拾六
ノ後

魔獣行・後編 (下)

 さやかと霧島に関わる事件については、後ほどアン子に調査を頼み、改めて対策を練る筈だった。
実際、翌日の午後には話もつき、数日中に動ける筈だったのだ。
しかし、その日の放課後すぐ、敵は考えていた以上に甘くない事を思い知る羽目に陥った。
「たッ…、大変なの〜ッ!! とにかく、大変なの〜ッ!!」
霧島が「何か」に襲われ、意識不明の重体で桜ヶ丘に運び込まれた事を、舞子が知らせに来たのである。
(畜生…ッ。昨日の今日で、もう手出しをしてくるとは、甘く見ちまってたようだぜ───
半分は帯脇に、半分は油断していた己に腹が立つ。

 ───僕も、自分の大切なものを護れるように、強くなりたいんです。
 ───だから、僕にもみなさんみたいな<<力>>があったらなァって…。

 そう言って微笑った顔を思い出した。
(畜生。強くたって、<<力>>があったって、大切なものを護れねェんじゃねェか。俺の馬鹿野郎ッ。)
 さやかは明らかに自分達の<仲間>らしい。
だが霧島は、多少は腕が立つのかも知れないが、普通の人間だ。…龍麻が認めているらしい疑念は残るが、とにかく京一が見る限り、少々西洋剣術を学んでいるというだけの少年だった。
そんな彼が、尋常ならざる闘いに巻き込まれてしまったのである。
普通の人間には耐えられないであろうことを、我々は知っていたのに───
「あの野郎、許さねェ…霧島に何かあったら…ッ」
 やり切れない思いを怒りに転じるため、声に出して吐き出すと、隣を走っていた龍麻が振り向いた。
……済まん。」
 見ると、微かに眉を寄せ、唇を噛みしめた貌が京一を見つめている。
龍麻は、あるいはこの襲撃を予測していたのだろうか?
これも宿星のままに進んでいる流れだとでもいうのだろうか。
「…何でてめェが謝んだよ。」
 未だに語られない「真実」。
届きそうで届かないそれへの憤りをそのままに睨み返すと、龍麻はスッと視線を逸らした。
 まただんまりかよ…
もし霧島に万が一のことがあったら、その時はてめェを締め上げて、知ってる事全て吐かせてやる。今度ばかりは遠慮しねェ、その権利が俺達にはある筈だからな!
 それでも頑なに口を閉ざすだろう男に、ただ八つ当たりをしているのに気付き、舌打ちをする。
とにかく今は、「万が一」など無い事を祈るしかない。

 桜ヶ丘に着いた一行を待っていたのは、予想だにしない出来事だった。
「お前たち───!? 早く、逃げるんだよッ!!」
美里と高見沢がその<気配>に気付いたのと、岩山の叫びはどちらが早かっただろう。
集中治療室らしき奥の部屋の扉が開くと、岩山の姿より先に、得体の知れない靄が、這いずるように現れたのだ。
何かは解らないが、本能がそのおぞましさ、危険を告げる。
 皆が無意識に数歩退いた中、だが龍麻だけは動かなかった。
まるで、後ろに居る全員を庇うように───
「緋勇───!!」
岩山の呼号が耳に届いた時には、龍麻はもうその靄に飲み込まれていた。
………ッ」
 靄はまるで生き物の如く、喩えるなら大きな白蛇の如く、龍麻に巻き付いている。
思わずその身体に手を伸ばした京一だったが、同じく行動に出ていた他の仲間達と共に、一拍遅れてその靄に取り込まれてしまった。
 京一の脳裏に、不気味な怪物の姿がぼんやりと閃く。
(何…何だ、こいつはッ…!)
数瞬の後、これが「靄」の正体であることを、感覚的に理解した。
はっきりとは見えないが、人の形を模した爬虫類の怪物が今にも跳びかからんとしているのを感じ、思わず身を竦める。
 だが、竦んだのは京一だけではなかった。
何か恐ろしいものを見たかのように、化け物はその動きをピタリと止めた。
小刻みに身を震わせ、何事かを呻るように呟くと、慟哭とも罵声ともつかぬ奇声を残し、消え失せたのである。

