皮下接触 V - 龍麻

 …寒い。
どれくらいこうしてるんだろう。
うー…1時間? 2時間?
痛てて…ずっとおんなじ姿勢なんで、下にした右腕が痺れてきちゃった。
床が冷たくて寒いし、腕とか、縛られた手首と足首も痛い。ふえ~ん…。

 そーっと、気付かれないように、後方の<<気>>を探る。
特に変わりはないみたいだな。
音を小さくしたTVからは、時々笑い声みたいなのが聞こえる。深夜のバラエティ番組みたいだ。
床から時々、ビール缶を置く「カツン」という音がする。
京一は、ずっとビールを飲みながらTVを観ているのだ。
…これ、どういう意味なんだろう。
 いつも通りウチに来て、いつも通りメシ喰って、片づけてるうちに風呂入って来て、オレも入ろうとしたところをいきなり押し倒され、両手両足を縛られ、目隠しまでされた。
ちょっと待てよー、今日は風呂にも入れないのかよう~と心の中で抵抗してるウチに全部脱がされちゃったんで、諦めて大人しくしてたんだけど…
 京一は、それ以上何もしてこなかった。
じーっとオレを見下ろしてる視線は感じた。でもしばらくすると、オレを床に転がしたまま、キッチンコーナーに気配が移動して、冷蔵庫を開ける音が聞こえてきた。
戻ってくると、今度はTVから突然音が流れ出し、ベッドに寄りかかる音がした。
 …それっきり、京一の気配は動かなくなってしまったのだ。
時折、おかわりを取りに行くんだろう、冷蔵庫との間を往復するだけ。
…これ、どういう意味なんだろう…。

 最初は、また新しい「抱き」方なのかなあとドキドキビクビクしていたんだけど、どうやら本気で京一はオレを忘れてしまったらしい。
どうしよう?
声をかけていいかどうかも分からない。
かけたら怒るかな。「TV観てんだから邪魔するな!」って。
 はッ。そうか、すごく観たい番組があって、それも集中して観たいヤツで、それでオレんち来て観てるのかな?
そんな~。言ってくれれば、こんな風に縛り上げて転がしとかなくたって、大人しくしてるのになあ。
 うう…痛い。身体のあちこちが痛い。冷えたせいかな。
オレに見せたくない番組だったのかも。
そんなら「出てけ」って言われた方がマシだぞ~。風呂に閉じこもってるとか…あ、それじゃトイレ使うとき困るか。じゃ、近くのコンビニで立ち読みでもしてるとかさ。それなら邪魔にならないだろ?
 あいたた…マジで痛いや。変な姿勢だからかな、肺の辺りが痛い~。
でも、身じろぎすると、オレの存在を思い出してしまって、やっぱり怒るんじゃないかと思うと動けない。
 ……床…冷たいな。もう12月だもんなあ。
寒い。寒くてしんどい。エアコンは入ってるけど、ハダカじゃ流石に辛いよ~京一ィ~。

 オレがここに居るの、本当に忘れちゃったのかな。TVに夢中なのかな。
怒られてもいいから、声かけてみようかな。
…でも、それで怒って帰っちゃったらイヤだな。
どうしよう。風邪引きかけてるのか、喉が痛くなってきた。息するのが苦しい。
…でも、ゼェゼェいったら、やっぱり煩いだろうな…。
 どうしよう…。
必死で呼吸を乱さないようにする。でも、もうなんか肺も本格的に痛いし。

 なんか、こんなこと前にもあったような気がするぞ。
何だっけ?
こんな風に、必死で息を殺して、邪魔にならないように隅でちぢこまってた思い出。
 …ああ。中学か。
学級総会で、普段言いにくいことを無記名アンケートで集めるとかいうのがあったんだ。で、みんなの前で学級委員が読み上げて。
「緋勇君へのお願い:大声で怒鳴ったり睨んだりしないで欲しい」とかいうのが15人分くらい集まっちゃってさ。あの時はマジ泣きそうだったよな。でも、やっぱり泣けなかった。
怒鳴ったことなんか一度もなかったけど、そう聞こえちゃうんじゃしょーがない。
それで、あれからずっと、人と目を合わさないように、なるべく口をきかないように気を遣ってきたんだ。
 それでも。
ちょっと動くと、隣の子がビクッとしてこっちを見る。
うっかり目があうと、みんな慌てて顔を背ける。
 …どうしてなんだろうなあ。オレって、存在自体が恐いのかなあ。
居るだけで…他人に嫌がられる人間…。
 うう…。寒い。こりゃマジで風邪引いたな。

 京一も、そうなのかな。
オレの存在そのものが許せないんだろうか。
だから、こんな風にするんだろうか。
…放っとけばいいのに。
でもそれは、京一の性格上出来ないのかもな。正義感強いヤツだし。
仲間のためにも、野放しにしてはおけない、だけど憎い、って…
 痛て…ッ。
肺が…違う。胸…。呼吸…が。喉の奥の方から胸にかけて。痛い。苦し……ッ。

