拾六
之壱

続・呼名

柘榴様に捧ぐ

一. 策略

 それは秋も深まりつつある、ある日の放課後。
「よ、ようッ! き、奇遇だな、緋勇ッ!」
……………ああ。」
 帰宅途中の龍麻に声をかけたのは、織部神社の双子の片割れ、雪乃だった。
場所は真神学園の正門前。
しかも直前に「せーの」と大声で叫んでおいて奇遇も何もないが、元々鈍いし周囲を気にしていない龍麻は、全く怪しむことなく「ホント奇遇だなー」という思いで頷いた。
「いやー! こんなとこで会ったのも何かの縁だ、ちょっとオレの用事に付き合いなッ! さー行くぜッ!」
龍麻の返事も待たず、雪乃はその腕をがっしと掴んでズカズカ歩き出す。
どこから見ても計画的拉致である。
だが、その場に偶然居合わせた真神の生徒達と、いつも通り一緒に帰ろうとしていた京一は、ただ呆然と彼らを見送るしかなかったのだった。

「い、いやー、いい天気だなァ!」
……ああ。」
 ちなみに今にも雨が降りそうな、どんよりした肌寒い夕方である。
「こういう日は買い物日和だよなッ。緋勇も、そう思うだろ?」
……ああ。」
「だよなッ。」
 (よーし、自然な成り行きで買い物に付き合わせるのに成功したぜ! 次はっと…)
雪乃の独り言にツッコむ人間が居ないのが悔やまれるが、とにかく彼女は大層不自然に、本人としてはごく自然なつもりで、目的を告げた。
「そーだ、買い物日和といやァ、もうすぐ雛の誕生日なんだよ。だから、プレゼントを選ぶのに付き合わねェか? …も、勿論、特別な理由があってお前を選んだんじゃねーぞッ! たまたま偶然会ったから、ってだけだからな! 勘違いすんなよ?」
特に勘違いする理由もないので龍麻も素直に頷いたが、自分の誕生日も近いせいか、珍しく質問を返した。
「…いつだ?」
「え゛ッ!? や、その…………………12月、31日…ね、年末は忙しいから、毎年うんと早めに準備すんだよ! なんか文句あるか!」
…………。」
 首を横に振るのを見て、ホッとため息をつく。
(畜生、何でオレがこんな苦労しなきゃなんねーんだ…。いや、これも雛のためだ。頑張らねェとな。)
 そう。
織部雪乃は今回、大事な妹───雛乃のために、言わばお節介を焼きに来たのである。

