野球部の皆さん

「あっ、あのセンパイ、今の人お知り合いなんですかっ!?」
 真神学園高校野球部一年・今野正(15)は、小声ですぐ前を歩く原田に尋ねた。
 練習直後の汗にまみれたユニフォームは、普段なら当り前のことと気にも留めないのだが、背後にいるだろうあの人を見てしまっては、妙に気恥ずかしく感じてしまう。それは他の皆も同じらしく、しきりに後ろを気にしては、頬や肘の泥よごれをこすっていた。
「俺と同じクラスの緋勇って奴なんだけど・・・お前ら、新聞部の号外見なかったか?あいつだよ、例の転校生」
『えーっ、あの人が!?』
 全員が耳を傾けていたのだろう、小声ながら見事に唱和した部員たちに、原田や普段龍麻と廊下ですれちがう三年生らは、思わず苦笑する。
「噂に寄ると、あの佐久間を叩きのめしたっていうじゃないですか。信じられないっす」
「確か、大財閥の御曹司なんだろ?俺、三年の姉貴に聞いたぜ」
「え、でも何とかって雑誌のモデルやってるって・・・」
「ずっと外国暮らしで、渋谷で外人グループの頭やってるらしいってけど」
「この前、校門にものすごい美人待たせてたけど・・・そんなタラシにゃ見えないなあ」
 一斉に喋り出すその様から、直接関わりのない下級生たちは、どうやら「噂の緋勇」を始めてその目で見たらしい。
 いつも蓬莱寺や美里ら、真神でも一、二を争う有名人に囲まれているからか、龍麻自身は、物静かで何処か近寄り難い青年、くらいに印象が霞んでしまう。だがいざ目と鼻の先で見てみると、龍麻の持つ「ただの高校生」とは一線を画す何かがわかるのだ。
 ただ廊下に佇んでいるだけで、視線が吸い寄せられる。原田の声に振り向き、あるかないかの風にその額が露になり、澄み切った両眼がわずかに細められ・・・・・・ただそれだけで、多岐に渡る、「ただの高校生」なら一笑に伏すに違いない噂の数々を、納得させてしまうような。

「あんな、あの人の周りだけ風が吹いてるような人・・・僕、初めて見ました」
 先の今野が、陶然とした顔で呟く。
「俺も!」
「俺だって・・・あんなキレイな人、見たことないッス・・・」
 頬を赤らめ、両手を組み遠くを見つめる者まで出てくるのに、原田は思わず廊下の角から星明子のように龍麻を見守ってしまった。
 ちょうど給湯室に入っていくその姿は、読んだこともない青春文学でしかお目にかかれないような「涼しげな美青年」と賞するにふさわしく、憂いを帯びた横顔には自分たちには窺い知れないような、複雑な過去を背負っているかに見えた。
 炎天下の中、汗まみれ泥まみれでグランドを駆けずり回っていた自分たちの姿を改めて見、原田は内心でため息をつく。
(やっぱ、俺たちパンピーとは違うんだなあ・・・・・)
 練習試合でいくらファインプレーをしても、一向に彼女はできないし、こんなに一瞬で部員全員の心はつかめない。壁に同じくへばりついている部員たち総勢二十一名を前に、副主将でもある原田は今度こそ深くため息をついた。主将はと言えば、何を思ったかマネージャーに洗濯を頼みに、とうにいなくなっている。

 真神学園高校野球部、ちなみに明日が甲子園・東京校選抜試合の初戦だが・・・これはあくまで余談である。