拾七
ノ前

魔獣行・後編 (上)

 思えば、今日の龍麻は朝から様子がおかしかった。
騒々しい周りの会話を淡々と眺めている様は、一見するといつも通りのようだが、京一には理解る。
「龍麻も朝からこのノリじゃ、大変だろう?」
醍醐の問いに、今気付いたというように顔を上げる。少し間が空いてから、軽く首を振って否定する。
「まァ、朝から活気があるのは確かに悪いことではないな」などと慌てて迎合した台詞に、だが反応はない。
心ここにあらず、というように。
アン子がその後の帯脇事件のその後について報告するのも、既に興味がない様子だった。
池袋で最近起きているという、人々が突然奇声を発したり人を襲ったりする事件の話が出た時には、一瞬興味を引かれたのか、顔を上げて微かに首を傾げたが、その後はまたぼんやりしている。
 また何かあったのか。
それとも、これから何かあるのか。
(昼にでも、それとなく訊いてみようか。訊いて答えるコイツでもないが───
小蒔やアン子とふざけてみせつつ、そんな事を考えていた京一だった。

「さてと、かったるい授業も終わったし、一緒にメシ食おうぜ、ひーちゃん。」
 屋上でメシを食って、なんとなく事件の話にでも持って行って、最近また何かおかしな事でも起きているのかと尋ねて…
そんな計画を立てつつ声をかけると、龍麻は弾かれたように顔を上げた。
 またぼんやりしていたみてェだな。一体何にそんな気を取られてんだ? どうして俺達に言えねェんだ…
 だが、京一の鬱然とした思いは、次の行動を見て吹き飛んでしまった。
龍麻は勢いよく立ち上がると、大仰に頷いてみせ、そのまま京一をじっと見つめたのだ。
これまでの付き合いで、余程のことが無い限り、龍麻が人の顔を凝視しないのを知っていたし、そしてそれが龍麻の精一杯の誠意の表現だという事も、大体理解ってきている。
疑念が一瞬にして隅に追いやられ、喜びに緩む頬を抑えられない。
「おうッ。それでこそ、親友だよなッ!! やっぱ、おまえとは気が合うぜ。」
言いながらその肩をポンと叩くと、龍麻はまた京一と視線を合わせた。
 だがそれは、同意ではなかった。
微かに傾げた首が、「そうか?」と尋ねる。
(何だよ…気が合うって言われて、気に入らねェのか?)

 「気が合う」というより「合わせてもらってる」だけに過ぎないのではないか。

 そんな卑屈な考えが心の底から沸き上がる。そんな筈はないと理性では解っているが、ふとした拍子に浮かぶ疑心を、どうしても消し切る事が出来ない。
 憂慮を振り払うように、京一は続けた。
「醍醐の奴が先に屋上で待ってるから、俺たちもパン買って行こうぜ。」
やはり反応は無い。
微かに開かれた唇が、何かを言いかけて止めたように凍り付いている。京一を見てはいるが、視線にいつもの力を感じない。
 その時点で、ようやく京一は気付いた。
「気が合う」という発言や馴れ馴れしい態度に対してどうこうという事ではなく、龍麻は今、全く別の何かに引っかかり、自分を見ているのだ。
「? ひー…」
だが、それを尋ねようとした時、意外な邪魔が入った。

