参

外法都市

 宝珠の奉納を終え、帰路に付く頃から、京一はその「気配」に気付いていた。
鬼の気───
だが、殺気は感じない。
(何のつもりなんだ…?)
京一達の様子を窺っているような視線が、四方から集まっている。
仕掛けて来るつもりか。
この街中で。
雑踏で。
 龍麻は気付いているだろうか?
ちらりと視線を走らせると、龍麻は何事か考え込んでいるようだった。
自分と同様、連中の目的を訝しんでいるのかも知れない。
 先程醍醐に「珠さえ封じれば万事解決」などと言ったが、それを一番信じていないのは京一自身だった。
 まだ、何かある。
頭目であるらしい「九角」の存在。
「東京を混乱に陥れ、乱世をもたらす」ことを目的とするなら、連中の仕掛けた事件は余りにも矮小だった。
例えば、今までの事件全てが一度に起きていたなら、東京はそれこそ大混乱になっていただろう。そうしなかったのには、何か理由がある筈だ。
 駅へと続く繁華街の外れで立ち止まり、この後食事でもするかという話になる。
醍醐が尋ねると、美里は家族と食事に行くからと断った。
 妙に大人しいな。
今日の美里は少し元気がないようだ、と改めて京一は気付いた。
普段から元気いっぱいに飛び跳ねているわけではなかったが、ぼんやりとして、小蒔の話しかけるのにも上の空なのだ。
小蒔が心配そうに尋ねても、笑顔で大丈夫だと誤魔化し、去っていってしまった。
 ローゼンクロイツ学院の屋上での出来事を思い出す。
 ───美里葵…お前が…そうか。───
 ───おでだちは、『女』を捜しでいる。───
岩角の言った「女」というのが美里だとすれば、あの雷角の台詞も理解できる。
そのことで思い悩んでいるのかも知れない。
そして、今自分達を見張っている連中の目的も…
 だが、今、京一達を見張り続けている<<気>>は、美里の方を追ってはいかなかった。
ここで美里を攫うつもりはないらしい。むしろ我々の方が狙われているようだ。
 …少し辺りをぶらついて、様子を窺ってみるか。
普段ならあっさりと醍醐と一緒にラーメン屋へ行くところだが、京一は敢えて、別行動を取ることにした。
「適当に、おねェちゃんでも引っ掛けて時間を潰すかな。」
のんびりと、誰にも気取られないよう、努めてニヤニヤと笑いながら軽く言い放つ。
醍醐と小蒔は思惑通り、呆れ顔だ。
ところが───
「…オレも行く。」
思わずギョッとして、その響く声の持ち主を見つめた。
いつもと変わらない端正な顔は、瞳に常ならぬ決意の色を宿し、京一を見つめ返している。
 …俺の意図に、気付きやがったのか。
これだから、コイツの傍を離れらんねェんだよな。
 先程とは違い、心からこみ上げる嬉しさで、京一はニヤリと笑った。
「…まァ、一人より二人の方が成功率高いからな。そのかわり、抜け駆けすんなよ、ひーちゃん。」
どちらにでも意味の取れるように答えると、龍麻は表情を崩さぬまま、軽く京一の胸をコツンと叩いた。
「任せておけ」とでもいうような仕草に、またニヤリと笑い返す。
 何も知らない醍醐は「あんまりみっともない真似するんじゃないぞ」などとやたら神妙な顔で言いながら、小蒔と二人で去っていく。何か起きても、この二人なら何とかなるだろう。
その背を見送ってから、ゆっくりと京一は歩き出した。

