拾六
ノ前

魔獣行・前編 (上)

「…聞いているのか、京一。」
「聞いてるって。…お、コレ可愛いじゃん♪」
「ふゥ…。」
 コンビニの本棚で雑誌を物色している京一を、醍醐が渋面で見つめている。
学校の帰り道、話があると言ってついてきた醍醐の、要領を得ない話ぶりに、京一はいい加減苛ついていた。
わざと無視するように、雑誌をパラパラとめくる。
「は〜、やーっぱイイよな、さやかちゃんッ。」
「京一ッ。分かっているのか、本当に!」
「…分かんねェよッ!」
 ばし、と持っていた雑誌を乱暴に閉じて、京一もようやく醍醐の方に向き直って怒鳴った。
「何だってんだ! さっきから聞いてりゃ、ワケの分かんねェことばっかり並べやがって。ひーちゃんの気持ちだの、俺がしっかりしなくちゃなんねェだの、一体何が言いてェんだよッ!」
「だッ…だから…だな、お前達は、もっとキチンと…その、互いに腹を割って、話をすべきだと…」
「…ンなこた分かってんだよ! てめーに言われる筋合いはねェッ!」
 カッとなって、本気で怒鳴ってしまったことに気付き、慌てて口をつぐむ。
…………。」
醍醐は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに悲しげに眉を寄せた。深い眉間の縦皺が、心からの友情と心配を語る。
「…京一…。」
 喧嘩か、警察を呼ぼうかという表情で様子を伺う店員を牽制するため、手にしていた本をそのままレジに持っていきながら、京一は深く息を吐いた。醍醐に八つ当たりしても、仕方がない。
「…分かってる。だけど…怖ェんだよ。」
「!」

 怖い。
認めるのは嫌だったが、京一は確かに怯えていたのだ。
醍醐は「そうか…それは、そうだろうな…」と呟いたきり、それ以上は追求してこなかった。
奴には分かるのだろうか。自分が何を恐れているのか。
無意識に、袱紗を握りしめる。中の水龍刀から、冷涼な<<気>>を感じて、少しホッとする。
 俺は…お前らと同じなのか? 違うのか?
目指すもの、見ているもの、こんな風に迷うのも怖れるのも、同じなのか?
醍醐の中にもこの感情は、在るのか? 龍麻には?

 ───俺は本当に、この街を、仲間を護りたくて闘ってるのか?


「よッ、ひーちゃん。へへへッ」
 朝になればいつもと同じ、平和な生活がある。
遅刻して教師に叱られ、級友とふざけ合う、暖かく、ぬるい日常が。
それが嫌なのではない。
しかし、違和感を拭い去ることも出来ない。
「いいモン見せてやるよッ。ほら、これ…今をときめく現役女子高生アイドル、舞園さやかちゃんだぜッ。」
俺はただ、平和な日常を演じているだけだ。そうすることで、自分はこの平和が好きなんだと言い聞かせようとしている。
虚構にしがみついているだけ───
…………。」
 悪ふざけをするように、龍麻にあれこれ話しかけながら絡み付いた。
龍麻の、静かで烈しい<<気>>を感じる。
「さやかちゃんに比べたら、ウチのクラスの女共なんて…」
龍麻は何も言わない。京一が何をしようと、気にも留めていないようだ。
「好きにしてろ」と言いたげな横顔にしがみつく。
「月とスッポン───、いや、提灯に釣り鐘、いや、盆と正月───
(…ひーちゃん…俺さ…俺は…)

「それは、どっちもメデタイだろッ、このバカッ!!」
「どわッ!!」
 いきなり小蒔にどつかれた。じっとしていた龍麻は、その襲撃に気付いていたのか、ひょいと首を竦めて、とばっちりを避けている。
───ッて、お前なァ!! 出てきていきなり殴るこたねェだろォ!?」
 大袈裟に転がって、小蒔に怒鳴る。小蒔が言い返す。
その様子を、穏やかに龍麻が見つめている───口元に、微かに笑みさえ浮かべて。
 これが、俺の、日常だ。安心出来る生活だ。
仲間と一緒にいる、大切なひととき。これを護るために闘っているんだ。
龍麻と、同じ…同じ理由の筈だ。
そうだよな、ひーちゃん。

