拾六
之参

共振

「龍麻君、ちょっといいかしら?」
 美里が恐る恐るといった感じで声をかけてきたのは、弁当抱えて屋上へと階段を上っていた時だった。
どしたー? と振り向くと、美里は少し困ったような顔で、言いにくそうにこう切り出した。
「あの…さっきのことなんだけれど…ミサちゃんのお薬ね…」
ああ、アレな。
アイツまた何かヘンな実験してるみたいで、黄色い怪しい液体飲まされたんだ。
時々コワイ目に遭うから、オレも本当は協力したくないんだけど、協力しないともっとコワイ目に遭いそうでそれも怖いんだよね。アハハ。
「私もあのお薬飲んだのだけど、さっきから体がおかしな感じなの…。ふわふわするというか…龍麻君は、平気かしら?」
……何とも……ない。」
「そう…じゃあ、お薬のせいじゃないのかしら…あ、ごめんなさい、呼び止めたりして。それじゃ…」
 少し顔色も悪い美里は、ふらつきながら階段を下りていった。
大丈夫かなあ、美里。元々丈夫じゃないんだし、ミサも被験者選べよな。オレみたく頑丈なヤツなら、多少ヘンなもん飲んでも死なないかも知れないけどさ。
 ちょっと心配になったので、後を追いかけた。
美里ー、念のため保健室に行った方がいいんじゃないかー?
と言うつもりで、肩に手をかけたその時。
美里の身体がぐらりと揺れた。

 ちょ…
っと待てッ。
ここ階段で。
手すりから手が離れて。
前のめりに落ちたら。
やばッ…!

 考えるより前に身体が動いた。
美里の身体に抱きつき、取り急ぎ頭を打たないよう、くるっと身体の位置を入れ替え、オレが下敷きになるようにする。
そこまでは何とかなったが、流石にその後、受け身を取るのは無理だった。
火花が散ってから「がつん」というヤな音が聞こえ、あーヤベェ死ぬ勢いで頭打ったかも…美里は大丈夫かな…と思ったところで、オレは気を失ったのだった。

◎・◎・◎

 ……
うううん…
あれ? えーと…ああ、そうだ。階段落ちて気絶したんだった。
頭も、それに他のところも特に痛くないようだ。思いっきり打った筈なのに、よく平気だったな。
でも妙に身体がだるい。だるいっつーか重いっつーか。特に肩がずっしり重い気がする。
…そうだ、美里! 美里はどうした? 大丈夫か!?
 きょろきょろと周りを見渡したが、美里の姿はどこにもなかった。
その代わり、なんかヤなものが目に入った。
…何だ?
この男子生徒。
見覚えのある、気に障る誰かが転がっている。
背筋がぞっとした。
誰…だ?
 その答を冷静に出す前に、全身が震え出す。
嘘だろ、そんなアホな、あり得ない、イヤだこんな、つまりオレ、
死んじまったってこと???
だって…
オレ、ここにいるのに…
目の前に転がってるのは…
 オレの身体なんだぜ。

つまりオレはもう死んじゃって幽霊になっちゃって自分の身体を見下ろしちゃってるっていう状態なわけ ー!?!?

 ぎゃーウソーマジかよーオレが幽霊になったんじゃ怖さも倍増つーか二乗してそうでヤだよなーアハハハッて自虐ボケしてる場合じゃなくてはッ早く霊柩車! いや待て、まずはお寺に連絡…の前に救急車!?
何しろ死ぬのは初めてだし、どうしたらいいのかよく解らん。
ところで幽霊になってもやっぱりオレって顔に出ないんだろうか。いや幽霊なんだから出るんじゃないか? 「この辺出るんだって」って言い方するしなって関係ないやろ。びし。
というよりそもそも、顔はあるのか?
思わず両手で頬に触ってみたら、さわれた。
 …顔がある。
てゆうか、手もしっかりした感触がある。
幽霊ってこんなもんなの? これじゃ、死んだの解らなくていつまでも浮遊してるってのも無理ないな。
でも、いつもと感じが違うのは、やっぱ普段の肉体とは違う物質だからなんだろうか。
ほっぺたなんか、すべすべぷにぷにしてるぞ。子供みたい。
自分の身体を見下ろしてみる。
…白いな。もう死に装束か。
…白装束に赤いリボンってのはヤバイんじゃないのか。
…てゆうか何でスカートみたいなの履いてんだろ。こんな死に装束ってあったかな。
…どっかで見たようなデザインだな。
…どう見てもこれ、真神の制服じゃないのか。しかも女子の。
………………

