拾六
之弐

続々・呼名

文昌堂様に捧ぐ

「…う…うーん…ッ」
 寝苦しさを感じて、目が覚めた。
(何だァ? なんか寒いし、それにうるせェ…誰だよ、変なお経唱えてやがんの…今何時だ? つーか…ここ、どこだ??)
目を開けて周囲を見ようとしたが、何故か目が開かない。
どうなっているのか、触って確かめようとしたが、手も動かない。全身が金縛りに遭っているようだ。
(な…何だよ、どうなってんだ? 俺は一体…?? …ッだーッ、うるせェんだよこの読経ッ。何をブツブツ言ってやがんだッ!)
少し離れたところから、聞き覚えのある…それもあまり良い印象の無い声が、意味不明な言葉を、同じトーンでずっと唱えている。

 ───をかかげしひとつのつの ふたつのみみ みっつのめ よっつのて いつつのつめ むっつのちち ななつのきば やっつのふ ここのつのおをささげん きたりきて かのちとにくくらいて つどいつどえ いざないのあやし…───

 (ちょ、ちょっと待て…? 一体、何がどうして今こうなってるんだったっけ…? 俺は確か、旧校舎に向かって歩いてて…急に眠くなって…?)
 以前にも似たようなことがあった。
夏休み中、補習を受けに来ていて、そこで裏密と出会い、変な薬か何かで眠らされ…
そこまで考えて、この意味不明な呪文を唱えている声の主と、記憶の人物とが一致し、俺はやっと目が覚めた。
(まッ…まさか、俺、また裏密にとっつかまって、変な儀式とやらの生け贄にされてんのかーッ!?)

◆ ◆ ◆

「おっかしいな〜ッ。京一が旧校舎に来ないなんてさ。来るって言ってたんだろ? 龍麻クン。」
 桜井が尋ねるので、オレは振り向いて大きく頷いた。
『先行っててくれ、俺もすぐ行くから』って言ってたのに、どうしたのかなあ。
「別にいいじゃねェか、京一のバカが来ないなら来ないで、このメンバーで降りちまおうぜ。時間もねェことだし。」
「そんなッ。ひどいですよ、雨紋さん! 京一先輩は、必ず来ます! 緋勇さん、もう少しだけ待っていて下さい、お願いしますッ。」
「別にいいけど、バイトの時間になったら、アタシは先に抜けるわよ。」
「僕も今日中に帳簿の整理をしたいので、失礼するよ。」
「Oh! ボクは、All NightでもOKネ!」
「…しかし、確かに遅すぎるな。うっかり忘れて帰ってしまった…ということもあるかも知れん。」
「そんな…京一君は、確かに少し忘れっぽいところもあるけれど、みんなとの約束を忘れたりするかしら…。」
「葵ィ。軽〜く忘れるって、京一なら。」
 みんな色々と言い合ってる。
オレとしては何時間でも京一を待ちたいトコだけど、みんなにも都合はあるだろうし、実際、ホントに遅いのだ。
トイレでも行ってんのかな、マリア先生に呼び出されたのかも、いや犬神先生に捕まったのかも…と理由をあれこれ考えてたんだけど、そのどれであれ、ここまで遅くなる筈はない。
………見てくる。」
 とりあえず下駄箱を見て、校舎に残ってるかどうかだけでも調べてこよう。
「俺も行こう。」「あ、ボクも!」「あの、僕も行ってもいいでしょうか?」「え? あっちの校舎に入ってもいいの?」「おおッ面白そうじゃねェか!」
と、みんなも口々に好きなことを言いつつ、付いてきた。
いやオレ、つかいっぱのつもりだったのに…ま、いっか。