「けど、京一がそんなに舞園さやかのファンだったなんて、ボク、知らなかったなァ。」
 小蒔の台詞に我に返った京一は、自分の本来の目的を思い出した。
以前、カラオケに強引に連れて行かれたとき、龍麻は舞園さやかの曲を歌った。
単に彼女が、あるいは曲が好きなのかも知れないが、普段の生活ぶりを目の当たりにしている京一には、それも納得がいかない。流行の曲どころか、TVもラジオも自分からスイッチを入れる事さえないのだ。せいぜい朝のニュースを見ている程度で、後は完全に京一の好きなようにさせている。
元々ファンだったので、随分前から彼女の話を龍麻にしていた気はする。だが、TV番組をチェックする程マメではないので、一緒に曲を聴いたことは殆どなかった筈だ。とすれば、龍麻は自分から積極的に舞園さやかの歌を聴いている、としか考えられない。
 さやかの歌には不思議な力があると言われているのを、京一も知っていた。奇跡などというものはあまり信じてはいないが、自分達と同じ<<力>>の発現だとしたら、考えられないことではない。
 この龍麻が、興味を示している───それだけで、答は出ているようなものだ。だがそれをどう尋ねれば、この鉄壁の仮面から聞き出せるだろうか。
 しかし京一が迷っている間に、小蒔があっさりと尋ねた。
「ねェ、龍麻クン。もしかして、龍麻クンも、こういうコが好みだったりして?」
案の定、龍麻は表情を崩すことなく否定してみせる。
 …やっぱりそうかよ。
スキでもねェのに興味を持ってるってことは、彼女は俺達と同じ<<力>>を持つ者…そうなんだろ? どうしてハッキリ言わねェんだ?
「俺の愛するさやかちゃんを侮辱するたァ、いい度胸だッ!!」
わざと怒って、刀の入った袱紗を突きつけてやると、龍麻は微かに眉根を寄せた。少しは困惑したのだろう。
さァ、言えよ。「違う」と。「彼女は<仲間>だ」と。
 しかしタイミング悪く、醍醐達が割り込んできてしまったため、何事か言いかけていた龍麻は、また言葉を飲み込んでしまったようだ。

 一瞬失望しかけた京一だが、まださやかの話題は続いていた。
 京一が彼女を好きな理由は、「奇跡の歌声」とまで言われる歌や、現実に居るのかと疑ってしまう程に愛らしく華奢な姿形もあったが、その言動や立ち居振る舞いが好ましいためだ。
わずか十六歳にして「平成の歌姫」と呼ばれ、アイドルとして地位を確立し、学生生活もままならない程仕事をこなしているのに、TVで見る彼女はいつも明るく、素直で楽しそうである。
芸能人であるからには、そういった姿も「演技」でしかないのかも知れないが、彼女の透明なほどに清らかな笑顔は、とても演技とは思えない程優しげで、しかもどこか芯が通っているように感じられる。見る者全てに安らぎを与えるのは、そんなところから来ているような気がするのだ。
「本当にそうなら、会って話をしてみたいわ。それに、そんな人が私たちの仲間になってくれたら、とっても心強いでしょうね。」
 美里の台詞に、ハッとして龍麻を振り向くと、丁度こちらを見つめている視線にぶつかった。
 一瞬。
強い意志が、前髪の奥に閃く。
「…ああ。」
口にしては短い答だったが、京一は気付いた。
龍麻が、心から彼女を<仲間>にしたいと思っている事を。
(やっぱりな…へへへッ。)
自分の予想が当たった事に気を良くして、「早速会いに行こう」と立ち上がる。
 ところが、どこに居るか、本当に<仲間>なのか、そうだとしても彼女が本当に共に闘う気になるか、何も分からないということで、全員に否定されてしまった。
言われてみればその通りで、いきなり会いに行って「俺達と一緒に東京を護ろう!」などと言える筈も、また承知される筈もないのだ。
 今度こそ落胆しつつ龍麻に視線を送る。
龍麻も、それに応えるようにこちらを向き、「解っている」と言いたげに、微かに頷いた。