 適当な話をしつつ、鬼気を探る。
「…鬼道衆のヤツら、俺のささやかな楽しみを奪おうとしやがってッ。」
『鬼道衆』の部分を少し強調して言ってみる。
しかし、<<気>>は揺らぐことなく、じっと京一達を観察しているようだった。
ここで襲うには、いくら何でも人が多い、ということか───
「ひーちゃん。必ずやつらを斃して、来年もおねェちゃんの肢体を拝もうぜッ。」
少し大きな声で言ってみたが、<<気>>はピクリとも反応しない。
「お前の…言う通りだ。」
また驚かされた。まともな返事を期待して話していたわけではなかったのである。
龍麻のことだ、「必ず連中を斃し、東京の平和を護ろう」という意味に解釈したのだろう。
胸が熱くなるほど嬉しかった。
「やっぱ、お前と俺は、なんか固い絆で結ばれてるのかもしれねェなッ。」
本心から告げると、京一をじっと見つめていた視線が和らいだ。口元が微かに綻んでいる。
少しずつ…本当に少しずつ、龍麻は打ち解け始めているのだった。

「ちょっと向こうに行ってみようぜッ。」
人通りの少ない裏道へと入る。仕掛けてくるなら絶好の場所だ。
周りを囲む鬼気が、明確な意志を初めて表したところで、京一は立ち止まり、大きく息を吐き出した。
「…出て来いよ。さっきからついて来やがって、気に入らねェな。」
殺気が膨れ上がって、京一と龍麻を包囲した。闇の中から、少なくはない鬼面が浮かび上がる。
やはり目的は、俺達を個別に襲うことだったのか?
何かが引っかかるが、とにかく今は眼前の敵を倒すことだ。
 背中に龍麻の背が当たった。清冽な<<気>>を感じ取る。
…そうだな、俺の背中はお前が護ってくれるよな。
「行くぜ、ひーちゃん。」
口元に上る笑みを押さえきれないまま、京一は身構える。
「ああ。行くぞ。」
 龍麻の声を合図に、同時に前後の敵に襲いかかった。

 数ばかり多い雑魚には、先手必勝だ。
<<気>>を地に走らせ、数体まとめて吹き飛ばしてから、駆け寄る鬼面を各個撃破する。
後ろに感じる鬼気には注意を払わない。その必要がないからだ。
「ぐげええッ!」
後方から京一に向けられていた殺気が、強烈に発せられた炎気によって、捻れた叫び声と共に消滅した。
「…ッと、させッかよ!」
横をすり抜けて龍麻を狙おうとしていた鬼面に斬撃を喰らわせる。
一瞬、隙の出来た京一の右前方から飛びかかろうとしていた敵は、後ろから放たれた<<気>>によって吹き飛ばされ、体勢を整える前に、水龍刀の露と消えた。
 数刻と経たないうちに鬼面の姿は殆ど消え去った。改めて龍麻の方を振り向く。
かなりの敵を屠った筈の、呼吸一つ乱していない後姿を。
───へへッ。お前がついて来てくれて良かったぜ。
 声を掛けようとした時、悲鳴が聞こえた。
「きゃーッ! ケンカよッ!」
「誰か、警察をッ!」
いくら人通りが少ないとはいえ、ここは新宿の繁華街裏である。数人、駆けつけて来る気配もする。
 ここで警察沙汰になっても面倒なので、急いでその場を離れた。
…ッたく、だから街中は面倒くせェんだよ…。

 とりあえずやり過ごそうと入ったいつものラーメン屋で、醍醐と小蒔も同様に襲われたことを知った。
美里の身を心配する小蒔に、「人混みでは襲って来なかったところを見ると、駅周辺にいる美里が襲われる心配はないだろう」と言っておく。
美里の件は、まだ憶測でしかない。今話しても、不安を煽るだけだ。それにいざとなれば、マリィもいる。
小蒔を力強く励ます醍醐に、少しは前向きになれたかなと小さく笑って、京一はこれからどうするかを考えた。
 宝珠の封印を防ぐのが目的であれば、なりふり構わず仕掛けてきたに違いない。
ということは、明日最後の宝珠を封じるまでは、全員一人きりにならないよう注意すれば良い筈だ。
では、その後はどうするのか。
相手の出方を待つなど、京一の趣味ではない。
かといって、本当に狙われているのが美里であるなら、こちらから動くのも危険だ。
 そうだな…帰りにもう一度わざと襲わせて、カマをかけてみるか。
横目で龍麻を見ると、いつも通り涼しげにラーメンを啜っている。
こいつのことだ、否とは言うまい。
そう思いつつラーメン屋を出ると、京一は極自然に龍麻と並んで歩き出した。

