風邪をひいた日  What is love

えびちよ

 油断大敵───そんな四字熟語がぼやけた頭の中に浮かぶ。
 あ〜、咽喉が痛いー、関節が痛いー、だるい〜〜。
 一日中ベッドの上で横になっていても、ちっとも良くなったような気がしない。こんな時には薬の効き難い自分の体質が心底恨めしい。
 昨日から何だか咳が出るなと思っていたら夜中に急に寒気が襲ってきて、計ってみたら38度9分!そのまま、ベッドに倒れ込んだ。
 先日、雨に濡れたのがいけなかったのかもしれない。夏休みが終わりに近付いた今頃になってこんな風邪をひきこむとは。
 横になっていたものの何度も自分の咳で目が醒めてろくに眠れなかったし、うつらうつらしても見るのはヘンな夢ばっかだし・・・。
 え?どんな夢かって?な・い・しょ♪って、誰に言ってんねん。
 ・・・だめだ、心漫才も不調だ。
 明け方に汗で濡れたパジャマを着替えたが、今はもうそんな気力も残ってない。取り敢えず水分だけはとらないとマズイからミネラルウォーターの瓶だけはすぐ手の届く処に置いてある。
 さっき計りなおしたら熱は37度位までには下がっていた。一応、治ってはきてるのかな?
 でも食事は・・・作れる元気があったら寝てねーって。食欲もわかないし。
かといって何も食べないともたないしなー・・・。
 一人暮しの不自由さを今更に思い知った。孝行をしたいときには親は無しって、勝手に殺すなや、って実の親は死んどったか。・・・いかんぞ、ますます不調だ。
 実際、両親は何も言わなかったけど一度も帰ることもしなかったこと、怒ってるだろうか。帰りたくなかった訳じゃない、会いたく無かった訳じゃない。
 こんな変な事件に巻き込まれなかったらとっくに帰ってた。いや、そもそも変な事件が起こらなければ俺はこんな風に東京に来なかったんだよな。
 ・・・それで、相変わらず友達もいないまま、暮してたんだろうな。京一とも醍醐とも、桜井に美里に、アン子に・・・皆とも会えなくて。
 お父さんお母さんごめんなさい。オレは親不孝してても友達といる方がいいです。
 そう思うとこうして一人で唸ってるのもバチが当たったからのような気がしてきた。
 ぐるぐると脈絡の無い思考でぼんやりと天井を睨んでいると(天井が怯えて逃げることはないよな)、ふいに電子音が響いた。
 体を起こそうとしてくらりと眩暈がする。かろうじてひっくり返らずにすんだが目が霞んできた。
 マジでやばいかも・・・。
 鳴り続ける音は携帯の着信音。うっかり部屋の向こう端の机の上に置いてある。慎重に立ちあがって、壁伝いに移動する。
 くらくらする〜、裸足で踏んでるフローリングの感触まで不確かで。
オレ、ちゃんと歩いてんのかな。幽体離脱してんじゃねーだろうな。・・・やめよう、怖い事を思い出した。うう、裏密の笑い声が聞こえる〜。幻聴?
 あほな事を考えてるうちに何とか机まで到着する。
 が、切れた。・・・そりゃそーだ、時間がかかりすぎた。
 液晶を見ると、翡翠からだった。最近、よく電話をくれる。ろくに相槌を打つ事も出来ないのに、気にする風もなく色々なことを話してくれる。いい奴だ、本当に。
 早速、掛け直そうとして大事な事に気付く。
 オレ、今声でねーじゃん!・・・いつものことやろって?ほっとけ!
いや、ボケてる場合じゃなくてね、一晩中咳してたせいか、マジで咽喉がつぶれたみたいで声がでないのよ。今から掛けても嫌がらせみたいな無言電話しかできないんじゃ意味ねーって。
 とほほ・・・。
 諦めて携帯の電源を切る。他の誰かがもしかして電話くれても説明もできないしな。
 FAXでもあれば良かった。今更なことを考えながら、ゆっくりとベッドに戻った。


 ふいに目が覚めた。
「おや、起きたのかい?」
 すぐ近くから声をかけられて首をそっちに向けると、何故か翡翠がいる。
「・・・」
 ここ、オレの部屋だよな。まだ寝ぼけてんのかな?