 レポートを提出する美里と、それにつき合って龍麻が教室を去った後、残された京一達も昇降口へと向かった。ゆっくり歩いて、校門の辺りででも、待っているつもりだった。
「ねッ、ねッ。イイ感じじゃない? やっぱりッ。」
「ん? 何がだ、桜井。」
「んもー、醍醐クンはニブいんだからッ。京一は分かったろ? 龍麻クン、最近ちょっと葵に積極的になってきたって! 今だって、一緒に職員室についてってくれたしさ。」
 確かに以前と比べれば、龍麻は随分打ち解けて、美里に接するようになってきた。
しかし、前に強引に事を運ぼうとして失敗しているため、ここで妙に囃したてて、また龍麻を頑なな状態に戻すわけにもいかない。京一はさり気なくかわした。
「ああ…。職員室に、用でもあったんじゃねェの? それか、美里に何か話でもあったんだろ。」
「ええッ? そんなことないよォ!」
……桜井。お、俺もそう思うぞ。龍麻は、特別美里に肩入れしてるというわけでは…な、ないんじゃないか?」
京一の言動に何か感ずるところがあったのか、醍醐も賛同してみせる。小蒔は不満そうに「何だよそれー」などと反論していたが、二人とも乗り気ではないのを見て取ると、「まァ、後で訊けば分かるからいッか…」と引き下がった。
(ちッ。二人が帰ってきたら、小蒔の注意を逸らすようにしねェとな。)
軽く肩を竦めると、醍醐が咳払いをした。
「あ…あー、京一…その、桜井は、全くその、悪気はないと思うんだが、…だから…。」
「わーってるッて。お前が気を揉むこたァねェよ。」
受け流して、ふと京一は醍醐の顔を振り仰いだ。元々深刻に考え過ぎる醍醐だが、特に最近は、異様に心配性になっている気がする。
それ程、自分の不安は態度に出てしまっているのだろうか───そう思うと、自己嫌悪で胸が悪くなるようだ。

───アラ、アナタたち、今帰りなの?」
「あッ、マリアセンセー!!」
 声に振り向くと、プリントを抱えて階段を下りてきたマリアの姿があった。
「先生も、今、お帰りですか?」
「フフフ。そうだといいんだけれど。もう少し、やるコトが残っているのよ。」
苦笑しながら否定したマリアは、話題を変えた。
「ところで───、この前の縁日の夜に…、妙なコトがなかったかしら?」
「えッ?」
咄嗟に嘘を付けない小蒔が、動揺の声を上げる。京一は全く気付かないふりで答えた。
「何だよせんせ、何かあったのか?」
何か騒ぎがあったようだから…と言葉を濁しながら、全員を見渡す。
「アラ…緋勇クンは? 一緒じゃないのネ、珍しいこと…。」
「あ、た、龍麻クンは葵と職員室に行ったんだよ。すぐ来ると思うけど…センセー、龍麻クンに用だったの?」
「いえ…そう、美里サンと…。」
 ちらりと、マリアの表情に翳りが見えた。
(…? 何だ? せんせ…まさか、シットしてる? なんてこたァねェよな。)
「マリアせんせ…。やけにひーちゃんのコト心配するんだな。」
「アラ、そんなことはないわよ。ワタシはアナタたちミンナのコトをいつも心配してるのよ。いつも…ね。」
カマをかけてみても、いつもの微笑を浮かべて答える姿に、動揺はない。
(オトナの女だもんなァ…この程度でボロは出ねェか。)
「とにかく、アナタ達、危険な事件に巻き込まれたりしないよう、これからも気を付けてね。」
そう念を押して立ち去る後ろ姿を見送る。
 彼女も、やはりあの龍麻に心惹かれている者の一人なのだろうか。それとも、他に何か理由があるのだろうか。
犬神といい、どうもこの学園に集まっている人間は、教師すらどこか胡散臭い気がする。
 その疑念の後押しをするかのように───
龍麻と美里はほどなくやって来たのだが、様子がおかしいのが一目で分かった。
美里の表情が強張っている。顔色も悪いようだ。第一龍麻が、美里と並ばずに、数歩先に歩いてきたのが変だ。仲間を護るように、歩調を合わせるように、隣か後を歩くのが常の龍麻である。
「どうかした?」
小蒔が尋ねても、美里は「何でもない」と言うばかりだった。
犬神にでも何か言われたか、龍麻と何かあったのだろうか。
 笑顔を取り繕って小蒔に話しかけている背中を眺めながら、龍麻の右に並び、小声で「何かあったか?」と尋ねてみる。
龍麻は視線を落とし、「いや…」と言いかけたが、思い直したように京一へと視線を向けた。
「ある。……かも知れん。」
何があって、何かを感じ取ったのか。
具体的なことは何一つ解らなかったが、どうやらまた「事件」が起こるらしいことを、京一はその一言で理解した。

「ひゃ───ッ、今の風、すっごく冷たかったよ。」
 呑気な小蒔の声に相づちを打ちながら、周囲を見渡す。
(鬼が出るか、蛇が出るか…ッてな。へへッ、退屈する暇もねェや。)
それくらいでないと、余計なことばかり考えてしまうからな…と内心で自嘲する。
 その時だった。

 ─────────!?