 しかし、京一の思惑は、一つ外れた。
案の定襲ってきた鬼面の中の、一匹だけ残して倒し、捕まえたまでは良かったが、色々聞き出そうとした途端、「それ」は自らの喉をかき切り、消滅したのだ。
一筋縄ではいかないということか…
多少残念ではあったが、それなら他の手を考えるまでだ。
 マンションの入り口で龍麻と別れ、一人で帰路につく。ここにとどまっても、先程全滅させられたばかりなのだ。二人でいるところをまた襲う程、鬼道衆も愚かではないだろう。
一人になり、もう一度隙を作って襲わせる。あの程度の人数なら何とかなる、と京一は踏んだ。
 わざと人通りのない道を選んで歩いていると、後を尾行てきていた鬼面が、やっと声をかけてきた。
「…蓬莱寺京一だな。」
「…また訊くかよ。いちいちうるせェな。来るならとっとと来いっての。」
薄暗い街灯の元、にぶい光を反射させて立つ鬼面は一人きりである。
「へっ、人数切れか? 情けねえ。」
「問答無用…お主の首、もらい受ける。」
「時代劇の見過ぎじゃねェのかよッ!」
叫ぶと同時に鞘を投げ捨てる。
相手の鬼面もスラリと脇差を抜いた。
…ただの雑魚ってワケでもねェな。
 敵が平正眼に構えたのを見て、上段から青眼へと構え直す。「妖気」ともいうべき陰の<<気>>が、刀を通じて腕を痺れさせる。
まァまァだな。…だがよ。
京一は、無造作に左足を一歩踏み出した。
反射的に鬼面が刃を斜めに引き、切り下ろしてくる。
引いてんじゃねェよ。バカが。
 左斜めに入ってくる剣先に合わせ、刃腹で叩くようにして流れを変える。ほんの僅か、自らの刀に振り回されて体が流れ、右足が一瞬硬直する。浮き身を保てなくなった隙を見逃す京一ではない。
 そのまま、左の脇腹から右肩に抜けるように斬った。
ちょっと顔をしかめる。骨を断つ感触には、未だ慣れない。
「く………無念…無念じゃ…風角様…こ、九角様…。」
「…おい、てめェらの本当の目的はなんだ?」
「またも…またもお主にやられるのか…遠き記憶の果て…因果のごと…」
「ワケ分かんねェこと言ってんじゃねェッ。何を捜している? 『女』ってのは…誰だ? 何のために捜す?」
「おお…あの女…あの裏切り者さえいなければ…我が主、風角様とてあのように、討ち死にされることもなかったろうに…。九角家も安泰であったろうに…」
………?」
「風角様………ら…嵐王様…口惜しや…これも、これも宿命なのか…同じ者ども、同じ縁にて…我らうち滅ぼさるるも、星道の征くまま…」
「…同じ者…?」
「く…くく…我らに近き者…蓬莱寺京一よ…お主も、前世に倣いて…修羅の因縁に惑い、苦しみ、堕ちる定め也…ふ、ふはは…」
 京一は、おもむろに刀を振り下ろした。
鈍い音がして、膝をついていた鬼面の首があっさりと胴体から離れる。
生きた血の通わない身体から、どろりとしたどす黒い液体が流れたが、やがて本体ごと塵のように消えていった。
 …気に入らねェな。
「同じ者」が「同じ縁」で九角と闘い、「前世」と同様に美里を護っているとでも言うのか?
下らねェ。
何が前世だ。
何が宿命だ。
そんなモンでこの俺が動いてるワケがねェ。
たかが雑魚の戯れ言に、何でこんなに苛つかなきゃなんねェんだよ。
 京一は頭を振って、重い足を自宅へと向けた。
鬼面の告げた「修羅」という言葉の示す、不吉な響きを一歩ずつ踏み砕くように───

