一体どういう情報網を持っていやがるんだ。
昨晩の帰宅途中に遭遇した事件について教えろと、いきなり詰め寄ってきたアン子に半ば呆れつつ、京一は適当に誤魔化した。
「ああ、あのことね。バッチリ見たって。風でめくれたおネエちゃんのパン───
言い終わらない内にアン子の平手が飛んでくる。
…ッたく、はぐらかすのも命懸けだぜ。
 実際、アン子のバイタリティと、情報収集能力は尊敬に値する。
しかし危険を顧みず、何にでも首を突っ込み、良く回る口で相手をやり込め、持ち前のエネルギーで周囲を巻き込んでいくアン子は、どんなにパワフルでもやはり女である。
危なっかしくて見ていられないのに、止めることが出来ない。ああ言えばこう言うので全く歯が立たない。だから京一は彼女が苦手なのだった。
 馬鹿正直な醍醐が昨夜の事件について余計な一言をもらし、今回もまた彼女を巻き込む羽目になった。
(頼むから大人しくしててくれよ。いざって時に護ってやれる保証がねェんだから…)

 結局、アン子から得た情報を元に、鎧扇寺学園へ向かうことになった。
目黒区にある鎧扇寺学園の空手部は、真神の空手部とはライバルにあたるらしい。
だからといって、部員達の腕を石化した犯人と関係がある、と決めつけるのは少々短絡的な話だが、他に手がかりはない。
「ホントにここの人がやったんだとおもう?」
 小蒔が龍麻を見上げて訊いた。
首を微かに捻った後、首を横に振るのを見やる。
「まァ、分かんねェよな。そう決まったワケじゃねえし」
と同意してやると、龍麻はホッとしたように頷いた。
そッか、今のは「分かんない」って意味か…と小蒔が呟いて、続ける。
「うん…。ボク、なんとなく違うような気がするんだ。」
 どちらにせよ、得た証拠は「鎧泉寺」以外指していなかった。
それが本当に犯人である証拠なのか、犯人に罪を着せられようとしているのか、現時点では判断が付かないのだから、当たってみるしかない。
京一は、何かの罠に嵌められているような嫌な気配を感じつつ、鎧扇寺の空手道場へ足を踏み入れた。

 空手部員は結局シロだった。
空手部長の紫暮という男が、龍麻の肩を叩きながら笑っている。
今し方闘ってみた時に微かに感じた<<気>>は、邪悪なものではなかった。恐らく醍醐も、そして龍麻もそれを感じ取っていただろう。
そしてその<<気>>が、通常ならざるパワーを持っていることも。
紫暮がその奇異なる能力を披露したとき、「やっぱりな」という思いを京一は禁じ得なかった。
 何かあったら自分を呼べと言う紫暮に、龍麻がいつも通り右手を差し出し、固く握手を交わす。
またここに一人、「仲間」が現れた。
 先ほど、学校を出るときに「仲間」となった裏密のことを思い返す。
よりによってあれ..が仲間だというのは、あまり歓迎出来るものではなかったのだが、龍麻はあっさりと裏密を受け入れた。
 冷静に考えれば、こんな異常な事件が続く限り、裏密の知恵と妖しげな<<力>>は役立つのだ。
京一や醍醐が生理的に嫌っていても、龍麻だけは冷徹に判断を下せる。
だからこそ、こうして次々に仲間が増えていくのだろう。

 少し感慨に耽っていた京一だったが、ふと、醍醐の様子がおかしいのに気付いた。
不審な男。スキンヘッドで、二の腕に大きな刺青。
その言葉に、明らかに動揺している。
 外に出てから、思い切って尋ねてみた。どうせまともな応答のないことは、長い付き合いで分かってはいたが。
 龍麻が、拳をぐっと握りしめ、醍醐の後ろ姿を見つめている。
横に回って様子を窺うと、表情を浮かべぬまま少し口を開き、躊躇うようにまた閉じるのが見えた。
 ああ。心配なんだな。そうだよな、俺達は仲間なのに。もどかしいんだよな。
肩に手を回しながら「いいヤツだな、お前は」と呟いて、気持ちを代弁しようと醍醐に声をかける。
相手を傷つけぬ言葉を探し、躊躇っていたのだろうか。
 握りしめられていた拳が開かれるのをみて、少し安心した。

