夢妖

 京一はその時、ひどく不機嫌だった。
今し方の生物の授業で、犬神に四回も指されたのだ。
(アイツのああいう陰湿なイジメが嫌いなんだっての。何かってーと目の敵みたいに。)
小蒔が気味悪そうに語る夢の話も、京一にとってはどうでも良かった。
まさか、その「夢」がこれから起きる事件と関わっていようとは、全く思ってもいなかった。

 突然倒れた美里を、龍麻が咄嗟に支えた。
「葵ッ!」
「美里ッ!?」
龍麻はそのまま美里を抱き上げ、少し困惑したように彼女の真っ青な顔を見つめている。
「とにかく、早く保健室に行こーぜ。」
 京一が言うと、突然アン子が霊研に行くことを提案した。
いくら墨田区の事件とシンクロしたように倒れたからって、飛躍し過ぎではないか。
ただの貧血かも知れないんだから、まずは保健室ってのがスジだろう。
 だが、龍麻は「霊研へ行くぞ。」と言い切って、美里を抱き上げたままスタスタと歩き出した。
「おいおい、俺はお前の頭を疑うぜ?」
 そう言いつつも、少し気を引き締める。
美里が尋常でない倒れ方をしたことに、何かを感じ取ったのかも知れない。
「夢」をキーワードに奇怪な死を遂げる学生たち───
それがどうした、と話半分で聞いていた京一と違い、何か考え込んでいた龍麻。
 アイツの直感が、これまでの敵のような<<力>>を感じ取ったのかも知れない。
京一は、壊れ物を抱くようにそっと美里を運ぶ、龍麻の後ろ姿に視線を送った。
 夢、か。なんだか厄介そうだな、今回は。

 龍麻の予測通り、どうやら美里はただの病気ではなかったらしい。
裏密は、自分の力では美里を救えないと言って、京一が一番聞きたくない病院名を挙げた。
 桜ヶ丘───
遠い思い出だ。
 治療だといって、院長の岩山に散々な目に遭わされた。横には、大抵アイツが笑っていやがった…
岩山の恐怖の記憶もさることながら、仲間達に、自分の過去を覗かれるような後ろめたさ、気恥ずかしさを感じる。
 (行きたくねェ…が、背に腹は変えられねェ。)
しぶしぶと案内をする。
美里の身は心配であったが、どうしても積極的に行く気にはなれなかった。

 岩山たか子は心霊治療者だ。それも、かなり高レベルの。
どういったツテでか「師匠」はそれを知っていて、度々この病院を利用した。
裏密が、ここを指定するのも当然なのだ。尤も、何故彼女がそれを知っているのかは謎であったが。
 あの化け物め、昔と変わっちゃいねェだろうな。
隣を歩く龍麻を見やる。
 …ダメだ。こんな綺麗なオモチャを岩山が見逃すもんか。
嬉々として「診察」を始める化け物を想像して、つい無駄と知りつつも、龍麻を止めてみる。
龍麻は、少し京一を見つめると、どう捉えたものか彼をなだめるように両肩を叩き、二つ、しみじみと頷いた。
 俺の言いたいこと、分かってくれたのか? そうだぜ、龍麻、岩山が出てきたら隠れてろよ。貞操を守るためにもな。
まだ不安はあったが小蒔の言うとおり、ここでうだうだしていても、もう仕方がない。
 意を決して、京一は玄関をくぐった。───醍醐に隠れるようにして。

 やっぱ、変わってねェ。イヤ、前より数段凄まじくなったようだ。
小山が動くような地響きと共に、怪物が登場した。
小蒔もアン子も仰天している。醍醐ですら、あっけに取られていた。
 勿論、龍麻だけは相変わらず何の表情も示してはいない。
名を問われてもいつもの響きで答え、高山の舐め回すような視線も下卑た笑い声も跳ね返すように、姿勢正しく立っている。
余計な心配だったようだ。この男に限って、どんな怪物が出ようが取り乱したりはしないのだ。
 ホッとした隙を狙ったかのように、岩山の矛先が京一に向いた。
「おや。そこにいるのは京一じゃないかい? 隠れていないで、その愛らしい顔をみせておくれよ」
 思わず咽せてしまう京一であった。

