拾参
之壱

Birthday Present

「葵オネェチャン! 龍麻オニィチャン!」
 学校の帰り道。
軽やかな足音と共に現れたのは、愛らしい紺の制服に身を包んだマリィだった。
「まあ、マリィ。どうしたの?」
「ウン、一緒に帰ロウと思って。いいでショウ、オニィチャン?」
葵の手にすがりつきつつ、マリィが屈託のない笑顔で龍麻を見上げる。葵も戸惑いながら龍麻を見つめた。
……ああ。」
頷く顔は、いつもと同様にそっけない。
しかしマリィの方は嬉しそうに、そのまま龍麻の左手を握ると、己の左手を葵の方に伸ばしてきた。
微笑みながら、葵もその手をしっかり握りしめる。
家に連れてきたばかりの頃は、怯えたり、葵や両親に嫌われまいと無理をしたりして、心を開いてくれないところもあったのだが、今は随分と、素直な心をぶつけてくれるようになった。
安心したのか、信じてくれたのかと思うと、自然と頬がほころぶ。
「ワ〜イ! 何ダカ、パパとママみたい!」
 無邪気にはしゃぐ声。
しかしその言葉の意味に気付いて頬が熱くなった。
動転して龍麻の方を見やる。
彼も驚いたのだろう。とっさにこちらを見つめ…すぐに、顔を背けられてしまった。
………。」
 まただ…。貴方はいつも、そんな風に避けてしまう。
 人を受け入れてはいけないの? …それとも、私が嫌…だから…?
「行こッ、オネェチャン!」
「…え、ええ、そうね、マリィ。」
それでもマリィの手を離さないでいてくれることだけが救いだ、と葵は思った。マリィのためと思ってくれているに違いない。優しい心は人一倍ある人なのだ、と。

 龍麻と帰りが一緒になったのは偶然だった。
彼は大抵、京一や醍醐たちと一緒に帰る。葵も部活動の終了した小蒔と一緒に帰るのが最近の常だった。だが、昇降口でばったり出会ったとき、お互い珍しく一人きりだったのだ。
「今日は、まっすぐ帰るの?」
そう尋ねると、短く肯定の言葉を発して、そのまま葵と肩を並べるようにして歩く。
……
どちらにしろ、校門を抜けて10分程度、街道を歩いた先の交差点で別れることになる。
「さよなら」と言いかけた言葉を飲み込んで、美里はぎこちなく龍麻の隣を歩いた。
 随分普通に話せるようになった、と思う。
それでも、二人きりになったことはなかったのだと気付いてしまったため、いつものように話しかけることが出来ない。
彼の無口は普段通りのものなのに、拒絶されているのではないかという不安が拭いきれず、言葉に詰まっていた時───救いの主が現れたのだった。

 二人きりでなくなったことにホッとしているなんて、彼に気付かれたくない…
そう思いつつ、努めてさり気なく、葵はマリィに声をかけた。
「マリィったら、一体どうしたっていうの? 今日は。」
「どうしたッテ…葵オネェチャン! 今日は何の日カ、分カラナイノ?」
……? …あッ」
「そーだヨ! Happy Birthday、オネェチャン!」
 すっかり忘れていた。
事件続きだったこと。ようやく総てが終わってたところに、来週に控えた修学旅行の準備でバタバタしていたこと。
そして、つい数日前に知った自分の<<力>>のこと───
それらが嬉しいはずの日のことを、記憶から消し去ってしまっていたようだ。
(そうか、私の誕生日か───
「そうだったわね、ありがとう、マリィ。」
微笑んでマリィにそう答えると、龍麻が弾かれたようにこちらを振り向いた。
少し間があって、静かに呟く。
「…おめでとう。」
「ありがとう…龍麻くん。」
………
何か聞きたげに首を傾げているのを見て、気を遣わせてはいけないと、慌てて先に声をかけた。
「龍麻くんは、誕生日っていつだったかしら?」
……10月の…29日。」
「じゃあ、来月ね。うふふ、私の方が少しお姉さんなのね。」
………
小さく頷くのを見て、内心胸をなで下ろす。
(良かった、気を悪くしてはいないみたい。)