二. 発端

「あー…。いーい湯だぜッ。」
「ふふ、そうですね。」
 部活の引継ぎを終えてからというもの、織部姉妹は週一〜二度の割合で、真神の旧校舎詣でに参加するようになった。宿星の元に集う<仲間>も増え、新たな敵との闘いも激しさを増す中、もっと強くなる必要を切実に感じたためだ。
旧校舎自体に関しては、初めは「あそこには何かとてつもない<<力>>を感じる」と言って、美里と共に雛乃も反対していたのだが、通常の修行などでは到底強くなれない、どうしても実戦を積まねばならない、という多くの意見に、従わざるを得なかったのである。
だが最近は、個性豊かな仲間達との交流も楽しみの一つとなり、真神へ出向く日をもっと増やそうかということで、その日も飛び入りで参加してきたところだった。
「実戦も悪かねェけどよ、あの旧校舎って奴ァ、汚ねーし臭せーし空気も淀んでるし、嫌んなっちまうよな。こうしてウチに帰ってきて風呂に入ると、やーっと生き返る気がするぜ。」
「そうですね。特に、あんなに深い階まで降りますと、生者の世界とは切り離された感じがします…。」
 湯船で無造作に顔をバシャバシャ洗った雪乃は、桶に髪を浸し、丁寧に梳くように洗っている雛乃の背中に目をやった。
……へへッ。」
「…? 何ですの、姉様?」
「最近、またちっと胸がデカくなったんじゃねェか?」
「! もう、姉様ったら!」
「だよなァ〜、雛もお年頃ってヤツだもンなァ〜。惚れた男でも出来やがったかァ? ヘヘヘッ。」
 雛乃はキッと雪乃を振り返った。手元にあった手拭いで胸元を隠した辺りは女心であろう。
「姉様、最近仲良くなさっているせいか、雨紋様に口調が似ていらしてますのね。」
「なッ…!? な、仲良くなんてしてねーぞッ!? なな、何言ってやがる、おお、お前ッ…」
 思いがけない反撃にうろたえ、湯船の中で立ち上がって喚く雪乃に、雛乃はクスッと笑った。
「冗談ですわ。姉様が変なことを仰るから、ちょっと意地悪を言ってしまいました。」
………ッ。」
口元に手を当てクスクス笑う妹に、「チェッ、これだから雛には敵わねェよ」と口を尖らせる。
 同じ湯船へと行儀良く入ってくるのに合わせて場所を空けながら、雪乃は改めてその姿態を眺めた。
(我が妹ながら…つーか双子なのに言うのも何だけど、ホント可愛いよな。)
手拭いでくるまれた洗いたての黒髪は、艶やかな輝きを隙間から零れさせている。きめの細かい白い肌は、ほんのりピンク色に染まり、上品な色気が漂う。
 さっきは酔っ払いのオヤジのようなことを言ってしまったが、実際、雛乃は最近益々綺麗になってきた。自分と違い、柔らかく丸みを帯びた肩や乳房、腰や太股も、オレが男なら堪らねェだろうな、などと思う。
「何を仰いますの…私は、姉様の方が羨ましい。ほっそりしていて、しなやかで、でも殿方に負けないほどの力も持ってらして…。」
「それは雛だって同じだろ? ったくよー、双子だってのに、何でオッパイのサイズがこんな違うんだろなー。」
 ふざけて、自分の胸に触れつつ比べるように雛乃の胸を触ると、雛乃はお湯をすくい、ぱしゃっと雪乃の肩にかけた。
「も、もう、姉様ったら! お戯れが過ぎます! えいッ!」
「あッ、やりやがったな? お返しだッ!」
「キャッ。ウフフフッ。」
「アハハハ!」

