(自称)ジャーナリスト遠野杏子の推理・捜査編

八識一

「アン子ォ…鞄見つけてあげるって言ったって、一体何をするつもり? ボク達みんなしばらく教室にいなかったんだから、誰が持ってったかなんてわかるわけないじゃないか」
「あら、そうとも限らないわよ」
 あたしは自信たっぷりに指を振りつつ、桜井ちゃんに答える。
「あたしの考えでは、容疑者はかなり限定できると思うけどな」
「ほんとに? なんでなんで?」
 桜井ちゃんの好奇心を全面にあらわした顔ににっこり笑いかけてから、あたしは全員の顔を見渡してためを作った。
 美里ちゃんの困ったような顔、醍醐君の手をあごに当てた思案げな顔。京一はなんとなくふてくされたような顔で、龍麻は相変わらずの無表情だ。
 実際には、鞄を見つけられると確信していたわけじゃない。が、言い出してしまった以上あとにはひけないし、一割のお礼はとっても魅力的だ。
 なにより、百万円なんて大金を行方不明にしておくなんてことはあたしの商売人精神が許さない(本業はジャーナリストだけど)!
 うまくすれば新聞のネタになるかもしれないし、ここは一発、やるっきゃない!
 あたしはにっこり笑って言う。
「その前に、まず目的物の特徴を聞いておきましょうか。学校指定の通学鞄なのよね?」
 こっくりとうなずく龍麻。
「なんか目立つようなところとかある? どっかが汚れてるとか…あ、でも龍麻が汚れをそのまんまにしておいたりはしないか」
「いや、今日は汚れてるぜ、どこもかしこも」
 京一が肩をすくめつつ発言した。
「あら、京一。あんたやけに詳しいわね」
「んだよ、その言い方ッ! …今朝ひーちゃんと学校来る時一緒になって、ガキが溝におもちゃ落としたって泣いてたから取ってやったの知ってるだけだよ。手が届かなくって取るのに鞄使ったから汚れてんだよ。妙な勘繰りすんじゃねえ!」
「何ムキになってんの? あたし単によく知ってるなーって思って言っただけだけど。あんたなんか妙なこと考えてない?」
「うぐっ…」
 京一は一瞬顔を赤くして言葉につまったが、すぐ赤い顔のまんま怒鳴り出した。
「だッ、大体なァ! 鞄探すんなら、こんなトコでくっちゃべってねえであたりに鞄持ってる奴がいねえか探した方が早えだろッ! なにを話すことがあるってんだよッ」
「鞄持ってる奴を探す〜? あんたそれ本気で言ってんの?」
「あ、あたりめェだろうが」
 あたしはやれやれというように額に手を当てて頭を振った。
「…あんたね、今は下校時刻よ? 鞄持った生徒がそこら中に何人いると思ってんの? その一人一人の鞄の特徴見せてもらうつもり?」
 京一が言葉につまったのに乗じてたたみかけるように言う。