「靴、あるね。」
「まだ校舎の中にいるようだな。」
 頷きつつ、オレは京一の靴箱の蓋を閉じた。
「教室で寝てるか、屋上で寝てるか、体育館裏で寝てるか、それ以外の場所で寝てるんじゃない?」
「どこででも寝てんのか、アイツは。ホンットバカだな。」
「そんなことありません! 京一先輩は…ええと…万が一のため、常に鋭気を養ってるんです!」
「それかなり無理があるよ、霧島クン…。」
まあ確かに京一はいつでもどこででも寝てるけど、放課後過ぎても寝たけりゃウチ来るだろうし、その前にあれだけ大ッ好きな旧校舎に来ないなんて、あり得ないんだよなー。
 職員室で捕まってるのかも知れないと思い、階段に向かった。
 ───ん?
踊り場に、鞄が落ちてる。
これは…
「京一の鞄…だな。」
オレが拾った鞄を見て、醍醐がすぐ言い当てた。ピンポーン。
ぺったんこで、ボロボロで、金具のとこに桜井が書いた「バカ」という文字が薄く残ってる、世界に二つとない京一の鞄だ。
「何故こんなところに…」
「本人は、どこ行ったんだ?」
 …ものすご〜く嫌な予感がする。
何故なら、オレはこれと似たような体験を、夏休みにしてるのだ。
「龍麻? どこへ行く?」
………霊研。」
 オレはかろうじてそれだけ告げ、慌てて走った。
裏密のヤツ、またオバケとか妖怪とか呼び出そうとしてるに違いない! 早く京一を助けないと…!

◆ ◆ ◆

 延々と続いていた呪文が、ふいに途切れた。
と思うと、縄か何かで縛られ横倒しにされていた俺の真上に、裏密の顔がひょっこり現れた。
「うふふ〜、もうちょっとだから、我慢しててね〜。」
そう言いながら俺の顔を、赤い絵の具か何かが付いた指でなぞり出す…
「なッ…何やってんだ、気持ち悪りィッ!」
「何でもないの〜。ただ〜、魔王の力を借りるのに、招邪の紋様を書いておくと〜、効果が高まるから〜。」
「へェ、そうなのか。魔王の力ねェ…って…ま、魔王!? お前、またッ??」
「うふふふ〜。」
………ぎええェーッ! だ、誰か…ひーちゃああんッ!!」

◆ ◆ ◆

 霊研まで来たが、ドアが開かない。鍵がかかってるらしい。
……裏密! ………開けろッ!」
戦闘中以外は大声を出さないようにしてるんだけど、今は非常時だ。仕方ない。
「裏密、中にいるのか? おい!」
「京一先輩ッ! ここにおられるんですか、京一先輩ッ!?」
 他のみんなも口々に呼んでくれたが、中からは何も聞こえないし、ドアもやっぱり開かないままだ。
集中すれば、中に人が居るかどうかくらいは<<気>>で判るんだけど、霊研だけは裏密が何かアヤシイ魔法でもかけてるらしくて、全然判んないんだよね。
居ないのかな〜。それとも既にヤバイ状態になってるのかな…どうしよう。
 と、思った、その時。

 ───ぎええ〜…れか…───

 う……ッ!?

 中から微かな叫び声が聞こえたのと、ぐらっと目眩がしたのは、ほぼ同時だったと思う。
な…何だ? これ。
「い、今の、京一の声だよなッ?」
「京一先輩ッ!?」
「裏密、何をしてる! 開けないかッ!」
「仕方ない、ドアをぶち破るぞ、龍麻……龍麻? どうした?」
 心配そうに振り向いた醍醐に「何でもない」と言おうとしたのに、何だかアタマも身体もボーッと痺れてる感じで、頷くことも出来ない。
何だこれ。
眠いような、チリチリするような、だるいような。
「おい、龍麻? どうかしたのか…」
「…くッ…、皆さん、離れて下さいッ!! やあーーーーッ!!」

 ガッチャーン。

 霧島くんが、剣でドアを斬って、ドアが全壊して、ガラスが飛び散って、ものすごい音を立てた…
筈なんだけど、見えないし聞こえない。
全然見えなくなったんじゃなくて、ぼんやりとは感じるんだけど、なんか相当遠くの出来事を、望遠鏡で眺めてる感じというか。とにかく変だ。
身体を何とか動かしてみたら、ふわ〜っと歩けた。水の中で歩いてるみたいで、これも実感が遠い。
みんなが「京一」「裏密ッ」と口々に言いながら、中に入っていくのが見えたので、オレも続く。
でも、あまり早く動けない。何でなんだよ〜、非常時なのに〜!
「だ、大丈夫か、龍麻…」
醍醐が肩を貸してくれた。ありがと〜、助かる。