 子供のように戯れ合った後、ふうっと息を吐き出して、雪乃はしみじみと呟いた。
「…まァ確かに、胸がデカくなったとか綺麗になったとかより、今は強くなった、腕が上がったとかいう褒め言葉の方が、嬉しいかも知れねェな。」
「…はい…そうですわね…。」
 しばらく沈黙が続いた。
重責のかかる<闘い>の日々と、それを共に背負う仲間達を想う。
(強くなんなきゃな───。強くなって、アイツらと共に東京を護らなきゃな…!)
「私も、姉様みたいに強くなって、緋勇さんや皆様の力になりたいです…。」
 同様の想いを巡らせていたであろう雛乃が、同様な意味の言葉を呟いた。
その台詞のごく一部分を聞き咎めなければ、その話題は何事もなく終わっていたことだろう。
(…緋勇? 何で緋勇だけ「別出し」なんだ? …しかも緋勇「さん」??)
 姉にまで敬語を使うこの妹は、同級生を呼ぶ際も「様」という馬鹿丁寧な敬称を付ける。ごく親しい相手、小蒔でさえ「様」なのに、何時の間に「さん」付けになったのか。何時の間にそこまで仲良くなったのだろうか。
「何だ、雛の惚れた男って、やっぱ緋勇だったのか。」
「!!」
 雛乃はたちまち真っ赤になり、「違いますわ」と慌てて否定した。
「そうではなく…ただ、あの方は…誰よりも、誰よりも重い宿星を背負っておられますから。非力な私でも、何か力になれたら、と思うのです。」
「それが「恋」ってもんなんじゃねェのか? ま、オレにはよく解んねェけど。そっか、緋勇か…そうかァ…。」
「違いますったら…だ、大体、緋勇さんには、その…美里様がいらっしゃいますわ。」
恥ずかしそうに、小さな声でそう告げたのは、下世話な噂話をしていることに気付いたせいだったのかも知れない。だが雪乃には「私なんかとても敵わない彼女がいる」と、諦めようとしている態度に見えた。
 勿論、あの美里葵は、小蒔から散々聞いていた通りの美女だし、「佳い女だな」と思う。
だが雛乃だって少しも劣らないし、それに…
「それなんだけどよ、違うんじゃねェかな? オレの見たところ、どうも緋勇の方はそんな気がなさそうだぜ。」
 今日、旧校舎に出向いた時にも、そう思えるような出来事があった。
雪乃達は、先日新たに仲間になったといって、何と美少女アイドル・舞園さやかを紹介された。
TVでよく見かける、あの爽やかな笑顔そのままに「よろしくお願いしますッ!」と挨拶されて、流石の雪乃も思わず「お、おお。」としか言えなかったくらいだったし、他の仲間達も「さやかちゃ…いや、まッ、舞園さやかが仲間とは、思いもよらなかったな!」「近くで見ても〜、ホ〜ント可愛い〜」などと見惚れるばかり。
だがその当人は、何かある毎に「ね、龍麻さん」「龍麻さん、これは何?」と、やたらと龍麻に付きまとっていた。
龍麻の方は他の女子に対するのと同様、実に素っ気なく答えていたが、さやかはそれでも気にせず、ニコニコと話しかける。
(何でェ、アイドルもすっかりアイツに夢中かよ)と思いつつ美里の方をふと見ると、悲しげというよりは羨ましそうに、さやかを眺めていたのだった。
「あれってよォ、美里の片思いなんじゃねェかな。だって緋勇が誰か一人の女を特別扱いしてんのなんか、見たことねェし。」
「姉様…こんなお話、やめましょう。人様の噂話なんて…。」
「噂じゃねェよ、オレがこの目で見て、緋勇はフリーなんじゃねェかって言ってんだ。だからさ、そんなアッサリ諦めんなって。」
雪乃はザバッと勢いよく湯船を出た。
「オレにとって雛は最高の女の子だからよ、そんじょそこらの男にゃムザムザ渡さねェ! でもまァ…緋勇ならな。あれくらいの器なら、まァ…許すから。応援してやるから、頑張れよ、雛。」
「姉様…。もしかして、姉様は…。」
「ん?」
「い、いえ、何でも…そうですか…姉様は、緋勇さんをお認めに…。」
「まーなッ。…悔しいけどな。」
 悔しいが、認めざるを得ない。
戦闘を重ねるうちに、その判断力や知識、意志の強さ、時折見せる仲間への愛情、優しさを、身を以て感じてきたのだから。
(アイツは「漢」だ。ああいうヤツなら雛の男に相応しいし、安心して任せられるってもんだ。寂しいけど…仕方ねェさ、いつまでも一緒には居られねェんだもんな…姉妹なんてよ…。)
「…でも…私、今日は緋勇さんが『特別扱い』していらっしゃるのを、聞きましたわ。」
 娘を嫁にやる父親(母親ではないらしい)の気持ちをちょっぴり味わっていた、気の早い雪乃は、その台詞に慌てて振り向いた。
「えッ!? だ、誰だよッ!?」

三. 誤算

「一応、候補はあるんだ。このブックカバーか、このペンか、この小物入れ…どれも雛が欲しがってたモンだ。お前なら、どれを選ぶ?」
……………。」
 首を傾げながら一つ一つ手に持ち、見比べる龍麻に、雪乃は更に言いよった。
「ちゃーんと、雛のこと考えて選べよ? 雛だったらどれが一番好きかとか、どれを一番喜ぶかとか。」
…………。」
じーっと品物を睨み、棚に戻し、別の品を睨み、また戻し、次の品を睨む。
 …10分待って耐えられなくなったのは、短気な雪乃の方だった。
「何だよ、優柔不断だなッ!」
いつもの決断力はどーしたんだよ、と腕組みをして睨み付けると、龍麻は少し困ったように、ボソリと呟いた。
………解らん。」
「な…何だとッ!? お前、無責任だなッ!」
無理矢理連れてきて、有無を言わせず命令しておいて無責任も何もないが、龍麻はそうツッコんだりしない。出来ないだけとも言うが。
……オレは………織部を………よく知らん。」
 その台詞の意味を捉える前に、別の部分にカチンときて、雪乃はいきなり龍麻の胸ぐらを掴んだ。
「それだよッ!!」
………?」
僅かに眉を寄せ、困った様子(勿論実際には困ったなんてもんじゃなく完全にパニクっている状態)の男を怒鳴りつける。
「オレらを呼ぶのにそれ! 『そっちの織部』だの、『織部妹』だのって、失礼じゃねェかッ!」

