犬山ヒロ
今、京一の目前で、龍麻は綺麗に背筋を伸ばし、碁盤に向かい合っていた。その整った表情には何の感情も伺い知れず、だがいつものように、漆黒の瞳だけは前髪に覆われながらも強い綺羅めきを放っていた。
いつものごとく如月骨董店に訳の解らない道具類を押し付け、いつものごとく必要以上に龍麻をかまおうとする如月に警戒し、いつものごとくお茶を御馳走になろうとする龍麻の後に続いて縁側に行くと、いつもと違い、龍麻の背に緊張が走った。
どうしたんだ?と龍麻の視線の先を窺うと、其処には碁一式が日干しされていた。
こんな物の何処に、緊張しなければならない要素があるのだろうかと考え、ふっとある事が思い出された。
(そういや、ひーちゃんは両親と何か確執が有るんだったよな…両親との間に凝りが出来る前、父親と、こんな風に縁側で、碁を打った事が在るのか?それを思い出して今、辛いのか?なあ、どう何だよ竜麻…)
体に走った緊張とは裏腹に、龍麻の表情は全くいつもと同じで…だが、碁を打とうと言う如月の誘いに直ぐに答えない事から、その動揺の大きさを悟った京一は、心が鈍く痛むのを感じた。
(お前はけして弱味を見せようとはしないが、今とっさに答えられないぐらい、辛いんだろ?俺達が…少なくとも俺は、今こんなに近くに居るじゃねえか。お前は一人なんかじゃねえんだ。その事を解ってくれ…)
龍麻に己の存在に気が付いてもらいたくて、京一は首に回した腕にそっと力を込めた。それだけでは足りないと、龍麻の耳元で渾名を呼ぶ。
「ひーちゃん…」
ハッとしたように龍麻は京一を振り返った。当たり前の事だが、直ぐ近くに有る龍麻の瞳の色に、思わず見とれてしまう。
それはひどく透き通っていて、痛い程美しかった。
暫く無言で見つめ合ってしまうと、不意に龍麻は微かに頷き、瞳の光を緩めた。穏やかになった瞳の色に、改めて顔の近さを意識してしまい、たじろぐ。
だが、今は独りでは無いと言う事を解らせたくて、その体から、腕を引く事はしない。
(べっ別に、龍麻の抱き心地が腕にすっぽりと嵌って気持ち良いとか、俺より少し低めの体温を暖めてやりたいとか、そんな事思ってねーよ!!って誰に言い訳してるんだ、俺っ)
もうそんな事を、無意識の内に言い訳している時点で駄目な事に、幸い(?)にも気付かず、京一は一寸顔を背ける。
そんな京一の態度を特に気にする様子も無く、龍麻は口を開いた。
「やるぞ………五目並べ……」
響きの善いバリトンが、直接体を通して伝わり、背筋に快楽にも似た電流が駆けて行く。暫くそれが、先程の如月の誘いに対する返答だと気付けなかった。
囲碁なんてかったるい物のルールを知ら無さそうな、京一に対する配慮だろうか、龍麻のその提案に、少しがっかりした様子を見せる如月を無視しつつ、京一は賭けを持ちかける。勝負事に賭けは付き物だ。
『龍麻は独りじゃ無い』その思いが伝わったようで、京一の気持ちに拒絶を示さなかった龍麻の態度に、至極浮かれる自分が居た。
「よし、一番負けた奴がラーメン奢りな!!」
浮かれた京一の声に、如月はうんざりとしながらも、喧嘩を吹っかけて来る。
(へへん。ひーちゃんがお前よりも、俺に気を使ったのが悔しいってか?そんなの当たり前だろーがよ。俺はひーちゃんの相棒だぜっ)
奇妙な優越を感じながら、如月のその挑発に乗ってやる。
普段何かと付け、京一に、自分と龍麻の繋がりを見せつけるような態度を取る如月に対して、今だけは、より強い龍麻との繋がりを感じ、余裕が生まれる。
「後で吼えヅラ掻くのは、てめえだぜ!!!」
実際に、如月は京一よりも圧倒的に強かった。その性格を表すかのごとく、目敏く嫌味な手で京一を翻弄し、真綿で首を絞めるように止めを刺す。
細かい策略を巡らすよりは、竹を割ったかにように猪突猛進型の京一には、五目並べは全くの不向きな遊戯だった。
嫌味たらしく如月が、京一に『ある言葉』を言わせようと迫って来るが、たとえ遊びの上だとしても、こいつにだけはその台詞を吐きたく無いと、碁盤の上の碁石をわざと音を立てて片付ける。
碁盤の横にどっしりと腰を落ち着けて、二人の勝負の行方を見届けていた龍麻が不意に、京一に強い視線を送って来た。
その視線に何を思ったのか、如月が龍麻に顔を寄せて囁く。
「なんだ、まずは京一君に止めを刺すのかい?一応あんな彼でも、知性に対するプライドが無くはないらしいから、お手柔らかにね?」
瞬時にして頭が沸く。わざと見せつけるようにして、龍麻の肩に手を置く如月に対してなのか、そんな如月に何の警戒心も抱かず顔を寄せるのを許した龍麻に対してなのか、それとも、その台詞事体に対する怒りなのか、京一にも訳の解らない間に言葉が飛び出て行く。
「ひーちゃんから離れろ、エロ亀!!」