「それに部活してる連中はともかくとして、早めに帰る生徒はもうおおかた帰っちゃってるわよ。そいつらが犯人かもしれないじゃない? 第一鞄持ってった奴がいつまでも鞄持ってるわけないじゃないの。鞄自体に特に価値があるわけでもないんだから。邪魔になる鞄は捨てて、中身だけ持ってくのが普通でしょ? そうなるとボディチェックでもしなきゃお金持ってるかどうかなんてわかんない。そういうことを考えに入れれば、やみくもに辺りの人を調べたところで見つかる確率はゼロに近いわね」
「ううう…」
 うなりだした京一の脇から、桜井ちゃんが言う。
「ねえ、アン子。さっき言ってた容疑者が限定できる″ってどういうことか、教えてよ」
「そうね。まあ、単純な話なんだけど。鞄が持ってかれたのは、あたし達…あたしと、龍麻と京一が教室から離れていたあいだなわけよね」
 あたしはそのときのことをできるかぎり正確に思い出そうとしつつ言った。
「あたりめェだろ。何今更なこと言ってんだおめェは」
「うるさいわね、ちょっと黙ってなさい。…で、あたしが最後に教室から出たわけだけど、あたしは男子トイレの前に行くまでに、何人か追いこしはしたけど誰ともすれ違わなかったわ。つまり、あたしが教室を出てから3−Cの教室に行った人は誰もいないってわけ」
 ここであたしはいったん言葉を切り、『つまり犯人は3−C教室にあたしが教室を出てからもいた3−C生徒』と言おうとしたが、その前に桜井ちゃんがいぶかしげに言った。
「…あれ、それじゃ、犯人は3−Cの人間ってこと? …あれ、でも…そうすると、なんか、変だよ?」
 桜井ちゃんが首をかしげる。美里ちゃんも困ったような顔のまま言う。
「ええ…私達が階段を昇ってきたときアン子ちゃんが3−Bのあたりを走ってたのが見えたけど、アン子ちゃんの後ろには誰も見えなかったわ」
 え?
「それからボク達、アン子が男子トイレの前まで来てなんか踏んだりしてんの階段のところからしばらく見てたけど、3−C教室からは誰も出てこなかったよ」
 …そういえば、確かにさっき3−C教室にはほとんど人が残ってなかった。あたしは机の上に乗ってた鞄が落ちて、それを拾ってもらって机の上にちゃんと戻して、それから急いで教室を出たから周りよく見てなかったけど…言われてみればあたしが教室に残ってた最後の人間だったような…
 この校舎にある階段は、この階なら3−Aの方のトイレ脇に一つだけ。3−Cの方には非常階段があるが、これはこの前生徒が落っこちかけたので、『使用禁止』というでかい張り紙がドアと壁をくっつけるようにして張ってある。さっき見たら、その張り紙は少しも破れてはいなかった。
 それじゃ、どうやって鞄を教室から持ち出せたんだろう?

