之弐

覚醒

六堂様に捧ぐ

 車を降り、私は運転手に「公園の辺りで停車しておけ」と命じた。
黒のベンツが静かに走り去るのを見届け、目の前の校門を見やる。

明日香学園高等学校。

 報告書を受け取ったのは、ほんの二日前である。
彼がこの地、仙台で伯父夫婦と暮らしているのは知っていた。二、三年に一度は、問題なく成長しているか、平和に暮らせているかを探らせていたからだ。
少々血の気が多いのか、街で喧嘩沙汰を起こすことがしばしばあり、また級友とあまり親しく付き合おうとしない、等の問題点があるようだが、それ以外はつつがなく生活している様子であった。
 何も、起きなければ。
そう、何も起こらなければ、私はここにやって来ることもなく、また彼もこのぬるま湯のような日常を続けて行けたのだ。それが、彼自身にとって不幸なのか幸福なのかは分からないが。
 (今更何を迷う。俺は既に、彼の運命の───いや、宿星が導くままに、動き始めてしまった。もう…遅いのだ。)
 私はそのまま、生徒達が校舎を出ていく様を眺めていた。報告書にあった、少年二人の姿を求めて───

 程なくして、目指す少年の一人を捉えた。
背格好、髪型は写真と同じようだが、遠目ではよく分からない。しかし、その大人に成りきらない体つきや、醸し出す雰囲気といったものが、ひどく懐かしい人を思い起こさせた。
…間違いない。若き日の弦麻である。
 少年は真っ直ぐこちらへと歩いてくる。俯いて歩く姿は、報告から受けたイメージと多少異なり、私を軽く困惑させたが、近づくにつれ確信が強くなった。懐かしさで、久々に胸が熱くなるようだ。
 しかし、あと数メートルというところで、少年は立ち止まると、不意に後ろを振り向いた。つられてそちらを見ると、他の生徒が口論をしている様子だった。
よく見ると驚いたことに、揉めている生徒の一人は、報告にあったもう一人の少年───莎草覚であった。
 (…全く、情けないことだな。弦麻の子に気を取られていたとは言え、標的の一つを見逃していたとは。これが「仕事」なら、厳罰ものだ。)
自分に苦笑しつつ、その少年に注意を移す。報告通りの人物のようだ。
残忍で自己中心的、偶然得た<<力>>を悪用することに何の躊躇いもなく、隠蔽の意志無く誇示する傾向有り。
その片鱗は、すぐに見ることが出来た。目の前で、その<<力>>を披露してくれたのだから。
 …これが、莎草覚の<<力>>か。
他者を操る<<力>>。これはやっかいな能力だ。
我々のような「プロ」でも、彼の前に立てば、その能力を以て自らを滅ぼすことになろう。
それでも、暗殺を生業としている者にとって、本人が気付かぬまま死を迎えさせるのは、難しい事ではない。
今回の最大の難題は、そこにはない───
 莎草覚が、突然「彼」の方を向いた。怒りを露わに、詰め寄ろうとしている。
私に背を向けて立っている「彼」の表情は全く分からないが、何か挑発でもしたのだろう。
まずい、今はまだ…。
私は彼らの元へ歩み寄った。
「…緋勇 龍麻君───だね。」

 近くの公園まで来て、改めて「彼」を振り返る。
緋勇 龍麻。
あの、弦麻と迦代さんの子。
そして、恐らくは───重き宿星を背負っている少年。
 立ち止まった私を、「彼」が見上げた。
くっきりとした、烈しい光を宿す瞳。深く澄んだその色は、優しく慈悲深い女性を思い興させる。
引き結ばれた唇は、頑ななまでに強い意志を持った、烈しい男を思い出させる。
間違いなかった。写真では分からない、少年の強い意志の光は、間違いなく彼らの血を引く証であった。
 今はまだ、総てを話す時ではない。それは彼が少しずつ自分で運命を知り、己を知った後に話されるべき事である。
 私は自分と弦麻とを繋ぐ古武道について語り、少年の様子を窺った。彼は、少しも動じることなく、私の言葉に耳を傾けている。
少なからず、私は驚嘆した。驚き、うろたえた場合のことも考えてはいたが、これ程自分を律していられる精神力を持っているとは思ってもみなかったのだ。
(この少年なら、私のところで「仕事」をさせても───
くだらない事が頭に浮かんだ事に自嘲した。馬鹿な。彼には、そんなものよりずっと重要な使命がある。
 先ほどの莎草覚との一件を思いながら、最近奇妙なことが起きなかったかと訊いてみる。彼があの<<力>>に気付いているなら、話は早い。
少年は、私から目を離さないままに頷いた。私の考えに賛同しているようだった。
烈しすぎるほどの光を湛えた瞳に、しかし目を逸らさず私は続ける。
「ここ一・二ヶ月の間に、君に近づいてきた者にも注意するんだ。いいね。」
もう一度強く頷く彼に笑いかけ、ひとまずその場を後にした。
 まずは、これで良い。自ら、常ならざるものに気付く事だ。
そしてその後、彼はどうするか。
彼に「覚醒」は訪れるのか…
それによって私も今後を決めねばならない。