───3−Cの緋勇龍麻く〜ん。マリア先生がお呼びで〜す。至急、職員室まで来てくださ〜い───

 また随分いいタイミングで呼び出しやがるぜ。
舌打ちしながら、龍麻をもう一度振り向く。
「ひーちゃん。」
龍麻は微かに俯いて、何かをじっと考えていた。
「ひーちゃん? マリアせんせがお呼びだとさッ。」
もう一度呼んでみると、やっと顔を上げたが、まだぼんやりしているようだ。
「何やったのか知らねェけど、さっさと済まさねェと、メシ食う時間がないぜ。」
……………。」
マリアが龍麻だけを呼び出した理由も気になるが、どうやら覚えがあるらしい龍麻の様子も妙だった。いつもなら呼び出しの放送が終わらないうちに教室を出て行き、何事も無かったような顔で戻ってくるというのに、今日は行きたくないというように項垂れ、立ち止まったままなのである。
マリアとの間に何かあったのだろうか。
「なんなら、一緒に行ってやろうか?」
 拒否されるだろうとは思ったが、何か興味深い会話が聞けるかも知れないと思い、軽く言ってみた。
京一にとっては、その程度の申し出だったのだが───
「…いいのか?」
龍麻は少し驚いたように、掠れた声でそう尋ね返してきたのだ。
しかも、予想外の反応に戸惑っていると、更に「頼む。」と続けて軽く頭を下げてきたのである。
「…は…ははッ。や…やっぱひとりじゃ不安だもんな。いいぜ、一緒に行ってやるよ。」
そう答えはしたが、京一の頭の中は既にパニックに陥っていた。
(ど…どうしたんだひーちゃんッ!? たかが職員室の呼び出しだぜ? いつも、しれっとした顔でせんせを煙に巻いて帰ってくるくせに。)
今回は、どうしても尋ねられたくない問題があるのだろうか。
 今朝から様子が変だったのは、この呼び出しを予期していたからなのかも知れない。
先程の妙な態度も、京一の言動を気にしたのではなく、この件に関して何か話そうとしていた…という事は考えられないだろうか。
「一体何の用なんだろな。ひーちゃん、なんか心当たりあんのか?」
尋ねてみると、龍麻は小さく頷いて応え、上目気味に京一を見つめた。
それはまるで、途方にくれた小さな子供が助けを求めているようにも見える。勿論、非力な子供に喩えるにはその眼光は鋭すぎるし、そう感じるのは京一ぐらいのものだっただろうが。
「そっか…ヘヘッ。」
 「安心しろよ」とばかりに肩をグッと掴むと、龍麻の身体の緊張が少し解けるのを、掌に感じた。
余程の問題が、マリアとの間に発生しているに違いない。
(上手く言い訳してやるとは言ったが、もしそれが俺の知りたい事なら…悪いけどよ、ひーちゃん。見物させてもらうぜ。へへへッ)

