恋唄

 京一が、いつものように龍麻に絡んでいると、小蒔が声をかけてきた。
いつもの光景だ。何事もなかったような平和な情景。
小蒔をからかってみる。屈託無く笑う。
いつも気丈に振る舞い、そうすることで自分の不安や悩みを吹き飛ばすのが小蒔だ。

 凶津との一件から一週間。
あの誘拐事件の真相解明は、表向きには何の進展もなかった。
凶津がいなくなっていたからだ。
アン子が調べたところによると、あの現場には誰も残っておらず、ただ夥しい血痕が残されていたらしい。重要参考人とされた凶津は、未だ見つからない。
 それが何を意味するのか───
「鬼道衆」というものが実在しているなら、凶津は「粛正」されたのだ。
 醍醐は表面上落ち着いているように振る舞っていたが、じっと黙って考え込むことが多くなった。
恐らく、自分を責め続けているだろう醍醐。それを知りつつ、ただ見守るしか出来ない小蒔。
 それでも、と京一は思う。それでも、笑って過ごす。乗り越えるために。
「じゃあな、小蒔。また明日、遊んでやるよ。」
今日と変わらない、平和な明日に。今日よりは、傷跡は少し薄れている筈の日に。
 醍醐のことを逃げるための餌にしたためか、顔を赤くして怒っている小蒔を見やりながら、京一は、自分に出来る精一杯が、平凡な日常を装うことだけであるのを痛感していた。

 勢いに任せて教室を出てきてしまったため、龍麻を置いてきてしまった。
今更戻るのもおかしな話だし、また校門ででも待っていようかと考えていたとき、その姿が目に入った。
比良坂、紗夜───
 先日の中央公園での一幕が思い出される。
「よォ、紗夜ちゃん。こんなトコでどうした?」
努めて明るく声をかけると、紗夜は京一の姿を認め、嬉しそうに微笑った。
「あ、あの、緋ゆ…皆さんにお礼を言いたくて。」
「…そッか。龍麻なら、今来ると思うぜ。」
「あッ…いえ、その…は、はい。」
顔を赤らめ、両手で頬を覆う。
そりゃあ、あれだけ見栄えのいい野郎が、意味ありげな態度を取ってるんだ。惚れてもおかしくはないよな。
だが…龍麻が彼女そのものを見ていないのなら、これは酷な話だ。
「そんじゃ、お邪魔しちゃ悪いからな、オレは退散するぜ」
「えっ…あの、…有り難うございました」
ペコリとお辞儀をする紗夜に手を振り、少し離れる。
紗夜の視界に入らないのを確認して、ひょいと校門へ続く、学校の外壁に登った。
こちらに背を向けた紗夜は気付かないし、歩くとき周りをあまり見ていない龍麻も気付かないだろう。
 ほどなく龍麻がやって来た。
紗夜に気付いて立ち止まる。鞄を持つ右の拳が白んでいく。
やはり…龍麻は紗夜に対して、恋愛とは別な次元にある感情を抱いているのだ。
 紗夜が礼を言っているらしい。龍麻が頷いた。瞳はずっと彼女を見つめたまま。
続けて何か紗夜が話している。龍麻はピクッと僅かに身体を振るわせ、首をゆっくり横に振る。
「お願いしますッ。1回でいいんです。わたしにつき合って下さい。」
少し声高になった、細く美しい紗夜の声が聞こえた。
しかし龍麻は首を振る。
 深く頭を下げ、逃げるように走る紗夜が真下を通っていった。
…泣いてたな。