「…つまくん!!」
「龍麻、大丈夫か!?」
 仲間達の声がゆっくりと耳に届き、京一も我に返った。
(今のは…何だ? 何故化け物は逃げた? 俺の何を見て驚いて…いや、違う。)
あの驚愕と恐怖は、自分に向けられたものではない。
あれは真っ先に対峙した人物───龍麻に向けられたものだ。
剛い意志の力に敗して追い払われたのか、その秘められた<<力>>に恐れをなしたのか。
それとも───
 仲間達に声をかけられ、何事もなかったように涼しげに頷いてみせた「親友」は、京一を振り向き、じっと見つめている。
その様子は、今のやり取りを聞かれたか、京一が何か気付いたかと懸念を抱いているようにも見える。
思い返してみると化け物は、龍麻に何か告げていた様子だった。
残念ながらよく聞き取れなかったのだが、あれは一体───
「先生、一体、今のは何だったんですか?」
「うむ。どうやらあの霧島という少年に取り憑いていた思念のようだ。」
 思い切ってその事を龍麻に尋ねようとしていた京一は、岩山の言葉で大事を忘れかけていたのに気付き、頭を振った。

 霧島は何とか危険な状態からは脱したものの、先程の邪悪な「蛇」の毒───呪詛に近い強力な怨念に侵されている、と岩山は説明した。
そのことと、八岐大蛇という怪物との関連性は、伝承等に疎い京一にはピンと来なかったが、先ほど垣間見えた思念体は確かに、「大蛇の化物」という言葉がしっくりくるように思える。
帯脇が八岐大蛇の生まれ変わりなのか、大蛇の力だけを会得したのかは判らないが、これが「変生」と同じもの、もしくは似たようなものと考えれば、あり得ないことではない。
(となると、鬼道衆のように裏で糸引いてやがるヤツがまた居やがるのか…それが九角の言っていた「真の恐怖」だとしたら、そいつは誰で、何の目的があるってんだ。何にしろ、九角より難敵だって事には違いねェってか…)
 その時、奥の部屋から物音が聞こえ、京一は沈思を止めて振り向いた。
「行かなくちゃ……。僕は…、学校へ…」
ドアに寄りかかるようにして立っていたのは、何と重体の筈の霧島だった。
「お前…、そんな体で何いってんだッ!!」
 慌てて駆け寄り、その体を支えるように掴んでギクリとする。
強力な毒素とやらのせいなのか、霧島の身体は冷え切っていて、今にもその生命の灯が消えようとしているように思えたのだ。
だが、力の入らない四肢を無理矢理動かそうとしながら、絶え絶えにさやかの名を呼ぶ。
「必ず護るって約束したのに…。僕に力があれば…、<<力>>が……。」
霧島の声は途中で途切れ、身体から全ての力が抜けるのが伝わってきた。どうやらまた意識を失ったらしい。
 霧島…何言ってやがる。お前は十分力があるさ。大切なものを護ろうっていう、一番大事な心の強さがよ。
弱くなんかねェ。俺の心の強さなんぞ、お前の足下にも及ばねェだろうぜ…
「せんせ…、そいつのこと、よろしく頼むぜ。俺の大事な…、一番弟子だからよ。」
 その単語を口にした途端、遠い過去の記憶が蘇る。

『アンタの弟子になんかなった覚えはねェよ!』
『けッ! 俺だっててめェなんぞ弟子にした覚えはねェ!』
 そんな下らない言い合いばかりしていた日々。
『お前みたいな馬鹿でも、ま、大事な弟子だからな。』
そう言って微笑った顔が照れ臭く、そっぽを向きながら『ヘッ、俺は別に師匠なんか大事じゃねーよ。』と応えたのは、修行を始めてどれ程経った頃だったろうか。
「わかっておるよ、京一。」
 京一が誰を想い、何を決意したか、岩山は感じ取ったようだ。
息子を見守る母のような笑みを浮かべ、大きく頷いて見せた。

