逢魔ノ宵

箱根

「そんじゃ、今日はこれで」
「おう、明日五時からな。遅れんなよ」
 毎年世話になっているバイト先のオッサンに見送られ、一歩屋外に出た俺は、クーラーのきいた部屋との温度差で余計にムッとする暑さに、思わず顔をしかめた。
「あっちー・・・」
 シャツの袖をまくり直しながら、道路の向こうに立つ時計へと目をやる。
 まだ午前、それも十時半だというのに、ここまで暑いもんかよ。夏自体は嫌いじゃねェが、今年はちょっと異常じゃねェか?
 去年の今頃、無理矢理担ぎ出された部活の合宿で、胴着着て後輩しごいたことを考えると、今年マジで引退で良かったぜ・・・毎年、脱水で倒れる奴が出るんだよなァ。
 青春真っ盛りってか?いつか醍醐にも言ってやったが、暑苦しいこって。
 まあ、このクソ暑い中、新宿のド真ん中に夏服でいる俺も、端からはよっぽどの真面目にしか見えねェだろうなァ・・・オッサンどもにもさんざからかわれたし。
 予備校も夏期講習も、それどころか受験自体が他人事にしか思えない、その上明日も明後日も補習でギッシリでーす、なんて言えねェや。
 夏休み初日、それも祭日で休みだってのにこうして学校に向かってるのも、補習受けてるからこそまともに『バイト許可証』ってやつを申請しに行くためなわけだ。
 新宿駅を挟んでちょうど反対側の靖国通りを抜け、真神に行くにはいっそ駅をまっすぐ抜けた方が速い。駅構内は普段見ない小学生や家族連れでごったがえしていて、何度も袱紗をひっかけちまった。
 人いきれの波を潜り抜け、ようやく都庁が見えるとホッとする。
 職員室に顔出すってのは面倒だが、それさえ終われば龍麻と約束がある。特に何をするってわけでもねェが、多分またメシでも食わしてもらうことになるだろう。
 龍麻の料理は、正直おふくろの作るのより数段上手い。一人暮らしで手慣れてるってのもあるんだろうが、手際は良いわレパートリーは広いわで、泊まりに行くたび違うものがでる。しかもその一つ一つが美味いんだから・・・・・・つい入り浸っちまうんだよな。
 昨晩は高菜チャーハンと海老チリ、三日前は夏野菜カレー。朝が和食だからか、食欲をそそるよう気を使ってくれているからか、最近は風味を効かせたものが多い。
 昼過ぎに来て、ずるずると泊まり込む俺を気にもせず、六時を過ぎると黙々と晩メシの支度を始める龍麻の後ろ姿は、妙に見ていて嬉しくなっちまう。
 ・・・・・・別に、料理だけが目当てなわけじゃねェけどよ。
 誰にともなく、内心で言い訳して俺は真神へと急いだ。午後には行くって言ってあるから、速いとこ用事済まさねェと
な。・・・・・・土産でも、買ってくか?
 そう毎度、タダメシ食ってるわけにも行かねェよな。
 懐を探って、出てきたのは携帯電話と、ひい、ふう・・・二十五円だけだった。そう言や、昨日ラーメン食って最後の千円使っちまったんだっけ。
 二十五円じゃ何も買えねェよな。それに、バイト代出るまでの五日間俺どうやって生きてくんだ?
 龍麻の顔と、先月前借りを頼んで蹴りをかまされたおふくろの顔が脳裏をよぎる。
 駄目だよな、このままじゃ。・・・・・・この際、旧校舎にでも行くか?


