龍麻の口元に運んだ。
「ほら」
「・・・」
 今度は別の意味で呆然とする龍麻。
 しかし躊躇は束の間、ゆっくりと口を開いてそれを受け入れた。
 時間をかけて噛締め、飲み下す。
 その様子を無言で見ていた京一が恐る恐る尋ねる。
「美味いか?」
 深く頷いてそれに答える龍麻だったが、その勢いで前のめりに倒れそうになるのを京一が慌てて支えた。
「全く、生真面目なヤツだな、お前は」
 笑いながら二匙目を掬い上げる。先程と同じように冷ましてから龍麻の口に入れてやった。
 それをまた子供の様によく噛んでから飲み込む様子が可笑しくて、京一はとうとう吹き出した。龍麻の視線がちらりとこちらに向けられたが、相も変らずの無表情で特になんの感情も見せなかった。
 京一はとうに忘れていたはずの幼い頃のある出来事を思い出す。
 まだ小さい彼の手にすっぽりと納まった雀の雛。木の上の巣から落ちたらしく、ぴぃぴぃと必死に親を呼ぶ様に鳴き喚いていた。そのくせ、京一が必死の思いで捕まえてきた虫や、姉が近所から分けてもらってきた擂餌なんかを殆ど口にすることもなく・・・次の朝には冷たくなっていた。
 泣きながら姉と2人、庭に埋めたあの日のこと・・・。
「・・・」
 知らず、龍麻の肩に回した手に必要以上に力が入っていたらしい。先程より力を取り戻した感のある黒い瞳が真直ぐにこちらを見据えていた。
「あ、悪りぃ・・・」
 心の中の動揺を見ぬかれたようでひどくいたたまれない気持ちになる。
決して人の手に馴れようとはしなかった鳥と、常に心を見せようとはしない龍麻をダブらせてしまっていた自分に軽い嫌悪感さえ抱く。
『何考えてんだ、俺は』
 こいつは、あの時の雛鳥とは違う。
自分で餌を獲ることも出来ないくせに人の手を拒んで死んでいった野生の生き物。必死で語りかけても、祈っても、思いの通じなかったあの鳥とコイツは違う。
 そう考えても何故か胸の奥が疼く様に痛くて。
 結局、鍋が空になるまで掬っては食べさせるという行為を黙々と繰り返していた。

「寝る前にもう一回着替えた方がいいな。ほら」
勝手知ったる何とやら。どこに何を仕舞ってあるかは大抵把握してしまっている京一は、2段目の引き出しを開けて予備のパジャマを引っ張り出した。
持ち主の性格が伺える、きちんと畳まれた衣類。
その横には京一の分のパジャマもある。しょっちゅう泊りに来るうちに置きっぱなしになったものだが、それを取り出しながらはたとある考えに至る。
『・・・まさかあいつらの分もあるんじゃねーだろうな・・・』
思わず何人かの顔を思い浮かべた。
幸い(?)特に新しい柄や違うサイズのものは無いのを確かめてから引き出しを閉める。
一息吐いてから、まるで恋人の浮気を疑う女のような洒落にならない状況だと気付いて赤面する。
渡された新しいパジャマに着替える龍麻は、そんな京一の様子に気付く由も無い。
熱が下がり、食事もしたことで大分回復してきたらしい。先程までの危うげな風情は影を潜めて、所作にもいつもの力が戻ってきた。
「シャワー借りんぜ」
「・・・あぁ」
いつもより掠れた、けれど紛れも無い龍麻の声に驚いて振り返る。
喉を押さえて、当人もどことなく驚いているように見えた。
先程までの弱りきった様子は演技だったのかと疑いたくなるが、勿論そんなはずはない。全く、とんでもない回復力である。
「お前、ほんっとーに化けモン」
口ではそう言いながらも嬉しさを隠せない京一に、対照的なまでに冷ややかな表情のまま、龍麻が呟く。
「・・・ありがとう」
その頭を抱え込んで、艶やかな黒髪をぐしゃぐしゃとかき回す。
「化けモンって言われて礼を言う奴があるかよ」
『ありがとう』の本当の意味に気付かなかった訳ではないけれど、心からの喜びに気恥ずかしくなって京一は声を上げて笑った。
こいつは、誰の手も拒んで死んでいったあの鳥じゃない。
確信のように心に呟く。
側に居よう。
何かあった時、すぐに手を延ばせるように。
苦しそうに身を捩る龍麻に、慌てて抱え込んだ頭を放す。
「・・・殺す、気か」
憮然とした言いように爆笑して再び締め上げる。勿論、加減はしているが。
「何でぇ、それが命の恩人に言う台詞か?」
ぐりぐりと拳をこめかみに押し付ける。
一方的にふざけながら、京一はこの上もなく幸せだった。

終わり


おまけ:

このSSを書きながらひたすら思ったこと。
「ツッコミいれたいーー」
所詮、私はお笑いの女なのね・・・。

尚、サブタイトルの「What is love」はしつこくラルク・アン・シエルの曲から。いや、歌詞がちょっとひーちゃん・・・。