◆ ◆ ◆

 さやか達の通う文京区・鳳銘高校に到着したのは、街並みが少しずつ赤く染まり始めた頃だった。
美里が感じている「嫌な気配」というのを頼りに、校舎に入る。
帯脇が部下を引き連れて「さやか狩り」をしているなら、学校中が大騒ぎしているだろうし、すぐ居場所は知れる筈…という京一の予想は、外れた。
構内はひどく静まりかえっている。
事件が起きていない───どころか、通常の放課後の喧噪もないのは、却って奇妙だ。
 龍麻が促して美里が声をかけた、教師らしき人物の尋常成らざる様子が、その違和感に益々拍車をかけた。
「キミたち…、僕の王様をしらないかい? 僕らの王様はどこだい? 僕の───、カラスの王様は───。」
「唐栖」と聞いて、全員に緊張が走る。
以前、世界を変えるだの神に選ばれただのと言って、カラスに人間を襲わせていた人物を思い起こしたためだ。
 何を尋ねても狂っているとしか思えない返答を返すだけなので、「もう放っとこうぜ」と言いかけた時、さやかの悲鳴が上の方から聞こえてきた。
(まさか…間に合わなかったのか!?)
焦りつつ階段へと急ぐ。
 龍麻が遅れているのに気付いて振り向くと、狂った教師に何かを言いかけているところだった。
だが結局、小さく首を横に振り、何も告げることなく踵を返し、こちらへと走ってくる。
何か気になることがあったのか、男に何を告げるつもりだったのか知りたいところだが、今は醍醐の言う通り、「さやかを助けるのが先」だ。
すぐに追いつき、京一と肩を並べて階段を駆け上るその横顔には、やはり何も顕れてはいなかった。

 幸いなことに、さやかは無事だった。
丁度階段を下りてくるところに出くわし、皆がほっとする。
「どうやら、無事だったようだな。」
「もう大丈夫だよ、さやかチャン。」
口々に声をかけると、さやかの顔に安堵の、泣き笑いのような表情が浮かんだ。
(可哀想に…一人で、相当怖かったろうな。)
 初めて見る顔───アイドルとしての透明な、一つの曇りもないような笑顔とは違う、人間らしい笑顔に、と胸を衝かれる。
京一は、やっと「舞園さやか」を「普通の女の子」と感じることが出来たのだった。
 しかもその思いは、龍麻の思いがけない台詞で、更に強く感じざるを得なくなったのである。

「さやか…お前は、オレが護る。」

 その台詞に驚いたのは、言われた当人より真神のメンバーの方だったろう。小蒔などは、顎が外れんばかりに口をぽかんと開けている。
 さやかも驚いたようだが、みるみるうちに頬を染め、
「まさか緋勇さんが来てくれるなんて、おもってもみなかったから…。私…嬉しいです。」
と囁いた。
その台詞からすると、どうやら昨日会った時から既に、さやかは龍麻に好意を持っていたようだ。
それが恋愛まで達する程の想いかどうかはともかく、今の龍麻の台詞で誤解してしまってもおかしくはないだろう。
(ッたく何だってんだよ、普段俺達…いや美里なんかには、嫌ってるかのような話し方しかしないクセに。結局ひーちゃんもただの男、実は美少女アイドルのさやかちゃんを狙ってた、なんてんじゃねーだろなッ。)
少し悲しげに目を伏せた美里が哀れで、つい腹を立ててしまう。
 だが、当人はそんな「情熱的な愛の告白」とも取れるような台詞を吐いた割に、さやかの傍からすぐ離れ、階上の様子を伺っている。
それ程深い意味はなかったのだろうか。
美里は遠慮がちに、さやかもまだ嬉しそうに、その背中を見つめているというのに。
(解ってるにせよ、いないにせよ、罪作りだぜ、ひーちゃん…。)
「妙だな…。これだけの騒ぎを、誰も聞き付けて来ないとは、どういうことだ?」
 醍醐の疑問に、京一は意識を当面の問題へと戻した。
 さやかの説明からすると、構内の人間はみな何かに取り憑かれたようになっているようだ。
先程の教師の様子を思い出す。
「どうやら、帯脇に直接聞いた方が早そうだな。」
という醍醐の台詞に大きく頷いて視線を向けると、それを合図とばかりに、龍麻は階上へ足を進めた。
いよいよ帯脇との決戦である。
京一も、気を引き締めて後に続いた。


