拾参
之六

稀望

TAK様に捧ぐ

「そう…それじゃア、進学はしないのね、穂沢クン。」
「はいッ。まあ、師匠は大学に行って見識を深めてこいって言うんですけどね。でも、見識を深めるのは大学じゃなくても出来ると思うんです。」
「アラ…、でもさっき、まだその脚本家の…ナントカサンには、弟子と認めてもらえていないって言ったワヨネ?」
「ええ、正式にはまだです。でもあとちょっと! って感じなんですよね! きっとイケると思うんです。卒業までには落としてみせますよ! 俺、絶対あの人の弟子になって、プロの脚本家になるんです!!」
 メラメラと燃え上がる炎を背景に(したような)C組生徒の一人───穂沢直行を前に、美しく長い足を優雅に組んだマリアはそっと溜息をついた。
(…このコは大人しい方だと思っていたのに…まァ、将来の夢をしっかり持っていると思えば、立派な生徒と言えるのでしょうけどね。)
わかったワ、弟子入り頑張ってネ…と笑顔を作り、マリアは穂沢を教室から追い出した。

 今日は三学年の二者面談、三日目である。
四日ほどかけて、クラスの生徒と一対一の進路相談を放課後を使って行うのだ。十一月に入ってから本格的な三者面談を行うが、これは有志のみで(特に就職希望者、大学推薦希望者)、現代の受験戦争の流れを無視したようなのんびりした真神学園では、事実上これが最後の進路相談だった。
色々な想いを秘め、ここの教諭として就任したマリアであったが、この学園の…特にC組メンバーの個性といったらハンパなものではなく、一日目から少々頭痛に悩まされていた。
(…現代日本の学生は、皆こんなものなのかしら。)
来日半年の自分には、この数年学んだ日本の社会常識やらテストと就職先の関係やらの奥深さはわからないのかも知れない…
(まァいい。彼らがどんな夢を描こうと、失敗しようと、ワタシには関わりのないこと。)
そう自分に言い聞かせてる割には、(穂沢クンには演劇スクールとかを少し斡旋してあげようかしら…)などと考えてしまっている、律儀なマリアであった。

 教室のドアを外から叩く音で我に返ったマリアは、次の生徒を呼び入れた。
「喜多山です…入ります…うふふ〜。」
「ハイ、座ってちょうだい喜多山サン…ええと、アナタの進路希望は…どういう意味なのカシラ? この…『裏密様と同じ』というのは。」
「はい〜。私はB組の裏密様の弟子なんです〜。だから、来るべき災厄に備えて〜、自らの理知力を鍛え、未形力を身につけ、いずれ日本を…いえ、世界を救うんです〜。うふふ〜。」
 マリアの脳裏に、B組のちょっと…いやかなり個性的な少女の姿がよぎる。
………………そう…大変ネ。頑張って、ミンナの幸せを守ってちょうだい」
「はい〜! マリア先生になら、解って戴けると思ってました! …あ、思ってました〜。うふふ〜。」

 昨日は昨日で極者揃いだった。
 野球部所属・原田。
「とにかく野球やりたいんッス。でも実力ないんで、プロも社会人も無理だし、俺でもレギュラーいける大学ったら東大しかないッスよね! ダメモトで、今からがんばって受験勉強したらどうでしょう、先生!」
原田の成績は、大学進学はおろか卒業もギリギリだったのだが、勿論マリアは「努力することが肝心なのヨ」と微笑んだ。
 レスリング部所属・醍醐。
「プロレス団体から話があるので…自分としてもその方が向いていると思っています…ですが、プロという世界でやっていける自信がなくて…」云々。
プロでやっていけるどころか、プロで適う選手がいないかも知れない、との志賀教諭(レスリング部顧問)の話は散々聞いている。「自分に自信を持ってネ」と受け流した。
 剣道部所属(と言っていいのかどうか)・蓬莱寺…は結局昨日も来なかった。多分最後まで来ない気だろう。
「ま、それなりに考えてっからよ。心配しなくていいぜ、センセ。」
廊下ですれ違った際に尋ねたときの答がこれだった。