 翌日、青い顔の美里を見たとき、美里も襲われたのかと緊張が走ったが、それとは関係なく体調が悪いと分かって、思わず安心した。
(いや、調子が悪いってんだから、安心ってワケじゃねェんだよな。)
小蒔が強引に、龍麻にも付き添わせて、保健室へと美里を連れていく。
アイツも妙なトコで気を遣ってるな…。
可笑しいやら心配やら、複雑な気分で美里たちを見送る。
「大したことがなければ良いが…。」
「なァに、大丈夫だって。美里も平気だって言ってたろ?」
「う、うむ…だが…」
醍醐が不安そうに言い出すと、同じ事を思っていても、全く正反対の態度を取ってしまう。
心配性の醍醐と、安心させようと楽観的に話す京一との、役割分担とも言うべき呼応は、知り合ったときからずっと変わらない。
「…ところで京一、昨夜は…その、龍麻もやはり…ナンパなんてしたのか?」
「…へ? 何の話だ? …あ、ああ。ナンパか。いや、その前に連中に襲われたからな。」
「そ、そうか…。」
今度は何を案じているのか、醍醐はやたらと難しい顔をしている。
「何心配してんだか知らねェが、ひーちゃんなら大丈夫だぜ? ヘンな女に引っかかるような真似は、この俺がさせねェって。」
……………うう。」
「…? ま、いいさ。それよりよ、お前はひーちゃんのノート写さなくていいのか? どーせ宿題出来てねェんだろ? 昨夜あんだけ遅くなったのに、キッチリやってくる辺り、流石はひーちゃんだよな〜。へへへッ。」
………ううう。」
 唸りながら胃の辺りを押さえる姿には疑問もあったが、まァ醍醐のことだから美里の心配でもしているのだろうと割り切って、ノートの方に集中することにした。

 放課後になってようやく戻ってきた美里は、どうしても一緒に奉納について行くと言って譲らない。
まだ本調子ではなさそうな美里を連れ歩くのもどうかと思ったが、一人にして家に帰す方が危険かも知れない。
龍麻が美里の同行を認めたのも、同様な気持ちだったのだろう。
「…無理は…するな。」
明らかに美里を気遣う台詞に、京一だけではなく、全員が龍麻に注目する。
嬉しそうに微笑む美里に頷いてみせるその瞳は、普段より幾分柔らかく、暖かだった。
小蒔が嬉しそうに何度も頷いているのを目の端に確認する。
 この分でいけば、後は京一達が余計なことをしなくても、二人はうまくいくだろう…
何故か胸が痛むのは、恐らくエゴというものか。
世話を焼いている間は、何故自分がこんなことをと思っているのに、いざ己が手から離れると寂しくなってしまうものなのだろうか。
 馬鹿馬鹿しい感傷を吹っ切ろうと、京一は龍麻の背を軽く叩いた。
「よしッ、それじゃ行くとするか。最後の不動へよ───。」

 目黄不動尊で、相変わらず遠巻きにしている鬼どもの<<気>>を感じつつ、奉納を行った。
最後と言うことで、何かあるのかと思い身構えていたが、特に何も起こらない。
「…とりあえず、終わったな。」
「これで…後はどうなるんだろ? ね、葵…。…葵? どうしたの?」
小蒔の声に振り向くと、真っ青な面に脂汗を滲ませた美里が、ぐらりと身を傾けるのが見えた。
慌てて小蒔が支える。
「あっ葵! 葵! どうしちゃったんだよ、葵ィー!!」
「落ち着け、桜井。………どうも尋常な様子じゃないな。とにかく、桜ヶ丘に運ぼう。」
「…う、うん…………葵…。」
意識を完全に失った美里を醍醐が背負う。目に涙を浮かべながら、小蒔が寄り添うように傍につく。
 その後に続くように歩きながら、京一は龍麻にだけ聞こえるように語りかけた。
「ここで仕掛けられたらマズいな。」
しかし反応がない。慌ててその横顔を見ると、龍麻はじっと美里の背中を見つめている。聞こえていないようだ。
「ひーちゃん…ひーちゃんッ。」
ハッとして、ようやく龍麻が振り向いた。
美里のことで頭が一杯だったのだろう。
「あんま、心配すんなよ。美里なら、きっと大丈夫だからよ。」
「…ありがとう。」
………ありがとう、か…)
 時々思うことがあった。
龍麻は全く感情を表に出そうとしないので、沈着冷静なように見えるが、実はその内面はとても熱く烈しいものを持っているのではないか、と。
戦闘時の、別人のような積極性から見ても、今のように垣間見える心の隙からも、彼の真実はもっと別のところにあるように感じるのだ。
「へへっ…いいってことよ。」
ニッと笑ってみせると、微かに龍麻の頬が緩んだようだった。
 ほんの一瞬ではあるが、こうして時々笑顔らしきものを見せるようになったし、短い言葉ではあるが、感謝や謝罪の気持ちを表すようになって来ている。
(だよな…。美里のことはどうであれ、お前にはまだまだ見せてもらわなきゃいけない部分が沢山あるんだからな。変な感傷に浸ってる場合じゃないぜ。)
 いつか、その想いを話してもらえるように───もっと信頼されるように、これからも闘い続けなければならない。
密かに決意を改める京一であった。