 昨晩の入浴中の会話で、雛乃はこう告げたのだ。
『緋勇さんは女性を全員、姓でお呼びになるのに、舞園様だけは「さやか」とお呼びでした。舞園様のご様子から見ても、お二人は───

「前々からホントは注意したかったんだよ。でも、姓で呼ぶことに決めてんのかと思って我慢してたのに、何だよ! あの舞園だけは『さやか』なんて軽〜く呼びやがって!」
…………。」
「そんーなにオレらを名前で呼ぶのが嫌なのか!? ああッ!?」
 瀟洒な造りの静かな小物売り場で、仲良く商品を見ていたカップルが突然喧嘩を始めたので、店員と他の客が心配そうに、あるいは面白そうに見守っているが、二人は全く気付かない。
「それとも何か、お前、ホントにあの舞園とデキてやがんのか!?」
 黙って雪乃を見つめていた(いるしかなかった)龍麻だが、その台詞には、激しく首を振った。
それはもう、ぐるりと高速回転しそうな勢いで。
「…違うのか? ホントに?」
今度は頷く。釘が打てそうな勢いで。
無表情ながら必死なその態度に、雪乃もようやく手を離す。
「ふーん…そうか。違うのか。」
「…違う。さやかは……何とも…思ってない。」
 トドメのきっぱりした否定を聞き、ホッとすると同時に、妙な嬉しさが込み上げてきた。
(良かったな、雛! やっぱ緋勇はフリーだぜ、オレの言った通りだろ? オレの見込んだ通りだろ!)
雛乃にまだチャンスがある、ということより、自分が見込んだ通りだったことが嬉しくて仕方がない。
それがどういう意味を持つのか、雪乃にはまだ解っていなかった。
「そんなら改めて言うぜ。オレらのことは、ちゃんと名前で呼べ、いいな。」
…………。」
「お前、兄弟いねェから解んねェのかも知れねェけど、『緋勇弟』なんて呼ばれたくねェだろ? ちゃんと個別に、判るよーに、オレは雪乃! 雛のことは雛乃って呼べ。いいな?」
…………。」
「何だ! まだ文句があるのか!?」
………いい…のか?」
「は?」
 雪乃は首を傾げて龍麻を見上げた。表情には表れていないが、長い前髪の向こうの黒々とした光は、微かに揺れているように見える。
「…名前…を…。」
「なに…ああ、『雪乃さん』とかってか? いいよ別に、同い年だし、小蒔のダチなんだしよ。呼び捨てで構わねェから、言ってみな、ホレ。雪乃、雛乃って。」
 輝きを増したような気のする瞳を、真っ直ぐ見つめ返す。人を圧倒する力を秘めた視線には思わず目を伏せたくなるが、負けん気の強い雪乃は、常に「目を逸らしたら負け」と思っているので、何とか耐える。
 やがて、龍麻はやっと、その重い口を開いた。
「…雪乃。」

 ドキン。

 それが心臓の音だと気付き、雪乃は恥ずかしさと悔しさで真っ赤になった。
(な、な、何だよッ今のは! 少女漫画みてェなこっ恥ずかしい表現してんじゃねェよ! オ、オレはときめいたんじゃないッ! ときめいたんじゃねェからな絶対! 緋勇の声がデケェから、ちっとビックリしただけだッ!)
だが、いくら言い訳をしても、心拍数の上がったその臓器は「ドキドキドキ」と少女漫画的表現を止めない。
「よ、よ、よーしッ! それでいいぜッ! 雛のことも次からはちゃんと名前で呼んでやれ! じゃ、じゃーそーゆーことでッ…ま、またなッ!」
…………。」
 雪乃は龍麻に何も言う隙を与えぬまま、逃げ帰ってしまった。
本当なら雛乃を名前で呼ばせること、誕生日のプレゼントを選ばせ「これ、緋勇からお前にだってよ!」と渡して喜ばせる二段構えの作戦だったのだが、達成したのは半分だけだった。
(しょーがねェ。それはまた今度にするか…今回は『特別に名前を呼ばれる』ってだけでいいや。それにしても…)
走るのをやめ、とぼとぼ歩きながらハ〜ッと息を吐く。
(色恋沙汰ってなァ、ホントに面倒臭せェもんだなァ…。オレはまだそういうのはいいや…ふゥ。)
色恋の入り口くらいには差し掛かっているだろう自分に気付かず、或いは気付きかけて慌てて蓋をして、雪乃は帰宅した。
 とにかく、明日はまた真神へ行く日だ。
そこで緋勇に名前を呼ばれ、喜ぶ雛の顔を見て、それで良しとしよう───