……………。」
「なッ………なんだ、こりゃ…。」
 みんなが驚いてる。
目を凝らしてよーく見ると、薄暗がりの中、床に不思議な模様が描かれ、その中心で祈りを捧げてたらしい裏密が見えた。ついでに、その先の白い台の上に縛り付けられてる京一も。
 やっぱりイケニエにされてたか。ふゥ。
「きょ…京一先輩ッ…! 何てことを!!」
 ものすごい勢いで、霧島くんが京一に抱きつき、慌てて縄を解く。
「京一、大丈夫か?」
「何捕まっちまってんだよ、お前、情けねェ『先輩』だなァ。」
「京一君、怪我はない?」
 みんなでよってたかって京一を助け起こす。あれだけ悪く言ってた雷人でさえ、手助けしている。
オレもそうしたいんだけど、身体が動かない。…ま、みんながやってるんだから、別に必要ないか。
 醍醐が活を入れると、京一はヨロヨロ起き上がった。
「う、裏密てめェ〜、また俺を生け贄にしやがってー!」
……『また』じゃないわ〜。まだ〜、一回目〜。」
「夏休みにも、こーゆー目に遭わせたろーがッ。忘れたとは言わせねェぞッ。」
「あれは〜、ひ〜ちゃァんを〜、生け贄にしたの〜。今回は〜、ひ〜ちゃァんじゃ、ダメなんだもの〜。」
「だァッ、同じことだろ! そーやって俺達を気軽に生け贄にするんじゃねェッ!」
「気軽じゃ〜ないわ〜。満を持して〜、昨夜から準備を〜、」
「そうゆうこっちゃねェだろーがッ!」
 京一の怒鳴り声を聞いてるうちに、だんだん痺れが取れてきた。
あー良かった、とりあえずまだ変な化け物とかも出てくる前だったみたいで、裏密も無事だ。ついでに京一も無事だし、オレも平気みたいだし。
でも一体何だったのかなあ。今は別段おかしなところはないから、もういいか。それより本当に、裏密が無事で良かった。
「今度は一体何だよ、どんな怪物を喚び出そうとしやがった!? アレで懲りたんじゃねーのかッ!」
……召還の魔方陣じゃない〜。今回は〜、ミサちゃんの不得意分野〜…」
「はァ? 不得意? 何しようとしたんだよ。」
…………。」
「俺は聞く権利があるだろッ。えッ?」
…………。」
「てめェなァ〜、この期に及んでな〜ッ。」
 しばらく様子を見ていたが、京一が裏密を締め上げようとしているのを見て、堪らず間に割って入った。
……そう…責めるな。」
「へッ? …ひ…ひーちゃん?」
何故か鳩が豆鉄砲食らったような顔で、京一はこっちを見ている。その間に裏密がオレの背中に隠れるように回り込んだので、オレはそれを庇うようにしながら、続けた。
「…裏密も……女だ。」
………そ…そりゃ……だけど…。」
「ひーちゃァん…。」
 いくらこんなアヤシイ奴だって、か弱い女の子には違いないんだからさ、乱暴にするのはどうかと思うんだよ。身体も小さいし、華奢だしさ〜。変なトコはあるけど、護ってやるべき仲間には違いないんだから。
ちゃんと可愛い女の子として扱ってやれよ、こんなに愛らしいんだから…って。

 ちょ、ちょっと待てよオレ!?
何でこんなに、やたらめったら裏密を気にかけてやってんだ??

 落ち着け、確かここには、イケニエにされそうになってた京一を助けに来たんだぞ? イケニエにしたのは、見た目はチビでも女の子でも、中味は得体の知れないこの裏密だぞ?
な、何考えてんだ? オレ。どうしちゃったんだ〜?