 京一はフェンスから飛び降りると、校門で立ちつくす龍麻に声をかけた。
「…お前、紗夜ちゃんの事、嫌いなのかよ?」
パッと顔を上げ、京一を見つめる。何か言いたげに口を開くが、ゆっくり首を横に振り、また口を閉ざして俯いてしまった。
 ふいに、醍醐の顔が浮かぶ。
お前も、同じなのか? 過去を悔やんで、現在目の前に在る者に背を向け、自分だけを責め続けるのか?
「なら、行って来いよ。」
 意識的に強い口調で言い放つと、ハッとしたように龍麻が顔を上げた。
暫く視線がぶつかり合う。前髪の隙間から眩しい光を放つ瞳を、正面から受け止めてやる。
京一の気持ちをくみ取ったのか、ようやく龍麻が頷いた。早く行ってやれと押し出すと、すぐ走り去る。
 女の足だ、すぐ追いつくだろう。
立ち去りかけて、京一は躊躇した。
…何を考えている。勿論あの二人は心配だが、他人のデートの尾行をするほど俺は落ちぶれてはいない。
しかし、龍麻が紗夜にどんな話をするのか。少しでも龍麻の過去が分かるのではないか。
抗いがたい誘惑が、京一の足を彼らの向かった方向へと歩かせてしまう。
最低だな。
だが、醍醐のように取り返しのつかない事になってしまう前に。何としても龍麻に前を向いて欲しい。
 虫の知らせとでもいうものか、漠然とした不安が、京一を突き動かしていた。

「わァ、かわいい。」
 水族館の中で、紗夜が小さな熱帯魚に嬌声をあげている。
今まで目にしていた彼女とは違った一面。屈託無く笑い、はしゃいでは龍麻を見上げる。
そんな紗夜を、じっと見つめ続けている龍麻…
 これだけを見ていれば、如何にも仲睦まじい恋人同士である。
だが、京一は気付いていた。
龍麻は先刻から少しも気を散らすことなく、全身で辺りを窺いながら、紗夜の後を追っている。
人影がチラリと動くと、すぐそちらに鋭い視線を飛ばす。
お陰で何度か、京一自身が見つかりかけているのだ。
 普通の女とのデートで、ここまで周囲に注意をしなければならない理由はない。
これは、何を意味しているのだろうか。

 外に出て、公園のベンチに座った龍麻達を、少し離れた後方の木の影から見守った。
気配を殺さないと龍麻にすぐ気付かれてしまうだろう。
常の通り姿勢を崩さず、常以上に隙を見せぬよう<<気>>を漲らせている。
 そんなことは全く気付かないのであろう、目の前の池を覗き込んだり、横にある水飲み場に行ったり、また龍麻の隣に座ったり、忙しく飛び跳ねている紗夜は本当に楽しそうだ。
 他愛のない会話が、時々風に運ばれて聞こえてくる。
「緋勇さんは、奇跡って信じますか?」
「…信じている。」
わたしは、奇跡なんてないと思う。あるなら、大切な人を失う事なんてないじゃないですか。
 遠くを見つめながら紗夜が呟くのが聞こえた。
龍麻がその横顔を振り向く。
 ─────
ほんの一瞬…だが、見間違いなどではない。
龍麻は眉をひそめ、紗夜を辛そうに見つめたのだ。
すぐにいつもの無表情な顔に戻ってしまったが、僅かではあったが、あの龍麻の仮面が剥がされた瞬間だった。
何があっても決して見せずにいた素顔を、紗夜の一言は引き出したのだ。
 …奇跡があるのなら…大切な人を、失う事なんて、ない…か。
京一の中にあった想像は確信へと変わった。
失ってしまった「誰か」。比良坂紗夜に重ねられている「誰か」は、龍麻の恋人だったのだろうか。それとも姉妹か、もっと別の大切な女性。
 胸が苦しくなって、京一はそっとその場を離れた。とてもこれ以上は見ていられなかった。

 また失うことを恐れて、あんなにも周囲に気を配っていたのか。
紗夜の口から「奇跡などない」と言い捨てられたことが、どれほど残酷に響いたのだろうか。
家に帰ってからも、そのことが頭から離れない。
凶津を想って苦しんでいる醍醐と、一瞬にして目に焼き付いた、辛そうな龍麻の顔が交互に浮かんでは消える。
俺は、何も出来ないのか。時間が忘れさせるのを、指をくわえて見ているしかないのか!?
 居ても立ってもいられず、庭に出て素振りをした。とにかく雑念を払いたかった。
何も出来ないと決めつけるな。考えろ。考えるんだ───