 ………落ち着け。
落ち着け、オレ。
呼吸を乱すな。静かに、息を吸うんだ。そっと吐け。<<気>>を抑えろ、集中しろ。
…ああ、びっくりした。
危ない危ない。京一が気付いたらどーすんだよ。
決めたんだろ? 京一がどう思ってようと、オレは京一のために出来ることを何でもするって。
こんな程度で怒らせるようなことしてたんじゃ、これから先が思いやられるぜ。
 …「これから先」が続くように…さ。頑張るって決めたんだから。
つまんない感傷は無し! はっきりフラレるまではまだ大丈夫! 遠足は家に着くまでが遠足なんですって校長先生も言ってるじゃねェか! って全然関係ないやろ! びし。
 よし、落ち着いた。このまま<<気>>を抑えておこう、そうすりゃもう全然オレは邪魔じゃないだろう。はー。もちっと小さかったらベッドの下にでも入り込んで、姿も見えなく出来たのにな。

 それにしても、やっぱ手足が痛いなあ…とほほ。
寒いよー。まだ番組終わらないのかなー。
「…ちゃん。」
え? …京一か? 呼んだ?
「ひーちゃん…悪りィ。もうTV終わったぜ。」
マジ? あー良かった、じゃ、もういいのかな?
「ああ。今ほどいてやるからな。」
あー助かったー。
ブチブチっとロープが切られる。目隠しも外してもらった。
 ホッとして目を開けると、目の前にはニッコリ笑った京一がいる。
「オレ…邪魔じゃ、…なかったろ?」
必死で言ってみると、京一のあったかい手が伸びてきて、オレの頭をガシガシと撫でた。
「ああ、良く頑張ったな、ひーちゃん。全然邪魔じゃなかったぜ。」
うわ~い! やったー、褒められちゃった。えへへへッ。
笑ってくれたよー。えーん、いつ以来だろー? きょーいちの笑顔だァ…へ、へへ。嬉しい…嬉しいよう、きょーいちィ~。
「頑張ったご褒美に、俺があっためてやるからな。ホレ、こっち来いよ。」
う、うんッ。
頷いて、立ち上がろうとしたけど、しばらく転がってたせいか手足が痺れて動かない。
「早く来いよ、ひーちゃん。置いてっちゃうぞ!」
ちょ、ちょっと待ってくれよ京一。今立つから…えいっ動け! 動けってば手足!!
早く…早くしないと京一が行っちゃう。寒くてかじかんでるのか? 折角あっためてくれるって言ってるのに…!
「ひーちゃん…」
だんだん京一の声が遠くなる。嘘だろ? 待ってくれよ、ようやく笑ってもらったんだぞ? 久々に、本当に久々に優しく呼んでもらったんだぞ…! 立てよコンチクショー! オレのバカ! 根性なしッ!!
バッッッカヤローーーーー!!

 ………はッ!?
あれ…?
気が付くと、オレはまだ目隠しもしたまま、手足も縛られたままだった。
…夢…?
……ッは~。またかよ。どーしてこう、オレの夢って願望がストレートに反映されてんだ。フロイトとかユングとかが裸足で逃げ出す直球勝負だ。つまらん!
 心の中で憤慨しつつ、いつのまに眠っちゃったんだろうとか思いながら、京一の様子を探ろうとして気付いた。

 …いない!?

 TVはもう消えている。そして人の気配はない。
慌てて、<<気>>を集中させて辺りを探ってみる。…この部屋にもトイレにも周りにもいない。
……帰っちゃったんだ…。
全身の力が抜けた。
オレが寝てるうちに、TV終わって帰っちゃったんだ。
 …そっか。もう…いないんだ。そっか…

 明日も学校だ。

 …手と足、ほどかないと。
参ったな…。

 …………

 鼻の辺りと喉が痛んだ。やっぱ風邪だ。目も痛い。
ちぇッ…。だから、願望の叶った夢見んのイヤなんだよ。
あのまま一生眠ってれば良かった。
どうして覚めちゃうんだろ。
嵯峨野に頼んで、閉じこめてもらいてェよな。あはは。
…はは。

