LOVE PHANTOM 3

川原雅

 ──呼んでいる。
 誰かが、オレの名を呼んでいる。
 それが誰の声だったのか思い出せなくて、ひどくもどかしい。誰だったっけ? すごくよく知ってるはずなんだけど。
──ちゃん、ひーちゃんってばよ」
ぺちぺちと頬を叩かれる。うー、ざっくり斬られて瀕死なんだからそゆことするなって、あれ?
「気がついたか?」
薄目を開けると、晶一の顔がすぐ近くに見えた。その横にマリィの顔もある。思わず肩口に手をやってしまうが、傷なんてどこにもない。なんだかひどくリアルに感触が残っているのに。えっと……どうしたんだっけか。身体がだるい。
「おーい、ひーちゃん。…しっかりしろよ」
また目を閉じてしまったら、軽く身体を揺さぶられた。それではじめて自分が晶一に抱きかかえられているんだと気がついた。ああ、制服に血がついちゃうぞ。クリーニングが大変…じゃなくて。うう、なんかよくわからなくなってる。
 確か、水晶玉に《気》を吸い取られて、それで蹴りかましたらアレが光って…そうそう、その水晶玉はどうなったんだ? 頭だけ動かして部室の中を見る。
「アレか? あそこで浮かんでる」
晶一はオレの意図に気づいて、上半身を起こすのを手伝ってくれた。
「びっくりしたぜ。いきなり廊下に引きずり出されたかと思ったら、部室ん中がすげぇ光って。慌てて中に入ったらひーちゃんひっくりかえってるし」
なんだか声に刺があるような気がする……しょうがないじゃないか、そうなっちゃったんだから。不可抗力ってやつ? でもごめん、と謝ったら、拗ねたような怒ったような顔で視線を外されてしまった。怒らせるつもりじゃあなかったんだけど……
「オ兄チャン、ダイジョウブ?」
心配そうに見ているマリィにひとつ頷く。けど、頷いたらちょっとクラっときた。
「無理すんなって…もうちょっと大人しくしてろ」
肩を引き寄せられて、晶一に寄りかかる。お前、怒ってたんじゃなかったのか? まだそっぽ向かれてるから表情がわかんないけど、心の中で感謝して、甘えておくことにした。マリィがこっちを見てにこにこしている。あれっ、そういや、マリィの肩に黒猫が乗ってる。メフィスト、みつかったんだなー。良かった。