 みんな黙って考え込んでしまったが、あたしはふと思いつき、京一に訊ねた。
「ねえ、京一…さっき言ってた根岸っての、どんな奴?」
「どんな奴、って…お前、もしかして根岸が犯人だって思ってんのか?」
「ちょっとね」
 急いでたからあんまりよく覚えてないけど、鞄を拾ってくれたのは前の席にいた生徒だったような気がする。地震があって、鞄が落っこちた時、一瞬鞄は机の影に隠れてあたしの死角に入った。あの一瞬で鞄をすりかえられないこともないと思ったんだけど。
 が、京一は肩をすくめてあっさり言った。
「あいつは人のモンに手つけるような奴じゃねえよ」
「あら、やけに自信たっぷりじゃない」
「まあ、一年ン時からの付き合いだしな。あいつは悪ふざけはしても、ンなこそ泥みてえな真似はしねえよ」
「ふ―ん…」
 京一はなんのかんのいいつつも人を見る目はある。こいつがそう言う以上、信じるしかないだろう。
 と、美里ちゃんがおずおずといった雰囲気で発言した。
「あの…間違って持っていかれたってことはないのかしら」
「え?」
「間違ったって…自分の鞄と?」
「ええ…自分の鞄としてだけじゃなくて。龍麻の鞄、今日は汚れていたって言ったでしょう? だから落し物と間違えられたんじゃないかとふっと思ったのだけど」
「…美里ちゃん、それはないわ」
 あたしは手を美里ちゃんの肩にぽんと置き、首を振った。
「機会がないじゃない。あたし達が教室を出るまでは確実に龍麻の鞄は机の上にあったんだから。机の上にある鞄を落し物とは間違えないでしょう?」
「そ、そうね…ごめんなさい」
 自分でもさして自信がある考えではなかったらしく、美里ちゃんはあっさりと引き下がった。
「ねえ…もしかしてさ。窓の外から逃げたんじゃないかな?」
 うつむいて考え込んでいた桜井ちゃんが、ぱっと顔を上げ言った。
「へ?」
「だってさ、廊下の方から出てこなかったんなら、出口は窓しかないじゃない。三階ぐらいだったら飛び降りれない事もないし、二階の窓にうまく乗り移れば結構簡単にぬけだせるんじゃない?」
「そうかなー?」
 あたしは疑わしげな声を出した。
「なんだよ、なんか変なことでもあるの?」
「うん。まあ、確かに窓枠を伝ったりしてうまくやれば三階くらいなら窓から降りれない事もないと思うけどさ。やっぱりそれなりに危険だし、そういうことになれてない人間がやると時間かかるわよ。あたしが教室を出てからみんなで戻ってくるまで5分もかかってないもの。それにもうグラウンドにはけっこう運動部が集まってるでしょ? そんなことやってたら絶対誰か見咎めてるわよ。飛び降りるのなら一瞬で済むけど、それでもやっぱり目立つし…それに桜井ちゃん、三階くらいなら飛び降りれない事もないとか言ってたけど、普通はやっぱりそんなことしないわよ。廊下が見張られてるなんてあらかじめわかるわけがないんだから、そんな危険なことをわざわざしようなんて、ちょっと思わないんじゃないかな?」
「うー、そっか…ねえ、醍醐クンは何かいい考えない?」
「え、お、俺か?」
 醍醐君はびくりと巨体を震わせ、考え込んだ。
「そうだな…いい考えというわけではないが…」
「え、なになに、なんかあるの?」
 考え考えという風に、醍醐君が話し出す。
「たとえば…教卓かどこかに隠れておき、我々が教室に入ってくるのと入れ違いになって俺達が入ってきた反対側の扉から出るということができるんじゃないか? 死角をうまく利用して…」
「あ、そっか、それいい! きっとそうだよ、醍醐クン!」
 桜井ちゃんがぽんと手を打ち、他の面々もうなずいている。だが、あたしは渋面を作った。
「遠野…なにかおかしなところでもあったか?」
「うーん、おかしなところっていうわけじゃないけどねー…六人分の視覚と聴覚をごまかすのはちょっと無理なんじゃないかって思うのよ。あたし達のうち最初の何人かが教室内に入っても、後ろの方はまだ教室の外にいるわけでしょ? じゃあ入る反対側の扉が動いたら認識できると思うのよね、音もするだろうし。それにみんなみたいな武道の達人なら気配を感じ取れると思うんだけど」
「そ、そうか…」
 醍醐君はしゅんとした風に黙ってしまった。
 と、京一がいらいらしたように言う。
「アン子、お前な、人の考えけなしてばっかで自分の考えはどうなんだよ」
「そうだよ、アン子ォ、人に言わせてばっかでずるいよ」
 桜井ちゃんもそれに乗じてきた。
「そうだな、遠野の考えも聞いてみたい。遠野、なにか考えがあるんだろう?」
「そうね、アン子ちゃん、ぜひ聞かせてちょうだい」
 醍醐君と美里ちゃんもそんなことを言ってくる。
「オラオラ、アン子まさかお前人の考えにあれだけケチつけといて自分はなんにも考えてませーん、なんていうつもりじゃねえだろうな?」
 京一に詰め寄られ、あたしはふっと笑った。
「なに言ってんの? あたしは当然、もう誰がどうやって龍麻の鞄を持ってったか、全部きっちり分かってるわよ」
「えー!?」
 みんなの声は、今度こそ完全に驚きで満たされていた。

捜査編・完


 誰が、どうやって龍麻君の鞄を持っていったか。
 皆さんには笑っちゃうほど簡単すぎる問題ですね。
 『(自称)ジャーナリスト遠野杏子の推理』次回、解決編。
 まああんまり大したものじゃないんですけど、お暇なときの慰めにでもしていただけたら…