しまったと思ってももう遅い。これではまるで、必要以上に接近しているように見える二人に、嫉妬しているようではないか…
(いや、俺はただ単に、変な所で警戒心の薄い龍麻を、魔の手から守ろうとだなぁ…)
慌てて心の中で言い訳するも、京一の混乱した心境に気付いているのかいないのか、龍麻は如月と入れ代わり、碁盤の前にスッキリと正座すると、いつものように礼儀正しくお辞儀する。
古い家屋に、飴色に変色した年代物の碁盤。その後ろに座するは、キッチリと黒い学生服の詰め襟を留めた男。詰め襟からは、男にしては白く繊細な首筋がすらりと伸びている。端正な顔を優しく覆うのは、鴉の濡羽色をした、艶やかな黒髪。その向こうに見えるのは、光が注している訳でも無いのに、煌めく黒曜石の瞳。
この、黒と白のみのコントラストの中、唯一華を添えているのは形の佳い、紅い…朱唇………。
この空間のみ、現代の目紛しい時の流れから切り離され、ゆっくりと典雅に時代の重みを重ねて来たかのようだ。
思わず開いた口の中が乾き、ゴクリと己の唾液を飲み下す、厭に生々しい音で、京一は我に返った。
長く見とれていたような感覚に、僅かに狼狽えて、京一はわざとふざけた声を絞り出す。
「へへっ…まあ、よろしくな。龍麻」
動揺が、思わずいつもの渾名ではなく、名前を呼ばせる。
それが切っ掛けになったのか、龍麻の氣が急速に戦闘中のように集中して行くのが感じられた。
表情はいつものまま何も表してはいない。が、肌に痛い程の集中に、京一は龍麻が緊張している事を悟った。
(…まだ、これに向かい合うのは辛いか?その辛さを悟られまいとして、こんなに緊張しているのか?こんなのは、只の遊びなんだぜ、ひーちゃん。遊びって言うのは辛くなる為の行為じゃなく、楽しむものなんだ。だから馬鹿言って、何暮に付け、賭けてみたりするんじゃねえか…お前が楽しめねえんじゃ、こんな事、何の意味もねえ)
止めよう。そう京一が言い掛けるのと同時に、龍麻のしなやかな指が碁石を掴み取り、舞い飛ぶ蝶のように碁盤の上に閃いた。
---パシンッ…
たったこれだけの事で、如何してこんなにも意識が惹き付けられるのだろう…迷いの無いその動作に、龍麻の緊張は、辛いのではなく、純粋にこの勝負を楽しむ為のものなのだろうかと、京一はその瞳を覗き込んでみる。
「ッ………」
常人にしては鋭いながらも、龍麻の常からすれば、幾分柔らんだ瞳の色に、そうだ。と言われているようで、京一は安堵する。
後はもう深く考える事もなく、せっかく楽しんでいるらしい龍麻に水を指さぬ様、全力で盤面に集中する。結果は如月の時よりも明らかに、惨敗だった。
(まあ、当たり前だろうけどな。普段あんなに絶妙に仲間達を配するお前が、こんな遊び、取り零す訳ねぇよなぁ)
思った通りの事を口に上らせる。如月の時に感じた苛立ちは、チラとも浮かんでは来ない。
「まあ分かってたけどよ。やっぱ強ぇーな、ひーちゃんは」
京一のその言葉に、本当に珍しく、龍麻はすぐに返答を返した。
何処までも真直ぐにこちらを見つめながら…
「いや…ありがとう……京一」
ふうわりと、緩やかにその唇に弧が画かれる。龍麻の長目の前髪を、弄ぶかのように風が攫って行く。
顕われる両の瞳……優しい、優し過ぎるその色…
龍麻は今、自分がどのような表情をしているのか、気付いているのだろうか?否、気が付いていれば、けしてこのような心を露にするような表情を見せないだろう。
また、いつものように、それを隠される前にもっと近くで見ようと、京一はガシッと龍麻の首に腕を回す。
そして、龍麻の言う礼の本当の意味を、間違える事無く理解した事を悟られまいと、わざとおちゃらけて、的外れの返答を返した。
「なんだよ、ひーちゃん。もう奢りの礼かよ!!まあ男に二言はないぜ。しょーがねえから亀共々面倒見てやるよ」
(お前はまた、自分の心を見せてしまったと気が付くと、隠しちまうだろうから言わねえけどよ、俺と居て、良かったろ?また一つ、お前が楽しいと思える事を増やしてやれた。もっと、もっとずっと側に居ようぜ。俺は絶対に、お前が楽しいと思える事を増やしてやれるから…もっと…)
京一のその思考を妨げるように、如月がちょっかいを掛けて来る。
すっかりその存在を忘れ去っていた京一は、龍麻との心の交流を邪魔されて、今までの苛付きを爆発させてしまった。
不毛な舌戦がその後十分程繰り広げられると、如月は、静かにその様子を観察していた龍麻の視線が気になったのだろう。二・三咳払いすると、取り繕って、また今度囲碁をやろうと、龍麻に約束を取り付けていた。
その会話の途中、チラチラと京一に目線をやり、態度で今度はこの赤毛猿に邪魔されないようにと、声無き声で訴えているのが分かり、京一は更に腹が立つ。
(お前なんか、ひーちゃんが苦しんでいる事に気が付きもしなかった癖に!!)