「アラ、緋勇クン、───と、蓬莱寺クンも一緒なの?」
「よッ、せんせ!! 勝手にお邪魔するぜッ。」
 しかし、当てが外れたという事はすぐに解ってしまった。
「アナタにはきかなければならないことがあるのよ。丁度いいわ。蓬莱寺クンもそこにいてちょうだい。」
「えッ? お、俺も…?」
龍麻と二人きりでしたい話ではなく、自分にも関わりがあるとすれば、マリアの話とは当然───
「ふたりとも…、ワタシに何か、隠していない?」
「えッ───?」
何の事やら…と、わざとらしく首を捻りつつ、京一は内心肩を落とした。
(何だ、一連の事件の事じゃねェか。期待して損したな…)
 というより、自分が来たせいでマリアは質問を変えたのかも知れない。
隣に立つ龍麻の身体にずっと残っていた緊張感が、にわかに解けるのが伝わってきて、京一はそう考えざるを得なくなった。
(だよな、<事件>についてなら、今に始まった小言じゃねェし。じゃあ、ひーちゃんは一体何を警戒していた…?)
「とぼけてもダメよ。アナタたち……、また、妙な事件に足を踏み入れたりしてないわよね?」
 龍麻が首を捻り、知らぬ存ぜぬの態度に徹したが、マリアの追求は止まらない。
生傷が絶えないのはただの喧嘩、小競り合いだと誤魔化しても、「言い訳しなくてもいいわよ」とピシャリと叱り、決定的情報を示してみせたのである。
「この前、文京区の高校で騒ぎを起こしたでしょう? ワタシの耳には、ちゃんと入ってくるのよ。」
「せんせ…、いい情報網、持ってるぜ。」
 思わず本気で感心し、京一は唸った。
あの時は飛び降りた帯脇を探して暫く敷地内に残っていたため、意識を取り戻した学生や教師の数名に目撃はされていたようだった。
だが、さやかと諸羽が上手く言い訳してくれたのか、学校側から特に注意や連絡もなく、すっかり安心していたのである。
(鳳銘高の教師に知り合いでも居んのか? それにしても、よく俺達の事を調べてやがるなァ。よっぽど心配性なのか、それともやっぱり…)
「できることなら、平穏無事な高校生活を送ってほしいわ。」
 そう言いながらじっと龍麻を見つめる表情には、大切な生徒を案じる教師の想い以上のものは表れてはいない。
だが京一には、マリアの言葉尻や仕草に、何か別の感情が隠されているように思えてならなかった。
「その高校生活だって、もうすぐお終いなのよ? それに、蓬莱寺クンは、進路だってまだ───、」
(おっと、お鉢はこっちに回ってきたか。)
 苦笑しつつ、京一は言葉を遮った。
「わかってるよ、せんせ。俺だって、一応考えてるし、そんなに心配することねェッて。」
適当に切り上げさせようと「もう帰っていいですかー?」と言いながら、さっさと背を向けると、マリアも溜め息をつき、諦めた。
「まったく…。今いったコト、忘れないで。」
「はーいッ、失礼しまーすッ!!」
 京一の後に続いて職員室を出、律儀に一礼を返して扉を閉めた龍麻を「観察」する。
じっと見ていなければ解らないほど小さく嘆息するのに気付いて、京一は大仰に肩を竦め、龍麻に笑いかけた。
「やれやれ、とんだヤブヘビだったぜッ。けど、ひとりで行かなくてよかったろ? ひーちゃん。」
「…ああ…。助かった。」
 はっきりとした肯定と、真っ直ぐ見つめる瞳。
悦びを感じると同時に、京一は確信した。
自分が居なかったら、マリアは別の話をする筈だった。龍麻はそれを恐れていたのだ。
<事件>のことではない。他の、学校行事や授業、成績の事でもないだろう。龍麻はそこそこ品行方正、目立たない程度には優秀な生徒なのだから。
 だとしたら───
生徒と教師としてではなく、男と女としての話…と邪推するのはおかしいだろうか。
完璧に隠してはいるが、マリアの龍麻に対する「心配」や動向は、通常の域を少々逸脱している。
今日も本当に<事件>の事を訊くつもりだったのなら、自分や醍醐も呼ばれる筈だ。本気で口を割らせるつもりなら、こんな頑なな男より、小蒔辺りでも突けばいくらでもボロが出るだろう。
<事件>は口実で、緋勇龍麻と話すことが目的だった、そしてその事を龍麻も感づいている。そう考えれば辻褄が合うように思える。
教師とはいえ、大人の女の魅力をしっかりアピールしているマリアが、本気で口説きにかかったら…想像するだに羨ましい気もするが、相手はこの異常なまでに潔癖な龍麻である。迷惑以外の何物でもないと感じ、あんなに困っていたのかも知れない。
 そこまで考えると、何故龍麻はこれほど禁欲的なのか、という疑問の方にまた頭が行きかけるが、先程の呼び出しに気付いた醍醐が迎えにきたので、京一は考えるのをやめた。
「一体、何の話だったんだ? さては、説教でもくらったか?」
 醍醐の問いに、軽く首を振り、また自分を見つめるのに気付く。
(どッ…どんだけ感謝してんだ? ひーちゃん…そこまでマリアせんせと喋りたくなかったのか??)
疑問は残るが、今日ほど龍麻の気持ちを強く感じる事はなかった。
信頼されている、感謝されているのがひしひしと伝わって、嬉しくない訳がない。
「まァ、それについては俺達も同罪だからなッ。やっぱり、怒られるときも、みんな一緒じゃねェとなッ!!」
普段なら「青春小僧じゃあるまいし」と決して言えそうもない台詞を吐きつつ、醍醐と龍麻の背中をドン、とど突くと、醍醐は軽く苦笑し、龍麻は黙って小さく頷いた。
 否定されなかった。
龍麻にとって「仲間」は単なる駒に過ぎないのではないか、龍麻に心酔し従っている我々の気持ちなど、どうでもいいのではないか…そんな邪推が霧消する。
 そうだよな。俺達は、どんな時でも一緒だ。そう、お前も思ってるんだよな?
少しずつ打ち解けているとは思っていたが、やっとはっきり、確かな証拠を掴んだ。
 俺は本当に、ちゃんと、龍麻の隣に立っているんだ───
 その喜悦は長くは続かないのだが、今の京一には、確固たる礎を得たようにさえ思えたのだった。

