拾弐
之壱

The Incubation

 昨日も「調整」を受けた。

 私は「出来損ない」なので、時々調整される。
その都度、意識が安定して、ジル様の命令だけがクリアに聞こえるようになる。
でも何故か数日経つと、自分でも制御できない精神状態へと変換されてしまうのだ。
昨日も、単に時計を拾っただけで、奇妙にも精神バランスをくずしてしまった。
「感情」や「疑問」など必要ない筈なのに、私は調整を受けた今も、その「感情」を持つ自分に疑念を抱いてしまう。
どうしてなのだろう。
「17」や「21」は、このような疑問を抱いたことはないらしいというのに。

「!?」
 足元に生命エナジーを感じて、私は草むらをチェックした。
……?」
黒い小さな塊。
…猫だ。
小雨に濡れそぼって、弱々しく鳴いている。
「…かわ…いい…」
 可愛い。
いけない、そのような「感情」は必要ない。消去しなくてはまた調整を受ける。
 今にも死んでしまいそう。こんなに震えてる。
拾っては駄目だ。ジル様に叱られる…。
 可哀相。ママに、捨てられたの?
 マリィと…同じだね…。
…………
「…かわいそう…」
 …助けてあげなくちゃ。
こんなに冷たい。
あたたかくして、ミルクをあげよう。
だいじょうぶだよ、マリィが助けてあげるからね…。

 毛布でくるんだけど、まだ震えてる。ミルクも飲んでくれない。
寒いの?
恐いの?
マリィがあたためてあげる。
マリィがまもってあげる。
だから震えないで…お願い。
マリィの<<力>>は炎の力。あったかいでしょう?
こうして抱いていたら安心でしょう?
 フシギだね。
マリィも、なんだかあたたかいよ。

 あっ、ミルクを飲んでくれた。
良かった、もう大丈夫。
ねェ、お名前は何て言うの?
「にゃあ」
そう…。ママに捨てられたから、名前がないんだね。
マリィもそうなの。ジル様は「20」って呼ぶ。
でも覚えてる…ずっとずっと前、マリィって呼んでくれた、あたたかい女のひとのこと。
だから、マリィはマリィなの。
ママの代わりに、マリィが名前を付けてあげるね。
何がいいかな。
数字じゃないお名前。

 …そうだ。
「Mephistopheles」
なやんだり、こまったり、泣いたりする人にとりつく、アクマの名前。
「感情」を持ってしまうマリィは、アクマにつれていかれて、地獄におちるんだって、ジル様は言ってた。
「21」みたいに人間を殺せないマリィを罰するアクマ。
「キョウカラ、オマエハ、メフィスト…ダヨ。」
「にゃあ」
マリィがなやんだり、悲しくなったりしないように。
罰してね、メフィスト。ジル様に叱られる前に、調整を受ける前に、出来損ないのマリィを連れて行ってね。

 ジル様に呼ばれた。
メフィストを捨てろ、と言われた。
でも、ジル様。このコはメフィストなの。
マリィのそばにいなくちゃダメなの…。
 女のひとを殺せ、とも言われた。
やらなくちゃ。やらなくちゃ。ジル様に叱られる。
メフィスト、マリィのこころを調整して…。お願い、悲しくさせないで…。

 やっぱり出来なかった。
女のひとの顔をみていたら、とても悲しくなったから。
「悲しい。悔しい。」と女のひとが、こころの中で言ったから。
どうして「17」は平気なんだろう。「17」も、あの声が聞こえているのに。
「お前は、後でまた調整だ。」
やっぱりメフィストがいてもダメなんだ。マリィはやっぱり「出来損ない」なんだ…。

「囚人にメシを食わせるくらい出来るだろう」
 「18」に言われて、食事を運んだ。
女のひとが、マリィに優しく声をかける。
フシギ。
このひと、あたたかい。
マリィを、マリィと呼んでくれたひとに似ている気がする。
…そうだ。
昨日拾った時計。
触れたら、とてもあたたかくなった。
持ってた人が、大事にしてた、あったかい「こころ」が視えた。
とても似ている…あたたかすぎて、泣きたくなって…
…アオイ、オネエチャン…?
オネエチャン……

 いけない。ジル様に、叱られる。泣いちゃダメ。
調整を受けに行かなくちゃ。
マリィは悪いコだから。「出来損ない」だから。


 レベル3調整を受けた私は、自室に戻って待機するよう指示を受けた。
先ほどまでの奇妙な精神状態からは逸脱したが、まだ疑念が消えない。
「にゃああ」
この生物を用いて自己暗示を試みたが、うまくいかなかったようだ。
 メフィスト───皮肉な名前。確かにこの生物は、私に感情を取り戻させる誘惑の悪魔に相違ない。
ジル様の言う通り、後ほど処分すべきだろう…この腕時計も。
「…おい、人がいるぜ。」
 突然、私の視界に不審な人影が四体入ってきた。
記憶の中に存在しない人間たち。侵入者か。
「このコが持ってる時計…これ、葵のだよッ!!」

 !?

