(自称)ジャーナリスト遠野杏子の推理・事件編

八識一

「たーつまっ! こんちはっ!」
 あたしこと新進気鋭のジャーナリストにして新聞部部長遠野杏子は百万円のエンジェルスマイルを大盤振る舞いでふりまきながら龍麻の肩をぽんっと叩いた。龍麻の体が一瞬びくっと震えた気がしたが、それは気のせいということにして前に回りこみ、のぞきこむようにして龍麻の顔を見上げる。
「ねえ、龍麻〜。今日ひま? ひまだったらちょっと手伝ってほしいことがあるんだけどなァ。なに、別に用事ないって? いや、悪いわねェ、まあ別にたいしたことじゃないから。じゃ、そういうことでちょっとこっちに…」
「コラッ、アン子ッ! ひーちゃんが喋らないのをいいことに勝手に話進めてんじゃねえッ!」
「あら京一、あんたいたの」
 実は最初っからわかってたけど。
 ここはわれらが真神学園の3-C教室。授業も終わって、生徒は三々五々教室を出て家路につこうとしている。そんな中で、あたしの標的緋勇龍麻とその金魚のフン蓬莱寺京一はいつものごとく龍麻の机のところでダベっていた。ま、実際はこれまたいつものごとく京一が一方的に龍麻に話しかけてるんだけど。
「『いたの』じゃねえッ! …ったく、毎度毎度…今回はなんの用だってんだよ。どうせまた俺達をてめェのいいように利用しようってんだろうが」
「あら、しっつれいしちゃうわねェ。あたしがいつあんたを利用したって? あたしの方こそ毎回あんたたちのために(あたし的にほぼ)ロハで情報提供してあげてんじゃない。ああ、友達のためこの身を削って(見ようによっては)命懸けの取材を試みているあたしに向かってその言葉…あんたって血も涙も脳味噌もない男ね、京一」
「誰がロハで情報提供…ってそれより誰が脳味噌のねぇ男だっ、アン子!」
「あら可哀想に。名詞で直接指示してあげてるのに、文脈を読み取ることも既にできないのね。このままでは三十代でアルツハイマー…神様、この哀れな男にあまったとこで結構ですから慈悲をお与えください…」
「あーもうるせッ! いいから早くなんの用か言えってんだよッ」
 あたしはにんまりと笑った。京一はふてくされて、龍麻は相も変らぬ無表情で、こっちをじっと見つめている。
「実はねェ…あたし今日ちょっと取材に行くとこがあるのよね。てゆーか、新宿一円の新聞部の合同討論会その実親睦会みたいなもんなんだけどさ」
「…それで?」
「ひとつやなガッコがあるのよねェ、毎回大して変わりばえのしないやる気のない記事ばっか載せてるくせに部員数は多くて、やったら態度でかくてさあ。『おたくは部員が一人なんですってね、それじゃ新聞部″とは言わないんじゃないですか』なーんてこと抜かしてくれちゃうわけ」
「…だから?」
「だからここはひとつ見栄えのする新入部員を連れてって、そいつらにババーンと見せつけてやろうと…」
「…その新入部員がひーちゃん、ってか?」
「あら、珍しく察しがいいわね。よしよし」
「『よしよし』じゃねぇ! ッたくお前は勝手に人の予定決めやがって、人の都合も少しは考えろってんだ」
「あら、あたしはあんたにじゃなくて龍麻に頼んでるのよ。ねー、龍麻。一緒に来てくれるわよねェ?」
 龍麻は無表情のまま首をかしげている。ちょっと見通しが暗いとみて、あたしは内心舌打ちした。
 ここで龍麻にきっぱり断られると、龍麻をなし崩しのまま討論会に連れて行って、それを心配した京一についてこさせ、くだんの学校の失礼な言動にブチ切れさせて暴れてもらいあたしのストレス解消&それを記事にしてネタ確保の一石二鳥を狙うあたしの計画が崩れてしまう。
「ほらみろ、ひーちゃんだっていやがってんじゃねえか。ムシのいいことばっか言ってんじゃねえ!」
「なに言ってんのよ、龍麻をあんたみたいな薄情者と一緒にすんじゃないわよ。一緒に来てくれるわよねェ、龍麻?」
 龍麻は相変わらずの無表情であたし達の言う事を聞いていたが、ふいに椅子から立ち上がった。ちょっと驚いたあたし達に、ボソッと一言告げる。
「…トイレ」
 不覚にも、その渋い声音にちょっと気圧されてしまったあたしに構わず龍麻は机を離れる。
「ま…待てよ、ひーちゃん、俺も一緒に行くよ」
 京一もそれを追う。
「ちょ…ちょっと待ちなさいよ!」
 慌ててあたしもついていこうとしたが、その時ふと校舎が揺れた。軽い直下型地震のようで、その拍子に龍麻の机の上に乗っていた二つの鞄の一つが落ちた。多分一個は京一のものだろう。
 慌てて拾おうとするあたしの目の前に、ひょいと鞄が差し出された。
「はい」
「あ…ありがとう」
 あたしは鞄を拾ってくれた見知らぬ男子生徒に軽く頭を下げて鞄を机の上に置き、二人の後を追った。