 桜ヶ丘で美里が目覚めたのは、もう9時を回る頃だった。
遅くなると危険だからと言っても、頑として美里の傍を離れなかった小蒔が、ピクリと動いた睫毛にいち早く気付いた。
「葵…あおいッ。」
少しぼんやりしていた美里は、それでも意識が戻ると身を起こし、意外にしっかりした様子で、自分はどうしたのかと尋ねてきた。
これまでのことを説明し、とりあえず今日は病院で一晩過ごすように言って部屋を出る。
「じゃ、タイショー、小蒔を頼むぜ。」
「うむ。そっちも気を付けてな。」
 流石に今日は照れてもいられないらしい醍醐に手を振って、京一は龍麻と共に病院を後にした。
明日の朝には元気になった美里に会えることを、疑う者など誰もいなかったのである。

「サッキ、病院ヘ行ッタノ…ソシタラ、葵オネエチャンガ、イナイノ───。」
泣きながら訴えるマリィの言葉に、全身の血が凍り付いた。
甘かったのか。やはり狙いは美里の身だったのか…。
 しかし、マリィの差し出した美里の置き手紙は、全ての憶測をひっくり返すようなものだった。
  ───今までありがとう…さようなら───
美里は自分の意志で病院を出たのだ。
「どういうことなんだ…。」
今朝の様子では、操られていたり、おかしな挙動をしたりといったことは無かったようだ。
では何故美里は…。
 とにかく何か手懸かりを捜すため、桜ヶ丘へと急ぐ。