「それじゃ、オニィチャンは、オネェチャンにプレゼントしてないノッ?」
 突然のマリィの抗議に、龍麻より葵の方が驚いた。
「ちょ…ま、マリィ…!」
「オニィチャン、冷たいヨ! トモダチにプレゼントしないナンテ!」
……済まん。」
いつの間にか立ち止まり、さっきまで龍麻の手を握っていた指をつきつけながら、マリィが彼を叱りつけるような恰好になっている。
「マリィったら! …いいの、気にしないで、龍麻くん。プレゼントなんていらないのよ?」
「…いや…」
気にしないでと繰り返しながら、龍麻の言葉にわずかながら動揺の色がにじんでいるのに気付き、何となく嬉しくなってしまった。
(嫌ね、私ったら。龍麻くんが困っているのに…)
龍麻が自分のことで人らしい戸惑いを見せたからといって、それを喜ぶのははしたない。
それでも、いつも冷静な彼がマリィにやり込められて困っているのは、微笑ましく見えた。
「仕方ないネ、龍麻オニィチャンは。それじゃ、何か一つ、オネェチャンの言うコトをききなサイ!」
「…?」
「プレゼントがないなら、何かオネェチャンのタメにしてアゲルといいんだヨ! マナーの授業で、勉強したノ。」
 大きく頷いて、龍麻がこちらを向き直る。
強い光を宿す龍麻の瞳に見つめられ、顔が赤くなってきたのが分かったので、葵は目を逸らした。
しばらく沈黙が続く。いたたまれない。

………鞄。」
「えッ…?」
 慌てて顔を上げると、目の前に龍麻の手が差し出されている。
「家まで、送る。」
 葵の家まで鞄を持っていってやる。
そう言われているのだと気付いて、思わずマリィと顔を見合わせた。
そして…
 「……プッ…アハハハ!」
マリィが吹き出し、お腹をかかえて笑い出した。
笑ってはいけないと思いつつ、こみ上げてくる楽しさを抑えることが出来ない。
 鞄を持つ、だなんて。
なんだか、子供の頃を思い出す。
仲の良かった隣の席の子と、じゃんけんをしながら互いの鞄を持ち合った。
ずっとずっと小さかった頃の思い出。まだ無邪気に、何も知らずにみんなとはしゃぐことが出来た頃…

 見ると龍麻は少しうつむき、立ち尽くしている。
なんだか途方にくれているように見えて、思わずまた笑みがこぼれた。
「龍麻くん。鞄は、持ってくれなくていいわ。でも、送ってくれるのなら、お願いがあるの。」
顔を上げた龍麻に、ますます笑みを深くして、葵は続けた。
「今みたいに、三人で手をつないで帰ってくれる? 私の家まで。」
言ってしまってから、自分で驚いた。
こんなこと、とても普段なら言えないのに。
少し龍麻の内面が見えたような気がした、それだけで気が大きくなっているようだ。
 龍麻はちょっと首を傾げたが、また大きく頷いた。
「…それで…いいなら。」
「ワァ! マリィも嬉しいナ〜!」
「うふふッ。じゃ、行きましょう。」
 先程と同じようにして、マリィを挟んで手をつなぐ。
自分と、マリィと、龍麻と。
暖かいマリィの手のひらから、龍麻の力強い<<気>>が流れ込んでくるような気がする。
学校で練習しているらしい歌をハミングしながら歩くマリィの頭越しに、龍麻の横顔を見ると、微かに口元がほころんでいるように見えた。

 中への招待を固辞し、家の前できびすを返した彼を、マリィと二人で見送った。
ピンと伸びた大きな背中が、夕映えの中に消えていく。
すっかり見えなくなるまで手を振りながら、葵はそっと呟いた。
 素敵なプレゼント、ありがとう───

09/20/1999 Release.