 三人で床に座りこんだまま、水晶玉を見る。それは、まだ部屋の真ん中あたりに浮かんでいた。中心に微かな光が明滅している。傷ひとつないところを見ると、オレの全力の蹴りでも平気だったらしい。くそぉ、ちょっと傷ついたぞ。
「なんなんだよ、アレ?」
そう言われても、オレにだって解んないよ。調べるにしても、こうだるいとなー……なんだか眠くなってきた。
「おい、こんなとこで寝るなって……ひっ!」
悲鳴と同時にいきなりがしっとしがみつかれた。い、いつものパターンなんだけど今はやめてくれっ。い、息ができん。苦しいっ。
「ひーちゃん、あれ、あれあれっっっ」
目を開けると、水晶玉のあたりに、ぼんやりと人影が見える……途端に、強烈な妖気が溢れてくる。うひーーーっ、またさっきみたいになったら今度こそ本気で倒れるっっ。けど立ち上がろうにも晶一がしっかりくっついてるので身動きがとれない。振りほどけるだけの力もない。
「オ兄チャン!」
───マリィ!」
「マリィに任セテッ!!」
ま、任せてって言われても。
 水晶玉とオレ達の間に、金髪の少女は立ちふさがった。身構えた彼女の身体から、力強い、それでいて清廉な《気》を感じる。その両手から、まるで炎のようにオーラが立ち上った。いや、炎そのものなのか? 火事はマズイぞっ!
「デュミナス・レイ!!」
炎が生き物のようにうねり、水晶玉と形をとろうとしている影に向かう──しかしそれは、水晶玉の前で霧散した。
 息を飲むオレ達の前で影が濃くなり、やがてはっきりとした人の形になった。う…女の子…かな?
セーラー服にメガネで、人形を持ったその女の子は、顔をあげると、笑った。
『う~ふ~ふ~ふ~』
ーーーーっ、なんかしらないけどめちゃめちゃ怖いっ(泣)
思わず床の上を後ろにずり下がってしまう。それは晶一も同じだったようで、二人で部室の壁が背中に当たるまで後退してしまった。
「アッ……ミサオネエチャン!」
マリィが嬉しそうに声をあげる。し、知合いですかっ? マジで? 良かったな、知ってるひとを焦がさなくて。
『マリィちゃん~、捜したのよ~。すこぉし時間がかかっちゃったけど、ごめんね~』
あうう、人形が笑ってるっ、笑ってるよぅぅ。声も出せずに…いや元々出ないがそれは置いといて、二人を見つめる。
『ひーちゃんのおかげで、こっちと繋げることができたわ~。ありがとう~。なかなか《気》が集まらなくて~』
「なっ…なんでひーちゃんのこと知ってんだよ! いや、それ以前にお前、なんなんだっ」
晶一、声が裏返ってる。それとオレの後ろに隠れたまま言うのはよしてくれ、怖いから。
『京一くんは~、やっぱりひーちゃんと一緒に居るのねぇ~。う~ふ~ふ~』
京一って、マリィが言ってた晶一に似てる人、だよな。てことはひーちゃんっていうのもオレに似てる人、なんだろうか。あだ名まで一緒なんだなぁ。晶一が何かぶつぶつと呟いたけれど、面と向かって言う気はないらしい。そうだよなぁ、文句言うのも怖いもんな。
『今は時空が不安定なの~。《刻の道》が開かれた影響なんだけど~。その後の戦いで次元の壁の薄いところを突き抜けちゃったのね~』
「それじゃあマリィは幽霊ってわけじゃなくて、そっちの人間なのか」
『そうなの~。そちらで幽霊のように見えるなら~、完全に次元を越えたわけではなくて途中でバランスがとれてしまっているのね~。メフィストがこちら側からも見えるからそうじゃないかと思ったんだけど~。メフィストにここまで連れてきてもらうように頼んで正解だったわね~』
うう、なんのことだかさっぱりわかんないよ~。朱鷺のみちってなんだろう。朱鷺って渡り鳥だったかなぁ。それともシルクロードのようなものか? あー眠いから全然思いつかない。
でもとりあえずマリィは幽霊じゃなくてちゃんと生きてるらしい、ってことはわかったぞっ。
「で…あんたはマリィを迎えに来たんだろ? そっちに帰す方法はあるのか?」
『それなんだけど~』
「戻レルノッ?」
『ミサちゃんは~、壁の薄いところを使って転位の魔法陣でお話ししてるの~。位置もちょうど霊研と一致してるし~。媒体として水晶玉を使わせてもらったけれど~。それにそちら側にも強い《気》の流れがあるの~』
うー、このひと…えっと、ミサちゃんだっけ…の話し方、途中が間延びしてて聞いてると眠くなる。思わず寝かかったら「寝るなッ!」と怒られた。耳元で言わなくてもいいじゃんかー。おかげで目は覚めたけど。
「説明はいいから、できるかできないのか言えよッ」
『それにはひーちゃんと京一くんの協力が必要なの~』
それは、オレでできることならするけど、どんなことなんだろう。あ、なんかイヤな予感。
『ミサちゃんが使ってるのと同じ魔法陣を、そちらでも書いてほしいの~』
「そりゃあかまわねぇけどよ…どうやって書きゃいいんだよ」
『映像だけ投射するわ~。でも、ミサちゃんが《場》を維持するにも限界があるから~なるべく急いでね~』
その台詞が終わらないうちに、彼女の姿は消えて、かわりに光る細い線で描かれた丸い模様が床に映る。魔法壜ってポットのことじゃないのかー。まぁいいや。
「これをなぞって書けばいいってことか…んじゃやるか、ひーちゃん」
先に晶一が立ち上がって、オレの手を引っ張ってくれた。うん、さっきよりはだいぶマシになったかな。