 次の日、ある決意をした京一は、授業が終わるのを待つのももどかしく、醍醐に詰め寄った。
「話がある。ちょっと上に来い」
「…京一、俺は…」
「いいから来い。どうしても聞いてもらわなきゃならねェんだ」
 半ば強引に醍醐を連れ出し、屋上に出る。
目線を合わせようとしない醍醐に、いきなり切り出した。
「龍麻のことなんだ。お前のことは、少し放っといてやりたかったが、アイツがお前みたいに過去に囚われて苦しんでるのを見てらんねェ。事情が分かんねェから余計に、だ。」
驚いたように、醍醐が顔を上げる。
「緋勇が? …どういうことだ?」
そうだ。お前は自分以外のことなら、どこまでも親身に考えられる奴だ。考え過ぎるくらいに。
奴を救うことで、自分も同じなのだと悟ってくれ。それくらいしか、俺には思いつかねェんだ。
 昨日見たことを、かいつまんで話して、醍醐に「アイツの話を聞いてみてやれ」と付け加えた。
「お前に訊けないことが、俺に話してもらえるとは思わんな。」
「…でもねェさ。」
アイツだってお前が辛い思いをしてるのを知ってるんだ。もしかしたら心を打ち明けるかも知れない。
ま、あの鉄面皮があっさりと心を開くとは思えねェけどな、と笑ってみせた。
醍醐の瞳に微かな光が宿ったのに気付く。
そうだぜ大将。他人の面倒を見ることで己を支えているお前は、意外に脆い。それでも、そうしている方がお前には似合っているし、今は…そうやって立ち直ってもらうしかない。
「…分かった。それじゃあ早速、緋勇に話をしてみよう」

 しかし、教室に戻ると既に龍麻の姿はなかった。
マンションに押し掛けることも考えたが、「そう急ぐこともあるまい、明日登校してからでも良かろう。俺も少し、気持ちを整理したいしな」という醍醐の言葉に従うことにした。
 まさか、それが取り返しのつかないことになろうとは、思いもよらなかったのだ。

「今日も休み───か。」
一昨日、昨日と龍麻は学校へ来なかった。今朝のH.R.では、マリアが「誰か緋勇クンに連絡をもらっていませんか」と尋ねていた。
「風邪でも引いたのかなあ」と小蒔。
 そんなことで龍麻が三日も休むかよ。
不安を押し隠して、「珍しいよな」と何事もないように言う。
毎日電話をしても、一時間ごとにかけても、夜中になっても誰も出ないのだ。
一人で暮らしている以上、龍麻が出ない限り連絡の取りようもない。
 昨日、マンションを尋ねたが、部屋には人のいる気配がなかった。中で寝ていたり、倒れていることはなさそうだ。
だが、そのことはまだ、皆には言えなかった。何も分からない状態で、自分のように不安だけを募らせても仕方がない。
「何事もなければいいが…」
ちィッ。醍醐め、余計なことを。折角俺が気ィ遣ってんのによ。
すかさず小蒔が乗り出す。「何事もって?」
「まさか、お前、凶津がいってた事気にしてんのか?」
わざと大声で、殊更つまらない事のように言い捨てる。本当は、自分が一番その可能性に怯えているのに。
何でもない。何でもないのだ、鬼なんてこの現代に存在するわけがない。
だが、もう小蒔には通用しなかった。
………
 仕方がない、か。
「俺の思い過ごしかもしれんが、それならそれでいい。」
そう言いつつ醍醐が、放課後、龍麻の家に行くことを提案した。
「昨日行ってみた」と言いそびれて、しぶしぶ頷く。
…これで、龍麻の不在がはっきりして。それで、どうする?
 突然足元の地面が崩れたような錯覚が、京一を襲った。
俺達の誰も、龍麻を知らない。龍麻の行きそうな所、元の家族、好み、日課、俺達以外の知人、何も───何も知らないのだ。捜す場所も思いつかない。
俺は何をやっていたのだろうか。奴のことを知りたいと願い、語られない過去を理解したいと思いながら。
何も分かっていないのだ、俺は───