 正門に廻るのが面倒で、裏門脇の塀を乗り越える。日陰のない校庭をわざわざ横切るなんざ、馬鹿のすることだ。校舎の裏手から中庭を横切れば、職員室へ直接行ける。おまけに、部活棟前で「センパイ差し入れないんすかァ」なんて言われなくてもすむわけだ。
 そういう算段で、旧校舎を横目に通り過ぎようとした途端。
「良い度胸だな、蓬莱寺」
 背中にかかった声に、ギクリとなる。
 寄りにも寄って犬神かよ・・・と振り帰ると、あのオヤジの姿はどこにもねェ。代わりに金色のツンツン頭と、赤茶のオールバックがゲタゲタと笑っていた。
「HAHAHA!キョーチ、ビビッてたネ~」
「ンな似てたかよ、オレ様のマネ!噂にゃ聞いてたけど、情けねーなァ」
「てめェら・・・何でここにっ!」
 雨紋とアランの暑苦しいコンビが、それぞれの武器を手に、全身血に染まってとんでもない有り様で立っている。
 龍麻の指揮以外、旧校舎へ行くのは暗黙に禁止となっている。それぞれが勝手に行動して、万が一何かあったらという以上に、龍麻にこれ以上の心配と負担をかけるべきではないという如月や醍醐の意見が交わされたばかりだ。それを知らないわけではないだろうに。
「怪我してんのかよ、何やってんだ!」
 思わずカッとして、二人を怒鳴りつける。
「あー、これか、ただの返り血だって。別に何てこたねえよ」
「OH、明るいトコだとけっこうスゴイね~。ライト、トサカ真っ赤デース」
 互いを見やって、盛大に笑い転げるテンションの高さに、つい木刀で殴ってやる。かなり本気でやったせいか、額を押さえてうずくまるバカ二人の手から、ドサドサとアイテムが落ちた。ポケットというポケットに詰め込んでいたのだろうそれに、俺は手を伸ばした。
「あっ、京一パクる気かよっ!?」
「るせェ、ちょっと見るだけだ」
 牛黄丹や般若湯がほとんどだが、いくつか見慣れないものがある。大抵こういったモンは如月と龍麻が管理してるから、どんな効能があるのかピンとこないが、護符などに混じって古ぼけた箱があるのに思わず興味をそそられた。
 倉にでも転がっていそうな、木を組み合わせて作ってあるらしい箱は、ちょうど折り詰めくらいの大きさだった。持ってみると案外重い。
「何かお宝でも入ってンのか?」
 振ってみて特に音もしないし、カラではないかとも思うが、見た目の古さときちんと蝶番が閉まっていることから、疑ってみても良いような気がする。
「おい、乱暴にすんな!オレ様が見つけたんだぞっ」
「キョーチ、返して下サーイ」
 ぐたぐだとわめくのを一瞥し、俺はまだ立てないらしい奴らの懐が随分と厚いのに目をつけた。
 これだけダメージがあるってことは、そうとう深くまで潜ったんだろう。旧校舎ではアイテムだけではない、如月に売れば金になる装備品や、何より現金が手に入る。五百円札だの穴のない五十円玉だのいつ落としたんだってのもあったが、何故か敵を倒した後に見つかるのだ。もちろんそれらも、龍麻が管理している。
 鍛練が目的なら、こんなに焦ったりはしないだろう。
「お前ら、勝手に荒稼ぎしてやがったな?」
「・・・・・・っ」
「NO、ソレはっ・・・」
 案の定押し黙るのに満足し、俺はとどめの一言を言い放ってやった。
「龍麻にバラされたくなかったら、とっとと失せろ」

 毒づきながらバイクで消えるのを見送って、俺は残された箱にあらためて手をかけた。自分を棚上げしてカツアゲたぁ、我ながら外道だとは思うが、この際だ。何か入ってたら御の字ってことで、蓋を無理矢理こじ開ける。
「お宝、お宝・・・・・・っと!?」
 がちり、と音がしたと思った瞬間、箱からぶわっと煙が噴き出した。本能的にヤバイと思って、蓋を閉じようとしてももう遅い。思い切り粉っぽい空気を吸いこんじまって、むせてしまう。
 鼻の奥に甘ったるい匂いを感じた時にはもう、全身の感覚が失せていた。マズイ。毒でも入ってたのか?
 頭を振っていたつもりが、いつの間にかその場にぶっ倒れていたらしい。霧におおわれたように目の前がぼやけ、頬に乾いた砂利の感触が・・・・・・
 ヤベェ。マジでヤベェ・・・・・・俺が、龍麻に心配かけちまう・・・・・・