四. 前進

 だが、翌日織部姉妹を待っていたのは、望外の「作戦成功」であった。
旧校舎の前で仲間達が揃うのを待っていると、龍麻は姿を現した途端、真っ直ぐ二人の前にやってきた。
………雪乃。…雛乃。」
「お、応ッ。」
応えつつ雛乃を振り向くと、雛乃はハッとしたように口元に両手を当て、それから雪乃を見、微かに頬を染めた。
「はッ、はい、…緋勇さん。」
その顔に微かな寂しさを感じつつも、自分の目論見が上手くいったことに満足した雪乃だったが…
………。」
 黙ったまま、龍麻は二人それぞれに向かって、何かを差し出した。
それはピンクの包装紙に赤いリボンをかけた、明らかにプレゼントと解る箱だった。
「こ…これ?」
「…?」
…………誕生日の……プレゼントだ。」
「え? だ、だって…」
私達の誕生日は二ヶ月以上も先なのに…と言いたげに、雛乃は雪乃を振り向いたが、姉もポカンと口を開けて驚いている。
「オッ…オレにも?」
…………同じ…日だろ。」
 いくら疎い龍麻でも流石に、「雛の誕生日」ってことは双子のおねーさんも誕生日だよな、と気付いていたらしい。
雪乃の方は催促するつもりなど毛頭無かったので、龍麻の思いがけない気配りにただただ呆然とするばかりだった。
「これ…もしかして、あの後…選んでくれたのか?」
コクリと頷く姿に、嬉しさが込み上げてくる。
「ちょ…ちょっと早過ぎるけどよ、開けちまってもいいかな。いいよな、な、雛?」
「え? え、ええ。」
 可愛らしいラッピングを姉はバリバリと乱暴に、妹はそっと丁寧に開けた。
すると中には、小物入れが入っていた。昨日「この中のどれか」と言って見せた品の一つである。
しかもよく見ると、同じような格子柄に見えて、雛乃に渡されたのは薄桃色が基調、雪乃は濃い柿色と、色違いになっていた。
「色違いですわ…。」
「ホントだ…。」
 特に意味もなく呟いてしまったのだが、龍麻は「咎められた」と思ったのか、
………違う方が…いいかと………済まん。」
と謝ってしまった。
「あ、いや、いいんだ! 嬉しいぜ、雛と色違いのお揃いで…なッ、雛!」
「ええ…とても嬉しいです。有り難うございます、緋勇さん…。」
本当に嬉しそうに、雛乃も深々と頭を下げた。
あまり似ていないとはいえ、双子として産まれた二人である。別個の人格として、それも二人の気性を表すような色合いを選び、手渡してもらったことには、格別の喜びを感じずにいられない。
「ありがとな、緋勇!」
 雪乃も軽く龍麻の胸をどついて感謝を表してから、ふと気付いて尋ねてみた。
「もしかして、選ぶの時間かかったんじゃねェか?」
龍麻は確か「雛乃をよく知らないから選べない」と言っていた筈だ。この男の性格からして、いい加減に選んで済ますとも思えないし、あの後一人で悩んだのだろうか?
 言おうか言うまいか迷う様子を見せた後、龍麻は目を伏せ、小さな声で告白した。
………閉店まで…。」
 女性向けの小物屋で、あの後もずっと三つの品を眺め比べ続けたのか。きっと周囲に珍しがられ、ジロジロ見られて恥ずかしかっただろうに、最後まで粘って選んでくれたのか。店員に「もう閉店なんですが…」などと声をかけられ、諦めてこれを選んだのだろうか。
 その光景を想像し、雪乃はプッと吹き出した。
(一生懸命、考えてくれたんだな。オレの…いや、勿論、雛乃のために。解らないって言ったのに、色々考えてくれたんだろな…)
「ありがとな。お前ホントにイイ奴だな、緋勇…いや、龍麻ッ。」
自分が名前で呼ばれるのなら、対等に名前で呼ぶべきだ。そうしてやる価値が、この男にはある。
 雪乃はニヤリと笑って、先程より強く龍麻の肩をパン、と叩いた。
その想いを受け取ったのか、龍麻も強く頷く。
「姉様……解りましたわ。私も…龍麻さん、本当に有り難うございました。どうぞこれからも、私共をお導き下さいませ。」
雪乃に倣うように、雛乃も呼称を替えた。龍麻はそんな二人をじっと見つめていたが、ゆっくりと頷いて「こちらこそ」と呟いた。
姉妹がニッコリ笑い返す。花のようなその笑顔に、龍麻も微かに口元を歪めただけの笑顔を向ける。
 三人の間に多少の誤解はあれども、互いの信頼関係に嘘はない。
ここにまた、宿星に導かれし者の絆が強まったのである。

