緋勇の心配

 この家に来る時は大抵道場に直行だ。
だから珍しく、手合わせとか試合とかじゃなく、ただ「話があるから母屋の方に来てくれ。部屋で話そう」と電話で兵庫に言われたときから、不安で仕方がなかった。
あまりお喋りとは言えない兵庫が「話したい」と改まっていうからには、それ相応に重大なことに違いない。
そう思うと嫌なことばかり考えてしまって、ここ数日ちゃんと眠れなかった。
 こないだ九角と闘ったとき呼ばなかったから、怒ってるのかなあ。いや、呼んでる余裕がなかっただけなんだけど、兵庫、鬼道衆と決着つけるの楽しみにしてたしな。…まさか、それで「もう絶交」とか!? どどどうしよう…それでなくとも、オレもう役目終わっちゃってるし、みんなまだトモダチでいてくれるか不安だったのに…。でもなあ、醍醐まで呼んでるんだから、そんなんじゃないよな? …でも…もしかして…や、やだよ〜! オレ、京一の次に兵庫のこと好きなのに〜!

 心臓がブラックホールになりそうなくらい縮み上がったまま、兵庫の家へとやって来た。
いつも通り、ニコニコと迎えてくれた兵庫のお母さんとお祖母さんにちょっとホッとしつつ、屠殺場に向かう豚のようにそーっと階段を上がる。
 だけど、オレの覚悟に反して、兵庫はいつも通りの力強い笑顔で出迎えてくれたのだった。

 闘い方が危ないって?
…それって、別に絶交とかそういうコトじゃないよね? …ああっ良かった〜。しかもそれって…もしかして…オレのこと、気遣ってくれてるのか? ……兵庫…! 感激で胸が熱いッスよ〜!
ありがとう〜! …と、いけない、嬉しすぎて睨んじゃった。失敗失敗。
「俺達をもっと信頼してくれてもいいんじゃないか。多少時間がかかっても、俺達はそう簡単に倒されはしない。そうだろう?」
 勿論だよ、兵庫! お前を信頼してないわけないじゃないか。強いし二倍になるし。という気持ちを込めて、一生懸命応えた。
………ああ。」
ああ、じゃねェよオレってば! 判ってくれるかな、兵庫〜。オレ本当に嬉しいのよ〜?

 それでも一応、オレが了解したことを汲み取ってくれたらしい。
「飲み物を取ってくる」と言って部屋を出ていく大きな背中を見送ってから、オレはちょっと気分が楽になって、部屋を見回した。
ふーん。もっとなんかこう、和風な感じかと思ったら全然違うんだな。
デカいベッドに机、壁に据え付けられた棚にはしゃれた感じのCDプレイヤーもある。兵庫、どんな曲聴くんだろ。
 と思ったら、机の上に無造作に散らかった教科書や雑誌(月刊「空手の道」…こんな雑誌があるのか…?)の上に、丁度CDが置いてあるのに気付いた。
悪いかなと思いつつ、立ち上がって手に取ってみる。
えーと…サードアルバム「Wind Prism」SAYAKA MAIZONO…か。
 …ん?
舞園さやか…どっかで聞いたような。ジャケットの顔も、どっかで見たような。
あ、思い出した! プールで撮影会やってた、京一がファンだって言ってたアイドルだ!
 へえー。
こうしてみると、やっぱり可愛いなあ。プールで見たときも、流石アイドルだなーとは思ったけど、あの時は京一の大暴れの方が面白くてそれどこじゃなかったしな。
それに、京一だけじゃなく兵庫もファンなのだとしたら、結構スゴイ歌手なのかも知れない。

 戻ってきた兵庫に、これを聴いてみたいと思い切って頼んでみた。
兵庫は快くCDをプレイヤーに放り込んでくれた。兵庫自体はファンじゃなかったようだけど、あの徳史くんが好きだってことは、やっぱり武道家に訴える何かがあるに違いない。

 …と、思ったんだけど…
ふわ〜。綺麗な曲だなあ…クラシックの子守歌みたいだ。
「ね〜むれ〜ね〜むれ〜は〜は〜の〜む〜ね〜に♪」とかいう曲に似てる。
綺麗な声………
おっと、いかん。寝不足してたからか、絶交じゃなかったっていう安心感か、この子守歌のせいか。寝ちゃいそう…ダメだぞ、聴かせてくれって言っといて、失礼にも程があるぞ。
しっかりしろオレ、寝るな…寝るな…羊が一匹、羊が…ってだからそれは余計眠なるゆーねん! アホかっ。
 だ…ダメだ…意識が…

 ふと気付くと、オレは横になっていた。
見知らぬ天井にビックリして、慌てて飛び起きると、イスに座っていた兵庫が振り向いて笑った。
小型のバーベルを両手に持っている。オレが寝ている間、トレーニングして待っていたらしい。
……済まん。」
ごめんね寝ちゃって。折角舞園さやか聴かせてくれたのに…オレ最低なことしちゃった。
しかもベッドに寝てるってことは、運んでもらっちゃったの? 運んでもらっても熟睡してたのオレ? もう全然ダメダメやん!
 なのに兵庫はガッハッハと笑って、気にするなと言ってくれた。
「疲れていたようだな。実は、この舞園さやかの歌はヒーリング音楽とも言われていて、聴く人にやすらぎをもたらすんだ。眠ってしまったということは、きっと龍麻にも効いたんだろう。はっはっは!」
 ツーリング音楽? 何だそりゃ。観光協会のテーマソングって意味かな? そんなんでやすらぐか? いや、きっと旅に出れば日頃のストレスから解放されます、ってイメージなんだな。なる程納得だ。
「もし良かったら、貸してやろう。お前も鬼道衆との闘いで相当疲れが溜まっているようだし、このさやかちゃんの…ゴホン、ま、舞園さやかの曲でリラックス出来るなら俺も…いや、徳史も喜んで貸してくれるさ。」
 一応遠慮したんだけど、兵庫は是非にと言って、強引にそのCDを持たせてくれた。
…ありがとう、兵庫。そうだな、今度はちゃんと眠ってから、じっくり聴いてみるよ。
何たって京一が気に入ってるんだもの。オレも目標に近づくために、好きにならなくちゃ!

 結局その後昼ご飯をご馳走になり、午後から道場の隅をお借りして、兵庫やお父さんと組み手して、遅くなったから泊まっていけと言われるがままに泊まっちゃって、帰ったのは翌日の昼だった。
 毎度毎度ご迷惑おかけしちゃって申し訳ないなあ。今度実家に里帰りしたら、仙台名物笹蒲鉾でも買ってこよう。いや、兵庫たちなら牛タンの方が喜ぶかな。
そんなことを思いながら、オレはニコニコとスキップしながら帰途についたのだった…勿論心の中で、だけどな。