 気がついた時、俺は妙な袋ン中にいた。布の手提げにでも無理に押し込められたら、こんなんじゃねェかって息苦しさと蒸し暑さで、ガキの頃叱られて閉じ込められた押し入れを思い出しちまう。
 ここ、何処だ?外じゃねェらしいが・・・まさかあのまま変死体扱いされて、桜ヶ丘にでも担ぎ込まれてズタ袋入り?・・・・・・・それこそまさかだ。
 混乱してる脳ミソをたたき起こそうと、とりあえず今の状況を確かめてみる。
 痛い所は特にない。頭がいまいちすっきりしないが、怪我らしい怪我はないようだ。ただ袋(?)にぎっちり詰まっているせいか、身動きが取れない。それに、何だかケツの辺りにもさもさした感触が・・・・・・
 その正体を見極めるため、無理矢理身体をねじまげようとしたその時だ。
 全身がゆさりと持ち上げられ、今度こそ聞き覚えのある声が降ってくる。
「フッ・・・・・・お前の目はごまかせないということか」
 犬神・・・だよなっ!?畜生、てめェの仕業かっ!
 一瞬で頭に血が上る。教師に問題児扱いされるのは、小中高と十年を越えるが、コイツにだけはとことん勝てた試しがねェ。くどい説教をするわけでも、怒鳴りつけるわけでもない、ただこの男にヒタと見つめられると、うまく言えねェが、何つうか・・・油断したらまずい・・・抜き身の真剣を突きつけられているように、背筋に冷たいモンが走るんだ。
 小蒔やアン子なんざ、「あんたが悪さばっかするから」なんてほざきやがるが、それはあいつらが殺気のさの字も気付かない、鈍感ってだけの話だ。
 状況はさっぱりわからねェが、犬神がすぐ近くにいるのなら、じっとしていて良いこたねェ。本格的に暴れ出したその時、急に目の前が眩しくなる。両目をつむると同時に、何かが俺を捕まえた。文字通り捕縛、ってな具合で袋からひきずり出される。
「んなあああああああ!」
 何しやがる、と叫んだはずの声は、猫の威嚇に取って代わった。・・・・・・何だ?
 巨大なものに釣り下がって、振り回される浮遊感。眩しさに白で埋め尽くされている視界。普段味わうことのない感覚の中、俺はただ、この全身を締め付ける得体の知れないものから逃れたくて、手足をばたつかせた。
 畜生、という毒づきが、やはり猫のわめきにしか聞こえない。そして、さっきより鋭敏に「ある」とわかる、もさもさしたもの。その在処と、そこから続く間違いのない身体中に生えた・・・毛。
 まさか。
 まさか、俺は・・・・・・
 頭の中で組み合わさっている答えを確かめたくはなくて、俺はだがようやく見えてきた目をさ迷わせた。もし考えてることが当たりなら、あの箱の煙が原因だ。どうにかして、元に戻る方法を探さなェと・・・
 その時だ。視覚とともに戻ってきた感覚が、俺を犬神の比じゃねェってくらいに緊張させた。
 ・・・・・・何だ、この感じは。吸い込まれるような、引き寄せられるような。圧倒的な存在感が、俺にからみつくのがわかる。光を背にしておぼろに揺れる人影と、そこから立ち上がる気の流れが、確かな螺旋となって見えた。
 これに呑み込まれたら、俺はきっと耐えられねェ。武器はない、それも本当に丸腰としか言いようのない、今の俺には・・・
 暴れる気力さえも吸い取られかけていた俺は、今まさにその螺旋に放り投げられようとしていることなど、まるで気付いていなかった。
 何よりその人影が、跳ねるように俺を受け止めてくれたことなど・・・その人影が誰かなど、まるでわからなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・ふぅ」
 ただ、その胸に抱かれた時、急に何もかもがどうでも良くなった。俺の頭のすぐ上から、かすかに聞こえた息とともに、シャツを着た胸がゆっくりと上下し、温もりが伝わる。
 ・・・・・・あったけェ。
 うんとガキの頃、何も考えずに甘えられた時みてェだ。もう何も心配せずに、眠れと言われているような。
 この心地よさから離れたくなくて、しがみついていると、さらさらとした優しい手が伸びて俺を抱きしめてくれる。その感触に、さっきのも今のも、人間の手に寄るものだということがわかった。さっきはとにかく苦しくて暴れることしかできなかったが、どうやら俺は「キングコングに囚われた美女」ってな感じだったらしい。
「・・・・・・・」
 何処からか、また犬神の声が聞こえてくる。それに続いて聞こえてきた声に俺は自分の耳を疑った。
「どうすれば・・・・・・」
 囁くようなそれは、間違いなく。
(ひーちゃん・・・・・・?)
 恐る恐る見上げてみると、目と鼻の先に龍麻の端正すぎる美貌があった。俺が見つめていることに気付き、降りてくる視線には、明らかな困惑がある。
(まさか・・・・・)
 気付いてる?俺が猫になっちまったことも。ヘマのわけも。そしてどうやら、猫になった俺が犬神に助けられたらしいことも。
 あまりの恥ずかしさと悔しさと、何より情けなさとが俺を今度こそ縛り付けちまう。そのまま固まった俺の耳に、犬神のしれっとした声が飛び込んできた。
「お前にしか、こいつは懐かん。面倒を見てやれ」

