之参

醍醐の憂鬱 I

ぴかいち様に捧ぐ

 …ふぅ。
…いかんな、京一の溜息がうつってしまったようだ。
だが…
「俺と夏の想い出を作ろう」と呼びかけられた龍麻が、「オレと…お前で…?」と呟いて京一をじっと見つめているのを見て、また溜息が出た。
赤くなって、顔を背ける俺の相棒…もはや「元」相棒、と言った方が良いか…京一の姿に、更にまた溜息が生まれる。
 そうなのだ。俺は、この二人の級友のただならぬ状況に、頭を悩ませていたのである。

 凶津のことで落ち込んでいた頃…。
龍麻にも他人に語れぬ過去があるらしく、そのために、偶然知り合った比良坂という女性との恋愛に躊躇している。そう告げたのは、他ならぬ京一であった。
それを鑑みると、この時点ではまだ、二人の間には友情しかなかった筈だ。
 しかし、その女性は鬼道衆との闘いに巻き込まれ、生命を落とした。
その時の光景を思い出すと、今でも胸が痛む。
友であれ、恋人であれ、失うということは心に大きな傷を残すものだ。相当辛かったに違いない。その証拠に、その後暫く龍麻の様子がおかしくて、俺もガラにもなく、気を遣ったりしたものだった。

 そうだ。その辺りからだ。
俺の気の遣い方が大袈裟すぎる、却って龍麻が気にするだろうと、再三京一が注意してきた。成る程その本人は、言うだけあって極自然に龍麻の気持ちを引き立てようと、明るく振る舞っていた。
その時点では、まだ俺は気付いてはいなかったのだが…

 発端は、桜井の一言だった。
「まーったく、あの二人ってイチャイチャし過ぎだよッ。この暑いのにさッ」
「…い、イチャ…」
休み時間毎に、龍麻の所に行っては肩を抱いて何事か囁いたり、一人でケタケタと笑っている京一の行動は、確かにそう言われても仕方のない程よく目立つ。
「うふふ、小蒔ったら。京一くんは、それだけ緋勇くんを大事にしてるのよ。」
ニコニコと笑いながら、美里が桜井をたしなめる。
「…あんなことが、あったばかりだし…。」
少し眼を伏せて付け加えた美里を見て、桜井が慌てて慰めた。この二人も実に良いコンビで、その友情の表現は見ていて微笑ましい。
「…まァ、そうだな。あれで龍麻の気が紛れているなら、それも良かろう。」
本当に紛れているのなら、だが。
「そ、そりゃあそうだけどさ…。でも、アレのお陰で、緋勇クンに近づけないって女のコ、いっぱいいるんだよ?」
…………。」
確かに、あれだけマークされてしまっては、話しかけるのも気兼ねしてしまうかも知れない。
恋愛沙汰など縁がないので良く解らんが、こういったことは…その、つまり、新しい恋でもすれば、傷が癒えるのも早いのではないだろうか。そのためにも、出来れば女生徒たちと龍麻が交流出来る時間を増やした方が良いような…いや、あの事件からそれ程経っていないのに、そういう気にはならないだろうか…
 慣れない分野だったので、どうにも考えがまとまらないうちに、桜井がきっぱり言い切ってしまった。
「京一の態度、どう見たって緋勇クンに触りたくて触ってるってカンジだよッ! 絶対ヘン!」

 俺は悩んだ。
いや、誰が誰を好きになろうと、それは自由だと…思う。
それが少々常識はずれであろうとも、「好きになる」という気持ちは勝手に生まれるものだ。
 京一は、恐らく同情から、段々龍麻への気持ちが変化したのだろう。それは分からないでもない。
その強さと冷静さに憧憬すら抱いていた俺でさえ、いつの間にか「護ってやらなくては」という気持ちが生じていたのだから。
 だが。

「つめてェなあ、職員室まで付き合ってくれよッ」
犬神先生の元へ赴く京一が、いつまでも駄々をこねている。
勿論、我が侭の向かう先は龍麻である。
「なッ、ひーちゃん。」
「…ああ。」
いつも通り、簡潔に頷いた龍麻が、そのまま京一を見つめる。
京一も真顔になって、龍麻と視線を合わせる。
…くッ。まただ。二人の世界に入り込めない。
……さッすがひーちゃん。」
俺とお前はふたりでひとつ、等と恐ろしい台詞を吐きつつ、京一はまた龍麻に抱きついた。
(そういう事をするから、桜井にあんなことを言われるんだッ)
だが、桜井の指摘は正しい。
昔は単純に肩にかけられていただけの指が、微妙にうごめいて、龍麻の鎖骨や首筋を撫でる。
…京一は、意識してやっているのだろうか。どちらにせよ恐ろしいことだ。
「友達は選んだ方がいいぞ」と、かなり本気で龍麻に言ってみたが、京一の「けッ、何を言ってやがる」と言いたげな笑みに気圧されて、早々にその場を立ち去ることにしてしまった。
とてもあの雰囲気には耐えられん。この暑いのに、背筋が凍り付きそうだ。

