之弐

呼名

 そのとき龍麻は旧校舎に、いつもの「参拝」をしに行っただけだった。
(オレに仲間を与えて下さった、旧校舎サマ。どーもありがとね。)
だが、たまたま通りかかってしまった醍醐と京一にとって、一人で旧校舎に向かおうとしている龍麻の姿は、背筋を凍らせるに足る光景だったのだ。
「…あいつ、まさか…!」
「一人で旧校舎に、だと? 馬鹿な、自殺行為だ!」
 自殺、という咄嗟に出た不吉な言葉に、ギクリとして顔を見合わせる。
比良坂紗夜が炎の中に消えてから三日目。
身体の傷も疲れもものともせず登校してきた龍麻は、相変わらず表情からは何も読みとれなかったが、心に深い傷を負っていることは間違いないのだ。と二人とも思い込んでいる。
 同時に走り出して、叫んだ。
「…龍麻ッ! おい、どこ行くんだよ!」
「緋勇! 旧校舎なら、俺達も行くぞ!!」

 (なんで、こんなコトになっちゃったんだ?)
薄暗い、鍾乳洞のような洞窟が続く。
カビ臭い、湿った空気が、瘴気を乗せて手足にまとわりついてくる。
 なんとなく押し黙ってついてくる醍醐と京一を振り返って、龍麻は立ち止まった。
………
(オレ、地下になんか来る気なかったんだけど…)
(…帰れッて顔だな、龍麻。一人でここに来て…どうする気だった? まさか…まさか、な)
(緋勇。一人で苦しむな。闘うことで気が紛れるというなら…どこまでもつき合おう。)
とにかく、どうしようもないほどすれ違っている三人だったが、ここは旧校舎地下である。
ぼんやりしていれば敵が襲ってくる。
案の定、大コウモリ達があちらこちらから集まってきた。
「行くぞ、緋勇!」
「行くぜッ、龍麻!」
 醍醐と京一が同時に叫び、左右に散る。
(敵が来ちゃったんなら、仕方ないな。やるか。)
 一瞬にして練られた<<気>>を、気合い一閃、掌から放つ。
空を飛び、タイミングを計っていたらしい大コウモリが天井まで吹き飛ばされ、グシャリとつぶれた。
それが合図となったのか、一斉に赤い光が襲いかかってきた。
(ちっくしょー、何でこんなことになっちゃったんだよーっ!?)
勿論、龍麻の叫びは誰にも届きはしないのだ。

 数字上でみれば圧倒的に不利だった闘いも、闘い慣れしてきた三人には関係がない。
<<気>>の練り方、放つ量、タイミング。敵の動き、弱点。すべてが頭に入っている。
常に、龍麻が指揮を執ってきたからだ。
「蓬莱寺! 一歩待て!」
絶妙のタイミングを以て、声がかけられる。
その声の持つ力にのって動けば、自分でも驚くほどの<<力>>を発揮できる。
「醍醐、足に雷気を溜めてみろ」
頭で理解するより早く、身体がその通りに動く。そうやって新たな技が生み出されることもあった。
 そのことを、既に三人は不思議とは思っていない。
龍麻は、まァ、古武道を極めていくってことはそーゆーもんなんだろ。と考えていたし、
残りの二人は例によって、昔からこんな風に闘ってきた龍麻ならではの知識だと思っていた。

 ───だが、「それ」は、他のコウモリとは違っていた。
何の変哲もない雑魚であろうと、京一が木刀を叩きつけた。だが、他のコウモリと全く違う手応えに、思わず飛びすさる。
「どうした、京一!?」
「…気を付けろ! コイツ、フツーじゃねェッ!」
雑魚なら一撃でつぶされる京一の斬撃を受け、平然と歩いてくる。
───歩いて、来る!?
「なッ、なんだコレは。」
「コウモリとは、違うのか?」
とにかく、もう一度だ、と言って醍醐が回し蹴りを入れた。続いて京一も剄を放つ。
………
効かない。
ゆっくりと、ズルズルと、歩いて近づくことを止めない。
流石に不気味さを感じ、一、二歩下がる醍醐。
「ど、どうする緋勇!?」
さすが小心者、ちょっと声が震えている辺りが情けない。
 だが、頼みの綱の龍麻は、醍醐の1/50倍ほど小心だった。
(ギャーッ! 気持ち悪い! 助けて! だから、どーしてこんなコワイとこ入るんだよっ!)
勿論顔にも態度にも出ていないので、そのパニクり具合は誰にも分からない。
じっと考え込んでいる(ように見える)龍麻に、京一が叫んだ。
「龍麻ッ! 何か、倒せる技ねェのかよッ!」