 龍麻にしがみついたまま、俺はどうやら龍麻の家へと連れ帰られているようだった。ようだった、というのは、正直この時俺は今までにないくらいの自己嫌悪で、周りを見る余裕なんかなかったからだ。
 龍麻はきっと呆れているだろう。多分勝手に突っ走ったと思われているだろうし、何よりこんなてめェ一人面倒見れねェ無様な姿をさらしちまって。
≪俺とひーちゃんは、親友だからなっ≫
 いつも一緒にいて、背中を任せてもらえるように。共に戦っていけるように。そんな想いからの言葉が、とんでもなく薄っぺらになってしまいそうな体たらく。
 ・・・・・・・・情け無くて、どうしようもねェ。
 龍麻の指が時折撫でてくれるたび、「許す」と言われているようで辛くなる。また、龍麻と俺との差が開いてしまったかのように。それも、俺が崩れ落ちていることを思い知らされるかのように。
 このままじゃ駄目だ。これ以上落ちぶれちまったら、てめェ自信が許せねェ。
 龍麻。
 お前にこれ以上甘えるわけにはいかねェ。
 内心で一人ごちて、俺は龍麻の腕から抜け出した。せめて、赤ん坊みたいな真似はしたくなかった。龍麻のマンションまでの道のりは、熱くなった地面が素足の裏にかなりキツかったが、それ以上に胸がじりじりと痛む。
 畜生。畜生。畜生。
 心なしか不安げな龍麻を急かし、俺は玄関を潜った。部屋はモップだの雑巾だのが置かれ、散らかっている。・・・掃除の途中ってとこか。
 幸いそのおかげで収納が開いており、見覚えのある道具入れはすぐ見つかった。人のままならすぐ目の前のはずのそれを見上げて、俺はため息をつく。
(・・・・・・・龍麻、すまねェ。ちょっと取ってくんねェか)
 苦さを噛みしめながら龍麻を振り返ると、何故か抱き上げられた。まじまじと覗き込まれた途端、目の前に龍麻のあらわになった首筋が飛び込んでくる。
 ボタンを外した白いシャツの中、わずかに上気した肌。男にしか見えないはずのそれが、妙に艶めいて見えた。
(何だよ、おいっ)
「・・・・・・」
 叫んでみても、当然それは龍麻には通じない。気がつけば洗面台の縁に乗せられて、だが俺は逃げることができなかった。
 ユニットバスと直結した狭い空間で、龍麻が服を脱ぎ始める。
(おい、何やってんだっ!?)
 俺にまるで頓着せず、ベルトに手をかけた龍麻を見てるわけにもいかなくて、俺はその場にうずくまった。すぐ傍で衣擦れの音が響き、それだけで変な気分になっちまう。
 どういうことだ。まさかストリップのわけはねェだろう。・・・でなきゃいったい何なんだ?
 呆然としてる俺をすくい上げると、龍麻はシャワーに手をかけた。龍麻によりかかるような体勢にされて、そのすべらかな感触にくらくらきちまう。
 シャンプーらしい液体をこすりつけられ、ようやく洗われるらしいことがわかった。だが、その意図がさっぱりわからねェ。
 そうこうしてるうちに、龍麻のしなやかな指が身体中をまさぐってくる。背や頭、腹のやわらかい部分にまで泡立てられて、あまりの気持ち良さに抵抗できない。さっきもそうだったが、龍麻に抱きしめられると、身体の力が抜けちまう。
「・・・・・・綺麗になった」
 帰ってきて初めて、龍麻が口を開いた。湯気の向こうの美貌が、わずかながら確かに微笑んでいる。
 ・・・もし人の姿なら、間違いなく勃っちまってただろう。
 それ以前に、こうして洗われることも無かったことにも気付くより速く、俺は龍麻の顎からしたたり落ちたしずくに舌を這わせた。
 ぴちゃ、と音を立てるたび、興奮がいっそう強くなる。湯で温まった龍麻の首筋は、しっとりとして信じられないほどきめ細かい。龍麻が咎めないのを良いことに、俺はそのまま赤く色づいた双つの突起に口づけた。
 口に含んで、軽く歯を立てるとそれは少しずつ芯を帯びる。立ち上がりかけたその甘さに酔っていると、龍麻がかすかに息をついた。
「・・・よせ」
(・・・・・・ッ!!)
 何やってんだ俺は。龍麻の胸なんざかじって、うっとりしちまうなんて。
 あまりのことにパニックした俺は、そのまま浴室を飛び出し、いろんな所にぶつかりながら走りまくった。
 棚が崩れ落ち、並んでいた小物やなんかがばさばさと降り注ぐ。同時に背後から、ゴンッと凄まじい音が響いた。とっさに振り向く俺の頭にだが、わさっと白い固まりが被さってくる。
「うわっ!」
 むしり取ったと思ったそれは、つかんだ瞬間霧のように消えてしまった。ぐっしょりと濡れた身体にいろいろなものが貼りついている。それを剥がそうとして、ようやく俺は姿が元に戻っているのに気付いた。
「・・・・・・マジかよ」
 ずるずると座り込んで、極限まで熱くなっている股間に頭を落とす。今日何度目か知れない自己嫌悪にがっくり来ていると、視界の端にとんでもないものが映った。
「龍麻っ!」
 洗面所の段差にひっかかったのだろう、うつ伏せて動かない龍麻を揺り動かすと、かすかにまぶたが動く。額をかき分けると、ものの見事にタンコブができていた。
 とりあえず怪我はそれだけのようで、ほっと息をつく。
 ギンギンにおっ勃っちまってるムスコに苦労しながら、全裸の龍麻をタオルでくるんで、ベッドに寝かせてやった。そのままじゃ風邪をひくし、何より目の毒にしかならねェからだ。
 だが、服を着せてやるからには、俺の理性も限界だった。
 タオルの合わせから、力を無くして投げ出されている手足。わずかにひそめられた眉根に、どうにもそそられちまう。
 我慢できずに、俺はムスコに手を伸ばした。龍麻を見下ろし、二、三回擦っただけであっけなく達してしまう。一度だけではもの足りず、さっきまで全身を這っていた龍麻の手を握りしめ、股間へと導いた。
 今もし龍麻が目を覚ませば、俺を軽蔑するだろう。だが、龍麻だって俺と知っていながらあんな真似をしたんだ。責める資格なんざねェ。
 自暴自棄になりながら、俺は龍麻の手に自分の手を重ね、もどかしく動かした。先端からにじむ粘液が、龍麻の手の中でぐちゅぐちゅといやらしい音を立てる。
 意識のない龍麻に、こんな悪戯をしかける行為で嫌でも高まる背徳感。それでも止められないのは、もう俺がただの雄に成り下がっちまったってことか?
「うっ・・・・」
 限界だ。背筋に走る快感に、俺は荒い息をつく。断続的にあふれる精液が、タオルへと散った。