 何かが、見えた。
「ッ…!」
慌てて振り向いたが、特に奇妙なものも、人間も見あたらない。
 何だ…?
自分でも、何が見えたのか解らなかった。
 何だ? 俺は、何を見て「ヘンだ」と思った?
目の端に残る映像を、必死で思い出す。
 …紅。
紅い、残像。息詰まるような、───視線。
確かに、「何か」が居た。「それ」が自分達を視ていたのだ。
「京一。なに見てんの?」
「え…。いッ、いや、今の風で、あそこのオネェちゃんのスカートが───。」
適当なことを言って誤魔化しながら、京一は、辺りに気を配った。
こんな街中で何かが起きるとも思えなかったが、今まで感じた事のないような不気味な「影」である。注意するに越した事はない。
 京一が路地の小競り合いを発見したのは、その副産物であった。

「きゃあッ!!」
 短いが鋭い悲鳴に、さっさと走り出す。
龍麻が反応したという事は、先ほどの紅い影の仕業であれ何であれ、単なるチンピラ同志の小競り合いではない筈だ。
そう確信しながら路地に飛び込むと、どうやら「余所者」らしい学生達が、やはり見覚えのない学生服の少年を締め上げようとしているところだった。少年の後ろに、先ほどの悲鳴の主らしき少女が身を寄せている。
「人ん家の庭先で、いたいけな少年少女をいたぶろうたァ、ちょいとオイタが過ぎるんじゃねェか?」
 一目見て雑魚だと解る連中に、少々当てが外れた気もしたが、この程度の手合いは元々京一の守備範囲だ。
ひーちゃん、お前の出番はなさそうだぜ、と心の中で呟いて、京一は言い放った。
「この俺を知らねェたァ、とんだド田舎モンだぜッ。新宿、真神一のイイ男。超神速の木刀使い、蓬莱寺京一様とは、この俺のことよ!!」

 醍醐と京一の名に覚えがあったらしい男達が、妙な捨て台詞を残して立ち去った後、京一は信じられないものを見た。
「ま、まさか、本物の───、舞園さやか、ちゃん!?」
「あッ…、はい。舞園さやかです。…よろしくお願いしますッ!」
なんと、絡まれていたのは、あの舞園さやかだったのだ。
 偶然?
そんな馬鹿な。
彼女の話をしていたのは、つい先ほどのことだ。こんな偶然があってたまるか。
思わず龍麻を振り向く。
(なァ、これは偶然なのか? それとも何かの意志が働いてやがんのか!? こんな…)
何も解っていないさやかと、彼女のボディガードを自称する少年───霧島諸羽は、屈託なく笑いかけてくる。
「あの、緋勇さんもさやかちゃんのファンなんですか?」
霧島の問いに、力強く頷いた龍麻は、全て当然だと言わんばかりだ。
(「宿星」とか…言ったか。こういう出会いもみんな、前世だとか宿命だとかいう、ワケのわからねェモンの仕業だってのか…)
 さやかと、さやかのボディガードだという霧島に、京一はわざとそっけない態度をとってみた。
「さって…それじゃ、俺たちはそろそろラーメン屋へ行くか。」
普段の自分なら、それこそこのチャンスを逃すまいと、彼女にサインをねだったり握手を求めたりしてみせるだろう。しかし、これは「普通の出会い」ではないかも知れないのだ。このまま今生の別れになるのか、その前に龍麻が引き留めてくれるのか…賭けるつもりだった。
「あッ、もしよかったら、さやかチャンと霧島クンもどう?」
(チッ。小蒔のヤツ、余計なことを!)
龍麻のリアクションによって、この出会いが偶然でないのか、龍麻が予期していたかどうか、少しは解ると思ったのに。
「いいんですかッ!? あの、実は私も…、少しお腹が空いてたんです。」
もう少し話がしたかったと告げる屈託のない笑顔に、複雑な気分が込み上げる。
 それでも京一は気を取り直し、彼女との「運命」を素直に喜ぶことにした。考えても分からない事で、思い悩む必要もないだろう。
 少し遅れて全員の後を追うと、いつも通り最後尾についていた龍麻が振り向いた。追いついて、その肩に腕を回す。
「…へへッ、やったな。」
そう言ってみると、龍麻も頷いた。
「…ああ。」
涼しげな視線を、二人の背中に向ける。
「へへへッ。ちょっとコブ付きなのが、邪魔かもしんねェけどなッ。」
自分達の<<力>>の話をするのに、一般人───霧島という少年がいては面倒だな。
そういった意味のことを、普通にも取れるような言い方で言ってみたのだが、意外な事に龍麻は京一の顔を振り向き、きっぱりと首を横に振った。
「…彼にも…用がある。」
………!?」
どういうことなのか。あの非力そうな少年も<仲間>だというのか? それとも…
「おーいッ、龍麻クン! 京一! ホントに置いてっちゃうぞッ!」
小蒔の声に上の空で応えながら、京一は背筋にぞっとするものを感じた。
 何もかもが。
本当に何もかもが、宿星のままに導かれているというのだろうか…?