 あたしは男子トイレの前でいらいらと足を踏み鳴らした。話をしようにも、さすがに男子トイレの中にまで入って行くわけにはいかない。あたしが教室を出るときには、もう既にトイレの中に入って行くところだったのだ。
「アン子ちゃん…」
「アン子、そんなトコでさっきからなにやってんの?」
「あ…美里ちゃん、桜井ちゃん」
 いつのまにか美里ちゃんと桜井ちゃんがそばにまで近寄ってきていた。あたしはにっこり二人に笑いかける。
「二人とも聞いてくれる? あたしが龍麻に一緒に討論会に行こうって誘ったら京一のやつヤキモチ焼いちゃってさ、やめろやめろってもううるさいのなんの…」
「…誰がヤキモチ焼いてるって?」
 京一の声。ちょうど二人がトイレから出てきたようだった。
「あ、そういえば二人はどこ行ってたの? さっきまで姿が見えなかったけど…」
「てめェ、アン子! あっさりムシするんじゃねぇ!」
「葵は生徒会の用事があったんだ。ボクは葵の付き合い」
「なんだ、お前達。トイレの前でなに話してるんだ?」
「あ、醍醐クン。どこ行ってたの?」
 またいいタイミングで醍醐君が三階への階段を上ってきた。
「ああ、ちょっとレスリング部の関係で先生に呼ばれてな…」
「へへッ、こうしてみんな揃っちゃったし、せっかくだから一緒に帰ろうか?」
「あ、ワリィ、俺達パス」
 京一が木刀をひょいと上げてそう言った。
「えー、なんか用事あるの?」
「ああ、ちょっと如月んトコ寄ってく予定なんだよ。ひーちゃん、なんか買うもんあるんだってさ」
「えー!? あたし聞いてないわよそんな話」
 思わず声を上げたあたしに、京一が木刀をつきつけて怒鳴る。
「言う前にお前が勝手に話進めてたんだろうがッ!」
「うッ…」
 ちょっと言葉に詰まったあたしは、仕方なく潔く負けを認めた。
「はいはい、確かに勝手に話進めたあたしが悪かったわよ」
「おー、やっと自分の非を認める気になったか」
「ええ…買い物っていう用事があるんなら仕方ないわね、あたしは一人寂しく討論会に行って、他校の連中のイヤミに耐えてくるわ。龍麻、どうぞ思う存分買い物してきてちょうだい、あたしを一人残して!」
 そう言ってよよよと泣き伏せるあたしに龍麻はちょっと視線を泳がせたが、京一がひょいとその肩におぶさって言う。
「気にすんなよ、ひーちゃん。どうせアン子のことだ、言われた分の二十倍は言い返すに決まってんだからよ」
「何よその言い方、失礼ねェ」
 事実だけど。
 と、その時、校舎がぐらりと揺れた。
「地震?」
「結構大きいよ、この地震」
 桜井ちゃんの言葉どおり、結構大きい地震だった。震度四か五くらいはあっただろう。
 しばらくしてから揺れは治まったが、醍醐君はやや思案げな顔で言った。
「揺れは治まったが、早く帰ったほうがいいかもしれんな。さっきも地震があったわけだし、今度もっと大きいのが来たらことだ」
「そうだね。まぁ、そうそう地震が続きはしないと思うけど、いつまでも学校にいても仕方ないし」
「よし、さっさと教室行って鞄もって帰ろうぜ」
 京一の一言を皮切りに、みんなが3−Cに向かって歩き出した。
 なんだか全員帰る空気になってしまい、討論会のことを言ってもちょっと聞いてくれそうにない感じだ。
 しかたなく、あたしは内心ひとつ舌打ちをしてみんなについて歩き出した。

 3−Cに入ると、急に龍麻が足を止めた。
「? どうした、ひーちゃん?」
「…鞄が、無い」
「へ?」
 京一はすたすたと龍麻の机に近寄り、机の周りをきょろきょろ見回して言う。
「ほんとだ…ひーちゃんの鞄がねえ」
「ええ?」
 慌ててあたし達も机の側に寄りあたりを調べる。
「これじゃないの?」
 あたしは龍麻の机の前の椅子の上に乗っている鞄を見せるが、京一は頭を振った。
「それじゃねえよ。根岸の奴、鞄置いてったのか」
「根岸? 知り合い?」
「ああ、剣道部の奴だからな。ひーちゃんの前の席に座ってるんだ」
 その後もみんなであたりを探し回ったが、龍麻の鞄は出てこなかった。
「もしかして…パチられたか?」
 京一がボソッと言った。
「…盗まれたってこと? でもなんで?」
「今日如月の店に行くってんで、ちょっとばかし金持ってきてたからな。それでじゃねえか?」
「ちょっとばかしって…いくらよ」
「…百万と、少し」
「ひゃっ…!」
 龍麻の言葉に、あたしはぐらりとよろめいた。
 百万…あたしなんか目にした事もないようなそんな大金を、そんなにあっさりと…ていうかなんで学校に持ってくる!?
「百万かぁ…それじゃ盗まれてもしょうがないかもね」
「でも困ったわね。鞄がなくなってしまっては、龍麻が明日から学校へ来るとき大変だわ」
「うむ。まあ金の方はまだまだ余裕があるからいいとして…そうだな、龍麻?」
 龍麻がこっくりとうなずく。
 あたしは半ばぼーぜんとしながらみんなの話を聞いていた。どこからそんな金…新聞の印刷代ウン回分…それが盗まれたってのにあんなにあっさり…あんたたちの金銭感覚って…百万円が、百万円、百万…
 あたしはかっと目を見開いて一人うなずき、声を張り上げた。
「…分かったわ!」
 みんなが驚いた顔であたしに注目する。
「…何が分かったの?」
「あたしが見つけてあげる」
「へ?」
「あたしが龍麻の鞄を見つけてあげようじゃないの、一割のお礼で!」
「えー!?」
 …驚きよりも非難の色の方が濃かったのは、気のせいということにしておいてあげた。

事件編・完


 つまらない文を長々書いちゃってごめんなさい、でも申し訳ありませんがもうちょっと続きます。
 『(自称)ジャーナリスト遠野杏子の推理』次回、捜査編。
 …あんまり期待しないで待っててくれると嬉しいかな―なんて…