 机をかたずけて、床に黒板のチョークを使って線を引いていく。のはいいんだが、これがなかなか難敵で、うっかりすると書いたところを踏んで消してしまい、また書き直すはめになる。書いてある文字らしきものもさっぱり読めないし。マリィはチョークが持てないので、横から線が切れてるところがないかどうかチェックしてもらうことにした。
……そういや、いつのまにかオレが間に入ってなくても、マリィと晶一、普通に会話してるよ。
 オレがもたもたしている間に晶一はさっさと書いていく。普段えらく大雑把なクセに、こういうことは得意だよなー。
「ひーちゃん、しんどいなら休んでていーぜッ」
そうしようかなー。なんか邪魔しかしてないような気がしてきた。すまん、と謝って、少し離れて座り込む。うー、ちょっと冷えてきたな。遅くなっちゃったし、碧が心配してるかも。心配症だからなぁ。でも何してたの? って聞かれても説明できなさそう。
「よし、完成…か? そっちから見てくれよ」
「大丈夫ダヨッ」
『う~ふ~ふ~、ありがとぉ~』
マリィがOKを出したところで、またミサちゃんが戻ってきた。や、やっぱりいきなり出てこられると心臓に悪いっ。
『あとは~、そっちとこっちから同時に繋げてやればいいだけ~』
「ドウスレバイイノ?」
「魔法陣の起動だろ? 生贄とか血の宣誓とかいるんじゃないだろうな」
「血ノ宣誓ッテナニ?」
「生贄の血のかわりに自分の血を使って…いや、ごめんマリィ。聞かなくていいから」
ううっ、またコワイ話してるなぁ。お姉さんの影響とか言ってたけど、怖がりのわりに怖い話が好きなんだよな。でも途中で自分が何を喋っているのか気がついたらしい…それにしてもマリィ、そういう話でもわりと平気で聞いてるね。感心しちゃうよ。
『ひーちゃんと京一くんだったら~そんなことしなくても平気よ~。普通の人よりずっと力のある陽のプラーナを注ぎ込んでくれれば~』
う、それって、やっぱりもういっかい《気》を渡すってことですか? 大丈夫かなオレ。晶一がなんだか心配そうな目でこっちを見たけど、他に方法がないならしょうがないよな~。さっきみたいに倒れないことを祈ろう、うん。…かなり不安だけど。
『じゃあ、お願いね~。あ、二人は魔法陣の中に入らないようにね~。こっちに来たいならそれでもいいけど~』
「行くかッ。とっとと始めるぞ!」
 マリィがメフィストを連れて円の真ん中に立ち、オレ達は《気》を高めて円の左右に立つ。あ、線踏まないように気をつけないとね。
「オ兄チャンタチ……アリガトウ…Tanks」
「いいってことよ。それにまだ成功するとは限らねぇしな」
そうそう、お礼は帰ってから…いや帰ってからだと話せないか。
『それじゃあ、始めるよ~』
もうミサちゃんの姿はない。床に降りた水晶玉から、何語だか全然わからないけど呪文が流れてくる。それと同時に、チョークの線がうっすらと光りはじめた。円陣の外側に《気》が渦を巻くように流れ込む。ここにオレ達の《気》も乗せてやればいいんだよな。
 特に苦労しなくても、ほんの少し意識を流れに向けるだけで、あっという間に身体から力が抜けていく。ううっ、目が回る~。や、やっぱちょっと無理があったかも……
「ひーちゃん!」
晶一の叫びがどこか遠くで聞こえた。それとなんだか盛大な音。と同時に焼けるような痛みが腕に走る。
場所をあけるために積んでおいた机の山に身体ごと突っ込んだらしい…うわ、手の甲切ってる。傷を見ようと腕を上げたら、血は流れ落ちずに、《気》の流れに乗った。そうか、さっき晶一が血がどうとかって言ってたもんな。これでも良かったのか…
 光がひときわ強くなり、マリィを包みこむ。最後に見えたのは、彼女の笑顔だった。バイバイ、マリィ。元気でな。

 「行っちまったな」
「…ああ」
なんだか大変だったけど、無事に帰ったみたいで良かった。もう迷子になるなよー。
「そうだ、ひーちゃん、怪我は?」
んー、これぐらい舐めとけば癒るだろ。オレ人より怪我はやく癒るみたいだし。
切れたところをぺろっと舐めたら、妙な顔をされてしまった。…なんで赤くなってるんだ、お前?
「あ…あのなぁ! ちゃんとしないとダメだろうが!」
腕を捕まれて、洗面台まで引っ張って行かれた。なんだよ、そんなに怒ることないだろ。ちょっと派手に血が出たけど、傷はそんなに大きくないのに。それにまだだるいんだからそんなに引っ張らないでくれ。転びそう。
 洗面台で傷を洗ったら、晶一がハンカチを巻いてくれた。
「お前んちに行ったら、ちゃんと消毒すっから」
そういや、鞄、玄関に放りっぱなしだっけ。そもそも一緒に宿題やるつもりで、オレの家に来る途中だったんだよな。宿題どころじゃなくなっちゃったけど。でも晶一がいてくれて助かったよ。オレひとりだったら、きっとどうしようもなかったもんなぁ。
 ふたりで校舎を出て、家路につく。ハラへった、とボヤく横顔を見つつ、改めて感謝した。ありがとな、晶一。やっぱり、し、親友だよなっ。オレのほうは何にもできないけど、いつか機織りにってそのネタは人様のだからよせ? むう、じゃあいつか家に魚を置きに…ちょっとマイナーだったか。ともかく、オレにできることなら何でもするから。これからもよろしくなっ。
 翌日、部室を片づけて行くのを忘れたせいで大騒ぎになるんだけれど、その時のオレ達には知るよしもなかった……

終わってしまえ。

10/28/1999