 …と、そんなやりとりが、誰もいない夜中の織部神社ででも行われていれば、これで一件落着した筈なのだが。

「良かったね、雪乃ッ、雛乃! あ、ボクもついでに名前で呼んでいーよッ、龍麻クンッ!」
 周囲の凍り付いた空気に気付かず、もしくは凍ってるようだからと気を利かしたつもりで、小蒔が声をかけた。そのため遠巻きに見ているしかなかった仲間達は、堰を切ったように口々に騒ぎ出したのだった。
「アタシも『亜里砂』でいいわよ。アンタならね…フフフッ。」
「舞子もォ〜、舞子って〜、呼んで欲しい〜。」
「アタシも桃香でいいわッ! 共に闘うヒーローとして、特別にねッ!」
「マリィは、マリィだヨ…?」
「ああ、アタシもアン子でいいわ。」
「あ、あのッ…、私も…名前で…」
 何だかよく解ってないマリィはともかく、何故今日に限って女性陣が(一人除いて)勢揃いしているのか、しかも何故アン子まで混ざってるのかは訳が解らないが、呼び方一つでその場はバーゲン会場並みの混乱状態に陥った。かやの外の男性陣はそっと後ずさり、その光景を見守っている。というか、それしか出来ない。
「言っておくけど、変身している時はちゃんと『ピンク』って呼ぶのよ! 桃香はプライベートの時だけだから、注意してねッ。」
「何を勝手に面倒な設定作ってんのよ。…でも結構イイ手かもね、ねェ龍麻。アタシも、夜二人っきりで逢う時だけ、亜里砂って呼んでもらおうかしら? ウフフッ…。」
「マリィは、いっつもマリィだヨ…??」
「じゃ〜あ〜、舞子はァ〜、お仕事中は〜、看護婦さんって呼んでね〜。エヘヘ〜ッ。」
「そりゃ単なる職業でしょッ…って何アタシもツッコんでんのかしら。」
「あ、あのッ…私も…」
 こんな収拾の付かない状態で、騒ぎの中心がまともに理解出来ている訳がない。
(何、なんでこんな、オレだけ責められてるんだ? やっぱ織部姉妹を偉そうに名前呼び捨てにしたせい? みんな怒ってるのか? ど、どうしよう〜でも今更また苗字で呼んだら織…じゃねェ、雪乃さんに怒鳴られるだろうし、だけどみんな何言ってんのか全然解んねェよー! だ、誰を何がどう呼べって? 桜井を看護婦さん? 美里と二人きりの時はマリィを桃香?? だ、誰か助けて〜ッ!)
誰が見ても直立不動で傍観しているようにしか見えないのに、いつもの如く神業のような観察眼を駆使して「困っている状態」と察した京一が、「お前らいい加減にしろ! ひーちゃん困ってんだろ!」と助け船を出し、その場は一旦収まった。
だが、こんな騒ぎでたっぷり時間を使い過ぎてしまったし、「こんな興奮状態で地下に降りるのは危険だろう」との判断で、結局その日の「探索」は中止となってしまったのだった───