 (…そーだ! あの、醍醐と紫暮のやってたやつ! あれ、出来ないか?)
三人の<<気>>は、同質とは言い難い…どころか、龍麻と京一の<<気>>など、正反対の質といって良かった。
だが、ちょうど中間を保つような醍醐の力強い<<気>>が、うまく中和してくれるかも知れない。
(試しにやってみよっと。ダメでも、単に三人分の攻撃がこの化け物に当たるだけだろ)
「オレに合わせろッ。」
声に出しては何故か格好良く、構えの姿勢をとって<<気>>を溜め、全身からの放出を抑える。
倣うように醍醐が、騎馬立ちの体勢をとった。
京一も、中段に構えて<<気>>を練っている。
 (さて…)
体内に膨れ上がる<<気>>を、どう攻撃に転じようか。
はっきり言って、具体的に何も考えてはいなかった。しかし。
ぶおん、という衝撃音がはっきり耳に届くほどの勢いで、三人の間に光の方陣が生まれたのだ。
 方陣の中央には、光に耐えられぬ様子で、化けコウモリがのたうっている。
(おお、このままアイツに<<気>>を放てばオッケーか?)
「…放てッ!」
龍麻が短く叫ぶ。
「ウオオオオぉぉぉぉッ!!」
三人から放出された<<気>>が、螺旋を描いて頭上に集まり、地表へと、洪水のように降り注いだ。

 ───流石に…もう動かないようだ。
先ほどまで不気味に蠢いていたコウモリらしきものは、ひしゃげた形で床に転がっている。
「…」
 まだ、身体に先ほどの衝撃が残っていた。
自分以外のものとの、<<気>>と律動を併せた一体感。高揚感。
(あんなことが…出来るのか。)
(引き出したのは、龍麻。こんな<<力>>を引き出せるのは、いつだって龍麻しかいない…。)
(うわー。よく道路で轢かれて転がってるの見たっけなあ、ひしゃげたコウモリ。怖えー。)
三人は代わる代わる互いの顔を見やった。

「…しかし、こんなのがいるんじゃ、更に下の階ってのはどうなってんだろうな。」
 身体の芯にくすぶり続ける興奮を抑えるべく、京一が、わざと呆れたような口調で言う。
「そうだな…。ひとまず、外に出ないか。」
龍麻に、もういいだろう? と気遣うようにして、醍醐が声をかける。
勿論、龍麻に否やはない。

 外に出ると、殆ど沈んでしまった夕日の名残が、西の空の僅かな地平にのみ見え隠れしていた。
頭上には、既にいくつか星が姿を現している。
……
生きて出られて良かったー、という想いで空を見上げる龍麻。
何かまた勝手に勘違いして、それを痛々しげに見つめる京一。
(俺も…この、今の感動を。緋勇への気持ちを、伝えねばなるまい。)
……なァ、緋勇。」
意を決して、醍醐が口を開いた。
「?」
龍麻が振り向く。
「…その…。俺も、お前を『龍麻』と呼んでも、構わんか?」
……………

 十数秒が経過してから、京一はハッとして、アゴが外れるくらい開いていた口を閉じた。
(…たいしょー…アホか!? そんなの、断りを入れるよーなコトかッ?)
気持ちは分かる。おそらく、先ほどの出来事に感銘したのだろう。信頼の顕れなのだろう。
だが、小学時代、ガールフレンドに「みよちゃんって、呼んでもいい?」と訊くような幼稚さを感じて、思わず目眩がする。

 しかし、相手はこの龍麻であった。
頭の中に、天使が三人天国から降りてきて「祝福の舞」を踊り倒している状態だ。BGM「アベ・マリア」付きだ。
内心の狂喜乱舞を伝えたくても伝えられないこの男は、またもポツリと呟くだけに終わった。
……ああ。…ありがとう。」

 またまた、その言葉に愕然となったのは京一の方である。
(…龍麻。これが、醍醐なりの配慮っつーか、誠意だってコト…分かったのか?)
嬉しそうに頷いて、龍麻に歩み寄って右手を差し出している醍醐を見つめる。
ガシッと握手を交わす二人。微かに残った空の赤が、どこかの古い少年漫画っぽさを余計に演出する。
 途端に、なんだかむかっ腹が立ってきた。
(なんだよッ。龍麻を龍麻って呼んで良いのは俺だけだったんだぞ!)
誰もそんなことは決めていないが、どうして突然ガキのように嫉妬を始めるのか、この男は。
「よしッ。そんじゃ俺は、お前のこと『ひーちゃん』って呼ぶからなッ!」
はあ? と振り向く醍醐を無視して、龍麻の肩に腕を回す。さりげなく、醍醐と握手していた手を放させる辺りがもうダメだ。
「自己紹介ん時、言ってたじゃねーか。ひーちゃんて呼ばれてました、って。いーよな? ひーちゃんッ。」

 ひーちゃん、の後に、ハートマークが付いていたような気がして、醍醐はやや仰け反った。
(だ…駄目だ、俺にはとてもそこまで誠意を示すことは出来ん…。)
それが普通だ。

 神様、ありがとうッ! オレにトモダチをくれてッ!
「あらいぐまラ○カル」みたいな龍麻の絶叫は、やっぱり誰にも届かないのであった…。

06/08/1999 Release.