 桜ヶ丘にはなるべく近づきたくなかったが、空手部員の容態と、石化の原因を確かめねばならない。
しぶしぶ足を運びながら、京一はこの奇怪な出来事について考えた。
今回のことも、また<敵>の所業だろうか。
真神の生徒が襲われたのが偶然とは思えない。改めて考えれば今までの事件も、偶然関わったという方が出来過ぎではないか。
 これまでの事と今回の件のつながりをあれこれ惟みながら歩いていた京一は、突然立ち止まった龍麻の背中にぶつかってしまった。
硬直して立ち止まっている龍麻の視線を追うと、先日同じ場所で出会った少女がいる。
比良坂…紗夜、といったか。
「あ…緋勇さん」
 にっこり微笑みながら、龍麻の傍へ歩み寄ってくる。
華奢な姿態と色素の薄い髪が、その笑顔をどこか儚げに見せた。
(可愛いよなァ。)
 当たり障りのない挨拶を交わしながら、龍麻の様子を伺う。
惚れているなら、それはそれでいい。そんなものは龍麻の自由だ。だが…
相変わらず感情を見せない表情。そして、固く握り締められた拳。張り詰めた<<気>>。
「龍麻の言いたいことは態度で分かる」という自負がある京一にとって、この仕草の意味を理解出来ないのが腹立たしかった。
とても、一目惚れした相手を前にしている雰囲気ではないのだ。
だが間違いなく龍麻は、紗夜を気にかけている。今日も、決して彼女の目から視線を逸らさない。
「こんにちは、緋勇さん。」
 紗夜が声をかけた。
龍麻が、もどかしげに前髪を掻き上げる。
………ああ。また会ったな」
決して自分からは人目に晒さない双眸を、惜しげもなく顕わにして、彼女を見つめる龍麻。
その瞳には何の感情も映し出されていないが、頑なな拳や微かに寄せられた眉からは、何かを訝しむような…苦しんでいるような印象さえ受ける───

 唐突な考えが京一の頭に浮かんだ。
「誰か」に似ているのかも知れない。
その「誰か」は、かつて龍麻が遭遇したらしい、悲劇的な事件に関わっているのだ。
そして「その人」はもう…。
 京一は苦笑した。
まったく、いつから俺はこんな想像力豊かになったかな。
 紗夜の後姿を、いつまでもじっと見送る龍麻を見やる。
…あながち間違った想像でもないのかも知れない。
どんな過去があったのか。彼女に感じている気持ちは何なのか。
 口に上せかけた質問を、無理矢理飲み下した。
まだだ。もう少し待ってみよう。この男は、待てば話してくれる。
今までそうだったように。

◆ ◆ ◆

 ちッ。やっぱり、そう来やがったか。
翌朝、小蒔が登校して来ないという事実に、半ば諦めつつも「頼むから単なる遅刻であってくれ」と願い続けたまま、放課後を迎えてしまった。
冗談で誤魔化してはみたものの、小蒔の身に何かが起きたことはほぼ間違いない。
 昨日の醍醐の妙な態度から、薄々<敵>の正体は解っていた。
醍醐の知己で、しかも醍醐に恨みを持つ者。
本人に直接来ようとせず、何の関わりもない空手部を巻き込む辺り、卑劣ではあるが醍醐をよく知り尽くしているのだろう。
この仮説が正しいとすると、次の手は───「仲間」。
<敵>の真の目的は分からないが、醍醐をいたぶるには効果的だ。
 美里が真っ青な顔で、自分に言い聞かせるように呟く。
「…大丈夫、小蒔は大丈夫よ。きっと無事。」
大事な親友が拐かされ、生命の安否も分からない。それでも信じようとしている美里は、意外に芯の強い女なのかも知れない。
 だが醍醐の方は、もう誰の話も耳に入らないようだ。慌てて学校を飛び出してしまった。
龍麻達と共に、その後を追う。
もし<敵>が醍醐の昔の知人であったとしても、妖刀や鴉の事件の裏で糸を引いていた者と同一人物だとしても、そいつは今の醍醐の微かな想いまで掌握しているのだろうか。ぞっとしない話である。
 校門前で醍醐に追いつき、二手に分かれて捜索することになった。
醍醐と行動しつつ、<敵>のことを訊きだしてみるか? 一瞬そんな考えがよぎる。
いや、こいつは自分ではっきり敵の正体を確かめないと、何も話しはしないだろう。
 それよりも…龍麻は。
小蒔が誘拐されたことに、どれだけ衝撃を受けたのか、その表情からは全く読みとれない。
だが龍麻のことだ、醍醐以上に内心では心配しているかも知れない。そしてまた自分の中にだけしまい込んでしまうかも知れない。
そうだ、醍醐は美里に任せた方がいい。互いに支え合えるだろう。
「俺と一緒に行こうぜ、龍麻。」
こくりと頷く男と視線が交差する。だがそれは、やはり一瞬でしかなかった。

