之壱

親睦

「なァなァ緋勇ー、今日お前ン家寄ってもいいだろ?」
 いつもと同じように後ろから緋勇の背中にのしかかるようにして、京一が尋ねた。
「ああ。」
少し間があって、いつもと同じように短く龍麻が応える。
「へへへッ」
……
だがこの時、京一にとある策略があったのを龍麻は知らないし、
家に友達が来る〜! と龍麻の頭の中でチャペルの鐘が鳴り響いていたのを京一は知らなかった。

 (花見ンときゃ保護者がいて止められたけどな。親睦会っつったら酒が無ェと♪)
「緋勇ン家の親って、その…色々うるせェタイプ? 部屋に入ってきたりとか、よ。」
……
今度は暫く間があいた。ちょっと京一の方を振り向いて、首を傾げている。
(やべェ、不審に思われたか?)
 背中にしがみついたまま、龍麻の耳に手をあてコソコソと囁いた。
「いや、酒とか持ってっても問題ねェか? ってコトなんだけどよ。…へへッ、お前飲めんだろ? 飲むよなッ?」
「…。ああ。」
「そっか。そんならいいんだ。へへへッ楽しみにしとけよー。」
丁度、昼休憩の終了を告げるチャイムが鳴り、京一は自席へと戻ってしまった。
龍麻としては、問題も何も親とは別居しているということを告げたかったのだが、うまく伝えることが出来なかったのでちょっと困っていたのだ。
(でも、来りゃ分かるもんな。どうでもいいか。)
 全然どうでも良くなかったのだが、その時の龍麻は舞い上がっていて些末なことを気にしていられなかったのである。

 下校時刻になった。二人にとって午後の授業は実に長く感じられたものだ。
「じゃ、このまま行っていいよな?」
「…ああ。」
幸い今日はみな部活動、美里も生徒会の用で、既に教室には居ない。
邪魔者はなし。
(特に醍醐や小蒔がいると「酒はダメだ!」とか「ボクも行きた〜い」とか始まるからな。)

「お前ン家って近いのか?」
「ああ。」
「歩きで通ってるよな。どんくらい?」
……20分。」
 一方的に、京一が尋ねて龍麻が短く応える。いつものパターンだ。
会話と言うにはあまりにも片道通行だったが、二人とも不自然に感じなくなっていた。
(ま、無駄がないっつーか、的確なトコがコイツらしいよな)
(色々話しかけてくれて嬉しいなあ。こんなに愛想のない返事しか出来ないのに…)
とりあえず考えている方向はバラバラだったが。

「へえ。綺麗なマンションだなァ。」
そんな感想を口にした京一だが、同時に首を傾げる。
建築されてせいぜい数年しか経っていない様子のそれは、どう見てもワンルームマンションだ。
(…? こいつ、一人暮らしなのか??)
確かマリア先生が「お家の都合で…」とか言ってた気がするんだが。
家の都合で一人暮らし?
 嫌な予感が京一の胸によぎる。

 予想通りワンルームの部屋に通されて、何気なさを装いつつ尋ねてみた。
「お前って、一人暮らしなんだ?」
「…ああ。」
普通の反応なのか、聞かれたくないのか判断が出来ないでいる京一に、
実は生まれて初めて自分の家に友人を招き入れたため、次に何をするべきか分からず立ちつくす龍麻。
…………
沈黙が3分ほど流れた。
………座れ。」
「…お、おう」
(…まァいいや。と、とにかく今日はまだまだ、これからだぜ。)

「ちょっと早いけど、飲むだろ?」
 スポーツバックから取り出される一升瓶。
(そんなの、学校に持ってってたのか!?)
龍麻は目眩を覚えた。勿論顔には出なかった。
(…ま、いいか。蓬莱寺のすることだし…えーと、ツマミが要るのか。飲んだことないから何がいいか分かんねぇな)
適当に、母親が送ってくれたレトルトや缶詰の類をゴロゴロと床に転がすと、「上等上等」と京一が笑った。