 自分の状況が全く把握できず、パニクり過ぎて真っ白になってる時、もっと恐ろしいことが起きた。
……ん…うう…ん」
地獄の底から響く唸り声が、足元に倒れたオレの死体から聞こえてきたではありませんか!!!
いやーーーーーーーーーーーッ!! ゾンビーーーーーー!! キョンシーーーーーッ!!
「あ…ッ。痛…。……ッた、龍麻…君…? 龍麻君ッ…」
あまりの恐ろしさに足が竦んで逃げられないオレと、頭を抑えながら何かを探してきょろきょろと周りを見渡そうとしたオレの身体との、目が合った。

……きゃああッ!」
 オレの身体が、声に似合わない可愛い悲鳴を上げた。
「うわあッ!」
つられて叫んだオレの声は、違和感はあったがどこから聞いても間違いなく女の声で、しかも聞き覚えがある。
「み……美里……か?」
「えッ……た、龍麻……君?」
 オレとオレの身体───いや、多分美里───は、呆然とただ見つめ合った。
後で考えるとたっぷり10分程は、何も言えず、考えることすら出来ずに見つめ合っていた気がする。

 何しろ「身体が入れ替わる」なんてとんでもなくバカげたことが現実に起きるなんて、全く信じられなかったのだ───

◎・◎・◎

 自失からやっと立ち直ると、オレたちは霊研へと向かうことにした。
階段から落ちて身体が入れ替わるなんて、SF小説だか映画だかにはあったけど、実際そのくらいでこんなことになるとは思えない。
恐らく、さっき二人とも飲まされた薬が関係してるんだろうから、ミサに聞けば何か解るだろう。上手くいけば元に戻してもらえるだろうし。
…………。」
…………。」
 それにしても…
重い。歩きにくい。
美里の体重が重いってことはないだろうけど、何だか異様に重力を感じる。
鍛えてないせいかなあ。
それになんつーか、バランスが取りにくい。足が小さいからかな。股の辺りもスースーして頼りないし。
……あ…あのう…龍麻君…」
「?」
……その…お、お願いしてもいいかしら…あの…申し訳ないんだけれど、その…」
……。」
 何だか知らないけどさっさと言ってくれ。オレの顔と身体でモジモジされると気持ち悪い。うええ。
「その…す…スカートだから…あまり足を…あのう…」
……
はッ、そうか! オレうっかり、普通に大股で歩いてたな!
いかんいかん、これは美里の身体なんだから、大事に丁寧に、女の子らしく行動しないとな。
イチイチ通りすがりの連中に「実はオレたち身体が入れ替わってて」なんて説明してられないし、第一信じてもらえないだろう。
霊研に着くまでは美里らしくしてないと、美里の女らしい評判が落ちちまう。
……解った。済まん。」
ペコリと頭を下げると、オレ…いや美里は、顔を赤らめて───微笑んだ。
「ううん、私こそごめんなさい、こんなうるさいこと言って…私も、お、男らしく歩くように、注意するわね。」
……。」
「? どうしたの…あ、こ、言葉も変よね。龍麻君らしく喋ることにする…ぞ。…かな。ええと…」
「…い、いや…気に…するな。」
「…?」
 ショックだ…
あまりのショックにまた気を失うかと思った。
オレが。
オレの顔が、赤くなったり笑ったりしてるじゃねェか……!!
筋肉や涙腺や血管に問題があるんだと思って、毎日マッサージやら筋トレやらやってたのに。
中味が美里なら、ちゃんと笑えるのか…
それはつまり、オレの中味に問題があるってことなのか…
ガーン。
「どうしたの、あ、いえ、どうしたんだ、美里。大丈夫か?」
 他の生徒の目を気にして、美里は一生懸命にオレのふりをしてくれている。
地面にのめり込むほど落ち込んだけど、ここは美里のために、死力を振り絞って頑張らなくちゃ。
……ああ。大丈夫だ……です。」
うう、美里の口と喉でも上手く喋れないし笑えない。
やっぱ中味の問題なんだなあ。とほほ。

