月のいたづら(前編)

ベミ

 それは月の美しいある日の宵のことでした。ベッドの上で龍麻くんと仲良く眠りにつく犬神くんの鼻先に、一条の優しい月光が窓のカーテンの隙間をそっと通り抜けて降り注ぎました。
 余りにも密やかなその光の訪問は、周囲はおろか、当の犬神くんにも気付かれることはありませんでした。
 
 一夜明けて、龍麻くんは自宅のベッドの上で大きく伸びをしました。ですが、なんだか身体が思うように動きません。不信に思ってベッドの傍らを見ると、自分に半分覆い被さるように、見知らぬ男の人が眠っています。
 驚いた龍麻くんは、転げるようにベッドから出ると、その人物をまじまじと見詰めました。
 身長は自分よりかなり高いようです。なぜか寝巻きの代わりに科学者が着るような白衣を着ていて、その白衣の下には、大人の男の人が着るような白のワイシャツとグレーのスラックスを身に着けています。そして目には眼鏡を掛け、顎には少し不精髭が生えているようでした。
 ですが、全体を見ると、その姿は若干普通の男の人とは違っているようにも見えました。
なぜなら、その頭には何故か犬のような大きな耳がついていて、おまけに白衣の下からはふさふさのシッポがのぞいています。普通の男の人にはそんなものはついていません。
「…ひょっとして…犬神くん?」
 龍麻くんのその声に反応したように、その男の人はゆっくりと目を覚ましました。そして、犬のように四つん這いになって伸びをすると、不思議そうに自分を見詰めています。
「犬神くんだよ…ね?」
 再度、龍麻くんはその男の人に呼びかけました。男の人(もとい犬神くん)は大きなシッポを振って、いつものように龍麻くんに朝のご挨拶をしようと顔を近づけました。
「わっ!ち、ちょっと待った犬神くんっ!!き、今日は挨拶はいいから…」
 犬神くんは、いつもと様子が違う龍麻くんに、「どうしたの?」という視線を向けましたが、自分が人間の身体に変化していることは、あんまり気にしていない様子です。
 けれども、やはり人間の身体は犬神くんにとって大変バランスが悪いらしく、いつものようなお座りができません。仕方なく、人間のように椅子に腰掛けるスタイルをとったようですが、シッポが邪魔になって思うように座れないようでした。
 一方龍麻くんはというと、これからどうしようかと考えを巡らせているようでした。
 今日は幸いにも日曜日で学校はお休みです。しかし、いつ何時友達が尋ねて来るとも限りません。もしこの状態を見られたら、明らかにあらぬ疑い(笑)を掛けられそうです。
 ですが、このままほっといて、果たして犬神くんが元の姿に戻ることができるのでしょうか?

「よし。京一くんに…いや醍醐くんに…だめだ。桜井さんや美里さんにも言えないし、他に力になってくれそうな人は…。」
 龍麻くんは必死に考えを巡らせましたが、真神の皆にはとても相談できません。だって彼らは只でさえ犬神くんのことを余り良く思っていないようですから…。
 桜ヶ丘病院のたか子先生に診てもらおうかとも思いましたが、今の犬神くんを連れて行って無事に済むかどうか判りません。だって今の犬神くんは、中身はともかく、見た目は結構イケてるナイスガイ(死語)なのです。龍麻くんが見てもカッコイイと思うのですから、無類のカッコイイ男好きのたか子先生がほっとくはずがありません。
 そこで、もう一つの案を考えました。真神以外のお友達に相談してみようと考えたのです。このような事態にちょうど役にたってくれそうなお友達がいます。それは若いながらも、一人で骨董屋を営む如月くんでした。
 如月くんは、最初は皆のように驚きはしたものの、犬神くんを怖がったり嫌ったりしない数少ない人の内の一人でした。
「よし、犬神くん。すぐに元の姿に戻してあげるからね」
 思い立ったら吉日という性格の龍麻くんは、にっこり笑うと如月くんの経営する如月骨董品店に出かける準備に取りかかりました。
 まずは犬神くんの恰好をなんとかしなくてはなりません。大きな耳はなんとか有り合わせの黒の帽子の中に押し込んで隠しましたが、白衣から覗くシッポをどうしようかと悩みました。
 しかし、幸い季節は冬。龍麻くんは、買ったものの、大き過ぎてそのままになっているお気に入りの黒のコートを犬神くんに着せました。そして少し離れて、犬神くんがどこからみても普通の男の人に見えることを確認すると、自分も急いで着替えを済ませ家を後にしました。