 理解できないのは龍麻の方も同じだ。
京一の、友人の枠を越えんばかりの態度にも、相変わらず何の反応もしない。
かといって、嫌がっているような態度を取ることも全くない。
いや、そういった目で見れば、龍麻も積極的に京一に応えている気がする。以前に比べれば、の話であったが。
 またも俺は溜息をついてしまった。
龍麻がまんざらではないとしたら、俺に口出しする権利はなかろう。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。

 大分時間が経って、ようやく二人が校舎から出てきた。一体二人きりで何をしていたのか、余計な想像をしてしまって、思わず顔をしかめてしまう。
単に犬神先生が引き留めて説教していたらしいことが分かって、少しホッとしたが、状況が好転したわけではない。
 思い切って、二人に直接真偽のほどを訊いてしまおうかと考えたとき、ルポライターの天野さんが来て、またも鬼道衆の引き起こす事件に遭遇したため、一旦この件は俺の念頭から消え去った。
 ところが───

「…ひーちゃん、あのよ…」
 後ろで京一がこそこそ囁いている。
江戸川区、地下神殿での闘いの後。新宿へと帰る電車内でのことだった。
大分遅くなったため、酔った若者や疲れた顔のサラリーマンで座席は埋まっている。満員という程でもない中で、俺達は吊革に掴まって、とりとめのない話をしていた。
 背中合わせになる位置に立っていた二人の会話が、微かに聞こえる。
隣で楽しそうに喋っている桜井の声に耳を傾けていたのだが、後ろの妙な会話に、思わず気が遠くなった。
「…さっきよ。呼んでくれたよな?」
……。」
「名前で俺のこと呼んだろ? 空耳じゃねェよなッ」
……ああ。」
「だ、だよなッ。…へへッ、な…ならいいんだ。」
……。」
………。」
……。」
……なあ。」
……。」
「もっかい、呼んでくんねェかな?」
……。」
「なーなー。いーじゃねェかよ、もっかい。なッ?」
アハハ、と笑った桜井の頭がコツンと肩に当たって、ハッと我に返る。
…いや。別におかしくなどない。少し京一の態度が軟弱なだけだ。それだけだ。
 そう思いつつ、そっと後ろを振り返ってしまった。…怖いもの見たさというものか。
丁度、両手で吊革に掴まり、身を捻るように龍麻の顔を覗き込む京一と、支棒に左手を添え、少し京一の方に首を向けた龍麻の横顔の、口が開かれるのが見えた。
「…京一。」

 ────見なければ良かった。
一瞬固まった京一の顔に、得も言われぬ至福の悦びが広がっていく。ハッキリ表現するなら、ニターッとだらしなく笑ったということだ。
「ヘヘッ…応よ、ひーちゃんッ。」
また龍麻の肩に捕まって、へへへとだらしない笑い声を漏らしている。二人の隙間から、彼らの前に座っていたOLがぎょっと目を剥いて見上げた後、口元を押さえて俯いたのを見て、俺はぎこちなく身体を正面に戻した。
「…醍醐クン? どーしたの、お腹イタイのッ? 大丈夫?」
思わず胃を抑えてしまったため、桜井が心配してくれたらしい。
「いッいや、何でもない。」
「でも顔色悪いよ? ホントに大丈夫なの?」
「…ああ、すまん。…ち、ちょっと腹が減ってな。は、ははは。」
「な〜んだ、ビックリした。そうだね〜ボクもお腹空いちゃったよ。遅くなったついでに、ラーメン食べて帰ろっか。」
「うふふ、そうね。まだお店が開いているといいけど。」
「はは、ははは。そうだな、やってるといいな。」
「えへへッ」
「うふふ」

 俺には一生縁のなさそうな世界。
だが、二人が幸せならば、それを見守ってやるべきだ…
少なくとも友人の俺くらいは、理解する努力をしてやらねばなるまい。
それが友情の正しい在り方だろう。…多分。
 何やら本格的に胃がチクチクと痛むが、気にすまい。
そう考えて、窓の外に目をやった。
新宿はもうすぐだ───
 彼らの行く手に幸あらんことを願いつつ、俺は本日最後の溜息をついたのだった。

06/30/1999 Release.