 どうやって───来たる災厄を防ぐか、を。

 莎草覚は既に何件か問題を起こしていた。
このまま放って置くわけにはいかない。負傷者が続々と増えていく。いずれは死に至る者も出るだろう。
しかし、私は待った。
この際を見極められなければ、これから起こる災厄を防ぐ事は不可能なのだ。
私は待ち続けた。
そして、それは…正しかった。
 彼はやってきたのだ。

 来るだろう、と思っていた。しかし、来ないで欲しいとも思っていた。
(弦麻。迦代さん…貴方達は嘆くだろうか。我が子が厳しく辛い戦いに巻き込まれる事を…。それとも、誇りに思うだろうか? 二人の心を受け継いだ我が子を…。)
しかし、彼は自らの意志で、ここに来た。
友人を救うため。目の前の災いに正面から立ち向かうために。
「<<人ならざる力>>を手にした彼に、対抗する術を私たちは持たない。斃す方法が見つかるまで、君も静観することだ。」
 半ばわざと、半ば本気で突き放すように語ると、案の定彼は、苛烈な色を宿した瞳を真っ直ぐ私にぶつけて来た。
更に続けて、諦めるように言っても、頑として譲る気はないようだ。
…よく似ている。弦麻も言い出したらきかない男だった。
 ふと、昔に還るような、目眩にも似た感覚が私を包む。
かぶりを振り、今日はここに泊まるようにと言い置いて道場を出た。
 …奴も、饒舌とは言い難い男だったが…
思わず笑みがこぼれた。
余計なことを一切口にせず、その意志を瞳に語らせる少年。
彼なら───彼なら、決してその宿命に屈することなく、重い鎖を断ち切れるかも知れない。

◆ ◆ ◆

 人の気配に振り向くと、彼が立っていた。
眠れないのか。「友人」が心配なのかも知れない。
少し探りを入れようと思い、彼を座らせ、二、三尋ねてみる事にした。
「君は、強くなりたいという願望はあるかね?」
 深夜だというのに、光り輝くような闇色の瞳が、強い肯定を示す。
「何のために? 強くなってどうする?」
逡巡しているのか、私の真意を測ろうとしているのか。彼は私を見つめたまま、何事か考えている。
……誰かを、護るためにか?」
我が意を得たり…と言うように、私を見つめる闇。
「馬鹿なことを。それでは、もし仮にだ───君の友人でもいい、大切な人が、今回の事件に巻き込まれたらどうするね? 事件を引き起こしている者と闘うかね? 相手に勝てないとわかっているとして…だ。」
臆することなく私の目を見つめる瞳に、迷いは見えない。
「…救けに行く、わけか。」
また…気が遠くなるような想いに駆られる。
「誰かを護るために、自分の命を懸けるなんて、馬鹿げているッ! 後に残された者の気持ちを考えてみろ。お前は、それを、どうやって、受け止めてやれるんだッ。」
(残された俺達が、どんな思いをしたか…分かっているのか、弦麻ッ。お前はいつもそうだ。人が傷付くくらいならと、自分が犠牲になる事をいつも望んだ。その度に俺達は…とうとう命を落とすまで、お前を止められず。護る事が出来ず…)
 感情的になってしまった事に気付き、慌てて口を閉ざす。
この子は、弦麻ではないのに…
 いや…弦麻ではないからこそ。
同じ道を歩ませてはならない。宿星から逃れることが出来ぬのなら、せめて。
自らを犠牲にする道を選ばぬ男になって欲しいのだ。

 私は総てを承知で莎草覚を泳がせた。
東京でいざこざを起こした後、転校先が、導かれるが如く明日香学園高校に決まるのを、黙認した。
 既に、龍脈の活性化は始まっている。彼のように<<力>>に目覚める少年少女が増えている。
秘密裏に処理をしてきたが、我々が動いても所詮、表面を叩いているに過ぎない。
裏で動いている者がいる。我々が闘った、あの時のように。
 だから、私は決断したのだ。
莎草覚と緋勇龍麻を接触させる事を。そうして───彼に、「目醒め」る機会を与える事を。

 朝、部下に命じて、登校する彼を張らせた。
あの様子では、私の忠告など聞きはすまい。
だが、今のままでは彼は単なる非力な少年なのだ。莎草覚に対抗し得る術はない。
 私の懸念は正しかったらしく、数刻を経た後、部下は傷つき倒れた彼を連れ帰った。
色褪せ、血のこびりついた唇に、弦麻の最期の幻影を見る。…馬鹿な、私は彼を看取れなかったというのに。
 程なく目を覚ました彼に、退くよう再度忠告した。
嘘偽りではない。これで懲りて引き下がるような子供なら、今の内に日常へ逃げ帰った方が良い。
いずれ宿星が放っておかないかも知れないが、みすみす早死にさせる必要はないのだから。
 しかし、彼の目にはこれまで抑え込まれていた感情が───激しい火花を散らすかのような怒りが燃え盛っていた。