 岩山に美里を任せて診察室を出る。
性格はともかく、腕が確かなのは良く知っている。あとは美里が回復するのを待てばいい筈だった。
暇を持て余してか、醍醐が余計なことを訊いてきた。「師匠」のことを岩山と話していたのを聞き逃さなかったらしい。アン子も目を輝かせて飛びついてくる。
…ちっ。だからイヤなんだよ、こういう場所に来ちまうのは。
 山に籠もり、己の限界まで身体を鍛え上げる日々。
 修業なんかツマラナイと、しょっちゅう逃げ出しては仕置きをくらった。
本当は…辛かったのは、修業そのものなどではなかった。
毎日突きつけられる真実。己の───限界。
自分の持つもの。持たざるもの。
焦り、不安。悔泣。
 俺はガキだった。…多分、今も成長なんかしていない。

 ふと、自分を見つめている龍麻に気付いた。
前髪の奥、強い光を放つ深い闇の、更に深み。
思い過ごしかも知れないが、ほんの僅か、陽炎のように揺らめくものが見える時がある。
あれが、押し殺されている龍麻の「心」だろうか。
 こいつになら…いつか。話してみたい。
俺が本当にバカで、未熟で、逃げ続けた話を。
こいつなら、俺を責めず、励まさず、だが…静かに受け止めてくれるだろう。
 そんな風に感じてしまう自分が不思議だった。
ずっと昔から、互いに支え合い、競い合って来たような存在。
 何の躊躇もなく頼ってしまっている自分を、少々苦々しくは感じるが、同じように龍麻にも心を開いて欲しい、頼って欲しいと思う。
そのことの方が自分のちっぽけなプライドよりも重要だった。

 美里の意識が戻らないことを知らされた京一たちは、岩山の示した墨田区へと向かうこととなった。
高見沢を案内役に、アン子を留守に残し、病院の外に出る。
 ───そこには、一人の少女が佇んでいた。
「あ…あの…緋勇さん。また…お会いしましたね」
話によると、彼女は龍麻と一度会っているらしい。
龍麻の方を見ると、驚いたことに、彼女をじっと見つめていた。
 (…いつも誰とも目を合わせようとしないコイツが…?)
彼女の方も、その視線に頬を染めている。
「私…比良坂紗夜っていいます。」
…比良坂…。龍麻が呟くのが聞こえた。
おいおい…マジかよ。
 彼女が去っていった後、わざと「カワイイよなー」などと言って様子を見てみる。
表情からだけでは相変わらず、何を考えているか分からない。
だが、龍麻は一瞬チラリと京一を振り向いた後、慌てたように目を伏せたのだ。
 龍麻が、ここまで関心を示すとは。
彼女と何かあったのか。<<力>>のことと関係があるのか。以前龍麻が巻き込まれた悲劇と関わりがあるのか。
 そんな風に考えてから、思わず苦笑する。
…何でムズカシー方向に考えちまってんだ、俺は。単なる色恋じゃないのか。
この龍麻が、と思うと信じがたい気はするが。
 ふいに、脳裏に美里の哀しげな顔が浮かんだ。
何故か胸が痛む。
(ま、まァ、コイツに惚れてるらしい美里は可哀想だが、仕方ねーじゃねェか…)
自分たちには決して向けられなかった瞳が、知らない娘を真っ直ぐ見つめていたとしても。
 …なんでムカツかなきゃならねェんだよ。俺が。
「学園の聖女」とまで言われている美里を振るなんて勿体ねェからだ。
大体、今彼女が大変な目に遭ってるってのに、どっかの小娘に気を取られてるなんて龍麻らしくねェじゃねえか。だから腹が立つんだよ!
 無理矢理そう結論付けて、京一は自分の意識を、正体も分からない<敵>に向けることにした。

