呪い☆鯉

鮎川いきる

 「なぁ、今日ひーちゃんち行っていいか?」
……ああ。」
 あの日から一週間。京一は原田に野球のルールをしつこく聞き、なんとか負けたという事を理解した。そして同時に龍麻の放つ球の速さや、それに似合わない豪快なフォーム、一瞬の間に向かって来る打球をいなす力と動体視力……それらの何もかもが高校生離れしていたという事も。
 もう一度、もう一度だけ戦いたい。そして龍麻の過去を、本心を知りたい……そう願う京一だったが、何度誘っても龍麻は首を縦には振らず、それどころか野球の話を持ちかける度に益々その表情が凍り付いていくのを痛い程感じていた。

 ……ひーちゃんは、わざと俺に打たせたのか?
京一は何度も考える。あの時、かなりの観客が集まっていた。愛用の木刀を握り締めていた京一が、龍麻の速球にカスリもしなかったなら……赤っ恥をかくのは目に見えている。そしてそんな思いやりを持ちながら、しかし野球だけにおいては自分が負けるのをどうしても許せなかったとしたら。
 ……アイツは、わざと俺から三振を取らずに「打たせて取る」という形で決着をつけたんじゃないか?
「醍醐、お前も来いよな。」
二人きりになったら何を言ってしまうか分からない。「野球に何かある」とは気付きながらも、龍麻の心の内側に土足で入り込むような真似は二度としないと誓った京一は、迷っている醍醐にも半ば無理やり同行させる事にしたのだった。

 予定通り龍麻の家に着いた。京一も醍醐も、もう何度か来ているため勝手は知っている。他愛もない話をしながら時間は過ぎていき、外はいつの間にかうす暗くなってきたようだ。
「お、もうすぐ七時か。そろそろ帰るか京一。」
「なんだよ、せっかくだからメシ食ってこーぜッ」
そう言って家主の反応を窺う。何がせっかくなのかは定かではないが、龍麻はいつものように無言でこくり、と頷いた。そして京一は、自分がまだ彼に見限られていない事を知り、一人ひそかに安堵するのであった。

 「うし、んじゃいただきまっスと。あ、テレビつけるぜ?」
何気なくリモコンのスイッチを入れた。六畳の部屋に大観衆の声が響く……どうやらナイター中継のようだった。灰色のユニフォームを着た投手の背番号が、画面に大きく映っている。あんな事があった後だとなんとなく決まりが悪い。
「あ、はは。回すか。」
……いや、いい。」

 くそ!よりにもよって野球かよ……。俺はまたひーちゃんの地雷を踏んじまったのか?何を喋ればいいんだ、チクショー!ああ、大雨が降って今すぐ中止になればいいのに……
 京一があれこれ思い悩んでいる最中、龍麻は(もちろん心の中で)はしゃいでいた。
 わーい、そういえば今日から広島戦だったー。広島市民球場かぁ、そういえば前の学校の修学旅行で行ったんだよね、二年の時。敵地だけどさ、感動したなあん時は。仙台には球団ないし。でも友達と夕飯食べながらナイター見るなんて……こんな幸せがあるなんて知らなかったよー、ひーん。さぁみんな、共に語ろうぜぃ!
………………。」
え、なんで黙ってんの?もしかして野球だめ?俺ワガママ言った?そういや京一、体育ん時に野球知らないって言ってたしな、あんま興味ないのかな。うう……ごめん。そんなに怒るなよぉ、違うの見たっていいんだってー。
………まわ、せ。」
ふぅ、言えた。何、なんで二人ともそんな驚いてんのさ?速攻チャンネル変えてるし……その速さは一体?あーあ、そんなに野球が嫌いなのかぁ。俺もやるのはもう嫌だけど、見るのはすごく好きなんだけどな。でも野球の良さを上手く語れる自信ないよ。やっぱり。
 それにしても広島ファンの人は応援大変だよね、疲れないのかな?なんか急に試したくなってきた……でも人前でやるのは恥ずかしいしな。何も二人が帰ってからやればいいんだけど、こういうのって思った時スグやんないと気持ち悪いんだよね、たはっ。

 「ちょっ、と………。」
そう言い残して龍麻は立ち上がり、隣の部屋へ向かう。京一は目を見開いたまま凍り付いた。
「なぁ、まずかったんじゃないのか?」
醍醐の声で我に返り、味噌汁の入った椀の上に、持っていた箸を荒っぽく渡す。
「俺のせいだってのか?……クソッ!なんでナイターなんかやってんだ!?」
 一度は見たがったくせに、なぜ一分とたたないうちに回せなんて言うんだ?何か理由が……俺たちの前では野球を見ていられない理由があるのか。すぐにチャンネルを変えたものの……もっと早く気付いてやるべきだった。もしかしたら今、ひーちゃんは……
「俺、行ってくるわ」
醍醐の顔を振り向きもせず、京一は龍麻の後を追いかけた。

 よし、早速やってみよ。メガホンは無いからこの草人形で代用!ちょっと赤く塗ったりなんかして……うん、気分が出てきたぞっ。えーっとぉ、椅子から立ったり座ったりしながらこれを振り上げて……
 かっねもとー、かっねもとー。うーん、やっぱりキツイものがあるな。腰痛い……広島ファンじゃなくて良かったぁ。でも球場でやると楽しいのかな?おっがったー、おっがったー。ふーっ、疲れる。ん、今なんか物音が………って。きゃあぁぁぁーーーッ、京一!?
「ひーちゃん……
ああ!待って、行かないで!許して下さいぃ!俺が好きなのは読売巨人ジャイアンツで、決して隠れ広島ファンじゃないんだぁぁ!これはちょっと魔が差しただけで、本当は広島ガンバレなんて松井のマツゲの先ほども思っちゃいないんだよぅ……ってすでに京一いないし。誰も聞いてないのに言い訳しててどーする俺。まぁいつもの事だけどさ。
 うー、やっぱり誤解された?俺この先、京一の頭の中では一生赤ヘルマニアなの?ヤダよ、どうしよう。ハッ!こんなの持ってるから悪いんだ。赤いメガホンなんて、どう考えても「恋☆鯉」って感じだもんなぁ。よし、こうなったら……踏み絵だ!これっきゃない。上手くいけば潔白を証明できるかも?

 「どうした京一、顔が真っ青だぞ」
「フフ……楽しい人生だったぜ。俺はもう、何も思い残す事なんかねェんだ……フフ。フふフふフ……。そう、そうだよな、ひーちゃんに呪われて死ぬんなら……本望さ。」
「何を訳の分からん事を。一体何が……お、龍麻?」
醍醐が優しい笑顔を龍麻に向ける。が、当の本人は他の物はちっとも目に入っていないようだ。そのまま部屋の隅でうずくまっている京一の元へフラフラと近付いていき、
「きょーいちーぃ……。」
そして、次の瞬間。手にしていた真っ赤な草人形を、思いっきり床に叩きつけた!
「きゃぁぁァァァーーーーッ」
さらに両足でグリグリと踏みつける!
「うぎょえぇェェーーーーッ!」
京一は絶叫と共に、失神した。翌朝目が覚めた頃には、前の晩の記憶はすっかり消えていたという……


朝刊のスポーツ欄より
『鯉が溺れる  カープ悲劇の12連敗』
出だしは好調だった。ついに連敗脱出かと思われたが、5回表から嵐のような集中砲火を浴びて再び最下位に転落。「まるで何かに呪われたみたいだった」と監督は語った。