 体を起こそうとして止められる。肩を抑える手は確かな感触があって、これが夢で無い事を教えてくれた。
「まだ動かない方が良い。熱があるじゃないか」
「・・・」
 いや、それより何でいるの?それにオレ、部屋の鍵を掛け忘れてたのか。
そんなことを聞きたいがただでさえ反応の遅い口に声が出ないというおまけがついて、つい翡翠を睨んでしまった。い、いかん!
「そんな顔をしないでくれ、勝手に入った事は謝るよ。でも、圏外でも無いのに君が電話に出ないので気になってね。
 ・・・来てみて良かった。こんなに酷くなるまで放っておくなんて問題だと思わないか?」
 苦笑しつつ、窘めるような翡翠の言葉。
 ちょっと待って!誤解だ〜、オレ怒ってるみたいに見えた?勝手に入ったって・・・もしかして鍵自分で開けたの?流石忍者。
「あまり人のことを言えた義理では無いが、一人で抱え込むことは無いんだ」
 何のこと?
 おぉっと!油断してたらまた睨んじゃうとこだ。やばいやばい。
オレは慌てて翡翠から視線を外した。
「・・・急に言っても変れるものでは無い、か」
 顔が見れないから声の調子で思うんだけど、何だか寂しそうな翡翠。
 だーからー、何の話?今オレボケまくってるから用件は簡潔にね。一記事につき500字以内で入力可・・・はて今、電波がきたような・・・。
「・・・」
 うぉぉ、マジで声が出ない。
何とか一言でも喋ろうと必死に力を入れた途端、また咳の発作が襲ってきた。
 肺ごと飛び出すんじゃないかって程、体の底から激しい咳が止まらない。
 ひー、苦しい。
「龍麻、大丈夫かい?」
 全然大丈夫じゃないっす〜(涙)。息が出来ない、苦しいー。
 全身を丸めて必死で呼吸を整えようとするオレの体を翡翠が抱え込んだ。背中をさすってくれる手が嬉しい。
 それにしても止まんない〜、苦しい〜。
 抱えこまれちゃってるから翡翠の胸に顔を埋めてひたすらせき込むオレ。うぅ、ごめんよ〜。背中をさすってくれてる手の反対の腕にしがみつくみたいになっちゃって、ほんとお世話かけますって感じ。
 翡翠の【気】が流れ込んでくる。さすがに亀だけあって水を思わせる清涼な気だ。熱に浮かされた体に心地よく染み込んでくる。あー、あの珠の効果が切れたら代わりに置いときたい位さ。
 げほげほ、でも今はこの咳の方を何とかしないと。
 ・・・ぜーはー・・・やっと、収まってきた・・・かな?
 酸欠で頭がくらくらする。咽喉も肺も関節もあちこち痛い。
 翡翠が支えてくれてなかったらそのままひっくり返って転がってただろう。 ありがとねって・・・おや?
 ふと見れば翡翠のシャツに赤い染み。インクでもこぼしたのって・・・あぁぁ!オレか!?
 さっきしがみついたときに爪が刺さっちゃったんだ。ど、ど、どうしよう?
怪我させちゃったよ!?
「・・・」
 慌てて口パクで『すまん』と告げる。忍者なんだから唇の動き位読めるよな!?本当はもっとちゃんと謝りたいんだけど、ごめんよー、ごめんー(号泣)。
 オレの必死の思いが通じたのか、翡翠はふっと笑みを見せた。怒って、ない?