五. 事後

「姉様…。ごめんなさい。」
「ん? 何が?」
 解散の号令に渋々従い、それでも幸せな気分が続いたまま帰宅の途に付いた雪乃は、鼻歌を歌いつつ振り向いた。
御社へと続く石段の下、先程から少し元気の無かった雛乃が、頭を下げている。既に数段先を登っていた雪乃は、ギョッとして駆け下りた。
「な、何やってんだよ雛ッ。何謝ってんだ?」
「私…私、とても恥ずかしい嫉妬をして…。でも、姉様がこれ程まで真剣でいらっしゃるのを知って、反省致しました。私、心を入れ替えて、姉様と龍麻さんを応援させて戴きますッ。」
……はァッ!?」
 何の冗談かと思いかけたが、雛乃は真剣な面持ちで、目を潤ませている。
「嫉妬? 応援?? 何言ってんだ? お前…。」
「私は、心根の卑しい妹です…。一昨日の夜、姉様が龍麻さんを讃えられた時…、いいえ。いつもは興味ないと仰る姉様が、舞園様や美里様のご様子をよくご覧になっていると知った時から、私…」
恥ずかしそうに目を伏せ、そこで言い淀んだ雛乃だったが、弱々しく首を振り、続けた。
「…ごめんなさい。姉様を…龍麻さんに盗られてしまうような気持ちになってしまって…姉様を諦めさせようと、あんなことを申し上げてしまったのです。あの方はもう、舞園様とお付き合いなさっている…などと…。」
「龍麻にとられ…? へッ??」
 一昨日の夜の会話を慌てて思い出してみる。確かに、雛乃の言葉で舞園との仲を確認しようと思い立ったのだが…
(そう言われてみれば、色恋の邪推話なんか嫌ってる筈の雛が、珍しく自分から舞園のことを言い出して、変だとは思ったんだ。)
だがそれは、だからこそ、「それくらいアイツに惚れてて、舞園へのヤキモチをつい口にしちまったんだな」と解釈していたのだ。
「でも、姉様はすぐに、龍麻さんに真実を確かめられた上、私どもも舞園様と同格に扱うよう、頼んでいらしたのでしょう? 姉様がそのような積極的なことをなさるなんて…本当に、本気でいらっしゃるのですね。」
「い、いや違うって、雛! それは単に…」
「自分が恥ずかしい。子供染みた独占欲で、龍麻さんをほんの少し恨めしく思ったりして…なのに、そんな卑しい私にも、あの方はこんな心遣いをして下さった。姉様と同じに、でも別の個として、扱って下さって…私、やっと目が覚めましたわ。」
キッと顔を上げた雛乃は、雪乃の両手を自分のそれで包むように握り、ニッコリ微笑んだ。
「あの方なら、私の姉様をお任せ出来ますわ。幸せになって下さいましね、姉様!」
「ちッ…ちッ…違ーうッ!! そーじゃねェったらー!!!」

 何とかかんとか言葉を尽くして雛乃の誤解を解くことが出来た頃には、たっぷり30分は経っていた。
「それでは私達、お互いに誤解しておりましたのね。」
「何だよ、雛までそんな勘違いしてたのかよー!」
並んで階段を登りながら笑い合う。
「それにしても…。」
「…だな。これも緋勇龍麻って奴の、持って生まれた星の因果なんだろうが…困った奴だよなッ。」
「うふふッ。その困った方を支えるのが、私達の役目ですわ。」
「しゃーねーなッ。いっちょ二人で、ガッチリ支えてやっか!」
「はいッ。」

◆ ◆ ◆

 ほぼ同じ頃、ラーメン屋に立ち寄っていた噂の男は小さくくしゃみをした。
「ヘヘヘッ、何だひーちゃん、噂されてんな? モテる男はツライってか?」
(京一のイジワルッ。嫌味かよ、しくしく…やっぱり雪乃さん怒ってるのかなあ。それとも他のみんなかな…結局、名前で呼んでいいのか呼んじゃダメなのか分かんないし、どうなってんだよー! 女の子って、サッパリ分からーん!)
 パニクらずによく聞けば、幸せは目の前だというのに…。
龍麻の春は、相当遠そうであった。

07/12/2006 Release.