 二人きりになってから、敵は醍醐の知り合いではないかということを龍麻に話してみた。
特に反応はない。信じられないのだろうか。
だが、醍醐が転校生であること、昔の話をしたがらないことを教えると、ハッと京一を振り向いた。
自分と似ている、と思っているのだろう。
つい、余計な質問までしてしまった。
「お前にだって、知られたくねェ過去があるだろう?」
訊いてはいけないことだったのに。
 案の定、龍麻は目を逸らしてしまった。
慌てて話を誤魔化しながら、コイツも醍醐も、どうしてこう「抱え込んじまう」奴ばかりなのか…と内心で嘆息する京一であった。

 偶然出会った雨紋の情報で、杉並中時代の醍醐の知人が<敵>であることを確信した京一は、中央公園に向かいながら、そのことを龍麻に告げた。
間違いない。女を攫う目的は分からないが、小蒔を誘拐したのはそれら一連の事件とは違う。
醍醐、今度こそ吐いてもらうぜ。何でもないとは言えねェだろ、今度は───
 しかし突如、女の悲鳴が耳に飛び込んできた。
反応は龍麻の方が速かった。声のした方向を咄嗟に見極め、全速力で駆けていく。
後ろに続くと、そこには何と不良に腕を掴まれもがく、比良坂紗夜の姿があった。
龍麻は全身を硬直させて彼女を見つめたまま、動かない。
「なにがナンパだ! どう見たって、嫌がってんじゃねェか」
そう言いながら一歩踏み出そうとしたとき。
腕を掴まれた。
見ると、龍麻は何かを紗夜に言おうとしている。
────ッ」
 一体何を…
しかしそこに醍醐と美里が到着し、不良どもは「凶津サンがお前を待ってるぜ」と捨て台詞を吐いて、去って行ってしまった。
 京一の仮説は正しかったらしい。
だが今は、醍醐と凶津との関わりより、先ほどの龍麻の態度の方が気になる。
何を言おうとしたのか、紗夜に何を重ねて見ているのか解るチャンスを失い、失望を感じずにはいられない。
 だが、そんな思いは突然吹き飛んだ。
「あッ、ありがとう。」
紗夜の台詞に我に返り頭を上げると、何と龍麻はおもむろに、彼女の両肩を包み込むように掴んだのだ。
「!」
京一だけでなく、全員が驚愕した。自分達の知っている限り、龍麻がこんな積極的な態度を取ることはなかったのだから、当然と言えば当然だ。
「神様の偶然ってあるんですね…。また、こんな風に会いたいな…」
 頬を染めて、紗夜が無邪気に龍麻を見つめる。
その笑顔に引きずり込まれるように、顔を寄せる龍麻を見て、思わず京一は焦った。
(お、おいッ! こんなとこで何を…皆いるの忘れてんのかッ? み…美里もいるんだぞ!)
………そうだな。また偶然に…な。」
しかし、そう呟く龍麻の顔は、恐ろしいほど真剣だ。
何も知らぬげに、ますます頬を染めた紗夜が何か言葉を返している。
それ以上何かするつもりはなかったのか(…そりゃそうだよな)、龍麻は手を離して目を逸らした。
 昨日思い巡らせた推測が蘇る。
比良坂紗夜の中に、一体何を見ているのか───
「あの人───、紗夜さんって…」
美里が呟くのが聞こえ、思わず振り向いた。
「どうかしたのか、美里。あの子が、なにか…?」
美里も何か気付いたのか。それとも単に、龍麻の普段と違う行動に、恋する女として胸を痛めただけか。
何でもない、と悲しげに顔を伏せる。
………
どうすることも出来なかった。京一にも美里にも、龍麻の真意を掴むことは出来ないのだ。今はまだ…
 重い空気を取り払うように、京一は高らかに宣言した。
「よっしゃァ、行こうぜ、杉並へ!」

 小蒔を巻き込んだ責任感からか、杉並の懐かしい風景に意を決めたのか、やっと醍醐は過去を語り出した。
誰も口を挟まなかった。
 友、か。
友とは、何だ。
「人は、どうやったら、他人を理解してやれるのだろうか…。人は───、足掻きながらも、自分を───いや、ましてや他人を、理解してやることなど、出来ないのかも知れない。」
 醍醐の台詞に、京一は龍麻を想った。
そうなのだろうか。どんなに欲しても、俺にはこいつを理解することなど出来ないのか。
 苦しげに告白を続ける醍醐。
横には、じっとその様子を見つめている龍麻がいる。
「お前は、こんな俺を軽蔑するか?」
訊かれた龍麻は、少し躊躇うように唇を開き、醍醐の肩に手を置くと、やがて言葉を紡ぎ出した。
「俺達は…友、だろう? 醍醐。」
驚いた醍醐が、龍麻を見つめ返す。ややあってようやく笑顔を見せながら、礼を述べる。
 人は、他人を、理解することなど出来ない。
そう言い放つ醍醐に、短く───深い言葉をかけた龍麻。
ああ、そうだな、龍麻。俺達は「友」だ。
深く理解出来なくても、互いをいたわることが出来る。いたわりたいと思える。
理解しようと努力することが出来る───
それが「友」なのだ、と。そう言いたいんだな、お前は…
 それでもまだ、一人で赴こうという醍醐に、殴りつけたい衝動を抑えつつ、京一はゆっくりと、龍麻の言いたかったであろう言葉を繰り返した。
俺達は「仲間」だと。
過去の「友」に囚われるな。現在の「友」のために戦え、と。
「俺達にとって、小蒔は大切な仲間さ…」
普段なら照れくさくて決して言えない言葉だが、醍醐への憤りと、龍麻の言葉に対する感動が、京一の口を滑らかに動かした。
「そして醍醐。お前も…な」
 美里が微笑んだ。
困っている醍醐を見捨てられないと。醍醐のために、一緒に行くと言う。
分かっているのか? 醍醐。小蒔は美里の親友でもあるんだぜ。
自分の不安を押し隠して、お前を気遣っている彼女の方が、余程根性が座っている。
爪の垢でも煎じて飲め。
 皆の気持ちが通じたのかどうか、ようやく頷いた醍醐を先頭に、廃ビルへと足を踏み入れた。

