転校生

 転校生が来るという噂で、3−Cは昨日から沸いていた。
尤も男だというので、はしゃいでいるのは専ら女生徒だ。
「ちェッ。どうせ入ってくんならグラマー美人とかを期待したかったぜ」
毒づきながら、内心では「何か」を期待している自分にも気付いている。
 蓬莱寺京一は、マリアの後に続いて入ってきた男に注目した。

 退屈と渇望。平和、怠惰。そんなもので成り立っている自分の高校生活。
他校との小競り合いなどでは癒されない乾き。醍醐のように修練に身をやつして紛らわせられる性格ではない。
同じコマが繰り返されるだけの生活で、「転校生」というのはちょっとした刺激だ。
「強いヤツだと面白いな」
単純な筋肉バカは、そんなことを言って豪快に笑っていた。
そういう問題じゃねェんだよ。強えとか弱えとか。
 何を求めているのか、自分でもはっきりとは分からない。
日常とは違う何か。退屈じゃない日々。とにかくそういうものだ。
 自分の欲しているものが暗闇の彼方に存在しているかのように感じる時がある。
くだらない妄想だ。ヒマ過ぎて余計なことまで考えている。それだけだ。

 差し始めた影を振り払うように、京一は意識を転校生に戻した。
黒板にゆっくりと自分の名を書いたその人物が、丁度振り向くところだった。
不思議な空気が、その動きに合わせて流れる。
………? 何だ?)
 転校生は、ひたと正面を向いた。
「緋勇龍麻です。よろしくお願いします」
凛と張った響き渡る声に、一瞬教室が静まり返る。
男は気にせず、最敬礼をするように深く頭を下げ、また流れるように頭を上げた。
 あと一歩。あと少し力を加えたら、不快を感じる程の圧力を持った声。
顔を見ると、だが静かに目を伏せ、穏やかな空気をまとわりつかせて立っている。
(妙に…隙のねェ野郎だな。)
それが京一の、緋勇龍麻に対する第一印象だった。

 一瞬凍り付いていた生徒たちも、穏やかに立ちつくす転校生の雰囲気を感じ取ったのか、煩いほどの質問を投げかけ始めた。
京一の前の女生徒達が、「ちょっとイケてるよね?」「カワイイかも〜」などと会話するのが聞こえる。
 転校生は一つ一つの質問に、目を伏せたまま静かに、しかしよく通る声で、ゆっくり応えた。
マリアに促されると、狭い机間を、まるで何もない道を歩くように鮮やかに通り過ぎ、座に着いてピタリと止まる。
静から動、動から静への一連の動き。伸ばされた背筋。握りしめられた拳。
やはり隙がない。
(ふン。醍醐が喜びそうな奴ッてわけか? ま、何か事が起きれば、すぐ判るだろうけどな…)

 「事」の前兆はすぐに現れた。
HRが終わってすぐに美里が立ち上がり、転校生に声をかけている。
(珍しいよな、あの美里が自分から男子に声をかけるなんて。まッ、転校生には親切にってトコか。そう考えりゃ、如何にも美里らし…!?)
京一は思わず「うわッ」と声を上げた。
転校生は美里の手を両手で握って、「よろしくお願いします」などと、例の響く声で囁きかけたのだ。
 おいおい、いきなり手を握るか。やるねェ。
後ろに視線を送ると想像通り、佐久間達が、今にも飛びかかりそうな形相で転校生と美里を見ている。
 その後乱入した小蒔にも握手を求めたところを見ると、他意は無いらしいが、いきなり相手が悪すぎた。
(佐久間のヤロー、どうもマジみてェだもんな。身の程知らずめ。)
可哀想になと呟いて、ふと苦笑する。
誰が一番哀れなんだろうな?
振り向いてもらえないだろう佐久間か、あんなのに好かれている美里か、とばっちりを間違いなく受けるだろう転校生か…
 そんなことを考えながら眺めていると、小蒔が、そして何を言われたのか少し頬を染めた美里が、教室を出ていった。
丁度いい、自己紹介といくか。
正面に立って相手を見据える。口元にはいつもの、「人を食ったような」「軽薄そうな」と称される笑みを浮かべて。
「俺は蓬莱寺京一。縁あって一緒のクラスになったんだ。これからよろしくな」
 転校生───緋勇は目を伏せたまま視線を合わせようとはしなかったが、右手を差し出し「よろしくお願いします」と、深いバリトンで唱えた。
身近で聞くと体に直接響いてくるようで、ゾクゾクとする。
それを振り払うように、後ろの佐久間たちを顎で指し示して暗に狙われている旨を伝えてみた。
 忠告と言いながら、実のところ連中が手出ししてきた方が面白え…などと考えていた京一の内心には気付かず、緋勇も視線を後ろに投げる。
 緋勇の横顔をそれとなく見て、ギクリとした。
表情は全く変えていない。だが長い前髪の隙間から覗く瞳は、強烈な光を放って佐久間たちを見据えている。
睨め付けている、と言っていいだろう。
 気圧されたことを感づかれないよう自席に戻る。背筋に嫌な汗が流れるのを苦々しく感じつつ、京一は自嘲した。
蓬莱寺京一ともあろう者がよ…。

