昼休みのことだった。
廊下で、学食へ向かう龍麻を見つけた京一は、どれ、一発お昼のご挨拶を…と後ろから忍び寄り、左手を龍麻の肩に伸ばした。
 しかし。
振り向くこともなく、ごく自然に龍麻は肩を引き、ひらりと京一の手首を掴んだのだ。
全身が凍り付く思いだった。
龍麻が油断のならない奴だということは分かっていた筈だ。だが少し、気を許し過ぎていたのだろうか。
手首を掴んだまま振り向くと、龍麻は
「…修業が…足りないな」
と言い放ったのである。
 …決して、ぬるま湯に浸ったような日常に埋もれるな、と。
静かに、強く京一の心に楔を打ち込む。
………ヘッ。言ってくれるぜ。」
ニヤリと笑って、改めて肩に腕を回す。
「ま、それはともかく、メシだろ? 一緒に行こうぜ、龍麻。」
「…ああ。」
 ホント、退屈だけはしなくなったぜ。お陰様でな。

 龍麻が以前巻き込まれたらしい事件とは、どのようなものであったのだろう。
感情を表に出さず、余計な事を決して言おうとしない。
それは、そのときの何か───悲劇が起因しているのか。
ふと気付くと、そのことばかり考えている自分がいる。
 ラーメン屋に誘って下校する途中。
大抵は皆の一番後を歩く龍麻を何となく振り返ると、旧校舎に鋭い視線を送っているのに気付いた。
 また───見ている。
あの事件以来、龍麻は時々旧校舎を気にしている。
やはり、あそこには何かがあるのだ。
しかし訊いたところで、そう簡単に口を割りはしないだろう。
大分一緒にいるのが馴染んできたというのに、相変わらず何を考えているのか分からない。
それどころか先刻のように、油断すると斬られる。
 それでも、いつかは真実が分かるだろうか。出来るなら、そう遠くないうちに。

 ラーメン屋で聞いたアン子の依頼は奇妙なものだったが、鴉が人間を襲うという異常な事態は、先日の花見での事件を目の当たりにした者達にとっては、充分現実味があった。
あの妖刀が、一介のサラリーマンの手に渡ったのは何故だ? 捕食の目的ではないならば、何故鴉は集団で人を襲う?
裏で誰かの意志が動いているとしか、考えられないではないか。
「お願いッ。渋谷に行くの、つき合ってよ。」
アン子に両手を合わされ、即座に頷いた龍麻も、恐らく何かを感じ取ったに違いない。
 醍醐が女性陣に残るよう説得しているのを聞きながら、京一は、この状況を望んでいた自分をはっきりと自覚していた。
 そうだ。俺は闘いたかった、でも何と? 何のために?
熱くくすぶる心をぶつけるべき相手も、ぶつけるだけの力も持たず、漠然と過ごしてきた日々。
しかし、今は───
 皆が席を立ってから、ゆっくりと立ち上がるその流麗な姿を見つめ、思う。
今は。
「誰と共に」闘うのか、それだけは…解っている、と。

 渋谷に到着すると、事件が京一達を待ち構えていた。
鴉事件を調査中だったという、ルポライターの天野絵莉を救い、確信する。
確実に「殺すべき人物を特定して殺している」のだ。
鴉と闘っているときに感じた<<気>>────
やはり、裏で糸を引く者がいる。
 そしてその存在は、ほどなく確認されることとなった。
絵莉とその話をしていると、先刻感じたものと同様の<<気>>が膨れ上がり、どこからともなく男の声が聞こえてきたのだ。
唐栖と名乗るその声は、代々木公園へ来いと挑発する。
「決まってんだろッ!? 代々木公園に乗り込んで、ブチのめすだけだッ!」
 同意を求めて振り向くと、龍麻が頷く。
その目には、今までにないほどはっきりとした怒りの色が見えた。
そうだよな。神だか何だか知らねェが、そんな世迷い言ほざいて人を殺す野郎なんざ、俺たちでぶっ飛ばしてやろうぜ。
 京一達は代々木公園へと向かった。

「コラッ! あんたら、そこで何やってる?」
 公園に着くと、金髪の一見イカレた学生が声をかけてきた。
肩に背負った獲物は、どう見ても物騒な代物。でかい態度も口調も、<敵>と大差ない印象を受ける。
絵莉を助けたのはこの男だと解っても、とても友好的に話す気にはなれなかった。
 だが、雨紋と名乗ったその男に話の矛先を向けられた龍麻は、驚いたことにあっさりと右手を差し出したのである。
こいつが認めたって事は、悪い奴ではないんだろう。
京一は龍麻の判断力を既に信頼していたので、そう考える事にした。
気に入らない事に変わりはなかったが。