 凶津はひどく「イケすかない野郎」だった。
佐久間を思い出す。あの男も、何の意味もなく醍醐につっかかってくる。
醍醐を「偽善者」と嘲るところも似ているが、二人の気持ちは分からなくもなかった。
あの頑ななまでの正義感は、時として不自然さを感じる時がある。それは、自分の中にある負の方向への衝動を、抑えつけようとしているかのようだ。
いつか…爆発するかも知れない。そんな危うさを、醍醐は持っている。
それがあの頑迷さを生むのだが、佐久間や凶津には偽善にしか見えないのだろう。
 石化された小蒔の姿を見て、全員が激高した。
ものも言わず真っ先に飛び出した龍麻の前に、隠れていた凶津の手下がバラバラと現れ、行く手を阻む。
「…どけッ!! …桜井ッ!」
もどかしげに叫ぶ声には、焦燥の色が滲んでいる。
一番心を痛めていたのは、やはりこいつだったのかも知れない、と京一は思った。
 怒りに任せて烈しい<<気>>が放出される。一斉に飛びかかってきた手下どもに向け、その拳が振り下ろされる。
青い火花が飛び散るほど烈しい衝撃が、周りの敵を全て吹き飛ばした。
闘う中で、龍麻は次々と新たな技を身につけているのだ。
負けてられねェな、とばかりに、京一も木刀を振り下ろした。
 一人屠りつつ醍醐の様子を窺うと、手下二人に挟まれて苦戦しているのが見える。
迷い、だ。
京一はすぐに看取した。
まだ凶津と()るのを迷っているのか!
 しかし、京一より早く、龍麻が同じことに気付いたらしい。
醍醐を羽交い締めにしようとしていた一人を殴り倒して、恫喝する。
「決着をつけろ!」
 …自分自身の過去への悔恨に。
凛と響き渡るその声で目が覚めたのだろう。醍醐は、いつもの不敵な笑みを浮かべ、「…ああ。」と頷くと凶津の前に進み出た。
 追いすがる手下を片手で抑制し、凶津もニヤリと笑った。
本当に───人の気持ちなど、理解出来る筈もない。

 凶津が殴る。避けもせず、醍醐が蹴り上げる。
周りの手下どもが沈黙した後、京一達は二人の闘いを見守った。
醍醐に吹き飛ばされた凶津が、立ち上がるのを止め。それに気付いた醍醐が、構えを解くまで。
誰も動くことが出来なかった。
 少しだけ、凶津の気持ちが視えた気がする。
醍醐よ…。 同情ではダメなんだ。
心から気にかけてくれても、お前のそれは、既に「憐れみ」だ。
友と呼ぶなら、肩を並べて立っていたい。
 もしも俺なら、と京一は思う。もし、龍麻が先を歩き、気遣うように後ろの自分を振り向いたりしたら。
怒りを感じるだろう。龍麻の「憐れみ」に。自分の不甲斐なさに。

 凶津の言う「鬼道衆」とやらが、一連の事件の黒幕であったことに衝撃を感じつつ、外に出た。
パトカーのサイレンを避けるように走りながら、全てを告白して醍醐を去らせた凶津の気持ちを想いやる。
なァ、醍醐。気付いてるだろう。あれは忠告だったんだぜ。
旧い「友」への忠告。鬼に成りきれなかったという凶津に残されていた、情。
 いつか和解できるといい。醍醐さえ、自分の過ちに気付くなら、いつかきっと。
 京一は走り続けた。
迫り来る、暗い「鬼」の影が、足下にまで忍び寄っていることを感じながら───

06/05/1999 Release.