『6363』

北斗玻璃

 「おい、本当に大丈夫なのか?」
不安を隠せない面持ちで、部員の一人が耳打ちした。
「まぁ、黙って見てろよ。」
丸めた台本で肩をポンポンと叩き、穂沢は自身に満ちた笑顔で、舞台に目をやる。
 中央の位置に立つ、長身の影。
 練習の為、照明は蛍光灯のみの単一な光源の中で、何故か彼の周りだけ明暗がくっきりと見える。
 緋勇龍麻。春先に来た転校生だ。
 手渡された台本を片手で支え、丁寧にページを繰る立ち姿は、舞台の他の演劇部員よりもサマになっている。と感じているのは穂沢だけでない事が、集められた視線からも分かる。
 真摯なその表情(とはいっても、前髪で隠れてほとんど見えナイ。)に、妥協を許さない意思の強さを感じる。
(うわ〜、穂沢のウソつき――。練習見るだけって言ったのに〜…。えーん、なんかみんなコッチ見てるよ〜。こわくてホンから顔があげられないよ〜…)
本人は、変わらぬ表情の裏で、かなりぱにくっているのだが。
 穂沢は、自分の観察眼の確かさ(この場合は、ただのカン違い)に口元が笑むのを押さえられない。
 ……先刻との、この存在感の違いはどうだろう。パイプ椅子に背を正して腰かけたまま、何に反応するわけでなく淡々と練習風景を眺めている様に、無理に連れて来て悪いことをしたかと思っていたのだが。
 「じゃァ、緋勇。悪いが赤ペンでチェックを入れてあるトコロを適当に合わせて読んでみてくれ。他のヤツらが勝手に動くケド気にしないでいいからな。」
(何!?穂沢エラそうっ?ひょっとしてお前、部長!?監督!?オレのまわりって、ホント部長と生徒会長が多いよなーって生徒会長は一人だけやっちゅーねん!)
…………ああ。」
心の内の諸々の機微を無視した短い答えだが、その低いバリトンは、音響効果を考えた舞台の上で更なる深みを増す。
 「シーン18から入りマース。」
立ち位置から見るに、龍麻の相手役だろう。丸々としたフォルムをした部員が軽く手を挙げて宣言する。
(うわー、このヒトどっかで見た気がする………そう!動物園のカバ!ってヒトちゃうやん!(裏拳))
 一人楽しくボケツッコミを入れる龍麻を下から見上げる形で、部員が声を震わせた。
『どうしても、いってしまうの?』
『(あっ、ビックリした。もう役入ってたの。さすが、プロってアマチュアやっちゅーねんっ!え〜と、え〜と、赤ペンのチェック、チェック)……彼等も、海へと帰って行く。僕も旅立つ時がやって来たんだ。』
必死に台本を読む龍麻の視界の端を、妖しいものが横切る。
 思わず龍麻は目を奪われた。
 ウネウネ、クネクネと、関節がないなオマエ等。といった感じで複数の部員が舞台を横切り歩いて行く。(そして舞台の端へ消えた部員は、また反対の端から同じように出てくる。)
『(何だ、コレは!?この気味の悪い動き……何処かで見た事がある…そう!昆布だよ昆布!あの海の中でヒラヒラヒロヒロと漂っている動きにそっくり!すると設定は海だなっ。随分練習したんだろうなぁ、この動き…まさしく昆布道を極めているって全然ちゃうやんっ)…また、春になったら、戻って来る。』
不気味な動きを目で追いつつ、次の台詞を重ねる。
『約束だよ。』
うるりんと潤んだ瞳で胸の前で手を組み(台本は脇の下に挟んで)、部員が嘆願した。
……分かった。約束するよ(しかし、何の話なんだろうなぁ、コレ。カバ、昆布、海…約束?別れ話が抉れてるようにも聞こえるよな…ハッ、そうかッきっと浦島太郎だなっ。オーソドックスな話に多少のアレンジを加えてあるんだよな。きっと。んで、この後カバな乙姫から玉手箱を貰うんだっ。てカメは何処におるねん!)……。』←骨董品屋に。
 続きを読もうと、ページを指で弾く。
 どうやら場のクライマックスだ。相手のカバと、昆布の群と、舞台下の穂沢が息を詰めたその時……
 キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン。
間延びしたチャイムが鳴り響き、龍麻は顔を上げた。
(あれ、もうこんな時間か〜。結構時間忘れてやってるよなオレ。何かコレって面白いかもな〜。考える必要がないから、スラスラ言葉出てくるしっ。まさしく会話って感じ!?)
 時計を見上げて動きを止めたままの龍麻に、穂沢が申し訳なさそうに声をかける。
「あ、悪いな緋勇。こんな時間まで付き合わせて…。」
龍麻の沈黙を、別の形で受け取ったらしい。
「手伝ってくれて助かったよ。…また、来てくれよ。」
穂沢の言葉に小さく頷く。(えっ、いいの!?2度と来んなとか、邪魔だったとか、トロかったとか言わないっ!?いーヤツだったんだなーっ、穂沢ーー!!)
 龍麻は全員にスッと頭を下げ、(でも、他の部員のミンナには、一応謝っとこ。ゴメンね邪魔しちゃってっ。)静かに講堂を出て行く。
 その後ろ姿を見送り、演劇部員達はワッと穂沢を取り囲んだ。
「スッゲー、何か声のイメージ、ピッタリッ!」
「何でもっと早く連れて来なかったんですかっ!?」
「あまり乗り気じゃなさそうだったけど…、もうあの人以外では納得できませんよ!」
口々の意見は、穂沢と同様のものだ。
 台本を読んだだけで演技を掴んだあの才能。
 旅立ちを前に、別れを惜しむ友の視線に耐え切れず、目を逸らす動作は、見るものに切ない思いを抱かせ、求められた約束に応じるまでの間は、迷いから決意へと移行する感情の流れを確たるものにする…演劇部の文化祭発表は、彼を抜きにしては考えられない。
 「よし。」
穂沢は重々しく頷いた。
「スナフキンは、彼に決定する!」
その宣言に、ムーミンとニョロニョロ役の部員達が歓声を上げた。

 真神学園高校演劇部、文化祭発表作品『ムーミン・ムーミン』。乞御期待。

     終

追記 本番の状況を想像しながら読むと、楽しいカモ知れません。
    主役は青の全身タイツ。
    端役は白の全身タイツ。
    よかったな緋勇。帽子に緑の服までついてるぞ。