 アオイ。ミサト アオイ。
さっきの女のひとの名前だ。
アオイのことを、知っている?
 男のひとが三人。女のひとが一人。…誰なの?
「アナタタチ…アオイヲ知ッテルノ?」
「美里の…友達だ。」
…トモダチ? トモダチ?
分からない。トモダチって何?
でも、何故かあたたかい感じがする。
「葵は大事な仲間なんだもの。」
仲間…? 仲間は大事じゃないよ。どうして大事だなんて言うの?
「15」が死んだとき泣いたら、ジル様に叱られた。
───代わりはすぐに作れる、DATAは引き継いだのだから。「悲しみ」などという感情を持つな。「仲間」などは単なる消耗品だ。───
「その猫はキミのトモダチだろ?」
メフィストは…違う…メフィストは…
「その子が死んだら、悲しくないの?」
分からない…。メフィストがいなくなったら悲しい。「15」が死んだとき悲しかった。でも悲しいなんて思ったらいけない。「死んだら悲しい」と思ってはいけないの。でも悲しい。どうしたらいいの? メフィストが死んだら…そんなの、イヤ。イヤだ…。

 …あたたかい…
ビックリして目を開けたら、男のひとがマリィの頭を撫でていた。
手から、あたたかいものが流れてくる。
アオイオネエチャンと同じ。でも少し違う。
とても、とても懐かしい<<力>>───
(分かるよ。)
男のひとの声が聞こえる。
(トモダチがいなかったら哀しい。分かるよ。オレたちは同じだ。同じなんだよ。)
同じ…?

 だって、「21」とも「17」とも違う。
マリィだけが「出来損ない」。
だから…だから、同じひとなんていない…

 オニイチャンが、笑った。
とても優しく、こころのなかで笑ったのが視えた。
 同じ…なの?
マリィと同じなの?
みんな…マリィと同じように、悲しくなったり、悩んだりするの?
人を殺せなくて泣いたりするの?
(トモダチになろう。笑ったり、泣いたり、怒ったりするのは良いことだよ。カオに出して、気持ちを伝えれば、みんなと仲良くなれるんだ。)
 マリィと…トモダチに? 泣いても…良いの?
「美里は、どこにいるんだ?」
この大きなオニイチャンも、懐かしい感じがする。
このひとたちは、悪い人じゃないんだ。
ジル様の邪魔をする人間は、みんな悪いひと。
でも、このひとたちは、悪いひとじゃない。こころから、あたたかい「声」が聞こえてくる。
「コノ階段ヲ降リタトコロ…」
 じゃあ…ジル様は?
あのやさしいアオイを実験に使うと言ったジル様。
「仲間」が死んでも悲しむなと言ったジル様。
悲しくなったり、人を殺せなかったりするたびに、調整をするジル様。
本当は…ダレが…悪いの?

「アオイ────ッ!!」
 ESP値を調べる含酸素電荷ポッド。ここに入れられる人々を何人も見てきた。
ジル様は「コイツじゃない」と言って、その人たちを次々に「処分」した。
アオイも殺されてしまう。アオイが死んでしまう。
優しい声が、あたたかい手が、キレイな笑顔がいなくなってしまう…!
「…イヤ…アオイハ、殺サセナイ…」
殺させるものか。殺していいはず、ない。生きているものを殺したら、こんなに悲しい。
 悪いのはジル様。
たくさんの「仲間」を殺して、たくさんの「敵」を殺して、たくさんの仲間の「こころ」をころした。
悲しんでいいんだ、本当は。
泣いて良かったんだ。
「ワタシハ、兵器ジャナイッ。ワタシハ、生キテル。ワタシハ、…人間ダモンッ。」
ようやく分かった。
悲しい思いをしたくないから、殺さない。人間なら、普通なんだ。
誰も殺さない。殺すためじゃない。マリィの<<力>>は、護るためにあるの───

「Master Jill…」
 ここに横臥しているのは、ジル様ではない。
もう、ジル様はこの世に存在しない。
異形の化け物に変化したとき、私を縛り付けてきた誇り高き理想主義者は死んだのだ。
「Bye-bye, Master Jill. …And…」
Bye-bye, "20"th Mary.
さようなら…20番目の私。
こころの声を殺して生きようとしたマリィに。
 …バイバイ…。

 さっきのオニイチャンが、またマリィの頭をなでてくれた。
(偉かったな、マリィ。)
うん、オニイチャン。
マリィね、強くなるよ。
そして、「仲間」を護るの。オニイチャンみたいに。
仲間が死んで悲しいのを、やめるんじゃなくて。
悲しい気持ちにならないよう、仲間を死なせないコト。それが正しいんだよね?
(大事な仲間を護り抜く。それではじめて、トモダチとして認めてもらえるんだ…。)
分かったよ、オニイチャン。マリィも頑張るよ。
アオイを護って、オニイチャンを護って、ミンナを護るの。
そう思うだけで、こころがとってもあたたかくなるよ。
だから、きっとこれは、正しいコトなんだよね。

「にゃあ…」
 トモダチのメフィストが、「そうだよ」って、小さく鳴いた。

08/06/1999 Release.