「まァ…ひーちゃんがそこまで言うなら…。裏密ッ。ひーちゃんに免じてもう訊かねェけどな、二度と人を生け贄にすんじゃねェぞッ。」
………。」
 裏密は、オレの顔をじーっと見上げていたが、やがてくるりと後ろを向いて、ボソリと答えた。
「…そうよ〜。ミサちゃんだって〜、か弱い女の子なのよ〜。」
「か弱いって…。」
「ある意味最強、いや最凶だろお前は…。」
 外野からツッコミが入る。失礼なこと言うなッ…い、いや、ナイスツッコミ! …ホント、どうしたんだろオレ。オレがオレじゃないみたいだ。
……いいわ。教えてあげる〜。………意のままに操りたき者の〜、最も近しき人間を捧げ〜、その血と肉と意を以て我が願いを成就せんとしたの〜。」
「が…外国語を使って煙に巻こうったって、そうはいかねェぞ!」
「全部日本語だよ、バカ京一。」
 京一&桜井の見事なボケツッコミ、いつもなら心の中で拍手喝采なのに、何でオレはハラハラしながら裏密を見てるんだろう?
「…ねェ、それって、ミサちゃん…。龍麻君に、何かお願いをしたかった、ということなの?」
……………。」
 へ?
お、オレッ??
 裏密はこちらに背を向けたまま、もじもじしてる。
京一はそれを見て、世にも情けない顔をした。
「お前なァ…。そんならこんな回りくどいことしないで、本人に言え、本人に。」
「ミサちゃん、私もそう思うわ。龍麻君は、どんなお願いでも、無下には断らないと思うの。」
 そ、そうだぞ裏密。オレはお前のためなら、どんな願いでも聞くぞ…ってコラ! 何でそんな、とんでもなく恐ろしいこと考えとんねん! ヤだよ、そんなこと言ったら「じゃあ早速生け贄になって〜」とか言われるやん! 美里も適当言うなッ。
 オレはそっと深呼吸した。
ちょっと落ち着こう。この部屋に入ってから、いや入る前辺りから、誰かに操られてるみたいに変なこと考えてる。
 …操られてる?
そういや「意のままに操りたい」とか言ったな。
つまりオレは今、裏密に操られてるのか?
は〜。道理でやたらと裏密に同情的なワケだよ…。
でも解ってしまえば、もう平気だ。
 もう一度深呼吸してみたら、ずっと残っていた、あのだるい感じとチリチリする感じが、ようやく消えた。
よし、ちゃんと裏密は怖いし、この部屋も気味が悪いし、京一は可哀想だぞ。戻った戻った。
きっと「儀式」ってのが完了する前に邪魔したので、術か何かも不完全だったんだろうな。ホントに間に合って良かった…終わってたらオレ、どう洗脳されてたんだろ。改めてコワイ。
…………。」
 裏密がゆっくり振り向き、オレをじーっと見る。うう、怖い…と感じるってことは、ホントに元に戻ってるんだ。ホッ。
…………ズルい〜。」
 は?
「さやかちゃァんも〜、雪乃ちゃん雛乃ちゃァんも〜、ズルい〜。…ミサちゃんも、名前がいい〜…。」
 名前?
名前って…何?
 あ? さやかちゃん、雪乃さん、雛乃さん…て、名前? ああ、名前で呼んでる人か?
つまりお前、オレに名前で呼んでくれ、って言ってんのか??
えええッ? 何で??
 あまりに予想外の「お願い」に、思わずじーっとオレも睨み返し…いや、見つめ返してしまったら、裏密は顔を赤くして後ろを向いてしまった。
お前…オレなんかに名前で呼んで欲しいって思ったのか?
そんなことのために京一を生け贄にして、アヤシイ儀式してたのか?
…全くもう…。
「ミサちゃんも〜、ミサちゃんって〜…」
 後ろを向いたまま俯いた姿に、ちょっと気の毒に思えてきてしまった。
小さい身体を益々小さく縮こまらせて、一応反省してるみたいだし。
 オレなんかに名前呼んで欲しいなんて…とことん変わった趣味なんだな、お前。
あんな化け物を呼び出したり、こんな不気味な部屋に籠もったりしてる奴だし、オレのことも怖くはない、というより「似たようなもん」て感じで親しみを感じてるのか。うう、ひどい。オレは人間なのに。
 …でも…似たようなもん、か。
こんな部屋でアヤシイことばっかしてて、みんなに怖がられて…
もしかして、オレを「仲間」だと…トモダチ、だと思ってるのか。
オレも裏密と同じ、邪眼で、何もしてないのにビビられて、トモダチ少ない寂しいヤツだって…
それで、仲良くしたいって思って…くれたのかな。
 そっか…
お前…
オレと…同じか。
寂しかったのか…