「そんじゃ、お前の歓迎会パート2ってことで乾杯!」
「…乾杯。」
 グラスを合わせて、中の液体を喉に流し込む。飲み口は爽やかだが喉に辛みが残るタイプの純米酒だ。
「ふゥー。わりと旨いだろ、これ。家にあったのくすねて来たんだけどよ。」
……
「お前、イケる口か?」
「…いや。」
「そうか? なんかウワバミって感じだけどなッ。ハハハッ」
……初めて…飲んだ。」
「…えッ?」
見ると、龍麻は一気に飲み干したグラスをじっと見つめている。
(おいおい…マジかよ)
「ま…まァ、どーぞ。」
……ああ。」
2杯目を注ぐと、また一気に飲み干す。
「旨いか?」
……分からん。」
(…一升じゃ足りなかったろうか)
3杯目を注ぎながら、京一は
「ゆっくりやろうぜ…」と、恐る恐る呟いた。

……………
 何となく、話すきっかけがなくて酒ばかりがすすむ。
京一は所在なく辺りを見回した。
外装から思った通り、床も壁も真新しい。必要最低限の家具しかないため、広く感じられる。
申し訳程度のキッチンスペースは、使っていないのか収納されているのか、何の調理道具も見あたらない。
飾り気もなく、病室のように清潔で味気ない部屋。
唯一、教科書やノートが数冊立てられている簡易な学習机だけが、先ほど脱ぎ捨てられた制服の上着と、読みかけらしい文庫本を無造作に置かれて、住む人の色形を微かに匂わせている。
 ちなみに、カバーで覆われたこの本は爆笑○題のコントが綴られた「日本○論」だったが、そんなことは京一には分かる筈もなかった。

「一人にしちゃあ、キレイにしてるな。」
………。」
「きれい好きなのか? 俺なんかしょっ中お袋に叱られてて…あ」
 先程の「お家の都合」が甦った。
龍麻は特に何とも思わず「ふーんそーなんだ」という程度に相づちを打ったのだが、京一には冷やかにあしらっているように見える。
(…何やってんだ。色々聞き出すために来たんじゃねェか。こんなことで怯むな、蓬莱寺京一!)
 京一は首をブルブル振ると、思い切って龍麻に尋ねた。
「…何で一人暮らししてんだ?」
……
 一言で答えられない質問には、必ず間があく。
答えないならそれでもいい。京一は少し待ってみることにした。
 龍麻にしてみれば、きちんと説明するためには転校の理由から、鳴瀧のことや前の学校での事件まで話さねばならないのだが、急激に回ったアルコールが効いて頭が回らなくなってきていた。
(何でって言われてもなあ〜真神に来なきゃいけなかったけど、子供の都合で親が自宅捨てて引っ越すわけにもいかないだろ。仕事とかあるし。どうせ卒業するか鬼を退治するかしたら親元に戻るだろうな。だからココにはオレだけ引っ越すのが正しかったのよ蓬莱寺〜。うーぐるぐるしてきた。両親はコッチ来れなくてね、だからオレだけ住むトコ借りるのに広い家も要らないんで、こういう一人暮らし向けのワンルームマンション借りたんだよ。今更両親が来たってこんな狭くちゃ一緒には住めないよ。布団3つ敷いたらいっぱいいっぱいじゃん。って言やいいのかな。えーっと)
「…両親は」
「…おう」
「一緒に、住めなかった…から。」
 全然説明になっていなかった。
だが、京一はそれを「親との確執」と受け止めてしまった。
「…そッか。なんか大変なんだな。」
同情して龍麻を見つめる。
 顔色も表情も変わりない様子だったが、龍麻にしては珍しく少し背を丸めて、備え付けのものらしいベットの縁に寄りかかっていた。
それが少し寂しげに見えて、胸が痛む。
 勿論、龍麻は(うう〜。なんか目が回る〜。酒ってこんな風なんだ〜)という状態なだけだったので、甚だ勘違いである。