 屋上に陣取っていた帯脇は、相変わらず不敵ににやついていた。
小蒔や醍醐の怒りにも、何ら動ずることがない。
 舐めきった態度のその口から「霧島」の名が出たとき、気丈にも帯脇を睨み付けていたさやかの顔色が変わった。
「俺様はただ、俺とお前の仲を邪魔する虫けらを、叩きつぶしただけだぜ?」
「そんな……、そんなのウソ!! 霧島くんは、私のことを護ってくれるっていったもの!!」
悲痛な痛ましい叫びは、だがすぐに力強く変わる。
「霧島くんを信じる…。私は、霧島くんを信じるわッ!!」
 この芯の強さだ。
これが、彼女を内面から光り輝かせている。
(お前もスミに置けねェな、霧島。こんな理想的ヤマトナデシコにここまで信じてもらえてよォ。尤も、さっさと元気になって戻ってこねェと、ひーちゃんにその座を奪われかねねェけどな?)
 そんな下らないことを思いながら京一は、さやかを嘲笑する帯脇に水を差してやった。
「へッ、ふざけたコトいってんじゃねェよ。あいつには今、新宿一の名医がついてんだぜ。」
ムッとして口を曲げた面に啖呵を切る。
「俺のカワイイ弟分を可愛がってくれた礼は、きっちりしねェとなァ…、
なァ、帯脇───!!」
隣から呼応するように、鼓舞するように、烈しい<<気>>が立ち上るのを感じた。
「よっしゃ、───行くぜッ!!」
それが合図と向かってきた手下どもに、京一は手加減することなく、木刀を振り下ろした───

 手応えは、だが想像していたより無かった。
無さ過ぎる、といっても良い。
(何だ? あれだけ何かあるような態度を見せておいて、これだけか?)
これでは少々カタギではないだけの、普通の学生との小競り合いに過ぎない。
三人目を吹き飛ばして周りを見ると、弓を抱えて暇そうな小蒔、蹴りで吹っ飛んだ敵を「死んではいないか」と覗き込む醍醐、さやかを守るようにしつつ後方に控えた美里、そして、帯脇に対峙する龍麻が見えた。
どうやら龍麻も<<力>>を加減する事に注力しているようだ。先程激しく感じた<<気>>が、最小限に抑えられている。
 5分と保たず、手下どもは戦闘出来る状態ではなくなり、帯脇もガクリと膝をついた。
所詮、京一達の実力を見誤っていた自信過剰なだけの「普通の人間」だったのだろうか。
だがそれなら、霧島に取り憑いていたものの正体は何なのか。黒幕が別に居るのだろうか。
 訝しみつつ「二度と俺達の前に現れるんじゃねェ」と脅してみる。
しかし帯脇はやはり動じなかった。
本気では無かったといえ、龍麻の攻撃を食らったというのに、不敵な笑みを浮かべたまま立ち上がる。
「オレ様の<<力>>は、こんなもんじゃねェんだぜェ。ケケケッ…ヒャーハハハハッ!!」
帯脇の裡から、どす黒い<<気>>が立ち上った。
感応力のある美里だけではなく、京一にさえ、その凄まじい<<力>>が伝わってくる。
 帯脇───いや、既に「それ」は帯脇斬己という一介の学生ではなく、八岐大蛇…もしくは、己を八岐大蛇と信ずる怨念そのものだった───は、嗄れた声でさやかを「クシナダ…我が巫女よ」と呼び、その本性を顕した。