「…ミサ。」
 あまり練習しなくても、その名前は自然に呼べた。
振り向かないまま、裏…いや、ミサが顔を上げる。
オレはゆっくり近づいて、その頭を軽く撫でた。
「ミサ。……願いは……オレに言え。」
ミサはゆっくり振り向き、コクリと頷いた。
頭をぽんぽん、と優しく叩いてやる。
全くもう。
困ったヤツだけど、…ちょっと可愛い。
怖いトコもあるけど、ホントはお前って、寂しがりなフツーの女の子だったんだな…
 なんて思っちゃう辺り、まだ操られてんのか? オレは。
…ま、いっか。


「俺は納得いかねェ。全ッ然納得いかねェ!」
「まァまァ、京一先輩…」
 一件落着と言っていいのかどうか、とにかく当直の先生や校舎に残ってる他の生徒に見つからないうちにということで、急いで校舎を引き上げた。壊したドアとかは、ミサが「どうとでも出来る」というので、そのままにしてきた…「どうとでも」ってどうするってのかは、恐ろしいから聞いてない。
旧校舎の方に足を向けながら、京一はまだプンプン怒っている。
「最初っからひーちゃんに『ミサって呼べ』って言って終わりなところを、どーして俺が生け贄になってワケの解らねェ呪文を延々聞かされて、血ィ抜かれて変な模様を顔に書かれて縛り付けられなきゃなんねーんだッ!」
「確かにひどい話だが…」
「そーゆーとんでもねェヤツの願いなんか、叶えてやるこたーなかったんだよ! そーだろ、ひーちゃん!?」
 んーまァ…そうだよな。京一の言う通りだ。お前にしてみりゃ何の関係もないのに巻き込まれたんだもんなあ。
だけど何ていうか、京一も可哀想なのに、ミサも可哀想かなあなんて思っちまったんだよね。
ごめんな、操られてたとはいえ、京一の言う通りに出来なくて。
「まァいいじゃない、無事だったんだしさ。」
「無事なんかじゃねーぞアン子! 俺の心の傷がどれだけ…って、ありゃ? ア、アン子? お前、いつの間に来てたんだ?」
「フフン、騒ぎあるところに杏子様あり、よ。てゆうか、ミサちゃんが京一を運び込むトコに出くわしたんで、ずっと見てただけだけど。」
「おッ、お前ってヤツは…。ジャーナリストの川上にもおけねェな!」
「それを言うなら風上でしょ!」
「げはッ! …ぐッ、グーで殴るなッ…」
「まァ一応、生命は取らないかくらい確認したわよ、事前にね。ほんの数滴血を採る以外は何もしないし、龍麻くんに願いをかける可愛い白魔術だって言うから、放っといたのよ。」
「そうだったの…。」
「白魔術だか赤魔術だか知らねェが、生け贄が必要なもんが、危なくねェってのかよ!」
「ああ、生け贄ってのはね。必ず必要なワケじゃなくて、願をかける相手が身につけている物とか、身近な物を使うと効果が高いんだって。だから、龍麻くんと一番仲の良い京一を選んだってワケね。」
「…物でいいなら、物にすればいいのに…。」
「そこで人間を生け贄にする辺りが、ミサちゃんだよね…。」
「第一、あん時聞こえた呪文みてェなの、意味は解んねェがかなり気味悪かったぜ…あれが『可愛い魔術』かよ。」
 だよな。確か白魔法ってアレだろ、ホイミとかケアルとかって回復だの味方の強化だのするヤツ。それをミサがやると、何でああオドロオドロしいことになるんだ。
そうゆうことするからトモダチいないんだろに…って、人のこと言えないんだけどな、オレも。