 原田クンには、社会人野球のことがイロイロ解るような資料を用意して…醍醐クンは、きっと案ずるより産むが易しネ。喜多山サンには、神秘学を学べるような学校もあるってことをそれとなく話して、…蓬莱寺クンは…困ったワ…
 って何でワタシがこんなことを考えてあげなくてはならないのカシラ、と呟きつつ、ノック音に返事をする。
「ハイ、どうぞ。」
………………失礼します。」
 ピシリ、と斜め30度の礼を決めて入ってきた人物に、マリアはハッと気を引き締めた。
「…座ってちょうだい、緋勇クン。」
…………………。」
 色々な形でアプローチをし、情報を集め、それとなくこの人物の<<力>>を測ってきた。
様々な事件に巻き込まれていることも、絵莉から聞いている。
知り合った当時「男なんて、利用できる単純バカか、利用できないバカのどっちかしかいないわ」などと断言していた絵莉が、「マリアが担任で良かったわ…緋勇君たちを救けてあげてね」などと言い出し、少なからず驚いたものだ。
「緋勇クン…も、進路志望のアンケートが白紙だったわネ。…どうして?」
……………………………。」
 マリアの欲して止まない<<力>>。
不可能を可能にしてくれるかも知れないパワー。
この世を自分達の棲みやすい世界に変化させ得る流れ。
それを握る筈の少年は、今、静かに───ただ静かに、マリアを見つめている。
「卒業したら…ドウするの? ドウしたいの?」
 無意識に、足を組み替えながらマリアは問うた。
………まだ…解りません。」
…………
 これまで竜脈のこと、真神学園との関係、それを巡る争いを調べてきたマリアには、緋勇龍麻の言いたいことは何となく解った。
恐らく、平和になってからじゃないと自分の将来のことなど考えられない、とでも言いたいのだろう。
(…大したものね。それでこそ「選ばれし者」なのでしょうね…。でも、そんなことはどうせ考えても無駄なのよ。)
「…緋勇クン。もっと自分を大事にしなくちゃダメよ。ミンナのこと、トモダチのことを思うアナタの気持ちは解るケレド。自分自身のやりたいことを、モット考えてみて。…ここでの生活も、あと僅かしかないのですモノ。」
 そう…。あと僅かしかないのよ、貴方に残された時間は。
貴方に示される選択肢は二つだけ…
「………………。」
 マリアの台詞をどう受け取ったのか、思慮深い目線をしばらく投げかけていた緋勇は、小さく頷いて立ち上がった。
「文化祭明けに、また少しお話しましょうネ。」
また頷いて出ていく後ろ姿を見送って、マリアもようやく腰を上げた。

 (…なんだか疲れてしまったわ…)
疲れ果てて教室を出ると、丁度B組から裏密が出ていくところだった。
マリアに気付いて、ニヤ〜と笑う彼女に、少しひきつりながら笑顔を返す。
 一度、奇妙な問いかけを受けたことがある。
「先生は〜、不死の蛇の魔力に〜、左右されないの〜?」
「不死の蛇」とは月の異名である。
何のことか解らない、と笑って誤魔化したマリアであったが、裏密ミサの妙な<<力>>(もしくは勘?)はあなどれないのかも知れないと、少し身構えたものであった。
う〜ふ〜ふ〜と独特の笑い声を廊下に響かせながら階段を降りていくのを見送っていると、B組の教室からくたびれた様子の(いや、普段からくたびれたような格好をしているのだが)犬神が出てきた。
眉間に皺をよせ、頭を抑えながらドアを閉めた犬神と、しばらく睨み合う。
(…B組もイロイロな生徒が揃っているのよネ…)
(…「あの」C組だものな…)

 ふ…と。

 どちらからともなく、二人は苦笑した。

「…犬神先生、少し息抜きに行きません?」
 マリアがグラスを傾けるような仕草をしながら言うと、犬神も肩の力を抜きながら答える。
「いいですね。今はとても飲みたい気分ですよ、マリア先生。」
それにしても珍しいですね、雨にならなきゃいいが…などとうそぶく飄々とした男に、マリアも笑みを返す。
(いいわ、まだ。今はまだ。ワタシも、アナタも、あのコたちも…このまま仮面の下、薄氷の平和を楽しみましょう。)
 それが続くことを望んでいるのか、早く壊されることを望んでいるのか。
その望みは叶うのか、叶うことが自分の望みなのか。
 ───マリア自身にも解らないままに。
「たまには…こんな日もありますわ。…たまにはネ。」
 夕映えに染まる白衣を見つめながら呟いて、マリアは手にした出席簿を指でとん、と弾いた。
その意を汲んだ犬神と、「明日で終わりです、もうひと頑張りですね」「でも来週はもう修学旅行ですよ」「終われば体育祭、文化祭ですか…」などと語り合いながら、校舎を後にしたのだった───

2000/10/01 Release.