 浮き浮きした気分のまま放課後を迎え、いつも通りのメンバーでふざけ合う。
「京一くん…、もしかして、忘れてるの? 放課後、みんなでミサちゃんの所へ行く約束じゃない。」
「えッ…? あッ、そーか。」
 本気で忘れていた。
(いやァ、あんまり嬉しくて、池袋だの帯脇だのの話なんか、すっかり忘れちまってたぜ。)
己の現金さに内心苦笑しつつ、おどけて「お前も本当は忘れてたんだろう? なァ、ひーちゃん〜。」と抱きつく。
龍麻は、少し戸惑って「あ…済まん」と呟いた。
覚えていたのが悪かったとでも言うような様子に、益々笑いがこみ上げる。
俺に気を遣ってんのか? それ程まで、昼休みの件を感謝してるのか。それとも、そこまで俺を認めてくれたと、思っていいのか?
 積極的に足を運びたいとは思えない霊研へ出向き、裏密相手にまで軽口を続ける程、京一は舞い上がっていたのである。
 その霊研では、池袋で起きている事件のヒントを裏密から教わった。
裏密は、帯脇の件も含め、一連の事件が「憑依師」の仕業であると言うのだ。
動物霊を憑依させる能力どころか、その動物霊の存在さえいかがわしい、と京一は思うのだが、実際に帯脇が大蛇へと<変生>した姿を見ている。
 普通の人間に各々の質と合う動物霊を取り憑かせ、変生させる事が出来るとしたら、それはとてつもなく恐ろしい能力だ。
鬼道衆の使う外法は、理屈は京一には解らないが、元々特異な能力を持った人間の素質を引き出し、表へ露出させるものだったと思われる。
ところが、今度の敵───「憑依師」は、帯脇に強力な霊を取り憑かせて大蛇に変生させたように、特別な素養のない人間達を使って化け物を大量生産することが出来るのだ。
 やっかいな敵だが、時間が経てば経つほど、余計面倒な事になるだろう。
「まッ、よくわかんねェけど、豊島のどっかに潜んでいるその憑依師ってヤツを捜し出して、ブチのめせばいいってことだなッ。」
単純な言い方で仲間を促すと、皆も同意しつつ立ち上がる。
「ひーちゃん。気を付けて行ってきてね〜。」
裏密の「応援」に応えてから足早に部屋を出た龍麻も、急ぐべき理由に気付いているようだった。

 校門を出たところで、改めてどう捜索するか話した。
当てなど無い。だが本当に鳳凰高の件が憑依師とやらの仕業だとしたら、帯脇を斃した自分達は邪魔者の筈だ。
こっちが何もしなくても、向こうから仕掛けてくるに違いない。
 とすれば、こちらから出向かなくても向こうが仕掛けてくる可能性も高いのだが、変生した人間が大勢で新宿になだれ込んで来てからでは遅い。兵隊が揃う前に、本拠地に乗り込んだ方が得策だろう───
女性陣に無駄にショックを与えないため、急ぐべき理由は伏せて説明すると、醍醐が重々しく同意し、改めて出発しようとした。
霧島がやってきたのは、その時だった。

「京一先輩、緋勇さん!! みなさんも…、お久しぶりですッ!!」
 帯脇事件の翌日だったろうか。
まだ入院中にも関わらず、病院を抜け出してきて「稽古をつけて下さい!」と、旧校舎探索に同行しようとしたのだが、龍麻に「退院するまでダメだ」と強く説得されたのだ。
その日からは病院で大人しくしていたようだが、その甲斐あってか、早くも退院出来たらしい。
「緋勇さんも、お変わりないですか?」
「…ああ。お前も…良かったな。」
「緋勇さんがお元気そうで、僕も嬉しいですッ。」
 ニッコリ笑ってお辞儀をするのを見て、我知らず胸を撫で下ろす。
あの時の龍麻の厳しさは、諸羽を気遣う優しさの顕れだったのだが、本人にもしっかりその気持ちは伝わっていたようだ。
「つくづく、いいヤツだなお前は。礼儀も正しいし…、さすがは俺の弟子だぜッ。」
つい調子に乗って、また小蒔に茶々を入れられたが、気分は悪くなかった。
「弟子」などというのは口幅ったいが、腕を見込まれ、慕われるのが嫌な筈もないし、自分の認めた少年が龍麻にも大事にされ、奇妙な満足感もある。
 だが、今回の事件に関しては、諸羽には黙っておきたかった。
帯脇の件と無関係ではない事を知れば、必ず「ついて行く」と言い出すのは解っていたし、まだ無理はさせたくなかったのだ。
だが、諸羽の思いを汲んだのか、身体が快復したのなら問題ないと判断したのか、龍麻が許可を出してしまった。
(仕方ねェな…ちッ、柄じゃねェけど、多少はフォローしてやるか。)
密かに思いつつ、口に出しては素っ気なく「自分の身は自分で護れよッ。俺たちにゃ、そこまでの余裕はねェからなッ!!」と、背を向けたのだが。
「とかなんとかいって、いざって時には、助けに飛んでくのが、京一なんだよねェ〜。」
「誰が行くかッ!!」
すっかり見透かされたような台詞に、顔が熱くなる。
「おらッ、早くこねェと、おいてくからなッ!!」
恥ずかしさを誤魔化すように声を荒げたが、慌てて付いてくる諸羽以外は、皆笑っている。
ふと気になって、そっと後ろを振り向いてみると、龍麻さえも微かに顔を綻ばせていた。
(ちッ。どいつもこいつも、俺をお人好しみてェに思ってやがる。そんなんじゃねェんだからな、俺は!)
 自分では決してそんな人種ではないと思うのだが、お人好し・人情に弱い等と言われる事はやたら多い。
誰彼構わず助けて歩いている訳ではないし、いつも情にほだされている訳でもない。龍麻の方が余程お人好しな行動を取っているのに、どうして自分ばかりそう見られるのだろうか。
「あのッ、僕、京一先輩に迷惑をかけないよう、頑張ります!」
この面々の中で唯一、京一の台詞を額面通りに受け取って答える、生真面目な諸羽の言葉に、ガリガリと頭を掻くしかない京一だった。