 ラーメン屋に入ると、普段は龍麻といい勝負なほど無口な店主が、すっかり相好を崩して、さやかに握手とサインを求めた。
たまたま他に客は入っていなかったが、こんな調子では確かに、アイドルなど疲れるばかりだろう。
 しかし、狭くて小汚いラーメン屋に座っていても、塩ラーメンなどと庶民的なものを食べていても、舞園さやかは低俗性とは無縁のようだった。
細く小さな指で割り箸を割る。嬉しそうにレンゲで汁を啜る。隣の霧島に「美味しいね」などと笑いかける。
芸能界という特殊な世界にいるせいなのか、さやか自身の才なのか、「TV画面の向こうにしか居ない美少女」は、今こうして目の前にいても、その妖精のような魅力を損なわない。
「普通、感動するよなッ、ひーちゃん?」
思わずいつもの癖で同意を求めたが、龍麻には理解出来ないようだった。
 ふと、龍麻も似たような「魅力」の持ち主なのだと気付く。
どこにいても乱れない、どこか超越したような態度を崩さないところが、どうしても「一般人とは違う」という印象を人に与える。
「アイドル」とは全く違うが、人の目を惹き付ける点では同じなのかも知れない───そんなことを考え、また京一は奇妙な焦燥感に囚われるのだった。

 だが、さやかの一言が、京一の複雑な感情に更なる打撃を加えた。
「ふふッ。霧島くんったら、さっきからずっと蓬莱寺さんに見惚れてたでしょう?」
「ち、違うんですッ!! 僕はただ、その…、格好いいなァとおもって…。」
……へッ?」
子犬のように純粋で真っ直ぐな、少年(年が二つしか違わないとは思えない)のキラキラした瞳に、思わずたじろいでしまう。
 先ほど、ただ後ろで控え目に立っていた龍麻に、霧島は「緋勇さんもさやかちゃんのファンだなんて、嬉しいなァ!」と頬を上気させ笑いかけていた。明らかに媚を売っているような態度に苛ついた程だ。
西洋剣術を習っているとか、さっきの啖呵が格好良かったとか並べているが、その豹変ぶりについていけない。
「僕、蓬莱寺さんを尊敬しますッ!!」
「ソッ…ソンケー!? そんな言葉…、いわれたことある? 京一。」
……。」
 元々、部活で懐いてくる後輩や、キャアキャアと黄色い歓声を上げる下級生などには慣れていた。しかし龍麻が転入してきてからというもの、親しくなる男も女もこぞって龍麻を頼るので、しばらく忘れていた気がする。
 混乱している間に、霧島は龍麻にぎょっとするような質問を投げつけた。
「緋勇さん…。蓬莱寺さんを尊敬しちゃいけないなんてこと、ありませんよね?」
「ああ。…オレも…尊敬してる。」
何だとォッ!?
俺をか? 何で? ひーちゃん、何でそんなことを言うんだよッ? 冗談なのか? それとも…
「京一先輩───ッて、呼んでもいいですかッ!?」
「はッ…? えェと、そりゃあ、まァ…これといって、ダメな理由もねェが…。」
「じゃあ、いいんですねッ!?」
霧島のペースに巻き込まれたまま返事をしながら龍麻の顔色を窺っても、何の表情もないままだ。
変に思わねェのか。本当は、鼻で笑いたいんじゃねェのか。俺を尊敬してるなんて、そんなの嘘だろ。霧島に合わせてるつもりなのかよ───
 妙な事を考えているのに気付いて、京一は頭を振った。
何を考えてんだよ。何でそこまでヒクツになってやがんだ、蓬莱寺京一ッ。しっかりしろ!
自分の腕に自信はある。そんじょそこらの奴らには負けねェ。ガキが慕ってくるのは当然じゃねェか、そうだろ。ひーちゃんだって…ああ、きっと冗談のつもりなんだろう。根が真面目だから、笑えねェ冗談しか言えねェんだよな。
…いつからこんなウジ虫野郎に成り下がっちまったんだよ、俺は…。
 深く落ち込みそうな気分を振り切って、京一は話題を変えようと、言葉を探した。
「それより───えェッと、霧島。中野の帯脇ってのは、お前らの知り合いか?」
さやかが、ハッと貌を曇らせる。
先ほど絡んでいた連中が口にした名前。この男が、さやか達に何か仕掛けているらしいのは、あのやり取りで想像が付いていた。
(とにかく、こんな下らねェことを考えてるくらいなら、さっきの連中とやりあってる方がマシだぜ…)
 霧島も表情を引き締めて、帯脇の奇行について話し出した。
帯脇はさやかの異常なファンで、待ち伏せや尾行を繰り返しているという。
「その帯脇ってヤツ───、おかしな<<力>>を持ったヤローじゃなきゃいいけどな。」
少々強引に、<<力>>のことに話をふってみると、さやかが自覚していただけでなく、霧島もそれを知っていたことが分かった。
 自分達が同様の力を持った人間であること、大切なものを護るために闘ってきたことを告げる。
龍麻に「安心しろ」と力強く肯定されたさやかは、心の底からの笑顔を見せた。実は彼女もずっと不安を抱えていたのだろう。
そんな想いも悩みも押し隠して、人前でも、自分達の前ですら、一点の曇りもないような笑顔を保っていた少女。何となく感じていたさやかの「芯の強さ」を、垣間見た気がする。
京一達は改めて、さやかと霧島の手助けをしようと誓った。
 噂の男が現れたのは、その直後である。まるでタイミングを計っていたかのようだった。