 マリアに呼び止められてヒヤリとしたが、醍醐と小蒔の説得によって何とか切り抜け、先を急いでいる途中だった。
偶然、絵莉に出逢った。
絵莉は、ずっと鬼道衆のことを調べ続けていたのである。
 敵の名は九角天童。京一達と同じ高校三年生らしい。
強力な外法を用いて人知れず生きてきた男───
遠い昔、徳川家に滅ぼされた九角家の怨念だけを胸に生きてきた男。
「江戸時代の怨恨か───。そんなもののために、水岐や凶津は、踊らされたのか…。そんなもののために、佐久間は命を落としたのか…。」
醍醐が苦々しげに呟く。
全く下らない話だ。
 その下らないものを胸に生きてきた男が、美里を欲するのは何のためなのか。
美里の<<力>>は確かに京一達のものとは違っているように思う。水岐の魂を救った光は、奇跡と言っていいものだった。ジル・ローゼスも、彼女の能力に目を付け、誘拐した。
だとすれば…九角が欲しているのは、正に美里のその<<力>>なのだろうか。その力を用いて、復讐を遂げようとしているのか。
 昨晩「迷惑をかけた」と何度も謝っていた、悲しげな顔を思い出す。
鬼道衆の目的が、自分を捜すことだと知っていた美里───
自分の存在が、仲間に迷惑をかけていると思いこんだのか。
そして…自ら九角の元へ赴き、これ以上巻き込まないようにしようとしたのか…。
「…ッたく…馬鹿なこと考えてくれるぜ、美里もよ…。」
彼女らし過ぎて思わず溜息をついてしまう。
「…昨日さ。犬神センセに言われたんだ…葵から目を離すな。彼女は自己犠牲の心が強すぎるって。」
京一の独り言を聞きつけ、小蒔が呟いた。
「あの時…雷角とかいうヤツが、葵のコト捜してた、みたいなこと言ってたの、ボクも聞いてたんだ。」
…………。」
「気にするなって言ったんだけど、葵は笑って何も答えなかった。あの時から、ボクらに迷惑掛けまいって考えてたんだと思う。…ボクさ…葵の力になれなかったんだよね…。」
悲痛な告白に、誰も何も言わない。
京一が醍醐や龍麻に感じた無力感、絶望感を、いま小蒔も感じているのだった。
───じゃあ、とっとと美里を救け出して、一発ぶん殴ってやれよ。」
「…!?」
「言ってやれよ。もっと俺達を信用しろってな。」
………京一…。」
醍醐が苦笑する。
「…バカ…京一と一緒に…すんなッ。」
一瞬、乱暴に右袖で両目を擦ると、小蒔はニヤッと笑った。
「女のコを殴れるワケないだろッ。…救け出したら、怒鳴ってやるんだ。『親友に心配かけるのが、いっちばん良くない』ってね!」
「ああ。…へへへッ。」
「エヘヘッ。」
それが小蒔の強さだった。決して後ろ向きのまま立ち止まらない。
「うふふ…そうね。葵ちゃんには、ちゃんと彼女を愛する人たちの想いを伝えないといけないわね。」
じっと話を聞いていた絵莉が、小蒔に微笑みかける。
「自己犠牲の精神はとても美しいものだけど…そのために自分が不幸になれば、自分を大切にしてくれている誰かが傷つく。そのことを、もっと葵ちゃんは理解しなくてはならないわ…。」
大きく頷く小蒔を、目を細めながら醍醐が見つめる。
それを、いつものように少し離れて、龍麻が見ていた───少し小首を傾げながら。
「さあ行きましょう。九角鬼修が斃れたとされる、九角家終焉の地…等々力不動はすぐそこよ。」
 絵莉の声に、京一は一瞬浮かんだ不安をもみ消して歩き出した。
…ひーちゃん。お前にも、同じコトを言いたいぜ。分かってる…よな?

 等々力不動の入り口で絵莉を帰し、敷地内へと侵入する。
立っているだけで、背中に汗をかくほど烈しい殺気が、周囲を取り囲んでいる。
 御堂に近づいた時、突然空が暗く翳り出した。
「おいッ、誰かいるぜッ。」
全員が身構えて見守る中、御堂に続く階段に腰掛けていた影が、むくりと起き上がった。
「そろそろ来る頃だと思ってたぜ…。」
これが…九角天童。鬼道衆の頭目であり、九角家の末裔か───
一見、普通の若者に見える面に皮肉な笑みを浮かべ、全員を見渡すその眼は凍り付く程に冷たい。
周りを漂っていた妖気が、実体を形作り始めた。
「こ…こいつらは…」
斃したはずの、鬼道五人衆。
「これは、こいつらの怨念よ。てめェらに復讐したいと願うこいつらのな…憎悪、悔恨、怨嗟の念が、集い、形をもったものよッ。」
暗い闇を見据え続けたような光を映さぬ瞳が、勝ち誇るように歪む。
「…目醒めよ───ッ!!」
妖気が膨れ上がり、鬼道五人衆全てが変生する───
「これが………鬼道なのか…」
額から流れ出る汗を拭うことも出来ず、醍醐が呟く。
「さァ、始めるとするか。よく見ておくんだな…。外法ってヤツを、…見せてやるぜ。」