 二回抜いたことで、大分平静さが戻ってきた俺は、龍麻にパジャマを着せてやった。現金なもんだと思いながら、冷えたのだろう、青白くなってしまった寝顔を見つめながら、俺は今日一日のことを考える。
 龍麻は、何処までを知っていたんだろうか?
 犬神に呼び出されたからには、何らかの事情は聞かされたのだろう。だが、俺が猫だと気付いていたか、今考えるといくつかおかしな点がある。
 龍麻の、普段は見せない無防備な態度。普段なら、自分からあんな風に触れてくることなんてない。俺でさえ抱きつけば緊張するようなコイツが、撫でたり、あまつさえ抱きしめてくることなど。
 それに、俺の目の前で服を脱ぐことなんか滅多になかった。体育の着替えや怪我をした時以外、家にいる時ですがきっちりとした服装を崩すことはない。今日だけ大胆になるなんざ、考えられるわけがない。
 ・・・・・・・・・もし、もしもだ。龍麻が俺を『ただの猫』だと思っていたら?
 都合の良い期待と、それとともに自己保身のほの昏い感情が湧き起こる。
 賭けてみても、良いかも知れない。


 後日。如月の店に並んでいた例の箱は、「玉手箱」というシロモノだということがわかった。龍麻への罪悪感から、俺が夏休み、バイトに励んだのは知られるわけにはいかない。

<終>

2001/03/24 Release.