 校門に差し掛かる辺りで、マリアが声を掛けてきた。小蒔が元気に応えるのを聞く。
駄目だ。嫌なことばかり考えてしまう。しっかりしろ京一。これでは醍醐に何も言う資格などないじゃないか…
「あの…」
 突然の声に顔を上げると、紗夜が立っていた。
「おー、紗夜ちゃん!」
慌てて笑顔を作る。彼女は何も知らないのだから。
しかし、京一の気持ちをあっさりと覆すようなことを、紗夜は告げたのだ。
「緋勇さんを、救けて下さい───。」

 紗夜にもらった地図に書かれた場所には、外壁の剥がれた廃屋が建っていた。
「罠じゃないのかなァ」
 バカか。罠だったらどうだというんだ。龍麻を救けに行かないってのか?
カッとなって、「んなワケねェだろッ」と怒鳴ってしまった。
 違う、小蒔の言う通りなのだ。紗夜が龍麻と出会ったのが偶然ではないのなら、考えて然るべき事だ。
用心するに越したことはないな、と醍醐が賛同する。
「疑い深いヤツらだぜッ」
 照れ隠しなのか、強がりなのか自分でもよく分からないまま吐き捨てる。
ふと、美里が何か言いたげにこちらを見ているのに気付いた。
…美里は知っているのだろうか。俺が苛々しているのを。何故苛ついているかを。

 中に入っても、醍醐が気付いた振動音を探して地下に降りても、龍麻の姿はおろか、怪しいところ一つ見つからない。
京一は焦った。こうしている間にも、どこかで龍麻が───
「上へ戻ろうぜッ。地下には、なんも───
言いかけたとき。
 くぐもってはいたが、はっきりとした女の悲鳴が壁の向こうから聞こえた。
今のは…紗夜、か!?
悲鳴のした方へと走ると、突き当たりに扉があった。
体当たりをするような勢いで扉を開けると、そこには…

「緋勇くんッ!」「緋勇ッ!」
 中央に据え付けられた手術台の上で、身を起こそうとしている龍麻が目に入った。
上半身のあちこちには、何本ものコードやテープが貼り付けられ、手首には、今まで縛り付けられていたのか、赤く痕が付いていて痛々しい。
龍麻がこちらに気付いて、目を上げた。
 …………ッ。
 大怪我をしたときでさえ変わることのなかった顔色が蒼白としている。心なしか頬もげっそり痩けているようだ。辛そうに開かれた目は、しかし瞳だけがギラギラと光を放っている。
 たった三日で…。
かけるべき言葉が見つからない。
 龍麻を助け起こしながら、紗夜がこちらを振り向いて「緋勇さんを連れて逃げて!」と叫んだ。
その額には、少なくはない出血を伴った傷がある。今し方出来たばかりのもののようだ。
「紗夜ちゃん!」
龍麻を救けようとして、傷を負ったのだ。咄嗟に何があったのか理解した。
 治療を頼むと、美里がハッとして手術台の方へ駆け出す。
しかし、暗がりから突然大きな塊が飛び出して、美里の行く手を阻んだ。
驚いた美里が悲鳴をあげる。
 …なんだ、コイツは!?
異形の…者。
人ではない、それだけははっきりしている。
大きさより、その異常な形に盛り上がった筋肉が、うつろな目が、土気色の肌が、尋常の敵ではないことを示していた。
 大量の薬品や奇怪な形をした動物のホルマリン漬けを背に、こちらを呆然と見ていた男が、不気味な笑い声を立てる。
「くくく…分かったよ、紗夜。お前は、騙されているんだね、こいつらに───
 こいつが…? この白衣の男が、龍麻を攫い、紗夜を酷い目に遭わせた黒幕なのか?
白衣の男は、本棚の中に手を差し入れた。すると、奧の扉が開き、異形の者が次々と現れる。
龍麻がふらつきながら、構えをとった。
やるしか、ない。