 …デカイ図体は伊達じゃねェってか。
<<気>>を飛ばして攻撃しても、殆ど効かない。
龍麻の指示により、それでも全員が弱点に合った攻撃を仕掛ける。
そして、指示した本人は、九角の元へ辿り着いていた。
 炎角のなれの果てに直接攻撃を叩き込みながら、龍麻に近づけないよう、間に入る。全員が同様にして、五人衆と九角とを分断するように走る。
………コヅヌサマ…!」
水角であった大蜘蛛の化け物が、京一達の意図に気付いて、九角の元へと跳んだ。
そのまま龍麻の背に食らいつこうとして───猛烈な勢いで突然生じた炎の塊に飲み込まれた。
「ギャアアアッ!?」
「…お兄チャンモ、葵オネェチャンモ、マリィガ護ル。」
雷気を身に纏わせた雨紋が炎に包まれた大蜘蛛を切り裂き、とどめを差す。
「へッ。一丁上がりッと。」
「コッチハ任セテ! お兄チャン!!」
一瞬、後ろに眼を走らせた龍麻が、コクリと頷く。意識は九角に向けたままだ。
 期せずして全員から、龍麻へ全てを託す声がかかる。
九角を斃せば、全てが終わる。美里を連れ帰り、平和な日々に戻るのだ。
「…行けッ、ひーちゃん!!」
 炎角にとどめを差して、京一は振り向き、そして見た。
今までにない程の量の<<気>>を発している龍麻の後姿と、それを凝視している九角の歪んだ顔を。
 怨恨、嫉妬、無念、焦燥、憎悪。あらゆるどす黒い感情を封じ込めたような昏い<<気>>が、九角の構えた刀に集まっていく。
呼応するように、まぶしいほどの光が龍麻を包み、不安に駆られた京一は無意識に龍麻の名を叫んでいた。  そして───
光が闇を喰らい尽くし、吹き飛ばして、静寂が訪れた。

 本堂に入ると、美里が倒れていた。
意識はないが、特に何か危害を加えられた様子はない。
小蒔が抱き起こすと、美里は目をゆっくりと開いて、小蒔を見つめた。
「…バカッ。なんで一人で行っちゃうんだよッ。…心配したんだから…」
怒鳴るというにはほど遠い小蒔の囁きが、美里の瞳を哀しげに伏せさせる。
「…ごめんなさい…小蒔。ありがとう…。」
全ては終わったのだ。
 しかし、九角を斃したことを告げると、美里の顔色が変わった。
「…あの人と、話をさせて。」
哀しげな瞳に宿るのは…憐憫であったろうか。
同じ高校生の身で、先祖の怨嗟を晴らすためだけに生きてきた男への憐れみ。
龍麻に相対したときの、烈しい憎しみに満ちた瞳を思い起こし、美里に何があったのかと尋ねようとした、その時だった。
「くくくッ…甘いな。」
「…この声は…九角!?」
弾かれたように、全員が飛び出す。
ボロボロになった九角が、烈しい闘気を背負い、立っていた。
「もう…止めてッ。こんな闘いは───復讐なんて…」
美里の言葉に、九角は一瞬目を細める。そして、口元を歪ませた。
「…さあ来いッ!! この地に漂いし、怨念たちよ。この俺の中に巣くうおぞましき欲望よ───ッ!! この俺を…喰らい尽くせ─────!!」
「…九角ッ…!」
鬼のような形相が、見る間に本物の「鬼」へと変わっていく。
身体が膨れ上がり、牙が生え、皮膚は破れ、剥き出しの筋肉が赤黒く盛り上がる。人であった痕跡が一つ残らず消えていく。
そこまでして…何を得ようというのか。何が得られるというのか。
誰も何も言わなかった。
龍麻の背中から、激しい程溢れていた闘気が消えている。
哀しくも短い、最後の闘いが始まった。