 それは鬼道衆との闘いの中、何度となく見た光景に似ていた。
帯脇の姿がみるみるうちに膨れ上がり、皮膚が、筋肉が、眼が、身体全体が捻れ、歪み、化け物と化す。
(これは、「変生」…なのか!?)
だが鬼道衆はもう存在しない筈だ。
やはり同じような<<力>>を持つ者が居て、何かを企んでいるのか。
それとも本人が言うように、この帯脇が本当に八岐大蛇の生まれ変わりで、単独で事件を起こしているだけなのだろうか。
「クシナダァ!! 今、そなたの元へ───ッ!!」
 怪物が、前に立ち塞がる全員を無視し、後方のさやかへと向かう。
「さやかチャン、危ないッ!!」
小蒔が構えながら立ち塞がり、京一達も攻撃を繰り出そうとした、その時。

「待てッ!!」

 京一は耳を疑った。
声の主は、今は意識を失い治療中の筈だったのだ。
だが心の中のどこかで、解っていたようにも思えた。
さやかを護る者───霧島諸羽が、その役目を果たすためにやって来る事を。
彼女を護りたいという思いが、彼の欲した<<力>>を己に与えるだろう事を───
「貴様…またしても我から巫女を奪う気かァッ!? スサノオよ───ッ!!」
 神話や伝奇に明るくない京一でも、その名は聞き覚えがある。確か、そのオロチとかいう化け物を退治した英雄の名だった筈だ。
よくは解らないが、怪物は昔もさやかを無理矢理奪おうとし、霧島に阻まれたという事のようだ。
生まれ変わりや宿星など相変わらず信じていない京一にとって、怪物の戯言など聞く気にもならなかったが、それでも、霧島とさやかとの間にある強い信頼関係は、何か特別な縁を感じる。
(大した奴だぜ、霧島…いや。諸羽…それでこそ、俺の弟子だ。俺も、いや、ひーちゃんさえ太刀打ち出来ねェかもな。)
「こりゃ、俺が入る余地はねェなァ。」
 大仰におどけて首を振り、ちらりと龍麻を見やると、龍麻は二人を熱く見つめていた。
やはり、こうなる事を知っていたのだろうか。
諸羽の秘められた<<力>>も、もしかしたら、怪物の言う彼ら三人の「前世」のことも───
「よっしゃァッ!! 行くぜ、諸羽ッ!!」
 憂苦を吹き払うように、京一は叫んだ。
「はいッ、京一先輩ッ───!!」
諸羽の、打てば響くというような軽快な呼応が、京一の中の陰鬱な雲を吹き飛ばしてくれた。
 ひーちゃんが何を知っていようが、何も語らねェままだろうが、もうどうでもいいさ。
この出会いが仕組まれた事だとしても、俺は自ら選んだんだ。
こいつと関わる事を───
 京一の左後方に付いて剣を構える諸刃の<<気>>を、右にいつもの力強い<<気>>を感じながら、京一は先陣を切った。


 だが闘いは困難を極めた。
怪物が咆吼すると、どこからともなく人魂のような妖が集まってきて、京一達の行く手を阻む。
「コイツラ、マリィの<<力>>が、効かナイヨ───!」
「あ〜ん、みんな〜、が〜んばってェ〜。」
 マリィと舞子は、霧島の身を案じて付いてきたらしい。
舞子の気の抜けるような励ましはともかく、マリィの台詞は的を射ていた。水竜刀の持つ清廉な力が、敵を素通りしていく感があるのだ。
「ボクの火竜も効かないよッ!」
「くッ───
「<<気>>を叩き込めッ!! 無属性の攻撃に絞れッ!!」
 いつもと変わらぬ鋭い訓令が飛ぶ。
醍醐が雄叫びで応え、京一も刀に<<気>>を込め、振り下ろした。
「ギィィ───ッ…」
手応えが戻り、妖が次々に散る。
嘲笑とも怒声とも付かぬ声が、怪物から放たれる。
 邪魔が殆ど居なくなったと見て、京一は走った。
「後は奴だけだッ───、ついて来いッ、諸羽!」
「はいッ!」
怪物の注意を引きつけている間に、諸羽を後ろに回らせて攻撃させる。京一の立てた作戦はそういう流れだった。
「ウオォオオ!!」
京一の企てに気付いたらしい醍醐が、援護するように、怪物の正面から蹴りを食らわせる。
効くものか、と言いたげに怪物がまた吼える。
京一も目眩ましの一撃を食らわせようと、刀を大上段に構えた───
だが。
 怪物は醍醐と京一には目もくれず、素早く振り向いた。
そして、必殺の一撃を繰り出すために剣を後方へ引き下げ、半ば無防備だった諸羽へ、その腕を振り下ろしたのである。
怪物には冷静な意識がある事、そして諸羽=スサノオに激しい恨みを抱いている事を、京一は軽んじていたのだ。