 帯脇は、話に違わぬ不気味な雰囲気を持つ男だった。
嫌がるさやかに舐め回すような目線を送り、霧島を嘲り笑う。京一達にもぞんざいな態度を隠さない。
いけ好かない野郎だと思ったが、同時に、その異様なまでの自信にも驚いた。
驕るつもりもないが、自分達の名を知っているなら、こうまで自信たっぷりにはいられない筈だ。「普通の学生」であれば。
第一、一人も手下を連れていない辺りに、その自負が現れている。
こういった輩は己の力を誇示するため、多くの部下を連れ歩きたがるものなのだ。
(こりゃァ、マジでヤバイ奴かも知れねェな───
脅すだけ脅して、やはり全く警戒することもなく背を向け立ち去っていくのを見て、京一はチッ、と舌打ちした。
どう捉えたのか、本当に済まなそうに霧島が頭を下げる。
「皆さん…ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。」
「別に、お前が謝ることはねェよ。」
 ちょっと妙なヤツだと思っていたが、霧島は「好きな少女を護るために必死で闘っている好漢」とみて良さそうだ。意外に芯もしっかりしているし、何より迷いのない眼をしている。
こういう部分を、龍麻は先に見抜いていたのかも知れない。
「霧島、何かあったら、遠慮しないで俺たちを頼ってこいよ。」
「はいッ、京一先輩!!」
嬉しそうに頷く、ぶんぶんと尻尾を振りそうな笑顔にはどうにも退いてしまうが、それも素直なだけなのだろう。
 手を振り、何度も振り向きながら去っていく二人───新たな<仲間>かも知れない二人を見送って、京一達もそこで解散することにした。
「あの薄気味悪りィ野郎のことは、明日にでもアン子に頼めば、すぐ情報が入るだろうぜ。」
「そうだな…余り危険なことはさせたくはないが、やむを得まいな。」
「アン子は放っといたって…ッてゆーか放っとくと、自分から危険に突っ込んでいくタイプだよ。」
「うふふッ、そうかも知れないわね…でも本当に、注意してもらった方がいいわ、きっと。」
 それじゃ明日…と五人各々に別れ、帰路に就く。
訊きたい事は山程あったが、先ほどの「冗談」のことを思うと、今日は龍麻の部屋に寄る気にはなれなかった───

2001/04/15 Release.

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