拾参
之四

裏・讃頌

 アランと雨紋の後に続きながら、ちらりと龍麻の顔を横から盗み見る。
いつもと変わらない、何を考えているか判らない面。
女性陣も来ているとなれば、もしかしたら龍麻も歌わざるを得ないのではないか。
(舞子に藤咲、雪乃だろ? 意外に押しの強い雛乃ちゃんと来れば、無理矢理コイツにマイク持たせて歌わせるくらいするかも知れねェしな。)
 龍麻とカラオケ。
全くそぐわない気がして笑えてくる。
(はっきり断らなかったところを見ると、別に嫌じゃなさそうだしな。)
雨紋に声を掛けられたときは不運を嘆いた京一だったが、予想外の見物が出来るということに、思わず胸を踊らせた。

 だが、京一の思惑は少し外れていた。
結局龍麻は一度たりともカタログに手を伸ばすことなく、ただ全員の歌うのを冷静に聞き続けている。
流石に、どっしりと落ち着いてしまっている龍麻に対して「歌え」と言い出す者はいなかったのだ。
 全員の顔を見渡しながら、時折拍手したり誰かの言葉に頷いたりする様は、まるで音楽の教師かどこかのオーディションの審査委員長のようであった。

「ソロソロ、タツマの番ネッ?」
(よし! 良く言ったアラン!)
 京一もこの時ばかりは、いつも平然としゃしゃり出るアランの図太い神経に感謝した。
他の皆も同じ想いだったのだろう、口々に龍麻を誘い始める。
 アランが龍麻の隣の席に移動しつつカタログを広げ、肩を抱き寄せるようにしてリストを見せた。
間髪を入れずに、雨紋も反対側から龍麻にのし掛かり、あれやこれやと曲名を挙げている。
この二人はいつでもこうだった。両側から龍麻にしがみついてベタベタと懐くのだ。
 転校してきたばかりの頃を思い出す。
まだ信用されていなかったためか、身体に触れると殺気を放っていた龍麻。
…お前等、全然感じねェのか? こんなに龍麻の<<気>>が張り詰めているってのに。
 膝の上に置かれた龍麻の両の拳が少しずつ握りしめられていくのを見て、京一は舌打ちしつつ、助け船を出すことにした。
(…誘うなら、もっと上手くやりやがれ! 益々拒んじまうじゃねェかよ。)

しかし京一以外の誰も、龍麻の拒絶を理解出来る者は居なかった。
口々に龍麻に不服を述べる。
「ダァリ〜ン…そうなのォ〜? 舞子、悲しい〜。」
舞子に至っては泣き出してしまう始末だ。
「高見沢…。」
流石に驚いたのだろう、龍麻が微かに眉を寄せて舞子を見つめる。
(…どうする? ひーちゃん。「仲間」を大切にしてるお前のことだ、このまま無視はしないだろ?)
 歌うことそのものが嫌なのだとしたら、わざわざカラオケボックスについてきたりはしないだろう。
京一は、少し成り行きを見守ることにした。
 そんな気持ちを察したのだろう。龍麻はちょっとこちらを見やり、何かを考えるように眼を伏せた。
そしてゆっくり部屋を見渡し…モニタに眼を止めると、諦めたように指を指したのだった。
「…この曲。」
 一斉に全員がモニタに注目する。
曲が途切れ、カラオケ情報などを垂れ流していた画面には、思いがけない曲名があった。

最新カラオケTOP10


3位 風に寄せて 舞園さやか 382XXX


 …ちょっと待てよ。舞園さやかだと?
しかも最新アルバムの曲である。CMに使われているとはいえ、この曲はシングルでは発売されなかったためか、カラオケでベスト10入りしたのは本当に最近のことだ。
大ファンである自分さえ数日前に入手したばかりのそのCDを、龍麻が歌えるほど聴いているのかと思うと、衝撃を隠せない。
 ひーちゃん、実はさやかちゃんのファンだったのか?
しかし、龍麻の部屋ではCDなど見掛けたことがない。アイドルに興味があるようにも思えない。プールで偶然舞園さやかの撮影会に遭遇したときも、はしゃぐ自分を冷ややかに見つめていただけだったのに…
「さやかちゃんの歌なんか歌えるのか?」
 思わず尋ねてしまったが、龍麻はそれには応えなかった。

 イントロが流れ出し、雨紋がニヤニヤしながらマイクを龍麻に渡す。
さやかの透明なソプラノを強調するために作られたような、儚げな、少しクラシカルな曲である。
 龍麻が、静かに口を開いた。

 …バサッ、とアランがカタログを取り落とし、その音で京一は我に返った。
全員の顔を見回すと、各々龍麻を見つめている。ある者は唖然として、ある者は恍惚とした表情を浮かべて。
当の本人はモニタに向かったまま、見た目には淡々と歌い続けている。
だが、その唇から紡ぎ出される音の奔流は、正にこの場に居るもの総てを痺れさせるほど圧倒的な<<力>>となって、狭い部屋一杯に響き渡っていた。

 元々、龍麻の声には独特の響きがある。
ある時は激しく他者をひれ伏させ、ある時はその安定した響きを以て仲間に安心感を与える。
それにメロディが付くとなれば、当然予想出来た結果であった。
 決して大声でなく、どちらかと言えば控えめな音量で、マイクも心持ち遠目に持ち、それでも身体中がその響きに共鳴する。
歌が上手いとか、技術云々といったことを超えたものが、京一達を揺さぶった。
 さやかの歌より二オクターブ低いその歌声は、美しく響く筈のそのメロディを力強い、全く違う曲のように変化させている。
それでもサビの部分は高すぎるのであろう。少し掠れた声に背筋がゾクリとして、思わず眼をつぶる。
 藤咲が切なげに溜息をつき、雨紋の震えるように呻くのが、微かに聞こえた。

 曲が終わっても、皆放心したように動かない。
それを見て取ると、龍麻は何事もなかったように荷物を拾い上げ、京一に出るよう促した。
いつもと同様に、雨紋達に向かって一つお辞儀をする。
今まで彼らを魅了していたことなど、何とも思ってはいないようだった。

 龍麻。
東京を、真神学園を、「仲間」達を護るためにやってきた男。
常に感情を抑え、目立たないように前髪を伸ばし、学業もスポーツも全力を出さぬようにしている男が隠していた「才能」を、また一つ垣間見た。
 この男に出来ないことなど存在するのだろうか。
自分が選んだ剣の道も、こいつにかかったらあっさり極められてしまうのではないだろうか───
 汗ばんでいた身体が一瞬にして冷やされるような、昏い感情が京一を包んだ。
「…ひーちゃん。お前…出来ないことって何がある?」
だが、龍麻はその言葉に困惑したように、眼を伏せて微かに首を振った。
 …そうだよな。
そんなこと言われたって、出来ちまうもんは仕方ねェよな。
暗雲を振り払うように、京一は苦笑した。
自分の才能に驕り高ぶっているというならともかく、ここまで必死に爪を隠そうとしている鷹に、嫉妬するなど馬鹿げている。
「ま、いいさ。そーゆーヤツなんだもんな、お前は。」
 横から抱き締めるようにして頭を乱暴に撫でてやると、ホッとしたように肩の力が抜けたのが判った。
先程の雨紋達への態度との違いに、少なからぬ優越感と、そんなことに喜びを感じる自分への失望感が、京一の心の中で小さな渦を作ったが、やがて押さえ込まれて消え去った。
 それは、近い将来に起こる災いの種火であったのだが、今の京一に気付く術はなかったのである───

10/08/1999 Release.