 白髭公園に着いた。
幽霊の苦手な醍醐が、高見沢の話に怯えて逃げていく。
ったく、デカい図体して情けねェ。
笑いながら後を追う。
お前、そんなんじゃ小蒔に呆れられるぜ。
そう言ってやろうかと思ったところに、慌てて追いかけてきた小蒔と高見沢が到着したので、言葉を飲み込む。
 最後に龍麻が、暗闇の向こうから悠々と歩いて近づいてきた。
保護者のようだ、と苦笑いをする。
高見沢も、結局龍麻の「鶴の一声」で同行させることに決まった。
 殆ど口を開くことがないこの男に、ごく自然に決定権が与えられている。
案内役らしい茶髪の女の誘いに頷く龍麻と、従う仲間達を眺めながら、京一は、皆が龍麻に対し自分と同じような信頼感を抱いていることを察した。

 戦闘が始まった。
罠にはまり、全員眠らされて、嵯峨野率いる夢の世界へといざなわれたのだ。
いつも通り龍麻は全員に指示を与え、自分に向かってくる敵を吹き飛ばしながら走る。
夢の中だからか、幻影のように揺らぐ鬼火や死神の姿をした不気味な敵には、どんなに狙い澄ましても大してダメージを与えることができない。
「直接<<気>>を叩き込め。体内で共振させるんだ」
龍麻の指示。
頭で理解することが出来ないこの命令も、しかしイメージを実践させるだけで新たな<<力>>を発揮出来てしまう。これは一体どういうことなのか…
 目の前の、最後に残った鬼火が散った。
雑魚を操っていた嵯峨野が、数歩後ずさる。
 「美里を、返してもらう。」
───先刻、龍麻が嵯峨野に言い放った台詞だ。
唐栖との闘いのときのように、目に見えるほどの怒気は感じないが、明らかに龍麻は怒っていた。
何の罪もない美里を拉致したことを、か。
「仲間」だから? それとも…
 龍麻は情け容赦のない一撃を嵯峨野に叩き込んだ。
嵯峨野は「そ、そんな…僕は、この世界の、し、支配者なのに…」と喚きながら、尻餅をついたような姿勢で更に後ずさる。
「お前の、望みなんじゃないか?」
弾かれたように、嵯峨野が顔をあげた。
京一も龍麻を見つめる。
自分の位置からでは龍麻の顔は見えないが、どうせ顔には何も出ていないだろう。
 だが。
この世界を作り上げ、思い通りに振舞ってきた嵯峨野。
それが、なす術もなく龍麻に倒されようとしている。
 自分で望んだ結末ではないか?
この世界の終焉を。何も解決出来ない「夢」の世界の崩壊を。
復讐を続けながら、解放を望んだ魂の声を、龍麻は捉えていたのだ。
 とどめの攻撃を受ける瞬間、京一は、嵯峨野の口元に浮かんだ笑みを見逃さなかった。

 夢の中から生還した後、高見沢の<<力>>によって藤咲も心を開いた。
自分自身に嵯峨野は負けたのだ、と醍醐が苦々しげに呟く。
 その通りだな。
しかし、希望はあるんじゃねェか?
自ら望んで終わらせたことを、アイツが理解しているのなら───
いつか、目を覚まして。今度こそ「生きる」ことを始める。
そんな希望が残されたのではないか?
 恐らく同じような気持ちを抱いたに違いない、「仲間になる」と言ってついてきた藤咲が、龍麻に懐いている。
皆が救われていくのだ。龍麻の力で。
 敵すらも傅かせる深い心───
自分の剣は龍麻のために存在するのだと、確信めいた想いが京一を満たしていた。

05/30/1999 Release.