「そういえば、龍麻。霊研に突入する前、具合が悪そうだったが…、あれはもういいのか?」
 ああ、そういやそうだったなと思い出しつつ頷くと、醍醐は「ふむ」と少し考えて言った。
「つまり、あれが『効き目』だったのかも知れんな。」
「じゃ、じゃあまさか、ひーちゃんが裏密を庇ったのは…?」
 うーん…。
オレは少し考えて、首を横に振った。ここで「操られてた」とか言うと、折角収まった話がまた揉めそうだし、途中で覚めたってことも、ミサの気持ちも、説明出来そうもないしな。
「成る程、龍麻ほどの意志の力があれば、そうそう操られはしないという訳か。それでも影響が多少はあったようだが。」
「へェ、じゃあちゃんと龍麻に届いたことは届いたワケ。魔術って結構効くのかしら…。」
「というよりも、それだけ京一先輩と緋勇さんが、仲が良いってことかも知れませんね。」
 え!? き、霧島くん。なんつー嬉しいことを言ってくれるんだ、キミは。
そんなことないんだけど〜、でもそう思われるのは嬉しいな〜えへへへッ。
 あ…そうか。ミサもそう思ったんだよな。さっき、アン子ちゃんもそう言ってくれたし。
まあ、京一側から見て一番仲良いのはオレじゃないけど、オレ側から見れば一番は京一だから、当然といや当然だ。
でも、端から見ててもそうって判るくらい、オレが京一にぞっこんなのは態度に出てるのかな。だとしたら、なるべくフレンドリーにしようと頑張ってる甲斐はあるんだ。へへへ、やったー。
「てゆうかさ、龍麻クンにとっては大した友達じゃないから、術がちゃんとは効かなかったってコトじゃないの?」
「…ッ!!」
 な、な、何てこと言うですか桜井ッ!
オレにとって京一は大した友達なんだぞ? 大それた友達なんだぞ? 毎日毎日「もっと仲良くなれますよーに」と願ってるんだぞ?
しまった、さっき「効かなかった」って答えちゃったのは失敗だったー。
ホントはメチャメチャ効いたんだよ〜途中まではすっかりミサに惚れてるかのように操られてたんだよう〜。だから本当は、京一はオレにとって大事な友達ってことになるんだよう〜! あ〜出来ないからって説明を諦めちゃダメだって教訓話なのかコレは?!
「何言ってやがんだ、小蒔ッ! んなワケねェよな? ひーちゃんッ。こん中じゃ俺が一番のダチだもんなッ!」
おお、応よッ! 勿論だ!!
力強く頷いたら、京一がニッと笑って、いつも通り首に絡みついてきた。
「ホントはよ、裏密の術にかかってたろ? 完全にじゃなくても、ちったァ効いてたろ? そうに決まってるよな。」
ああ…バレてた。
また解ってくれたのか。お前って本当にスゴイなあ…。
……ああ。」
「ホーラなッ。」
「龍麻クン、そんな気を遣わなくてもいいのに。」
「うるせェぞ、バカ小蒔ッ。」
「バカにバカって言われたくないよーだッ。」
 桜井と掛け合い漫才しながら、オレの肩をグッと掴んだ京一の手から、あったかい…というか熱い<<気>>が流れ込んでくるのを感じ、目を閉じる。
 京一がまたもオレの気持ちを読み取ってくれた。
勿論それは、京一がホントはすごく優しくて、仲間思いで、みんなのことをよく見てるからだって解ってるけど。
オレも…オレのことも気にかけてくれてるからなんだよね?
だから解ってくれるんだよね?