「気にしなくていいよ。大して痛くもないから」
 うぅ、すいません。でもクリーニング代は請求してくれていいからね。
 はぁー。良い奴だなー、ホントに。アン子が言ってたけど翡翠ってうちの学校でもすごく人気があるらしい。そりゃそうだろう、これだけ顔が良くて頭が良くて、その上こんなに優しいとなればもてないはずが無いって。
「結構、役得だと思うしね」
 ??でも、時折訳のわかんないことを口走るのは何故だ?あ、そういやこいつもポエマーだったっけ。忘れてた。
 その時、玄関のドアが開く音が聞こえた。
「何だよ、開けっぱなしたー無用心だぜ・・・。おーっす、ひーちゃん!」
 翡翠、鍵開けるのはいいけどちゃんとかけといてね。まぁ京一だからいいけどさ。新聞の勧誘とか宗教とかうるさいんだよ。・・・もっとも、オレを見てすぐに逃げ帰るけどな!(悲)
「ドアホンを鳴らさない方もどうかと思うけれどね」
 そーいやそうだ。さすが翡翠。ツッコミが早いぜ。
 京一の切り返しを期待していたオレだったが、何だか妙に静かだ。京一、来てるんだよね?翡翠の蔭になって向こうが見えないんだ。
「・・・て、て、て・・・」
 何だ、いるんじゃん。でも手がどうかした?
「てめー!ひーちゃんにナニしてやがるーーー!!??」
 いきなり怒鳴るな、頭に響く〜。・・・へ?ナニって?
「見て解らないかい?それなら言っても無駄だろう」
 うーん、懐かしい言葉。見て解らん馬鹿は聞いても解らんってやつだな。誰が馬鹿やねん。
「・・・てっめー・・・」
 京一の声が怒ってるのは何故だろう?お?おい・・・何じゃ、この殺気は?
止めてくれ〜、そんなめちゃめちゃに強い【気】を振りまかないでくれ〜。
 翡翠がオレをベッドに横たわらせてくれた。うぅ、咳はおさまったけど眩暈が酷くなった気がする。だから京一、気を抑えてくれ〜。
「酷い汗だ、着替えた方がいいね」
 首筋に手を当てて翡翠が言う。はー、冷やっこくて気持ちがいい。でも、先に京一の気を何とかしてくれ。当てられて目がまわるぅ・・・。
「シカトしてんじゃねぇ!如月!」
「煩い。病人の枕元で騒がないでくれないか」
 霞む目を上げるとぼやけた視界に翡翠の真剣な横顔が映った。はぁ、男のくせに綺麗な顔だよな。
「病人?・・・え、ひーちゃん、どうしたんだ!?」
 あ、京一の殺気が消えた。ナイスだ!翡翠。
「風邪をこじらせたようだね。熱があるし」
 そうなの。しかし、同じ日に雨に濡れたのに京一は平気なのか。・・・鍛え方が足りないのかな、オレ。
 ばたばたと駆け寄って来る京一に眉を顰める翡翠。いや、あの強烈な気さえ抑えてもらえればオッケーよ。 「ひーちゃん、俺が解るか?・・・何か言ってくれよ」
 そんな死にそうな人間に言うみたいな言いかたすんなや。それに、声が出ないんだってば。
って、京一はそのこと知らないんだもんな。
 仕方ない、翡翠に通訳してもらおうっと。
「・・・」
 目で訴えてみましたが、どうですか?
 ダメ・・・かな。
 ・・・あぁぁ、また睨んだと思われたのかー!?
 顔を背ける如月に心の中でひたすら土下座する。ごめん、オレ絶不調!