 …情けねェな。

 ……………………

 一旦うつぶせになって、芋虫のように身体を捩らせながら身を起こした。
身体を折り曲げ、膝で目隠しを擦るようにして取る。
何とかずらして、右目が出たので、壁時計を見る。…4時か。
 手の辺りに集中して、<<炎気>>を放った。焦げた辺りを囓って引きちぎる。
手首も少し焦げたけど、それは気にしないことにする。
足の方は、普通に結び目をほどく。
手足に絡まっていた衣服を身に付け直した。
 さてと。
3時間は眠れるな。
でも今寝たら、またあんな夢を見そうだ。つまんない幸せな夢。あり得ない、絶対現実にはありっこない夢。
…風呂でも入ろう。あったまるし。
 そう思ってバスルームに行こうとしたときだった。
ガチャ…と、小さな音がして、玄関が開いた。
…京一…!
帰ったんじゃなかったのか?
コンビニでも行ってた?
 京一はギョッとした顔でオレを見ている。
…あ、はは。な、何だ。オレ、ロープとかほどいちゃったよ。
ご、ごめんな。てっきり放って帰ったんだと思って。
…ごめん。そんなに睨まないでよ…。悪かったってば。
なんなら縛り直すか?
 オレを睨み付けたまま、京一は中に入った。
俺の正面で立ち止まる。ジロリとオレの全身を睨め付ける。
……………済まん。」
なんか、謝るしかないような気がして、頭を下げた。
……何が…だよ。」
怒気を含む声が、マフラー越しにくぐもって聞こえた。
あ、あの…ロープ勝手にほどいちゃって。そんで…
 ばしッ。
小気味いいくらい、オレの頬が鳴った。
痛ッたあ~…。
もう二発。ひ~、ビンタ攻撃ィ~。痛い、痛い~。うえーん!
「謝れば…謝っておけば済むと思ってんのかよッ。適当にあしらっておけばいいとでもッ…!」
ち、違う! そんな軽い気持ちじゃなくて…本当に申し訳ないと思って…!
なあ、頼むよ…オレ、お前のためなら、お前が望むことなら何でもしたいんだよ! お前が嫌がることは絶対やらないようにって、本当に気を付けてるつもりなんだよ! 頼む、解ってくれ!
「…何を…すれば…」
何でも言ってくれ。どんなことでもするから。お前が気に入ってくれるなら何でも、本当に何でもする。…でも、オレには、もう何をすれば気に入ってもらえるのか全然検討もつかないんだ…。
「…気に入る、んだ。」

 京一は、一瞬唖然としたような、ひどくビックリしたような顔をした。
見る見るうちにそれが苦しげに歪み、がくりと伏せられる。
京一の赤っぽい髪が、ふわりと近づいて、ちょっとドキッとしてしまった。
……なァ…。俺は…お前にとって、何なんだ…?」
 囁くような声が、オレの胸の辺りで絞り出され、その言葉の意味にオレはハッとした。
気付かれたんだ。
オレが、京一を好きなこと。女みたいに、京一に惚れちゃってること。
「何をすれば気に入るか」なんて訊いちゃったんだもの、当然だよな…。それでなくても京一、オレの気持ち読んじゃうし。…てことは、もっと前から気付いてたのかも知れないけど…

 あ、そうか…!
それで怒ってたんだ。
だよな。
TV番組観たいからって、普通ハダカにして縛り上げておくわけないもんな。
 ……ごめん。変な風にお前のこと好きになったりして、本当に…ごめん。
そんなにイヤだったんだ…。
今までのは、オレに、お前を嫌わせようとしてたんだな。
オレ鈍くて気付かなくて。本当にごめん。

「俺を、…何だと思ってんだよ……!」
 苦しそうに、オレの胸にしがみつくようにして、京一がまた掠れた声で叫んだ。
………………親友、だ。」
そうだったな。親友だって言ってもらったのに、その気持ちを踏みにじるようなこと想ってた。
京一の身体がビクッと震えたので、そっとその肩に触れてみる。
…大丈夫。もう、「抱いて欲しい」とか「一生傍に置いてくれ」なんて気持ち悪いこと思わないから。考えないようにするから。
だから…許してくれ。
そんな辛そうな顔、しないでくれ。
オレ、ちゃんと忘れてみせるよ。普通にしてみせる。
お前のためだったら何でもするって言ったろ? 心の中でだけど。
…へへッ。ちょっとなんか胸が苦しいけど、さ。
慣れてみせるよ、京一のためだもんな。
 ようやく京一が顔を上げた。
オレを見つめてる。多分、真意を探ってるんだろう。
必死で見つめ返しながら、呪文のように繰り返す。
オレとお前は親友だ。オレとお前は親友だ。オレとお前は親友だ。オレとお前は親友だ。オレとお前は親友だ。
もう決して、変な目でみない。万が一、また京一が欲求不満になってオレを抱いたとしても、今度は喜んだりしない。…京一にバレないように、我慢する。
だから…
 京一の目がまた伏せられた。
「…そう…だな。俺たちは…親友、だよな…。…ふッ。フフ…あははは。」
笑い出した京一にホッとしつつ、でも何だか少し恐くて、オレはその場を動けずにいた。
オレにしがみついたまま、肩を震わせて笑う京一。
抱き締めたい衝動を抑えながら、オレはじっと立ち続けた。

 きっと…いつか、忘れられる。
忘れられなかったら、京一の傍を離れるしかなくなってしまう。
 頑張るんだ…今度こそ、努力の方向を間違えないように……