猪鹿蝶

南条武都

「村雨」
 言葉数が異様に少ないが、存在感は異様にある緋勇龍麻が村雨に声をかけてきたのは、冷たい風の吹くある冬の夜だった。
歌舞伎町のいつもの場所に陣取っている彼のところに来た龍麻は、周りの浮ついた雰囲気と全くそぐわない氣を備えているために、相当浮いている。
「何だい、先生」
村雨が、彼女と話の出来る機会を逃してたまるか、と急ぎ持っていた花札を揃えて(カモも追っ払って)答えると、
「・・・・見て貰いたいものがある」
龍麻は自分の部屋に来るよう言う。
何でも最近、如月骨董品店で彼の武器となる『花札』を手に入れたとかで、それを気に入るかどうか見て欲しいらしい。
「いいぜ、先生の家にも行けるしな」
先生とさっそく呼ぶくらいには龍麻を気に入っている村雨だから、普段ガードの堅い真神の4人や他の仲間に邪魔されず、サシで話が出来るというのは否応もない申し出だった。

 龍麻の家は4DKの、一人暮らしにしては随分豪華なマンションだ。
義理の両親が用意してくれたものだ、と龍麻がぼそっと答えるのを聞きながら見回す。
龍麻自身の性格を如実に表していて、部屋の中は実にシンプルだ。ベッド、洋服箪笥(年頃の女性にしてはかなり小さい)に勉強机等、必要最低限の家具しか無い。
折り畳みの机と座布団を床に広げ、暖かいお茶も出し、龍麻は村雨にも座るように示す。この辺のもてなしは、良く来る仲間達によって鍛えられたものらしい。
「これだ」
「へぇ・・・?」
龍麻が取り出した花札は、一目見て業物と分かる代物だった。描かれた絵の美しさもさることながら、触れた指先からしなやかな指触りと共に、札と自分の『氣』が同調し始める。
(さすが如月、いい眼をしてやがるな)
心地よい感覚に口元を緩めてから、
「・・・どうだ」
問う龍麻に視線を向ける。
「そうさなァ・・・・良くみねェとわからねェな。先生も見てくれよ。業物かどうか、分かるよな?」
わざわざ龍麻の方に移動すると、密着せんばかりに近づいた。彼の思惑に全く気が付かないらしく、龍麻は視線を落とす。
「・・そうだな。俺はいいものだと思う・・」
しかも真面目に答える龍麻。
 村雨は話など聞かず、何の警戒もしない彼女の顔を思う存分見つめた。
わずかに触れる細い体、抜けるような白い肌に黒曜石の瞳、細い黒髪、すっと通った鼻筋。そして柔らかそうな朱の唇が、すぐ間近にある−
(・・・綺麗だよな、コイツは)
しみじみとそう思ったので、
「・・・・・・村雨?」
ちゃんと話を聞いているのか、とわずかに眉根を寄せて顔を上げた龍麻。その唇に軽く、自分の唇を重ねた。
「・・!」
さすがに驚いたのか、微かに目を丸くする。村雨はさっと離れると、にやりと笑う。やっぱり思った通り、柔らかい。
「ご馳走さん、先生」
「む・・」
「て・・・て、て・・」
龍麻が彼の名を呼びかけようとしたところで、他の声が割り込んできた。何だァと後ろを振り返ると、そこには顔を真っ赤にした京一がぶるぶる震えながら立っている。村雨が龍麻と一緒にマンションに入っていくのを見て、走ってきたらしい。
「おお、京一のダンナじゃねぇか。よっ」
かる〜く挨拶をする彼に、言葉を詰まらせていた京一は木刀を突きつけ、
「て、てめぇぇぇぇ!ひーちゃんに何してやがるっっっ!!!!」
と思いっきり怒号をあげてしまった。
「オイオイ、そんなデカイ声出さなくても耳は悪くないぜ、ダンナ」
「やかましい!てめぇやるに事欠いて、ひーちゃんに、き、き、ききき・・」
「何だって?」
楽しそうな村雨をにらみつけると、京一はダッシュで龍麻に走り寄り、がしっと掴んで彼から引き離した。
「お前はもう近づくんじゃねぇ!ひーちゃん、こいつを半径5メートル以内に入れちゃ駄目だぞ、キズモノにされっかんなッ」
「俺ぁ節操無しかい」
さすがに不満そうに口をとがらせる村雨。わかってんじゃねぇか、つうか今やったことは何だよっ、と京一はかみつくような勢いで言った。
彼に頭を抱え込まれた龍麻は展開についていけず黙り込んでいたのだが、そこに至ってようやく口を開いた。
「・・・・京一、落ち着け」
ぽんぽん、と手を叩く。だってよぉ、と泣きそうな顔の彼を見上げると、
「・・・たかだか、口がぶつかっただけだろう」
とあっさり言い捨てた。
 思わず硬直する男二人。
間をおいて、先に硬直から立ち直った村雨が大爆笑し始めた。
(・・・・・ぶ、ぶつかっただけってひーちゃん、そんだけ?!)
京一の方は真っ白である。
「は、ははははは・・・いいねェ!」
ひーひー笑う村雨は、
(何がそんなにおかしいのだろう)
と多少憮然とした表情の龍麻に近づき、くいっと顎を持ち上げる。
渋いかっこいいサイコウと世のお嬢さん方に評判の顔を至近距離に寄せ、
「そんじゃ今度は『ぶつかっただけ』じゃないのをするかい、先生?」
ニッと笑う。
「!!!」
京一はすさまじい勢いで再び龍麻を引き離し、村雨に遠慮仮借なく『地摺り青眼』をかましたのだった・・・・・・(おいおい)