「…転校の理由も、その辺か?」
 核心を付く質問。今訊くのは少し躊躇われたが、ここで訊かないと二度と訊けない。酒の力も手伝ったろう、京一はまたも一言では答えられないことを尋ねた。
……
「何で転校してきた? お前、事件が起きること知ってたんじゃねェか? ああいう闘い方、どこで覚えた? …真神に、何があるんだ?」
尋ねたかったことが次々口をついて出てくる。
 龍麻は混乱した。
(何でって…鳴瀧先生が…事件が起きるってはっきり分かってたんじゃなくて…えっと。どこでって、鳴瀧先生のトコだけど、なんとかいう高校の道場だとか言ってて…あと何だっけ? あわわ分かんなくなってきた〜)
「…前にも…こんなことがあった…」
龍麻の頭と口との間で邪魔をしている何かの神経が、酒によってちょっぴり麻痺したらしかった。
(そうそう、転入初日に質問責めにあって。ビックリしたよなーあれは。)
「うまく…説明出来ない」
(一遍に訊かれてもなあ。事件のこと説明出来るかな。)
脳裏に、あの事件に巻き込まれた比嘉と青葉の顔や、鳴瀧のことが浮かんだ。
背を反らせて頭をベットの上に仰向けに乗せる。このまま眠ってしまいたいくらい気持ちがいい。
無意識で、邪魔な前髪を掻き上げる。
(…鳴瀧先生か。「真神学園で、護るべきものを見つけろ」って言われた。そうだ、それで俺は思ったんだ)
「オレは…みんなを護る。」
……!」
「お前たちを護るために…来たんだ。多分な。」

 京一は、ぼんやりと龍麻を見ていた。
龍麻も京一を見つめている。
晒け出した二つの双眸が、与えた衝撃ごと京一をゆっくりと飲み込んでいく。
強い意志を示す、光を湛えた瞳。
 俺は、みんなを、護る。
脳の隅々に染み通っていく言葉の意味が、京一を揺さぶった。
 過去に何か悲しい事件があった。全てを語るには辛過ぎて説明出来ないが、その後悔を繰り返さないために仲間たちを護ろうとしている。
そういう…コトなんだな、緋勇。
 京一も酒が相当回っているのだろう。勝手に行間を埋めてしまった。
疑問がまだまだ残っているにも関わらず、全てを納得した気になっている。
「そうか…」
(何事にも動じないように感情を押し殺して、それでも仲間を護ろうとする熱い男…)
とんでもない間違いである。
 京一は、龍麻の隣に並んでベットに寄りかかった。
「それなら、俺もお前を護る。何がやって来ようとも、な。共に…闘おうぜ、龍麻。」
醍醐が取り憑いたような台詞を吐いて、右に持っていたグラスを、龍麻の手の中のそれにカチン、と合わせる。
「…ああ。」
龍麻の頭と顔面筋との間を邪魔していた何かも、とうとう麻痺したらしい。
(ああ、友情〜って感じ〜。てへへへ〜)
ニヤッと顔が綻んだ。
 そのまま急速に意識が失われ眠り込んでしまった龍麻には、何故か赤面して顔を背けた京一の様子を知ることは出来なかった…。

 翌日。
龍麻が用意してくれた折角の朝食を、京一は丁重にお断りした。
「水だけ、くれ…」
昨日の一升瓶は空になって、流しの下に置かれている。
龍麻は京一の方に水を注いだコップを置くと、さっさと白米に納豆なんかかけて食べ出した。
(うげ…)
水を飲み干して、龍麻を見ないように後ろのタンスに寄りかかる。
「大丈夫か?」
しれっとした顔で、龍麻が訊いた。
「…何でお前は平気なんだよ…」
……
やっぱウワバミだったな、と京一は溜め息をついた。
昨晩の言葉。
一瞬だけ見せた、淡い儚げな微笑み。(おいおい、そんな風に見えたのか京一には。)
何だか全部夢だったような気がしてくるが…。
「まあ…いいか。珍しいモン見たしな。」
「…?」
「何でもねェよ、…龍麻。」

 実は龍麻も充分体調を崩していて、午前中ずっと頭痛と吐き気に苛まれるのだが、当然の事ながら誰も気付いてくれはしなかった。

05/27/1999 Release.