 哀しみに打ちひしがれつつ、慣れない身体でぎくしゃく歩いてやっと霊研に着いたが、部屋には鍵がかかっていて、ミサも居なかった。
「困ったわ…いえ、困ったな。どうしよう…」
昼休みにミサが霊研に来ないことはない。まだ飯を食ってるか、教室にいるんだろう。
どっちにしろ、教室でこの話をするワケにもいかない。
「…待つぞ。」
「ええ…あ、そうだ。それなら、ちょっと保健室に行ってきていいかし…いいか?」
「? …保健室?」
「ええ。あの…」
 美里はそっと周囲を見渡し、少し声をひそめて続けた。
「龍麻君、さっき私を助けようとして、あちこち怪我をしているの。頭や腕がひどく痛むし、血も出てるわ。治せるかと思ったんだけど、自分の身体じゃないと出来ないみたい。私のせいだし、手当をしたいのだけど…」
ああ、そっか。
見たところ骨折とか捻挫はしてないみたいだけど、オレの身体のせいで美里が痛い思いしてるのは可哀想だもんな。生憎と薬も切らしてるし、早く治療してもらった方がいい。
頷くと、「すぐ戻る。」と言って、オレの身体はヨタヨタと走っていった。
美里も慣れない身体で相当歩きづらいようだ。それとも、怪我が相当痛いのかな。
 オレの方は、いづいけど痛みはない。おっと、「いづい」ってのは仙台弁で「違和感がある」とか「窮屈」とかそんな意味だって前にも言ったな。って誰に向かって言ったっちゅーねん。びし。
 しかし美里ってすげー肩凝り症だったんだな。
ちょっと首を回してみたらコキコキ音がする。運動不足なのか。それに、胸の辺りがいづいっていうか重い…
はッ。
 オレはやっと気付いた。
この身体の最大の違和感。
重いのだ。
む、む、む、胸が…!
 どっと一気に汗が噴き出してきた。勿論ホントに出たワケじゃないが。
突然「この身体はあのフニャフニャ柔らかい美里の身体だ」という実感が沸いてくる。
自分の上腕に触れてるのが美里のむむ、胸だということも突然気付き、慌てて両手を後ろに回して組み、直立不動の体制をとった。
こうすると更に胸がキツい。道理で肩も凝る筈だ。美里も大変なんだな。
って変なことに感心しとる場合じゃない。
ちょっと手を動かして、変なトコに触ったりしては一大事だ。
しかし、こうして後ろに回してこ、腰の辺りに触れてるのもマズいんじゃないか? もっと上…でもこれじゃ姿勢が変過ぎないか?
いっそ両手を挙げておくか? そんなことしたらもっと周りに変に思われるよな。
ど、ど、どうしよう。
 人知れずパニクっていた時、聞き慣れた声に呼ばれて、オレは飛び上がった。
勿論心の中でだけだが。

「よ、美里。こんなトコで何やってんだ?」
 きょ…京一。
ど、どうしよう!?
 オレたちの状況を話してもいいんだろうか? 京一だし。
でも、信じてくれるだろうか?
信じてくれたとしても、美里の中にオレなんかが入っちゃって、京一としては複雑じゃないだろうか?
まだ美里が京一の彼女だったのかどうか確認してないけど、普段の態度とか見てると、やっぱり京一は美里のこと好きだと思うんだよね。すごい大事にしてるって感じで。
それなのに、他の男が身体を乗っ取った…いや好きでやってんじゃないんだけど結果的に…なんて、イヤな気持ちになるに決まってるよな。
オレのことも、やらしいヤツだとか思って軽蔑したり…しないかな。
第一この状況を、このオレが上手に説明出来るワケが…
 オレは、ものも言わずに走り出した。
「お、おい? 美里!?」
説明なんか出来るワケないっちゅーの。
美里っぽく喋って誤魔化すことも出来そうもないので、オレは逃げることにしたのだった。

 しかし、この走りにくい身体で京一を引き離すのは無理だった。
は、走るとむ、む、胸が揺れやがる! ひいい〜!!
「おい待てよ美里! どうしたんだ? 何かあったのか?」
1階と2階をつなぐ階段の途中で簡単に追いつかれ、両肩を掴まれてしまう。あわわわ。
「何なんだよ…もう、一人で抱え込んだりしねェって、約束したじゃねェか。なんか困ってんなら言えよ。アイツだって…心配するぜ?」
アイツ? 桜井のことか。桜井にも言えるワケないよなあ。「葵に何するんだー!」って射られるぞ絶対。
 それにしても、京一優しいよなあ。やっぱり美里のこと大切に想ってるんだよな、きっと。
「何でも…ない。気にす…………しないで。」
必死で何とか女言葉を絞り出したが、京一は益々両手に力を込めてオレを…いや、美里を見つめた。
〜〜〜。チクショー。こうなったら…
秘技、以心伝心!!
───ッ。」
 スマン京一、オレ上手く言えないんだけど美里とオレ入れ替わっちゃって、これは美里じゃなくてオレなの! 不測の事故ってヤツでして、それでええとオレは美里の身体には指一本触れてないぞってその指一本も美里の指なんだけどそうじゃなくてヤラシイこととか全然してないから許せよな! そういうワケでとりあえず今は見逃してくれ! 後は美里本人から聞いてくれー!!
 伝われ〜〜〜ッと念じながら京一を睨み返…いや見つめ返していたら、京一はおどおどした感じで目を逸らしてしまった。
「あ…わ、悪りィ。」
手も離してくれたけど…睨み過ぎちまったか。うう、美里の顔でも怖かったのかなあ。
いや、美女に睨まれたら却って怖いかも。しまった失敗した。
このままでは二人が破局してしまうんじゃ…? や、ヤバイ。
「…京一…、…実は…な」
「え…?」
「たつ…美里? どうしたの?」
 ビックリして振り向いた瞬間、オレはバランスを崩した。
目の前には、頬に絆創膏、頭と手に包帯を巻いたオレの顔があった。
また落ちたヤバイ今度こそ死ぬ、女の身体ってホントにバランス悪くて転びやすいな、受け身取ろうにも上手く動かねェしマジで死ぬかな、それより自分の声にビックリするオレってどうよ、こうして聞いてもホント低くてやんなっちまう…
なんて余計なことを考えてるウチにまた火花が散って、オレはまたも気を失った。