 いつもの調子が出ない。
今まで見たこともない、土気色の死体のような敵に、生理的恐怖を感じるからか。
それとも、…龍麻の指示がないからか。
気丈にも眼前の敵を一撃で屠り、しかし、それで力尽きたのか、ふらりとよろける。
残った敵の攻撃を避けきれない───
「危ねェッ!」
 叫ぶと、反射的に龍麻が屈んだ。
練り上げた<<気>>を剣に送り込み、遠心力をつけるように飛ばす。鋭気は螺旋を描き、龍麻の上を通りすぎて敵を吹き飛ばした。
 壁にぶち当たって動かなくなったのを確認してから、龍麻の元へと駆け寄る。
消え入りそうな声で、すまん、と囁くのが聞こえた。龍麻らしくない。
崩れかけるのを横から支える。
蒼ざめた顔には、いつもと同じく感情の欠片も顕れてはいない。
 白衣の男に何をされたものか、あちこちに切傷がある。肌に直接埋め込まれた電極らしきものを見て、頭に血が上った。
 ───あの野郎、コイツの身体に何をしやがったッ!

 …刹那。
光が閃いて脇をすり抜けた。
いつの間にか近くに迫っていた敵が、奇怪な叫びをあげながら倒れる。
振り向くと、雨紋と紫暮が、先ほど京一達が入ってきた扉の前に立っていた。
どうしてここに…と思うより早く、雨紋が、気配を察したことを告げる。
 ちッ。油断して、借りを作っちまったな。
 しかも、自分を先輩とも思っていないらしい傲慢なこの「後輩」は、ここは任せて敵を倒してこい、などと言いながら、龍麻を引き寄せて抱え込んでしまった。
 うわ〜、センパイ、痛そうだな。
そんなことを言いながら、龍麻の体中に付けられたテープやコードを、無造作に引き剥がしていく。
カッとなって怒鳴った。
「もっと大切に扱え!」
「龍麻に触るな!」
「馴れ馴れしくすんな!」
何を怒っているのか、自分でもよく分からない。まるで子供の嫉妬のようだ。
 雨紋に大人しく身体を預けている龍麻が、ふと京一を呼んだ。
掠れた声で、力を振り絞るように、醍醐と紫暮への指示を託す。
 …馬鹿野郎。そんな状態で。
雨紋には腹が立つが、戦闘を早く終わらせて、龍麻を休ませねばならない。
踵を返して、苦戦している醍醐たちの元へ走る。
「醍醐、紫暮! 龍麻からの指示だ、同時に攻撃してみろ!」
あからさまに、醍醐がホッとしたのを見逃さない。「龍麻からの指示」とわざわざ断ったのは計算してのことだ。
「応ッ!」
醍醐と紫暮が同時に叫び、紫暮の方が、素早く「腐童」と呼ばれていた異形の者の後ろに回る。
囮として、ドッペルゲンガーの紫暮が腐童の脇腹に掌底を叩き込んだ。
まだ、実戦に使えないとか言っていたようだが、なかなかやるじゃねェかよ。
 腐童を挟んで、醍醐と紫暮が同時に<<気>>を放出した。
「うぉおおおおおおおオオッ!」
全身に<<気>>を張り巡らせたまま、全く同時に体当たりをかける。
烈しい光が腐童を包んだ。
 (───これはッ!)
二人から発せられた<<気>>が強力な「場」を生み出し、直接攻撃と同時に、何らかの現象を引き起こしたらしい。光が失われると、そこには岩のように固まった腐童が、膝をついたまま動かなくなっていた。
 攻撃をした醍醐たちも、思わず顔を見合わせている。
こんな<<力>>もあるのか。…龍麻は、知っていて指示を出したのか。
「ふ、腐童が…」
その声に、現実に引き戻された京一は、怒りを込めて木刀を振り上げた。
貴様のせいで、紗夜と龍麻は───ッ!