こんなに親切にしてもらってるのに、どうしてオレはこうなんだ・・・。くすん。
「声が出ないらしい。先程も酷く咳き込んでいたし」
 思ったより怒ってなさそうな声だ。でも、やっぱりちょっと元気が無いかな。
「そんな・・・。病院へは?」
 いや、どうせ薬効かないから無駄。そう言いたくて首を横に振る。
「んなこと言ってる場合じゃないだろ?負ぶってでも連れてってやるって」
 それは嫌だ〜。勘弁してくれよ。
「・・・」
 しまった。『構うな』などと端的な言葉を使ってしまった。う、頼む翡翠、通訳しないで〜。
「病院は嫌らしいね。仕方ない、明日まで僕が診ていよう」
 ほ。ありがとう翡翠。でも、明日までなんて悪いよ。それでなくても迷惑かけまくってるのに。
「ちょっと待て!何でお前が看病するんだ!?俺がする、俺が!」
 何故そこでまた殺気がでるんだ〜。京一の【気】は強すぎて眩暈がするんだってば。
「君に任せられる状態じゃない。第一・・・」
 翡翠まで触発されたみたいに【気】を高めだす。さっきの涼しい静かな気じゃなくて、全てを押し流す瀑布のような激しい気だ。・・・お願いだから2人とも落ちついてくれ〜、そもそも何でこうなるんだ?
 オレが心の中で号泣している間にも2人の【気】がぶつかり合って辺りの空気さえ変えていく。弱っているオレの【気】がそれに耐えられるはずもなく、そのまま飲み込まれるように引きずられ・・・やばい・・・意識が・・・。
 その見えない嵐の状況を打ち切ったのは、電子音だった。携帯?誰の?
「・・・はい」
 翡翠か。ほ、誰かは知らないけどかけてくれた人、サンキュー!
「今取り込み中だ。・・・え?よく聞こえない・・・いや、しかし・・・」
 深刻な話なのか、翡翠の表情がどんどん厳しくなる。何か言い争ってるみたいだけど、大事な用ならそっち優先してくれよ。オレは寝てりゃ治るから。
「しつこいな、行けないと言っているだろう。僕まで巻きこまないでくれ・・・」
 何の話か気になってきちゃうな・・・。いや、いかん。親しき仲にも礼儀ありっていうぞ。いくら友達でも聞いちゃいけないこともあるんだ。・・・でも、まさか電話の相手は女の子とか・・・。いや、あり得るぞ、翡翠はモテるから彼女の一人や二人・・・。え、ちじょーのもつれ!?三角関係とか!?
 ・・・すまん、また頭が勝手に暴走を。
「・・・」
 手を伸ばして翡翠の腕に触れる。驚いたように見下ろす目を見返しながら『行ってやれ』と唇で告げる。
いや、その電話の相手の人オレ的に恩人だし。
 そのまま、睨んでると思われない内に目を閉じる。
だから翡翠がどんな表情をしたのかは解らない。でも、電話に向かって「すぐに行く」と告げた言葉にほっとした。良かったね、相手の人。
「実に不本意だが、龍麻が言うなら仕方ない。後は任せたよ、蓬莱寺君」
 腕組をして告げる翡翠に京一が愛用の木刀が入った袋を突き付ける。
「だから、てめーに言われるまでもねぇっての!とっとと出て行け!」
 京一、機嫌悪いな。何でだ?腹減ってるのか?
「・・・明日、また来るよ。くれぐれも無理はしないように」
 はい、大人しく寝てます。ありがとうね、色々。
「・・・」
 とりあえず、『ありがとう』と告げる。ここで笑えりゃいいんだけど、ダメだね、表情筋が相変わらず死んでて。すまん。
 翡翠が優しく微笑んで、オレの頭を軽く撫でてくれた。いーなー・・・そうやってさりげなく笑えるのって。はぁ、羨ましい。
 何故か、またぞろ京一の【気】が強くなってきたがな。
 立ち去り際に、翡翠が京一に何事か囁いた。何て言ったんだ?聞こえなかった。
「て、て、・・・」
 またかい。京一、だから手がどーしたんだ?
 妙に楽しげな翡翠の笑い声がドアの向こうに消えたとき、またも京一の絶叫が響いた。
「てめー!!如月っ!!絶対にゆるさねぇぞ!!!」
 しくしく、オレ病人なんですけど〜〜。
 京一の強烈な【気】に当てられて意識が遠のくのを感じるオレだった。


恐ろしい事に続くんです・・・・すいません、すいません・・・。