 その後、休み時間のたびに色々な生徒が入れ替わり立ち替わり、転校生を取り巻いては質問を浴びせていたが、当人は一人一人に右手を差し出したり頭を下げたりして、全員に対し丁寧に均等に対応しているようだった。
選挙運動かっつーの。
律儀なその振る舞いを見ているうちに、何だか可笑しくなってきた。悪い奴ではないようだ。
 昼休みには、また美里が何やら話しかけていた。校内の案内を申し出ているらしい。
(そんなことしてると確実に佐久間のエジキになるぜ。ほーれ、早速イチャモン言いに行きやがった。)
 初日にいきなり乱闘じゃいくら何でも可哀相だしな、と一人ごちて佐久間を牽制し、京一は自ら校内案内役を買って出ることにした。
「実はな。ウチの図書室には秘密があるんだが、聞きたいか?」
 そんなことを言いながら、腕を緋勇の肩に回して引き寄せ、間近に顔を見る。
興味など無さげに「ああ…」と頷く顔は、こうして近くで見ても整っている。
女生徒が騒ぐのも無理はない。クールな美丈夫、という奴か。
 学生服を通して、腕に感じられる体つきも適度に鍛え上げられているのがはっきり分かる。
親しげに振る舞いつつペタペタと触って、武術に通じていることを確信した。
(醍醐のヤツがいりゃァ、はっきり分かるんだけどな。そういや、今日は何でいないんだ?)
 職員室や、真神の怪しい部分(勿論、新聞部や霊研の事である)を適当に案内しながら、醍醐がコイツをどう計るかな、とあれこれ想像してみる京一だった。

 放課後───
6時限目からサボって、いつも通り体育館裏の木の上で昼寝をしていた京一は、多勢の人間の気配に気付いて目を覚ました。
 それは何と佐久間達と緋勇だった。
(結局初日から私刑執行かよ。俺のいない間にまた何かあったかな)
そんな事を思い、暫し木の上から様子を伺ったが、大した事があった訳でもなさそうだ。
 佐久間たちに囲まれ、ごちゃごちゃと因縁を付けられている緋勇は、毅然としたまま黙っている。
(どう見ても「格」が違うぜ。ただ立ってるだけなのに、やっぱり隙がねェ)
 一瞬、このまま見物していようかという考えも浮かんだ。
だが相手もそれなりの猛者だし、1対5を見学するのは趣味に合わない。第一、折角この腕を奮えるチャンスなのに逃してたまるか。
京一は緩む口を押さえもせず言い放った。
「ちょっと転校生をからかうにしちゃァ、度が過ぎてるぜ。」

 二人目を沈めてちらりと振り返ると、緋勇は腕を組んでこちらを観察している様子だった。
おいおい、のんびりしてんなよ。側に着いてろっつったろ?
呆れつつ三人目を思い切り吹き飛ばし、ちょっとマジ入れちまったぜと、慌てて残った二人に集中する。
 と、同じ時同じ人物の様子を目にしたらしい佐久間が、突如京一の後ろに向かって走り出した。
「すましてんじゃねえッ!!」
しまった!
 飛びかかってきた男に上段から木刀を叩きこみ、慌てて佐久間を追おうとしたが間に合わない。
「緋勇!」
逃げろ!!

 …その声は飲み込まれた。
何が起きたのか、よくは分からなかった。
佐久間が飛び込んでいったのが見えた、しかし次の瞬間にその躯は吹き飛ばされていたのだ。
体育館の壁に叩きつけられ、ぐったりと崩れ落ちる佐久間。
緋勇の方は、そんな威力のある攻撃を繰り出したとは思えないほど静かに、倒れた男を冷ややかに見つめて立っている。

 …面白え。
腹の底から熱いものが込み上げてくる。
それは…悦び。
何かが起きるのだ。何かが変わるのだ。
漠然とした予感が広がっていく。
 謎多き転校生に向かってゆっくり歩を進めながら、京一は、吹きはじめた風が自分の進むべき道に向かっていることを、心地よく感じていた。

05/22/1999 Release.