 池袋駅に着くと、街は想像していた以上に、通常の賑わいを見せていた。
人々は忙しげに、あるいは楽しそうに喋りながら、何を警戒するでもなく歩いている。
こんなものだろうと予想はしていたが、都会に慣れた人々は、自分も含め、危機意識が薄くなっているものなのかも知れない。
 仲間達とそんな話をしつつ、美里と醍醐の言う「異様な空気」を特に感じ取れない京一は、同様に「何も感じない」と首を振った筈の男が、周囲を鋭く見渡し、ある方向を見つめているのに気付いた。
「ひーちゃん、どっちの方向に行ってみる?」
間を置かずにサンシャイン通りを指したところを見ると、龍麻も本当は周囲に漂う「悪意」に気付いているのだろう。
知らぬ振りをしたのは、幽霊やオカルトものに弱い醍醐を勇気づけるためか、それとも何も感じない自分に対する気遣いなのか。
昼の一件で借りが出来たといっても、そこまで気を遣われる筋合いはないが、堅すぎる程に真面目な龍麻なら、やりかねない気もする。
 だが、龍麻の感じたものが醍醐達のそれとは全く違うものであった事は、すぐに発覚した。
「待ってください!! ──────みなさん!!」
驚いたことに、サンシャイン通りで待っていたのは、舞園さやかとの遭遇だったのである。
諸羽との会話から、偶然ここに居合わせたことは分かったが、龍麻にとっては偶然では無かったに違いない。<仲間>の気配を感じ取ったからこそ、この道を選んだのだ。
 軽やかに駆け寄り、声をかけてきたさやかは、龍麻に向かって改めて挨拶をしている。
何事か言葉をかけられ、少し頬を染めて答える笑顔が、一層綺麗に見えた。
(何だよ、てめェばかりモテやがってッ。大体その「さやか」って呼び捨ては何なんだよッ。アイドルは特別扱いってか? 何でさやかちゃんも「龍麻さん(はぁと)」なんて呼んでんだッ。)
どちらに向けているのか分からない嫉妬が沸き上がるが、すぐ理性が否定した。龍麻に限って、そんな浮ついた心はないだろう。
逆に、相手がアイドルだろうと何だろうと、特別に労ったりもするまい。仲間が女性であろうが、病み上がりであろうが、危ない目に遭わせまいとする気配り…もしくは差別…を、一切しない男なのだから。
さやかの<<気>>を感じ取って来たのなら、彼女をも巻き込むつもりだと考える方が自然だろう。
 だが京一にとって、いや、日本中の舞園さやかファンにとって、彼女は特別な存在なのだ。
適当に話を打ち切るようにして、さやかを帰すよう仕向けた。
 マネージャーらしい男が促したこともあり、さやかは食い下がる事無く「何かあったら呼んで下さいね」と頭を下げ、踵を返す。
ふと思い出したように戻ってきて、龍麻に自分のCDを渡しているのにまた少しムッとしたが、龍麻はそのまま彼女を見送った。
 特に引き留めないのを見て、また少し首を傾げる。
諸羽と同様、さやかも連れて行く算段と思ったのは、自分の考え過ぎだったのだろうか。
「やっぱり、カワイイよなァ、さやかちゃんは。」
 そう言いながら龍麻の両肩にのしかかり、間近でその横顔を眺める。
するとその視線がごく短く、京一のそれと重なった。すぐに逸らされたが、寄せた眉と軽く噛んだ唇が、不満を物語る。
 …フン、やっぱり帰す気じゃなかったんだな? 無理強いはしないが、出来れば巻き込みたかった…ってところか。
勝ち誇りたくなる気持ちを抑え切れない。
そういつもいつも、龍麻の思い通りに進む訳ではないのだ。
邪魔してやったのは自分なのだが、<敵>の事、<仲間>の事、<宿星>の事…果ては未来までも見通しているかのような龍麻にも、読めない事があるのは、妙に嬉しい気がした。

 しかしそれは、一時的な優越に過ぎなかったのである───

2006/11/05 Release.

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