「…オレは、青葉を救けに行きます。」
 ゆっくりと。一言ずつ、私に有無を言わせぬような力を込めて、彼は言い切った。
この意志力だ。
弦麻…この少年は正しくお前の子だな。
初めて、と言って良いだろう。彼が私に対して、自ら発した初めての言葉は、仲間を護ると明言するものだった。
私は、最後の関門として、門下生と闘わせた。
時間がない。彼の想いが本物なら、緋勇家の血が彼を目醒めさせるだろう。
古武術・陰の技に呼応し、拙くはあるが時折<<気>>を発しているのを、半ば当然のように感じ、半ば驚嘆しながら見守った。
 この子は、弦麻と同じく…もしかしたら弦麻を超えるほどの力を身につけることが出来るかも知れない。
彼が、莎草覚の待つ廃屋へ向かうのを見届け、私も後を追った。

 莎草覚との闘いは見事なものだった。
莎草が変生したのは予定外であり、内心焦りはしたが、その光景を目の当たりにした当の本人は、全く冷静さを失うことなく勝負を挑んでいったのだ。
<<力>>の発動を全身で感じる。久しく感じたことのない龍脈の力を眼前に見る。
───運命の輪は回りだしたのだ。

 闘いが終わり、莎草覚は斃れた。
暫し立ち尽くしていた彼は、疑問を投げかける友人二人に、莎草の身に起きたことを端的に説明したようだ。
だが病院へ行こうという彼らに対し、少年はかぶりを振った。どうしたことだろう。
支え合いながら去っていく二人の後姿を見送る彼の様子に、一抹の不安を覚えながら、私は二人を車に乗せて病院へ送り届ける事にした。
 車中で適当に自己紹介をし、彼らに先ほどの件を他言せぬよう注意した。
「…言っても、信用されないでしょうから。でも…莎草は…やはり、死んだのですか」
「やむを得ないのだ。人ならざる<<力>>が暴走し、自らが人ならざるものへと変生してしまった者は、もう元には戻れない。いずれは力の暴走で、ああなる運命だったのだ。」
………緋勇くんは、最初から知ってて…?」
私は、それには答えずに続けた。
「申し訳ないのだが、彼に…緋勇君にも、もう関わらないでくれたまえ。」
………
酷な話であるが、宿星に導かれた<<力>>持つ者でない限り、彼に余計な負担を背負わせるだけになる。
「勿論、今まで通り、良き友人であるのは構わない。だが今回のような事件に関して、余計な詮索はしないで欲しい。それが…緋勇君のためでもあるのだ。分かってもらえるだろうか。」
………
ある程度食い下がられるのを覚悟していたのだが、彼らは顔を見合わせ、そして言った。
「…はい。」
女生徒の方が、正面を向いたまま語り出す。
「初めて会ったとき…何か、人と違う感じがしたんです。廊下でぶつかって…少しも動じなくて、笑いかけても全然無視されて。でも、気になって…一緒にお喋りしても、何も話してくれないし、なのにずっとあたし達が話すのを一生懸命聞いてくれてるのが分かって。不思議な人、って思ってました。」
「…アイツは…あんな、莎草みたいなのと闘っていく運命なんですか?」
男子生徒の方が、俯いたまま尋ねて来た。
「みんなに隠して…ずっと、あんなこと続けるんですか? だから、あんなに人を遠ざけて! 拒絶して!」
……
 彼は…自らの宿星を、薄々感じ取っていたのだろうか。
初めて見たときの「違和感」を思い出す。報告にあった、喧嘩沙汰の多い、親しき友を作らない人物には見えなかった、あの第一印象。
彼は既に…来るべき日を感じ、自らを孤独へと追いやっていたのだろうか。
 病院に到着し、二人を降ろすと、私は道場へ戻った。
それではいけないのだ。それでは意味がない。残される者の辛さは知っている。しかしだからといって、残される者が出ないよう、独りで闘うというのは、何の解決にもならない。
 帰り着いた彼を、傷ついた身体を癒すよう言って休ませた後、私は思案した。
彼を鍛えよう。心身ともに。
仲間とともに闘う強さを。護る事で得られる力を。信頼から生まれる奇跡を伝えよう。
弦麻から受け継ぐ筈だった、古武術の技と共に、その心を伝えよう…。

 書室に戻り、長年かけて調べ上げた、龍脈に関する資料を繰った。そこに記された名を心に刻む。
新宿区、都立真神学園高等学校。
総ての宿星はここに───
彼が出会うべき星々は東京に在る。
 窓の外を見やりながら、来るべきその日を思った。
弦麻よ。見守ってやってくれ。お前の子が、その仲間が、成し遂げる事を。
必ず、その運命の枷を打ち壊すであろう日を───

06/09/1999 Release.