 しまった───! 諸羽ッ───!!

 バキッ───

 嫌な音がした。
 護らねばならぬ筈の「弟子」に、己の甘さのせいでまた大怪我を負わせてしまった───
痛恨の念で身体中が凍り付く。
だが次の瞬間、惨撃を食らった筈の少年の叫びが、京一をもっと激しい後悔の渦に突き落とす事となった。
「…緋勇さんッ!!」
 そう。
諸羽を庇い、怪物の腕に吹き飛ばされたのは、龍麻だったのである。
 ───ひーちゃん!?

 俺の「作戦」の甘さに気付いて動いていたのか
 諸羽を救けてくれて
 お前に怪我を
 早く治療
 美里
 俺はお前を護るために
 感謝
 悔
 解っていたのならもっと他に
 どうしてお前は
 どうして俺は…ッ!

 あらゆる情念が一気に沸き起こり、思考が停止する。
「ひ…ひーちゃ…」
ぐらりと傾いだ身体に、絶望感が走る。
 だが龍麻は、かろうじて踏みとどまった。
血の滲む口元を拭うと、少しも衰えぬ眼光を京一に真っ直ぐ向け、叫んだ。
「今だッ!!!」
 何を思うより先に身体が動く。
訓練された兵隊のように、条件付けされた犬のように。
 構えを解いた姿勢からそのまま、水平に薙ぎ払うように刀を走らせた。
自分のものとは思えぬ程の<<気>>が、刀を通じて怪物へと流れ込む。
ほぼ同時に、怪物を挟んだ向こう側で剣を振り下ろした諸羽の<<気>>も、同時に流れ込んでいくのを感じる。
二人の<<気>>は怪物の経絡を伝わり、全身を切り刻んだ。
やがて怪物は、校舎をも揺るがす轟音を立てて倒れ、見る間にその姿を、元の人間…「帯脇斬己」へと縮ませていったのだった───


「みなさん…本当にありがとうございました。」
 人間に戻って屋上から飛び降りた帯脇を探し、校庭や一階の教室等を見回っていた時、さやかが丁寧に頭を下げた。
笑いながら見守る仲間達を代表するように、龍麻が「無事で良かった」と呟く。
何事も無かったような顔に、改めて怒りが沸いてきた。
 無事じゃねェじゃねーかよッ!
戦闘が終わってすぐ、美里と舞子が争うように快復させたとはいえ、龍麻の右腕は完全に折れていたのだ。
 彼女達の奇跡の力で傷口は塞がっても、断ち切れた骨や筋肉が完全につながるには、少々時間がかかる。
京一も経験があるので知っているが、行動に支障はないといえ、完治するまでの痛みはなかなか耐え難い。
だが龍麻は、いつも通り涼しげに取り澄ました顔で、全員をゆったりと見回している。
自分の<<力>>で皆の役に立ちたい、と宣言するさやかに、軽口で応えて笑わせながら、京一は未だ先程の懊悩の中に居たのだった。
解決していない事も、知りたい事、尋ねたい事も山積していたが、まず一つだけは、ハッキリさせねばならない事がある。
 完治していなかった霧島に肩を貸しながら、仲間達の後ろからゆっくり歩を進めた。
何気なく「さ、帰ろうぜ、ひーちゃん」と声をかけると、龍麻も促されたように歩き出す。
そのまま最後尾に付こうとするところを、空いた右手を伸ばして引き留めた。
「あのよ…こいつを救けてくれた事は、礼を言うぜ。俺の計画がずさんだったのも認める。けどなァ、ああいうやり方はねェだろ?」
軽く首を傾げる様子に、声を低めて続ける。
「身を挺して後輩を庇うって、そりゃァカッコイイだろうけどよ。それでそんな大怪我されちゃ、俺の立つ瀬がねェんだよッ。」
 京一の目論見が失敗すると判ったのなら、止める手はいくらでもあった筈だ。
解っていて敢えて自分の身を犠牲にしたとしたら、それは何故なのか。
あの時の絶望感がまだ残っている京一にとって、龍麻の行動は許せるものではなかったのである。