「事情はよくわからんが、こいつが緋勇を攫った犯人か。」
───のようだな。」
 怒りを込めて呟く。全く、殴り足りないぜ。
 …そうだ、紗夜は。
ひどく出血していたのを思い出して振り返ると、紗夜は、龍麻の腕に支えられて微笑んでいた。
…………。」
 美しくて、儚くて、痛々しい光景だった。
細い声で紗夜が語っている。
両親を事故で失ったこと。
二人きりの兄妹だったのに、引き離されたこと。
親戚に冷たくあしらわれたこと───
…緋勇さんに会えて良かった…そう言って、微笑む。
「そうだ…今度、どこか行きませんか…」
龍麻が頷く。
徐々に、色を失いつつある紗夜の頬は、これから訪れる悲劇が避けられないものであることを物語る。
「えへへ…。楽しみだなァ…」
儚い微笑みに、もう一度、龍麻が頷く。必ず…と呟く声は掠れていた。
目をひっそりと閉じた紗夜を見つめている。
少し眉をひそめて、俯きながら、ゆっくりと目を閉じる…。
 誰も動けず、声をかけることすら出来ない。
胸が締め付けられるような、哀しい絵が、そこには在った。

 突然。
「ちッ、役に立たない奴らだぜ───
何もいなかった筈の空間に、不気味な声が響いた。
「誰だッ!」
醍醐が叫ぶ。呼応するように、周囲の壁や床、天井から炎の柱が吹き上がった。
血塗られたような赤装束に身を包んだ般若の面が、炎の向こうに浮かび上がる。
炎角と名乗ったそれは、耳障りな笑い声を立て、京一たちを一人一人睨め付けた。
「…まさか、貴様ら…」
醍醐の形相が変わっていく。
そうだ。こいつらが、「鬼道衆」───
凶津を密かに葬り去った、一連の事件の黒幕。
 だが、炎角は妙なことを言い残すと、炎の中に消えた。
炎が既に回っていて、追うどころか脱出も危うい。
逃げようと、全員の顔を見渡し、紗夜の姿がないことに気付いた。
…いつのまに!
炎の向こうから、紗夜の声が聞こえる。
…わたしたちの犯した罪は、こんな事で贖えるものじゃないのはわかっています…
…みなさん、ありがとうございました…
…緋勇さん…
…わたし、もっと早くあなたに会いたかった…
 龍麻がフラリと前に出ようとするのを、雨紋が慌てて止める。
それでもまだ、龍麻は紗夜から目を逸らさない。
「…紗夜ちゃんッ!」
どうして死を選択する?
残された者の気持ちは…龍麻はどうなる?
だが、炎は情け容赦なく、紗夜と京一たちを引き裂いて行く。それ以上何も出来ず、仕方なく龍麻を引きずるようにして脱出口へとむかった。

 燃えさかる炎をじっと見つめている龍麻に、誰も声をかけることが出来ない。
美里が、そっと制服の上着を手渡して、何か言おうと口を開いたが、結局俯いてしまう。
どうして───
何故、こんな悲劇が繰り返されなければならないのか。
 遠くからサイレンの音が近づいてくるのに気付き、とにかくここから離れようと、京一は龍麻の肩に手をかけた。
 途端、龍麻の身体がぐらりと傾き、膝をついてしまった。
「…龍麻ッ!」
肩を支えると、初めて龍麻は京一を振り向いた。
いつもの強い光は、そこにはなかった。虚ろな瞳が京一を認める。
何か言いたげに、唇を開いたが…言葉になる前に、目が閉じられる。全身から力が抜けおちるのが分かった。
「…失神したのか。」
 醍醐が、ぐったりとした龍麻を背負った。意外に白い龍麻の肌に、残った傷跡が痛々しい。
龍麻の手から滑り落ちた学ランを拾って肩にかけてやる。
「とにかくこの場を離れるぞ。」
醍醐の号令に頷き、早足で廃屋を後にした。

 少し離れた高台から、未だ鎮火しないその場所をみやる。
「紗夜ちゃん…。」
結局、あの白衣の男…紗夜の兄も、鬼道衆に利用されていただけだった、ということか。
人の哀しい気持ちにつけ込み、何をしようとしているのか…醍醐が唇を噛みしめ、呟く。
 目的が何であれ、彼女を悲劇に巻き込み、死なせた。そして龍麻に新たな傷を負わせた。
怒りが膨れ上がる。
「鬼道衆…」
必ず倒す。この手で、仇をとってみせる。
 京一は、新たな誓いを心に刻み込み、愛刀を握りしめた───

06/06/1999 Release.