「そーゆーことなら仕方ねェ、裏密の所業も今回だけは許してやるかァ。」
「流石は京一先輩、心が広いんですね…益々尊敬しますッ。」
「そーだろ、そーだろッ。」
「なんかさァ、霧島クンがいると、バカが益々バカになる気がするよ、ねェ醍醐クン…あれ、醍醐クン? 大丈夫?」
「いッ、いや、何でもない。ま、まァ何だ、みんな無事で何よりということだな。は、ハハッ。」
………?」
 そうだな、醍醐の言う通り。
みんな無事だったんだから、結果オーライだぜ。

オレはそっと校舎を振り返った。霊研の明かりはもう消えてる、というか、最初から点いてなかったっけ。
一緒に行こうって一応誘ったのに、後片付けするからと言って付いて来なかったミサは、今もまだあの暗い部屋から、オレたちの方を見つめているんだろう。一人きりで。

 目線をみんなの方に戻すと、京一が小さい声で尋ねてきた。
「裏密が気になんのか?」
お前、ホントによく解るよなー。
「…ああ。」
それだけ答えて、後は何も言わずに歩く。
 …やっぱりまだ、ミサに操られてるんだ、オレ。
こうしてみんなと一緒にいられて、京一に気持ちを解ってもらって、こんな風にスキンシップしてて、…それでも、

 ミサの方に近い場所に立ってるような気がするなんて。

◆ ◆ ◆

 しがみついていた俺の腕から逃れるように、龍麻は校舎を振り向いた。
俺より裏密の方が気になるのか。やっぱり本当に魔術とやらにかかってるのか、それとも元々彼女を気に入っているのか。
裏密の妖しげっぷりには誰もが一歩退いてしまうというのに、龍麻だけはいつも平然と対応しているし、あり得ないことではない。
 離れかけた身体を引き戻すようにして「気になるか」と尋ねると、事も無げに肯定したので、さほど深い感情ではないようにも思える。
だが、俺は知っている。
微かに寄せられた眉、普段より一層厳しく引き結んだ唇、いつも通り力強いようでいて、僅かに揺れる<<気>>、学ランを通して感じるピリピリと緊迫した皮膚の感触は。
 …何をそんなに哀しんでいる?
『名前で呼んで』
 そんな他愛もない願いさえ、普通に告げられない裏密を、憐れんでいるのか。
それとも、そんな特殊な女さえも虜にしてしまう、己の魅力を疎んじているのか…
 肩に回した手に、少し力を入れてポン、ポンと叩いてみた。
何も俺は理解ってねェ。
解ってねェかも知れねェが、何かを哀しんでいることに気付いているから。
必要な時には、ここに居るから───

 ゆっくりと俺の方に視線を合わせた龍麻は、一瞬眼を細め、頷いた。
そして、片方の手を俺の背に回し、「きゅ」と軽く肩を掴んでから、スッと離れていった。
「有り難う」と言うように。

 俺の気持ちが伝わったのかは解らねェ。本当に感謝の意だったのか、ウザがって手を離させただけかも解らねェ。
だが、龍麻から俺に強く「触れて」きたのは、これが二度目だ。
最初は、醍醐が行方不明になった時に、俺を慰めようとしての行為だった。
今回は…?
 術にはかかっていなかったと言うし、実際いつも通り、最初から最後まで沈着冷静に振る舞っていたところを見ると、あの魔術とやらは効かなかったのだろう。
それでも、一番のダチだと言い、術にかかっていたと嘘をつくのは。
───俺に───俺だけに対する気配りだよな。
陰ではどうだか知れないが、少なくとも大勢の仲間達の前で「京一が一番」と認めてみせるくらいには、自分を買ってくれているのだ。
人との接触を極端に嫌っている癖に、自分にだけ触れてくるのは、それだけ認められているのだ。
そう信じていいんだよな。

 数歩先を歩いていた龍麻が、何かを感じ取ったように振り向いた。
前髪に隠された強い光をしっかりと見つめ返す。
「…行くぞ。」
 刺すような輝きが緩み、張り詰めていた<<気>>が俺を包むように和らいだ。
「…応よッ。ヘヘヘッ。」
まるで俺の問いに応えたかのように、先程の緊迫感も悲しみも消えている。

 信じていい、そうなんだよな? ひーちゃん───

07/19/2006 Release.