龍麻がいつも通っているスーパーのタイムサービスを理由に、如月から引き剥がし、その背を押して、骨董店を後にする。
後ろから、如月の声が追い掛けて来るが、そんな物は綺麗さっぱり無視をする。
先程の心の交流を再び再現出来ないかと、龍麻の首筋に懐いてみる。
フワンと、龍麻の髪から爽やかなシャンプー香りが、京一の鼻腔に届いた。
(へへへ、俺も今、これと同じ匂いさせてんだよな)
何だかよく分からない幸福感に包まれて、たまにはこんな午後もいいのかもしれない、と思う。
大切な親友と、気持ちのいい午後に、縁側で碁に興じる。
そんな他愛無い日常。
京一の心境を読み取ったかのように、実に良いタイミングで龍麻が絡めた京一の腕を軽く叩き聞いて来た。
「好きなモノを言え」
(え?え?好きって、『者』て、ひーちゃん…)
瞬間京一は焦ったが、後に続く言葉に納得する。
「食わせてやる」
(ああ、何だ今日の夕飯の話か…って俺は何に慌ててんだ?!)
京一は慌てた事実に更に狼狽え、心の平安を保つ為に、とりあえずよく分からないままツッコミを入れる。それで少し冷静になった頭で考える。
(何だよ、ひーちゃんが献立聞いて来るなんて珍しいな…もしかして、今日の礼のつもりか?ひーちゃんらしいっつーか、多分俺がひーちゃんの礼の本当の理由に気が付いてないって思ってても、そうしたいんだろうな…律儀な奴。そんな気遣い、いらねーつうのによ)
その律儀さが他人行儀な感じがして、気に入らなかった京一は、何でも良いと答えようとして、そこで考えを改める。
「…ひーちゃんが作るもんは何でも上手ぇけどよ、そうだな。たまにはカレーとか食いてぇかな」
京一の中でカレーとは、家族で食べるイメージだった。それを龍麻の手で自ら作られ、龍麻の部屋で食べれば、もっと近付いたような気分で、良さそうだった。
(ついでに、スーパーで今日の夕食の材料買ってから帰るのって、更に家族っぽくねえか?)
どちらかと言えば、それは家族と言う寄り、新婚さんに近い行動なのだと、京一は気が付く事は無かったのである。
夕暮れの中、京一は龍麻と一緒に、今日も(龍麻の部屋に)帰宅の途につくのだった。
2004/05/29 奪
犬山ヒロ「と言う訳で、【裏】です……………。
一つ一つではたいして笑えなくても、擦れ違い過ぎる二つを組み合わせれば、少しは笑えるようになるかと思ったのですが…
結果は押して図るべし………(滝汗)
唯一自信を持って言える事と言えば、タイトルぐらいですかね?だってほら、今回のテーマの『ご』←(あえて平仮名な私の心境を察して下さいませ)があんなにいっぱい………アハハ……(乾いた笑い)
ご、ごめんなさいいいーーーー
はっ思わず錯乱してしまいました。サーノさん、大変失礼いたしました。△だけは沢山有るので、蒔き散らかして、逃げたいと思います。
5周年、本当におめでとうございましたーーーー(遁走))」 2004/05/29 03:10
サーノ「裏も見事に勘違いしててお見事です!
でも間違えつつ最後は同じ境地に居る二人がイイですよね♪
わざわざ表も裏も書いて下さって、とても嬉しかったです(*^_^*)。
これでワタシが志し半ばで倒れてもきっとヒロさんが続きを書(殴)」2004/06/01 19:50