「…京一、醍醐。剄をたたき込め。」
 呟くような龍麻の指示に従うと、鬼は殆ど無防備なまま、攻撃を受け止めた。
人の身体を捨て、大きな妖気に包まれた鬼は、何故かろくな攻撃も仕掛けて来ない。
ガクリと膝をついた鬼にとどめを差そうと構えた龍麻に、美里が身を寄せるようにして、何かを呟いた。
祈りを捧げるその姿から、清らかな<<力>>があふれ出す。
水岐を救ったときと同じ、奇跡の光だ───
あの時と異なるのは、その脇に立つ男から、力強い波動が生み出されていることだ。
二つの<<力>>は互いを増長させるように混じり合い、鬼を包み込む。
大気を揺るがす咆吼が、胸に突き刺さる。
哀れな響きだった。
「鬼」の身体が崩れていく。
周囲の瘴気と共に、塵と化しながら、鬼は笑ったようだった。
───見事…だ…人の<<力>>───見せてもらったぞ…。」
自分は人ではないと、言外に滲ませながら。
一族の安寧の地を求めたかったのだと言って、「九角」であった鬼は、大気に溶けるように消えた。
九角の魂も、この地に漂う怨念と化して、永遠の時を苦しみ続けるのだろうか。
 立ちこめていた瘴気が晴れ始め、陽光が差す。
清浄な空気と、重い<<気>>とが軽い風を巻き起こして、ようやくまともな呼吸が出来るようになった気がする。
今度こそ、これで全てが終わったのだ。
「…葵オネェチャンッ…」
 今まで我慢していたらしいマリィが、葵に縋って泣き出した。
「…ごめんね、マリィ。もう大丈夫…全部…終わったのよ。もう…」
美里の<<力>>とは、一体何だったのか。九角の申し入れはどのようなものだったのか。九角との間に、どのような話がなされたのか…今となっては、もう全てが遅かった。
 空気が晴れるに従って、ざわざわと会話が生まれる。
「これで…終わったンだよなッ?」
「怖かったァ〜。でも、何だか、舞子も悲しい〜。」
「怪我はないかい?」
 どの声にも反応することなく、じっと九角の消えた辺りを見つめ続けている龍麻に気付いて、京一は声をかけた。
「ひーちゃん───。」
即座に振り向いた龍麻に、しかし何と言って良いのか分からない。
 瘴気を流し去る風が龍麻の前髪を踊らせ、意志の力を映し出す双眸を顕わにしている。
何もかも───お前が転校してきてから始まった。
去年まで、何のために存在するのかを考えたことすら無かった自分に、一筋の光明をもたらした。
戸惑い傷ついてきた仲間達を、強い意志でここまで引っ張ってきた、京一達を護るために来たと告げた男に───
「その…なんだ、今まで、ありがとよッ。」
ひどく気恥ずかしい思いを押さえ込んで、言ってみる。
 …だが、龍麻の反応は意外なものだった。
少し眉根を顰め、視線を逸らしたのだ。
どういうことなのか? 自分の台詞に、何か奇妙な部分があったのだろうか?
………。」
まさか───
これで終わりではないのだろうか。
龍麻は何を知っているというのだろうか。

 どうせ聞いても答えやしねェだろうな。
…まァいいさ。何か起きるなら、それはそれで退屈しないで済むしよ。
京一は笑った。
「へへへッ。それじゃ、帰るとすっか。俺たちの真神学園へ───。」
伏せていた瞳が上げられ、ようやく視線が重なる。
龍麻はゆっくりと、力強く頷いた。いつもと変わらない、一見冷めたように見える顔で。
 そう、何も変わらない。何も終わっていないのだ。
頷き返して、京一は歩き出した。
これから先に待っているものは何なのか───
何があったとしても、変わらずに在るであろう男が、自然と左隣を歩く。
 そうだ。歩いていけばいい。前を向いて、ひたすら進めばいい。
龍麻がいる限り───迷う必要はないのだ。
そんな風に考えてしまう自分への疑念を振り捨て、京一は歩き続けた。
今だけは、鬼道衆との闘いに終止符が打たれたことを、素直に喜ぼう。
そしてまた明日から、来るべき災厄に向けて備えるのだ。

 妖気が晴れてすっかり澄み切った空気を吸い込み、京一は空を仰いだ。
自分の行く先は未だ混沌の中にあると感じつつ、近き未来に思いを馳せながら───

鬼道編・完

08/25/1999 Release.