◎・◎・◎

 目が覚めると、目の前には美里がいた。
オレの身体じゃない、真の美里だ。
……てことは!?
ガバッと起きて胴体と両手を見ると、間違いなく使い慣れ見慣れた、胸くそ悪いけど懐かしい自分の身体だった。
ああ〜嫌いな身体、嫌いな顔だけど良かったー! 胸重くないし揺れないしー!!
「龍麻君、大丈夫? どこも痛くない?」
 心配そうに覗き込む美里に頷くと、その後ろにはいつものメンバーが居た。
「階段から落ちて頭を打つなど、お前らしくないな、龍麻。」
「でも、葵を庇ってくれたんだから仕方ないよ。龍麻クン、葵のこと助けてくれてありがとねッ。」
「ええ、本当に有り難う、龍麻君。」
「ま、美里もひーちゃんも無事で何よりだぜ。」
「安心するのは早い。打った場所が場所だからな、数日は無理せんことだ。少しでもおかしいと思ったら、病院に行くんだぞ。」
「流石タイショー、心配性だねェ。」
「京一が大雑把過ぎるんだろッ。」
「お前に言われたかねェぞ、大雑把無神経男!」
「な、何をーッ!」
 いつも通りのみんなのやり取りだ。
何だか、さっきまでのことは夢だった気がしてくる。いや、夢だったんじゃないか? オレよく妙にリアルな夢見るし。
「ひ〜ちゃァん、無事で良かった〜。」
ひッ。い、いたのかミサ。どっから声かけてくるんだよ。
ああ、カーテンの向こうに居たのか。ってここは保健室だったのか。気付かなかった。
「さっきも〜、美里ちゃんには〜説明したけど〜、ミサちゃんの薬ね〜、今回は単に〜心と身体を〜リラックスさせるだけで〜、変な副作用とかは〜ない筈なの〜。」
……そうか。」
「そうなんですって。だから、私達の心と身体が入れ替わってしまったのは、偶然らしいの。」
えッ!? じゃあアレは、やっぱ夢じゃなかったのか!?
そうかー安直なネタだったけど安直に夢オチじゃなかったのかーって「ネタ」だの「オチ」だのって何だっつーの。びし。
 みんなは既に美里から説明を聞いていたらしく、不思議なこともあるもんだねーなどと話している。
「極めて〜希な例だけど〜、アニマが近しい者同士だと〜、入れ替えることは〜出来ないことではないの〜。」
「アニマ?」
「日本風に言うなら〜、魂ってこと〜。」
「私と…龍麻君の、魂が近いってこと…。」
 ええッ!? それって、オレと美里が精神的に似てるって意味!?
んなワケねーだろ。そんなこと言ったら美里に失礼だっての。
 オレは先刻見た、美里の魂が入ったオレの笑顔を思い出した。
…似てたら、オレもああいう風に、…ちゃんと優しく笑える筈じゃないかよ。
……そんなことは、…ない。」
「え…ッ」
「…龍麻?」
「ひーちゃん?」
 美里に申し訳なくて、オレは急いで立ち上がり、頭を下げた。
「事故は…偶然だ。……気にするな。」
私が龍麻君に似てるだなんて〜とか気に病んだりしないでね。絶対そんなことないから。
「龍麻君…」
 悲しそうな顔にいたたまれなくなって、オレは申し訳ないと思いつつ、先に保健室を出た。
はァ。もっと冷たくない言い方が出来ればいいのに。
どんなに努力しても、オレのままじゃ、自由に笑うことも喋ることも…

 …いや。まだまだオレの中味の、魂の努力が足りないってことさ。
ここで絶望しちゃあ男がすたるってもんだ。
頑張れば、オレの顔でも割と優しそうに笑えるってことが解ったんだぜ、喜べオレ!
そう。そうだよな。そう考えれば希望もある。
これからは具体的な目標として、ああいう風に笑うように想像しながら努力すればいいんだ。
よーし、頑張るぞー!!

03/17/2005 Release.