 雨紋の案内で、瓦解しそうな鉄筋の塔へと辿り着いた。
この上で待っている筈の唐栖という男は、この雨紋の級友だという。
二人の間にどんな因縁があるのかは分からないが、「アイツは俺様がぶっ飛ばす」と言う雨紋の眼に嘘はない。
(罠ってこたァなさそうだな。完全に信用した訳じゃねェが…。)
 所々赤く錆びた鉄の階段を登る。
折れはしないだろうが、ギシギシと軋む音が嫌に不安感を煽る。
「わけのわからねェことが立て続けに起こりやがる。人間をカラスの餌にしたがるヤツはいるわ、旧校舎でおかしなコトに巻き込まれるわ───変な技をもった男は転校してくるわ」
半分は不安をうち消すための冗談、半分は龍麻への牽制だった。
(「わけのわからねェこと」の半分くらいは、お前が知ってる事を話すだけで解決するんだぜ?)
「なァ? 龍麻」
 いつも通り、しらっとした顔で受け流すと思っていた。
しかし龍麻は、京一の言葉にビクリと…端で見てはっきり分かるほどではなかったが、身体を震わせて拳を握りしめたのだ。
俯いた顔は普段通りのものだったが、京一は自分が失言をしたのだと悟った。
慌てて謝りながら、両肩を抱くようにポンポンと軽く叩くと、京一の掌に、龍麻の肩の力がゆっくり抜けるのが伝わってくる。
ホッと胸を撫で下ろした。
 冗談で語れることじゃないんだよな。お前にとっては、何か大事な宿命みたいなものが絡んでいるんだ。
いつかきっと…話してくれるよな? 俺がお前の中で、信頼に足る人間になれば…
心の中で、もう一度「悪かった」と謝った。

 頂上に着くと、鴉を操っていた男、唐栖が待っていた。
うすら寒い<<気>>を放出している。あの妖刀と同じだ。
「僕は神に選ばれたのだ」
妄想なのか、誰かに吹き込まれた虚言なのか、言う事がいちいち気に障る。
何が神だ。くだらねェ。
美里に目を付けて尊大に声をかけるに至っては、もう京一はブチ切れる寸前だった。
「どうだい。そこのキミもそう思わないかい?」
唐栖はふいに、龍麻にも問いかけた。
(龍麻、言ってやれ。バカも休み休み言えってな。)
 すると、それまで身動き一つせずにいた龍麻が、ゆっくりと右手を持ち上げた。

 …………

 しなやかな指が閃いて、龍麻の双眸を常に外界から遮断している前髪を掻き上げる。
闘う時に時折見せる、烈火の輝き。
他の者を圧倒する計り知れない力。
龍麻の怒気が、目に見えるほど激しく体中から吹き出すのを感じる。
 その<<気>>を向けられた唐栖本人はおろか、周りにいた京一達すら飲み込んでいく。
自分の怒りが、その怒気に同調し、精神が昂ぶる。抑えきれない程<<気>>が高まる。
「行くぜッ! 龍麻ッ!」
 勿論、抑える必要などないのだ。
そのまま闘気へと変え、敵にぶつければいいのだから。

 先陣を切って、足場の悪いことも全く意に介さず、襲い来る鴉どもを軽々と叩きのめし、真っ直ぐ唐栖へと突き進む龍麻に合わせて、京一は走った。
 龍麻を後ろから襲おうとする鴉を斃す事だけに集中する。
剣先に膨れ上がる<<気>>を注ぎこんで空中の鴉へと飛ばすと、空を切り裂く<<力>>が放たれ、次々に黒い翼が散った。
(お前といると)
返す刀で、横から襲ってきた鴉の喉を裂く。
(身体が動く)
龍麻の立っている足場に、ひょいと飛び乗る。
(お前の動きに引き摺られて)
激しい<<気>>を叩きつけられ、自分の前に飛ばされてきた鴉を、木刀で受け止めるように振り下ろしてとどめを刺す。
(そうだ…その律動だ。俺の力を引き出すリズムだ)

「唐栖ゥッ!!」
 己のものか、頬の血の跡を拭いながら雨紋が槍を振るって真っ先に飛びかかった。
体勢を崩しながらも、唐栖の顔には笑みが張り付いたままだ。
「僕を殺すのか。かつて友人と呼んだ僕を。お前に僕が殺せるのか?」
「てめェのツケをてめェで払えねェような奴は、友人にしとかねェ主義なのさ。」
「…く…くくく。偽善。自己欺瞞。これが人間だよ、雨紋」
「うおおおおおお!」
怒りにまかせて槍を突き出したが、唐栖にはさして効いていない。
カッとなった雨紋を、強烈な圧力が押しとどめた。
「…違うッ! 雨紋!」
叫ぶと同時に、反対側から唐栖に迫っていた龍麻が拳に<<気>>を集中させ、瞬時に鋭く繰り出す。
「蓬莱寺。放て」
短く、後ろにいた京一を振り向きもせず命ずる。
「応よッ」
間髪入れずに剣を振り下ろすと、放たれた鋭気に堪え切れず、唐栖は吹き飛んだ。
「くっ…」
唐栖の意識が、後ろに迫った雨紋から逸れた。
「雨紋ッ! 今だ!」
「応ッ!」
槍の穂先が閃き、雷光が放たれる。
 ───決着はあっけなくついた。

 「全てが終わったのだから自分は帰る」と告げる雨紋を、龍麻が引き留める。
京一はそれをぼんやりと見つめていた。
「…共に。」
それだけを口にして。
右手を差し出す。
 雨紋は、暫しとまどった末…ニッと笑った。

 次々と事件が起こる。同時に、龍麻に惹かれて集う、<<力>>持つ者も現れる。
これらが何を示すのか…。
 京一達の行く先は未だ混沌としたままだった。

05/23/1999 Release.