………済まん。…咄嗟に…。」
 龍麻は、それだけ言って口を閉ざした。
(咄嗟に? 咄嗟って…あれが精一杯だった、って事か?)
何もかも見越していたというより、京一や帯脇より一瞬早く気付いた。
…それだけだったのだろうか。
 だが京一はもっと真意を確かめようと、更に言い募ってみた。
「それとも何か? さやかちゃんの前でイイカッコしたかったのかよ? お前は俺が護る、なんて宣言したくらいだもんな?」
「えッ…。」
 隣で諸羽が声を上げたが、龍麻の方はやはり動じていない。
しばらく視線を前に投げ、言葉を選ぼうと思案していたようだったが、やがて呟いた。
「霧島と…約束した。」
「え? 僕と?」
「諸羽と?」
二人同時に首を捻り、互いに顔を見合わせると、龍麻はそれを見て、スッと前の方へ歩いて行ってしまった。
 諸羽と約束って…
「あ…。」
───京一先輩…、緋勇さん…、さやかちゃんを、助けて……───
 そうだった。
諸羽は桜ヶ丘で、京一と龍麻にさやかの身を託したのだった。
「僕が…お願いしたから…。緋勇さん…。」
「へへッ。あいつ、頭にバカが付くくらい義理堅てェからな。」
 つまり、さやかに対する宣言には、「霧島と約束したから」という言葉が隠されていたようだ。
(確かに義理堅い奴だけど、それ程まで諸羽に思い入れがあったのか…。)
瀕死の状態での必死の願いに、内心感銘を受けていたのかも知れない。
 そして京一はその時、もう一つの理由にも気付いた。
(あいつもしかして、諸羽が襲われる危険性に気付いていたのに、救けられなかったから…? だからあんな無茶をしてまで、諸羽を庇ったのか…?)
病院へ向かう際に謝罪していた事からしても、そう考えるのが自然のような気がする。
 元々責任感が強く、仲間が傷付くくらいなら己が傷を負う事など何ともない、と思っている節はある。
だがそれでも、今日ほどの無茶は見た事がなかった。
 …数ヶ月前に、木刀を失い危機に晒されていた京一を救うため、背中に大怪我を負った以外は。
「緋勇さん…僕の頼みを、大切に守ってくれたんですね。僕…、京一先輩もだけど、緋勇さんも尊敬します。」
柔らかい笑みを零しながら、諸羽がそう囁いた。
その言葉は、自分が言われた時より誇らしく感じられた。
「ああ、俺も尊敬してるぜ。何たって、俺の大事な親友だからな───。」
 眩しそうに見上げる諸羽にニヤリと笑って見せながら、京一は、珍しく先頭を歩いている───恐らく照れているであろう「親友」を見やった。
 何でも知ってる、何でも出来る人間なわけじゃねェんだ。
出来なかった事を何とかカバーしようと、全力を尽くしているだけなんだな、お前も。
 なら、俺も───
俺もがむしゃらに、自分に出来ることをするだけだ。
それでいいんだよな。
 久々にスッキリした気分で、空を見上げる。
紅い、紅過ぎて毒々しくさえ見える夕映えも、京一には希望に満ちた色に見えた。
 少なくとも、今この時点では。

2006/07/08 Release.

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